イリヌシーの人骨(共通語)

概要

このシードヌシーというのは、ちょうど火の神(かん)を置いたみたいに三つの岩からあの出来ていまして、西側のですね、上勢頭(かみせえ)側からみるとですね、これがイリヌシーといって、次がナーカヌシーといってね、それからヒカラワジーといってですね、これはちょうどずっととがった岩なんですね。これは、またごつごつした岩なんですね。これは、上はね、平たい万座毛みたいな大きいやつじゃないですよ、まあそうね、上は、四十坪ぐらいの平たい岩でありまして、これは、なにをするかというと、ここに登るとあの那覇からねぇ、ずっとあの船が出るのよく見えるんですね。そこで、船送り(ふなうくい)をやってるんですよ。田中組、阿波根組あたりのですね船送りの船見送りの場所なんですね。こっちからは、那覇港から出た船が、残波(じゃんぱ)のところまでね、ずっとあの見えるわけなんですよ。だから、見送りに火をたいたりしましたね、我々は、火はたいた覚えは二、三度しかないですがね、しかし、船からは、見えないって言っていましたね。そういう所がこのヒラカワジー、シードルシーこの三つから出来ているんですよ。これはもう今は、全部なくなりました。そして、このイルヌシーにはですね、横にそうとう大きい穴がありましてね、人骨がたくさん入っていたんですよ。この人骨は、いつごろのものかよくわからないんですが、これは、まあそこ開墾した時分にそこに持っていっていれたのか、それとも薩摩とのね、慶長の役のときに、そのあたりで死んだ人のをおさめたのか、このイリヌシーというものにはですね、いくつものその骨があったんですよ。そして、昔(んかし)はそこに刀があったらしいとか、蛇味線(じゃみせん)があったらしいとかいう話も聞いたんですがね、我々がもういったその辺りでみる時分からなにもなかったですね。

再生時間:2:24

民話詳細DATA

レコード番号 47O418831
CD番号 47O41C455
決定題名 イリヌシーの人骨(共通語)
話者がつけた題名
話者名 喜友名朝昭
話者名かな きゅうなちょうしょう
生年月日 19291030
性別
出身地 北谷町上勢頭
記録日 19881114
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 北谷町T07B01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 上勢頭郷友会発刊『上勢頭誌』上巻・通史編
キーワード このシードヌシー,火の神,上勢頭,イリヌシー,ナーカヌシー,ヒカラワジー,三味線
梗概(こうがい) このシードヌシーというのは、ちょうど火の神(かん)を置いたみたいに三つの岩からあの出来ていまして、西側のですね、上勢頭(かみせえ)側からみるとですね、これがイリヌシーといって、次がナーカヌシーといってね、それからヒカラワジーといってですね、これはちょうどずっととがった岩なんですね。これは、またごつごつした岩なんですね。これは、上はね、平たい万座毛みたいな大きいやつじゃないですよ、まあそうね、上は、四十坪ぐらいの平たい岩でありまして、これは、なにをするかというと、ここに登るとあの那覇からねぇ、ずっとあの船が出るのよく見えるんですね。そこで、船送り(ふなうくい)をやってるんですよ。田中組、阿波根組あたりのですね船送りの船見送りの場所なんですね。こっちからは、那覇港から出た船が、残波(じゃんぱ)のところまでね、ずっとあの見えるわけなんですよ。だから、見送りに火をたいたりしましたね、我々は、火はたいた覚えは二、三度しかないですがね、しかし、船からは、見えないって言っていましたね。そういう所がこのヒラカワジー、シードルシーこの三つから出来ているんですよ。これはもう今は、全部なくなりました。そして、このイルヌシーにはですね、横にそうとう大きい穴がありましてね、人骨がたくさん入っていたんですよ。この人骨は、いつごろのものかよくわからないんですが、これは、まあそこ開墾した時分にそこに持っていっていれたのか、それとも薩摩とのね、慶長の役のときに、そのあたりで死んだ人のをおさめたのか、このイリヌシーというものにはですね、いくつものその骨があったんですよ。そして、昔(んかし)はそこに刀があったらしいとか、蛇味線(じゃみせん)があったらしいとかいう話も聞いたんですがね、我々がもういったその辺りでみる時分からなにもなかったですね。
全体の記録時間数 2:31
物語の時間数 2:24
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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