受水洞窟(方言)

概要

〔方言原話〕 字上勢頭(あざうぃーしーどぅ)ぬ、御殿地組(うどぅんぢーぐみ)ぬ、東稲嶺(あがりんなみ)ぬ南側(ふぇーばたー)高さる土手(あぶし)なとぉーしが、うまぬ下(しちゃ)むてぃんかい、受水井戸(うきんじゅがー)んでぃ言ゅる、柄杓井戸(にーぶがー)ぬあしが、うぬ井戸(かー)や、昔(んかし)、七月(ななちち)旱魃(ひゃー)てぃん、水(むぢ)ぬなげーりてぃ、遠方(とぅーさ)からん水(みぢ)汲みいがちゅるあたい、水(みぢ)ぬまんどぉーる井戸(かー)やしが、うぬ井戸(かー)ぬ下流(しってぃ)んかい、受水田(うきんじゅだー)ぬちぢち、井戸(かー)ぬ上方(かめーぎ)からすば、また田(たー)ぬすばふぃらー、全部(むる)土手山(あぶしやま)ぬやくとぅ、雨(あみ)んでぇーぬ降いねえー、井戸(かー)ぬ湧水(わくみぢ)しいてぃー、大水(うーみぢ)なてぃなげーりいしが、うぬ水(みぜー)全部(むる)下手(しってぃ)ぬ、受水洞窟(うきんじゅがま)んかいなげーりんちゅん。あんしが、うぬ洞窟(がま)ぬ入口(いりぐちー)や真下洞窟(ちぶとぅんがま)なてぃ、ちゃっさ大水(うーみぢ)ぬなげーりんちみたん、大鍾乳洞(うふがま)ぬあしが、昔(んかせー)、くぬまんぐらー、とぅかいふぃがいそうる山とぅ、んーじゅぬまんでぃ、木(きー)んふちゃりかんてぃ、昼(ふぃる)ん薄暗さるふか山なやーに、うぬ受水洞窟(うきんじゅがま)ぬ中(なーかー)、暗さんあい、また、中(なーか)んかい行ちぃねえー、いくちぬんかい、穴ぬ分かりてぃ、うぬ先(さち)んかえー川(かーら)ぬなげーりてぃ、海んかいちぢちょんでぃ。中(なーか)んかいむぬどぅめーいしいがいーねえー、木(きー)ぬ枝(ゆだ)ちゅだちなーむっちいやーに、辻(かじまやー)ぬかーぢうちきてぃるいーたんでぃしが、うまぬ西側(いりむてぃ)なかい、てぇーげー五十間位(ごじっけんびけー)に、なーてぃーちカーブヤー洞窟(がま)んでぃちあしが、うまー入口(いりぐちー)や、うすでぃるいーしが、中(なーかー)竿(そー)しんいちゃーらんあたいぬ洞窟(がま)なてぃ、受水洞窟(うきんじゅがま)やかんまぎさるあい、うまーぬ入口(いりぐちー)やなんべえーらーやしが、いふぃぐゎーいーねえー側(すば)から水(みぢ)ぬ湧ち、中(なーか)んかいなげーりくまぎいん。うんぐとぉーる所(とぅくま)やくとぅ、明治時代ぬ大盗人達(うふぬすどぅぬちゃー)隠家(くゎっくぃどぅくる)やたんでぃ。うぬ大盗人達(うふぬすどぅぬちゃー)や小橋川(くゎしちゃ)ぐゎーまーじゅー、上江洲仁王(うぃじーによう)、嘉手苅目玉(かでぃかるみんたまー)、千原(しんばる)シベーやたんでぃしが、うぬ当時(まんぐら)、木(きー)ぬふちゃーりかんてぃるうくとぅ、皆(んな)うまんかいくゎっくぃてぃ、てぃーちんかちみららんたんでぃ。うぬ時(ばー)ぬ探偵(たんてぃー)や、石川探偵(いしちゃーたんてぃー)んち、なー沖縄版(うちなーんまり)ぬ銭形平次んでぃいゃったる人(ちゅ)やくとぅ、うぬ話(はな)しいや、今(なま)んとぅすいぬちゃー物語(むぬがたい)ぬ、うほーくぬくとぉーしが、うぬ内ぬ、いくちかぬ話(はな)しい。うぬ探偵(たんてぃー)ん、うまぬ洞窟(がま)んかい目(みー)ちきてぃ、ちゃーみーぐるまーいそうたんでぃる話(はな)しいやん。北谷うてぇー千原(しんばる)シベーぬ話(はな)しいや、だてぇーんあしが、ある時(ばー)に、探偵達(たんてぃーたー)んかい、うぃーまーさってぃさくとぅ、自分(どぅー)ぬ家(やー)んかいいやーに、ちき髭(ふぃじ)し、シベーくゎっくゎち、眼鏡(みがんちょー)や親(うや)ぬむんかきてぃ、新聞みーちきてぃ、座敷(ざしち)ぬ真ん中んかいいちょーたくとぅ、探偵達(たんてぃーたー)や、うりんちぇーわからん、とぅーてぃ行ちゅたんでぃる話(はな)しいやん。また、ある時(ばー)に、嘉手苅目玉(かでぃかるみんたまー)とぅ上江洲仁王(うぃじーによう)とぅ二人(たい)、夜(ゆる)一緒(まじゅん)さーに、砂糖樽(さーたーだる)てぃーわたし盗みんぢゃち、サバニぬみっちゃきなたくとぅ、那覇(なーふゎ)までぃくーじんぢょーしが、ういる店(まちや)とぅ、ういよーぬわからん、むどぅてぃちゃくとぅ、夜(ゆう)あきてぃ逮捕(かちみ)らったんでぃ。また、千原(しんばる)シベーん、他(ふか)ぬ探偵(たんてぃー)んかえー抵抗(ふぃけー)しふぃんぎいたんでぃしが、石川探偵(いしちゃーたんてぃー)んかえー、なだやーしくそーてぃ行かりーたんでぃ。うぬ当時(まんぐら)ぬ垣花(かちぬはな)ぬ刑務所(かんがく)や、那覇港(なーふゎんなとぅ)ぬ南側(ふぇーばた)、断崖(ちりばんた)ぬ上(うぃ)んかいあたしが、千原(しんばる)シベーや、塀(かち)ぬ上(うぃ)んかいうぃーてぇーる、ガラス瓶ぬ割りやーに、また刑務所(かんがく)んかいいち、ぬむたんでぃしが、うぬ話(はな)しいちちゃる石川探偵(いしちゃーたんてぃー)や、シベーんかい、「ちゃーしくぬ塀(かくい)とぅんくぃーたが。また、とぅんくぃーららんぐとぅしちゅくいねえー、君(やー)や無罪なち、くまからんぢゃすん。」ち約束(やくしく)さくとぅ、シベーや、着物(ちのー)はじやーに、裾(すす)水(みぢ)んかいんださーに、はーえーし行ちゃーに、塀(かち)んかいはいぬぶいしとぅ同時(まじゅん)、着物(きのー)ガラスぬ割りんかいうちかてぃ、がってぃんとぅんくぃたくとぅ、あんせえーとぅんくぃーららんちゅくぃかたやんでぃ言ちゃくとぅ、ガラスぬ割れえーとぅいしてぃやーに、蒲鉾(かまぶく)ぬぐとぅなちゃくとぅ、うんにんからーんぢらんなとぉーたんでぃ。あんさくとぅシベーや無罪なてぃ、んぢちゃんでぃる話(はな)しいやん。かーま前(まー)や、うぬぐとぅーる大盗人(うふぬすどぅ)ぬ隠家(くゎっくぃどぅくるー)やしが、くぬ戦うてぇー、百七人(ひゃくしちにん)ぬ命(いぬち)すくたる洞窟(がま)やん。御殿地(うどぅんぢー)ぬ人達(ちゅぬちゃー)から、平安山之上(はんざぬうぃー)周辺(まんぐら)ぬ人達(ちゅぬちゃー)までぃ、うぬ洞窟(がま)んかいいっち、たしかとぉーん。ハワイむどぅいぬ与那覇(ゆなふゎ)ぐゎーぬ三郎お父さん、田仲康保(たなかこうほう)さん二人(たい)とぅ、稲嶺盛栄(んなみせいえい)さんぬ三人(みっちゃい)さーに、アメリカー軍ぬ、沖縄二世(うちなーにせー)とぅさーに、アメリカー兵隊(ふぃーたい)ん一緒(まじゅん)さーなかい、洞窟(がま)んかいうる人達(ちゅぬちゃー)、とぅすい、女(いなぐ)、子供達(わらびんちゃー)皆(んな)し百七人(ひゃくしちにん)、無事、水陸両用車さーに、砂辺(しなび)ぬ浜んかいそうてぃいかりやーにたしかとぉーん。うぬ後(あとぅ)日本兵、球部隊(たまぶたい)、田中上等兵ぬ、うぬ洞窟(がま)んかいくゎっくぃとぉーし、アメリカーにみーあてぃらりやーに、手(てぃー)ん、足(ふぃさ)んくんだりやーに、洞窟(がま)ぬ入口うてぃ、散々しんだりやーに、手足(てぃふぃさ)くんだっとぉーるまま、くるちしてぃらっとぉーし、稲嶺盛栄(んなみせいえい)さん夫婦(みーとぅんだ)とぅ、上(うぃ)ぬ屋良(やら)ぐゎーぬ家族(やーにんじゅ)ぬんーち、後(あとぅ)から、上(うぃ)ぬ屋良(やら)ぐゎーお母さん達(たー)が、死体(しじょー)るしぐ側(すば)んかい穴ふてぃ埋葬(うす)たんでぃしが、遺骨(くちたまー)今(なま)んうぬままるやんでぃ。また、いふぃ離りてぃ、北側(にしむてぃ)んかい、水溜橋(みんたまやーばし)ぬあてぃ、両方(どぉーほー)土手(あぶし)やしが、うまぬ下(しちゃ)むてぃなかい、土手(あぶし)ぬ上部(うゎーび)んかい、高射砲陣地ぬあやーに、うぬ下側(しちゃばた)んかえい、まぎんーじゅぬあしが、アメリカーぬ飛行機んかい発見(みーあてぃ)らりやーに、包囲さりやーなかい、全滅し、白骨(しらくち)ぬ山ぢみさっとぉーたんでぃる話(はな)しい。〔共通語訳〕 字上勢頭の御殿地組の、東稲嶺の南側は高い土手になっているが、その土手の下の方に、受水井戸(うきんじゅがー)という柄杓で水を汲む井戸がある。その井戸は、昔、七カ月の旱魃にも水が流れていて、遠くの方からも水汲みに来るぐらい、水量の豊富な井戸だが、その井戸の下流には受水田(うきんじゅだー)が続いており、井戸の上の方の両側、また、田の両側も全部土手の山林になっていて、雨が降ると、井戸の湧き水も合わせて大水になって流れるが、その水は全部下手の受水洞窟(うきんじゅがま)に流れ込むのだが、しかし、その洞窟の入口は、真下に大きな口を開けた様な鍾乳洞で、どんなに大水が流れ込んでも満たない大鍾乳洞があるが、昔この辺は凸凹も多く、溝も多い所で、樹木も鬱蒼と茂っていて、昼でも薄暗い程の深山だったそうで、その受水洞窟(うきんじゅがま)の中も暗く、また中に入っていくと、幾つもの穴に分かれていて、その先には川が流れていて海に続いているとの事である。中に何か探しに入る時には、木の枝を小脇に抱える程持って入り、辻の所にそれを置いて道標にしたとの事である。またその西側に、約九十一メートルぐらい位の所に、もう一つ、蝙蝠洞窟(かーぶやーがま)があるが、そこは入口には屈んで入るのだが、内部は竿を持っても上に届かないぐらいの大鍾乳洞で、受水洞窟(うきんじゅがま)よりも大きい。そこの入口は斜めだが、少し入ると側面から水が湧き出してきて、中に流れ込んでいる。その様な場所だから、明治時代の大盗人達の恰好の隠れ家だったのである。その大盗人達は、小橋川グヮーマージュー、上江洲仁王、嘉手苅ミンタマー、千原シベーだったそうだが、その当時は樹木が鬱蒼と茂っているので、みんなそこに隠れて、一向に逮捕されなかったという。その時代の探偵は石川探偵で、沖縄版の銭形平次といわれた人である。それらの話は、今でも年寄り達の物語にたくさん残っているが、そのうちの幾つかを話してみよう。その探偵も、そこの洞窟には目をつけていて、常時内偵していたという話である。北谷においては、千原シベーの話はたくさんあるが、或る時に、探偵達に追い回され囲まれると、自分の家に入り、付け髭をしてシベーを隠し、眼鏡は親父の物をかけて、新聞を見ながら座敷の真ん中に座っていると、探偵達は彼とは知らずに通っていったという話である。また或る時、嘉手苅ミンタマーと上江洲仁王の二人が、夜中共謀して砂糖倉に忍び込み、そこからくり舟いっぱいに砂糖樽を手渡しで盗み出し、那覇まで漕いで行ったが、売る店と手段がわからず戻ってくると、夜が明けて逮捕されたとの話である。また千原シベーも、他の探偵には抵抗して逃げたそうだが、石川探偵には従順に連れて行かれたという話である。その当時、垣花の刑務所は、那覇港の南側の断崖の上にあったが、千原シベーは、塀の上に植えつけたガラス瓶の破片を飛び越えて、港を泳いで渡り、店で酒を買って、また刑務所に入って飲んだそうだが、その話を聞いた石川探偵は、シベーに、「どの様にして塀を飛び越えたか。また、飛び越えられない様に造ったら、君を無罪にしてここから出してやる。」と約束しますと、シベーは着物を脱いで裾を水に濡らし、走っていって塀に駆け登ると同時に、着物を、植え込んだガラスの破片に打ち込んで、難なく塀を飛び越えたのである。それで、越えられない造り方というと、ガラスの破片を取り除き、蒲鉾型に造ったので、それ以来出られなくなったとの事である。勿論、シベーは無罪放免となったという話である。ずっと以前は、その様な大盗人達の隠れ家になっていたが、この戦争の時には、百七人の命を救った洞窟である。御殿地の人達から平安山之上周辺の人達までも、この洞窟に入って助かったのである。ハワイ帰りの与那覇三郎さんと田仲康保さんの二人に、稲嶺盛栄さんの三人で、米軍の沖縄二世に話して、兵隊も一緒になって洞窟にいた人達、老人、婦女子、子ども達全員で百七人、無事、水陸両用車で砂辺の浜に収容されて助かったのである。その後、日本兵、球部隊、田中上等兵が、その洞窟に隠れようとして米軍に見つかり、手足を縛られ、猿ぐつわをはめられて、洞窟の入口に捨てられているのを、稲嶺盛栄さん夫婦と、上の屋良ぐゎーの家族が発見して後から、上の屋良ぐゎーのお母さん達が、死体のすぐ側に穴を掘って埋葬したそうだが、遺骨は今もそのままだとの事である。また、少し離れた北側の方に水溜石橋(みんたまやーばし)があり、両方土手になっているが、そこの下の方の土手の上に高射砲陣地があって、その下側には大きな溝があるが、アメリカの飛行機に発見され、包囲されて溝の方で全滅し、白骨が山積みされていたという話もある。平成9年2月17日 識名隆人翻字 T6B6

再生時間:6:35

民話詳細DATA

レコード番号 47O170055
CD番号 47O17C006
決定題名 受水洞窟(方言)
話者がつけた題名 受水洞窟(うきんじゅがま)
話者名 阿波根昌栄
話者名かな あはごんしょうえい
生年月日 19210309
性別
出身地 沖縄県中頭郡北谷町字上勢頭
記録日 19970217
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 T06B06
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 世間話
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 『想い出の昔話』
キーワード 受水井戸
梗概(こうがい) 〔方言原話〕 字上勢頭(あざうぃーしーどぅ)ぬ、御殿地組(うどぅんぢーぐみ)ぬ、東稲嶺(あがりんなみ)ぬ南側(ふぇーばたー)高さる土手(あぶし)なとぉーしが、うまぬ下(しちゃ)むてぃんかい、受水井戸(うきんじゅがー)んでぃ言ゅる、柄杓井戸(にーぶがー)ぬあしが、うぬ井戸(かー)や、昔(んかし)、七月(ななちち)旱魃(ひゃー)てぃん、水(むぢ)ぬなげーりてぃ、遠方(とぅーさ)からん水(みぢ)汲みいがちゅるあたい、水(みぢ)ぬまんどぉーる井戸(かー)やしが、うぬ井戸(かー)ぬ下流(しってぃ)んかい、受水田(うきんじゅだー)ぬちぢち、井戸(かー)ぬ上方(かめーぎ)からすば、また田(たー)ぬすばふぃらー、全部(むる)土手山(あぶしやま)ぬやくとぅ、雨(あみ)んでぇーぬ降いねえー、井戸(かー)ぬ湧水(わくみぢ)しいてぃー、大水(うーみぢ)なてぃなげーりいしが、うぬ水(みぜー)全部(むる)下手(しってぃ)ぬ、受水洞窟(うきんじゅがま)んかいなげーりんちゅん。あんしが、うぬ洞窟(がま)ぬ入口(いりぐちー)や真下洞窟(ちぶとぅんがま)なてぃ、ちゃっさ大水(うーみぢ)ぬなげーりんちみたん、大鍾乳洞(うふがま)ぬあしが、昔(んかせー)、くぬまんぐらー、とぅかいふぃがいそうる山とぅ、んーじゅぬまんでぃ、木(きー)んふちゃりかんてぃ、昼(ふぃる)ん薄暗さるふか山なやーに、うぬ受水洞窟(うきんじゅがま)ぬ中(なーかー)、暗さんあい、また、中(なーか)んかい行ちぃねえー、いくちぬんかい、穴ぬ分かりてぃ、うぬ先(さち)んかえー川(かーら)ぬなげーりてぃ、海んかいちぢちょんでぃ。中(なーか)んかいむぬどぅめーいしいがいーねえー、木(きー)ぬ枝(ゆだ)ちゅだちなーむっちいやーに、辻(かじまやー)ぬかーぢうちきてぃるいーたんでぃしが、うまぬ西側(いりむてぃ)なかい、てぇーげー五十間位(ごじっけんびけー)に、なーてぃーちカーブヤー洞窟(がま)んでぃちあしが、うまー入口(いりぐちー)や、うすでぃるいーしが、中(なーかー)竿(そー)しんいちゃーらんあたいぬ洞窟(がま)なてぃ、受水洞窟(うきんじゅがま)やかんまぎさるあい、うまーぬ入口(いりぐちー)やなんべえーらーやしが、いふぃぐゎーいーねえー側(すば)から水(みぢ)ぬ湧ち、中(なーか)んかいなげーりくまぎいん。うんぐとぉーる所(とぅくま)やくとぅ、明治時代ぬ大盗人達(うふぬすどぅぬちゃー)隠家(くゎっくぃどぅくる)やたんでぃ。うぬ大盗人達(うふぬすどぅぬちゃー)や小橋川(くゎしちゃ)ぐゎーまーじゅー、上江洲仁王(うぃじーによう)、嘉手苅目玉(かでぃかるみんたまー)、千原(しんばる)シベーやたんでぃしが、うぬ当時(まんぐら)、木(きー)ぬふちゃーりかんてぃるうくとぅ、皆(んな)うまんかいくゎっくぃてぃ、てぃーちんかちみららんたんでぃ。うぬ時(ばー)ぬ探偵(たんてぃー)や、石川探偵(いしちゃーたんてぃー)んち、なー沖縄版(うちなーんまり)ぬ銭形平次んでぃいゃったる人(ちゅ)やくとぅ、うぬ話(はな)しいや、今(なま)んとぅすいぬちゃー物語(むぬがたい)ぬ、うほーくぬくとぉーしが、うぬ内ぬ、いくちかぬ話(はな)しい。うぬ探偵(たんてぃー)ん、うまぬ洞窟(がま)んかい目(みー)ちきてぃ、ちゃーみーぐるまーいそうたんでぃる話(はな)しいやん。北谷うてぇー千原(しんばる)シベーぬ話(はな)しいや、だてぇーんあしが、ある時(ばー)に、探偵達(たんてぃーたー)んかい、うぃーまーさってぃさくとぅ、自分(どぅー)ぬ家(やー)んかいいやーに、ちき髭(ふぃじ)し、シベーくゎっくゎち、眼鏡(みがんちょー)や親(うや)ぬむんかきてぃ、新聞みーちきてぃ、座敷(ざしち)ぬ真ん中んかいいちょーたくとぅ、探偵達(たんてぃーたー)や、うりんちぇーわからん、とぅーてぃ行ちゅたんでぃる話(はな)しいやん。また、ある時(ばー)に、嘉手苅目玉(かでぃかるみんたまー)とぅ上江洲仁王(うぃじーによう)とぅ二人(たい)、夜(ゆる)一緒(まじゅん)さーに、砂糖樽(さーたーだる)てぃーわたし盗みんぢゃち、サバニぬみっちゃきなたくとぅ、那覇(なーふゎ)までぃくーじんぢょーしが、ういる店(まちや)とぅ、ういよーぬわからん、むどぅてぃちゃくとぅ、夜(ゆう)あきてぃ逮捕(かちみ)らったんでぃ。また、千原(しんばる)シベーん、他(ふか)ぬ探偵(たんてぃー)んかえー抵抗(ふぃけー)しふぃんぎいたんでぃしが、石川探偵(いしちゃーたんてぃー)んかえー、なだやーしくそーてぃ行かりーたんでぃ。うぬ当時(まんぐら)ぬ垣花(かちぬはな)ぬ刑務所(かんがく)や、那覇港(なーふゎんなとぅ)ぬ南側(ふぇーばた)、断崖(ちりばんた)ぬ上(うぃ)んかいあたしが、千原(しんばる)シベーや、塀(かち)ぬ上(うぃ)んかいうぃーてぇーる、ガラス瓶ぬ割りやーに、また刑務所(かんがく)んかいいち、ぬむたんでぃしが、うぬ話(はな)しいちちゃる石川探偵(いしちゃーたんてぃー)や、シベーんかい、「ちゃーしくぬ塀(かくい)とぅんくぃーたが。また、とぅんくぃーららんぐとぅしちゅくいねえー、君(やー)や無罪なち、くまからんぢゃすん。」ち約束(やくしく)さくとぅ、シベーや、着物(ちのー)はじやーに、裾(すす)水(みぢ)んかいんださーに、はーえーし行ちゃーに、塀(かち)んかいはいぬぶいしとぅ同時(まじゅん)、着物(きのー)ガラスぬ割りんかいうちかてぃ、がってぃんとぅんくぃたくとぅ、あんせえーとぅんくぃーららんちゅくぃかたやんでぃ言ちゃくとぅ、ガラスぬ割れえーとぅいしてぃやーに、蒲鉾(かまぶく)ぬぐとぅなちゃくとぅ、うんにんからーんぢらんなとぉーたんでぃ。あんさくとぅシベーや無罪なてぃ、んぢちゃんでぃる話(はな)しいやん。かーま前(まー)や、うぬぐとぅーる大盗人(うふぬすどぅ)ぬ隠家(くゎっくぃどぅくるー)やしが、くぬ戦うてぇー、百七人(ひゃくしちにん)ぬ命(いぬち)すくたる洞窟(がま)やん。御殿地(うどぅんぢー)ぬ人達(ちゅぬちゃー)から、平安山之上(はんざぬうぃー)周辺(まんぐら)ぬ人達(ちゅぬちゃー)までぃ、うぬ洞窟(がま)んかいいっち、たしかとぉーん。ハワイむどぅいぬ与那覇(ゆなふゎ)ぐゎーぬ三郎お父さん、田仲康保(たなかこうほう)さん二人(たい)とぅ、稲嶺盛栄(んなみせいえい)さんぬ三人(みっちゃい)さーに、アメリカー軍ぬ、沖縄二世(うちなーにせー)とぅさーに、アメリカー兵隊(ふぃーたい)ん一緒(まじゅん)さーなかい、洞窟(がま)んかいうる人達(ちゅぬちゃー)、とぅすい、女(いなぐ)、子供達(わらびんちゃー)皆(んな)し百七人(ひゃくしちにん)、無事、水陸両用車さーに、砂辺(しなび)ぬ浜んかいそうてぃいかりやーにたしかとぉーん。うぬ後(あとぅ)日本兵、球部隊(たまぶたい)、田中上等兵ぬ、うぬ洞窟(がま)んかいくゎっくぃとぉーし、アメリカーにみーあてぃらりやーに、手(てぃー)ん、足(ふぃさ)んくんだりやーに、洞窟(がま)ぬ入口うてぃ、散々しんだりやーに、手足(てぃふぃさ)くんだっとぉーるまま、くるちしてぃらっとぉーし、稲嶺盛栄(んなみせいえい)さん夫婦(みーとぅんだ)とぅ、上(うぃ)ぬ屋良(やら)ぐゎーぬ家族(やーにんじゅ)ぬんーち、後(あとぅ)から、上(うぃ)ぬ屋良(やら)ぐゎーお母さん達(たー)が、死体(しじょー)るしぐ側(すば)んかい穴ふてぃ埋葬(うす)たんでぃしが、遺骨(くちたまー)今(なま)んうぬままるやんでぃ。また、いふぃ離りてぃ、北側(にしむてぃ)んかい、水溜橋(みんたまやーばし)ぬあてぃ、両方(どぉーほー)土手(あぶし)やしが、うまぬ下(しちゃ)むてぃなかい、土手(あぶし)ぬ上部(うゎーび)んかい、高射砲陣地ぬあやーに、うぬ下側(しちゃばた)んかえい、まぎんーじゅぬあしが、アメリカーぬ飛行機んかい発見(みーあてぃ)らりやーに、包囲さりやーなかい、全滅し、白骨(しらくち)ぬ山ぢみさっとぉーたんでぃる話(はな)しい。〔共通語訳〕 字上勢頭の御殿地組の、東稲嶺の南側は高い土手になっているが、その土手の下の方に、受水井戸(うきんじゅがー)という柄杓で水を汲む井戸がある。その井戸は、昔、七カ月の旱魃にも水が流れていて、遠くの方からも水汲みに来るぐらい、水量の豊富な井戸だが、その井戸の下流には受水田(うきんじゅだー)が続いており、井戸の上の方の両側、また、田の両側も全部土手の山林になっていて、雨が降ると、井戸の湧き水も合わせて大水になって流れるが、その水は全部下手の受水洞窟(うきんじゅがま)に流れ込むのだが、しかし、その洞窟の入口は、真下に大きな口を開けた様な鍾乳洞で、どんなに大水が流れ込んでも満たない大鍾乳洞があるが、昔この辺は凸凹も多く、溝も多い所で、樹木も鬱蒼と茂っていて、昼でも薄暗い程の深山だったそうで、その受水洞窟(うきんじゅがま)の中も暗く、また中に入っていくと、幾つもの穴に分かれていて、その先には川が流れていて海に続いているとの事である。中に何か探しに入る時には、木の枝を小脇に抱える程持って入り、辻の所にそれを置いて道標にしたとの事である。またその西側に、約九十一メートルぐらい位の所に、もう一つ、蝙蝠洞窟(かーぶやーがま)があるが、そこは入口には屈んで入るのだが、内部は竿を持っても上に届かないぐらいの大鍾乳洞で、受水洞窟(うきんじゅがま)よりも大きい。そこの入口は斜めだが、少し入ると側面から水が湧き出してきて、中に流れ込んでいる。その様な場所だから、明治時代の大盗人達の恰好の隠れ家だったのである。その大盗人達は、小橋川グヮーマージュー、上江洲仁王、嘉手苅ミンタマー、千原シベーだったそうだが、その当時は樹木が鬱蒼と茂っているので、みんなそこに隠れて、一向に逮捕されなかったという。その時代の探偵は石川探偵で、沖縄版の銭形平次といわれた人である。それらの話は、今でも年寄り達の物語にたくさん残っているが、そのうちの幾つかを話してみよう。その探偵も、そこの洞窟には目をつけていて、常時内偵していたという話である。北谷においては、千原シベーの話はたくさんあるが、或る時に、探偵達に追い回され囲まれると、自分の家に入り、付け髭をしてシベーを隠し、眼鏡は親父の物をかけて、新聞を見ながら座敷の真ん中に座っていると、探偵達は彼とは知らずに通っていったという話である。また或る時、嘉手苅ミンタマーと上江洲仁王の二人が、夜中共謀して砂糖倉に忍び込み、そこからくり舟いっぱいに砂糖樽を手渡しで盗み出し、那覇まで漕いで行ったが、売る店と手段がわからず戻ってくると、夜が明けて逮捕されたとの話である。また千原シベーも、他の探偵には抵抗して逃げたそうだが、石川探偵には従順に連れて行かれたという話である。その当時、垣花の刑務所は、那覇港の南側の断崖の上にあったが、千原シベーは、塀の上に植えつけたガラス瓶の破片を飛び越えて、港を泳いで渡り、店で酒を買って、また刑務所に入って飲んだそうだが、その話を聞いた石川探偵は、シベーに、「どの様にして塀を飛び越えたか。また、飛び越えられない様に造ったら、君を無罪にしてここから出してやる。」と約束しますと、シベーは着物を脱いで裾を水に濡らし、走っていって塀に駆け登ると同時に、着物を、植え込んだガラスの破片に打ち込んで、難なく塀を飛び越えたのである。それで、越えられない造り方というと、ガラスの破片を取り除き、蒲鉾型に造ったので、それ以来出られなくなったとの事である。勿論、シベーは無罪放免となったという話である。ずっと以前は、その様な大盗人達の隠れ家になっていたが、この戦争の時には、百七人の命を救った洞窟である。御殿地の人達から平安山之上周辺の人達までも、この洞窟に入って助かったのである。ハワイ帰りの与那覇三郎さんと田仲康保さんの二人に、稲嶺盛栄さんの三人で、米軍の沖縄二世に話して、兵隊も一緒になって洞窟にいた人達、老人、婦女子、子ども達全員で百七人、無事、水陸両用車で砂辺の浜に収容されて助かったのである。その後、日本兵、球部隊、田中上等兵が、その洞窟に隠れようとして米軍に見つかり、手足を縛られ、猿ぐつわをはめられて、洞窟の入口に捨てられているのを、稲嶺盛栄さん夫婦と、上の屋良ぐゎーの家族が発見して後から、上の屋良ぐゎーのお母さん達が、死体のすぐ側に穴を掘って埋葬したそうだが、遺骨は今もそのままだとの事である。また、少し離れた北側の方に水溜石橋(みんたまやーばし)があり、両方土手になっているが、そこの下の方の土手の上に高射砲陣地があって、その下側には大きな溝があるが、アメリカの飛行機に発見され、包囲されて溝の方で全滅し、白骨が山積みされていたという話もある。平成9年2月17日 識名隆人翻字 T6B6
全体の記録時間数 6:53
物語の時間数 6:35
言語識別 方言
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予備項目1

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