親捨山(方言)

概要

〔方言原話〕 くれえー字上勢頭(あざうぃーしーどぅ)ぬ、与那覇組(ゆなふゎぐみ)ぬ東側(あがりむてぃ)から、土地境(ぢーざけー)道ぬとぅーとぉーしが、うぬ道ぬ東側(あがりむてぃ)んかい、天口(てぃんぐち)んでぃる川(かーら)ぬなげーりとぉーん。うぬ川(かーら)、昔(んかし)、七月(ななちち)雨(あみ)降てぃ、七月(ななちち)旱魃(ひゃー)たる時(ばー)にん、水(み)ぜーちりらん、ちゃーなげーりやたんでぃち、天口(てぃんぐち)んでぃる名(なー)ぬちちょーんでぃしが、うぬ川(かーら)ぬ土手(あぶし)ぬあむとぅぬ、いふぃ上方(うゎーび)んかい、親捨山(うやしてぃやま)んでぃる名(なー)し、オホオホー墓(ばか)んでぃちあしが、うぬオホオホー墓(ばか)ぬ前(めー)んかいうりてぃ、いふぃぐゎー行ちぃねえー、ガラガラー池(ぐむい)んでぃる池(くむい)ぬあん。また、池(くむい)ぬあがたんかいや、一本橋(てぃちゅーばし)ぬある所(とぅくま)やしが、うまー、土地境(ぢーざけー)、土地境(ぢーざけー)んでぃせえー、元(むとぅ)ぬ越来間切(ぐぃくまぢり)とぅ、北谷間切(ちゃたんまぢり)ぬ境(さけー)ぬ事(くとぅ)やしが、土地境道(ぢーざけーみちぇー)両方(どぉーほー)木(きー)ぬ、じこーふちゃーりかんとぉーる山ぬ上方(うゎーび)からとぉーてぃ、丁度(ちょーどぅ)馬(んま)ぬ背中(ながに)から、あがたー越来間切(ぐぃくまぢり)、くがたー北谷間切(ちゃたんまぢり)でぃるふーじさーなかい、あがたん下(しちゃ)ねえー田(たー)ん、畑(はたき)んあい、くがたん下(しちゃ)ぬえー田(たー)ん、畑(はた)んある所(とぅくま)やしが、うまぬ越来間切(ぐぃくまぢり)ぬ傾斜(けーり)んかい、オホオホー墓(ばか)んでぃしがあん。うまー、昔(んかし)、六十余とぉーる、とぅすいぬ達(ちゃー)や、うまんかいそーてぃんぢ、いしいたんでぃしが、ある年(とぅし)、母親(いなぐぬうや)とぅ男子(いきがんぐゎ)ぬ二人(たい)暮(ぐ)らしそうる家庭(ちねえー)ぬ母親(いなぐぬうや)、うまんかいそーてぃ行かねえならんぐとぅなたくとぅ、そーてぃ行ちゃーに、本当(ふんとぉー)やなー、食物(かみむん)、食料(はんめー)やむっちんぢぇーならん定みやしが、ゆすねえー見ーららんぐとぅ、くゎっくぃてぃ、母親(いなぐぬうや)んかい、食料(はんめー)かやーちゅたんでぃ。あんさくとぅ、うぬ年(とぅし)に、薩摩(さちま)から琉球(りゅうちゅー)んかい、難題(なんでぇー)ふっかきらってぃ、琉球(りゅうちゅー)ぬ役人達(やくにんたー)や、うぬ難題(なんでぇー)とぅちゆうさんなてぃさくとぅ、下々(しむじむ)んかいたっしんぢゃち、うぬ難題(なんでぇー)とぅちゆうすしがうるむんやれー、褒美(ふーび)いーらすん、でぃちそうしが、武士達(さむれーたー)やたーんならんなたくとぅ、後(あとぉー)百姓(ひゃくそー)やてぃん、たーやてぃん、しむんでぃる事(くとぅ)んかいなたくとぅ、うぬ青年(にーせー)や、うりちちゃーなかい、自分(どぅー)ぬ母親(いなぐぬうや)んかい、「くんぐとぅくんぐとぅし、くまとぉーん。」ち話(はな)しいさくとぅ、母親(いなぐぬうやー)ぬ、「うぬ難題(なんでぇー)んでぃ言ゅせーぬーやが。」んでぃ、うぬ子(くゎ)んかい言ちゃくとぅ、「うれえー、灰(ふぇー)し縄(ちな)のーてぃくう。」んでぃ言ちゅんでぃ。あんさくとぅ、母親(いなぐぬうやー)、「あんし、たーんわからんでぃなー。」んでぃち問ぅたくとぅ、「たーんわからん、皆(んな)くまてぃ、下々(しむじむ)百姓(ひゃくそー)までぃん、くまとぉーん。」んでぃ言ちゃくとぅ、うぬ母親(いなぐぬうや)、「とぉーあんせー、屋根(やんたん)頂上(ちぢ)ぬ編物(あんむん)くんちぇーる縄(ちなー)、藁縄(わらぢな)なてぃ、くちぶーなてぃ、ふちふちなとぉーるはじ。なーかじふちめーやくとぅ、うりかきけーやーなかい、うぬ古縄(ふるぢな)むっちんぢゃーなかい、うりいふぇーちっち、一回(ちゅけー)のー君(やー)がうまうてぃめーち見しれえー。あんしいるんせー、くちぶーなてぃるうくとぅ、うぬ縄(ちなー)のーてぇーるまま、うぬままぬ姿(しがた)しぬくいるはじやくとぅ、灰(ふぇー)ぬ縄(ちな)んでぃせーうりやさ。あんさーに、ぬくとぉーる縄(ちなー)薩摩(さちま)ぬ国うてぃめーしみれえー。殿様(とぅぬさま)ぬ前(めー)うてぃめーしいるんせー立派(りっぱん)にぬくいさ。」んでぃち、ならーちゃくとぅ、うぬ青年(にーせー)や、家(やー)かいけーてぃんぢ、母親(いなぐぬうや)んかいならーっさったるぐとぅさーに、縄(ちな)ん用意し、むっちんぢゃくとぅ、「なーてぃーち。丸さる玉ぬあしが、うぬ玉ぬ中(なーか)んかい、穴ぬふぎてぃ、うぬ穴(はなー)中(なーか)うてぃ、七まがい、まがとぉーる穴やしが、うぬ穴んかい、糸(いーちゅ)とぅーちくう。」んでぃる難題(なんでぇー)やんでぃち、母親(いなぐぬうや)んかい話(はな)しいさくとぅ、「うれえー、砂糖水(さーたーみじ)ちゅくやーなかいちきとぉーてぃ、蟻(あいこー)ぬ子(くゎ)かめーてぃちゃーに、うりんかい、赤子(あかんぐゎ)ぬじこーくまさる髪毛(からじぎー)うりんかいくんち、うぬ穴んかいぬしきてぃ、あがたんかいんぢらせー。あがたんかいんぢらわー、次第(しでぇー)にまぎさる糸(いーちゅー)ちぢゃーちとぅーせー。」んち、ならーさーに、うんぐとぅさくとぅ、二日(ふちか)びけーねえーうぬ蟻(あいこー)ぬ子(くゎ)、あがたんかいとぅんじてぃちゃくとぅ、うりんかい、次第(しでぇー)にまぎさる糸(いーちゅー)ちぢゃーちぇーとぅしとぅしさーなかい、うれえー完全(りっぱん)にとぅちちゅくやーに、今度(くんどぉー)たーちむっち、役人ぬ前(めー)んかいんちゃくとぅ、王様ぬ前(めー)んかい案内(あんねえー)さってぃ、「くれえー君(やー)がちゅくてぇーしやくとぅ、君(やー)が王様んかいうさぐぎり。」んでぃ言ったくとぅ、むっちんぢ王様んかいうみかきてぃ、「玉(たまー)糸(いちゅー)とぅーさびたん。くれえー私(わー)が焼ちぇーる灰(ふぇー)なーやいびーん。また、くれえー、くぬ灰縄(ふぇーなー)むしか、途中(みちなかー)うてぃうしいる時(ばー)ねえー、あまうてぃくれえーめーしみそうり。」んでぃち、くちぶーなとぉーる藁縄(わらぢな)むっちんぢうちきたくとぅ、「くりやれえーないん。」でぃちそうしが、うぬ王様ぬ、「くぬ難題(なんでぇー)とぅちゅる人(ちゅ)んかい、褒美(ふーび)いーらすん。」でぃちたっしんぢゃちぇーくとぅ、「君(やー)やうりが褒美(ふーべー)ぬーふさが。君(やー)がふさんでぃうむいせー、ぬーやてぃん言ぇーわ。私(わん)がくまうてぃちちゃーなかい、ちちとぅどぅきてぃとぅらすん。」でぃ言みそうちゃくとぅ、うぬ青年(にーせー)や、「じちぇーなー、くれえー私(わー)がかんげえてぇーる事(くとぉー)あいびらん。私(わー)母親(いなぐぬうやー)六十歳(るくじゅう)余てぃ、土地境(ぢーざけー)ぬあがたぬ、オホオホー墓(ばか)んかいるういびいしが、うぬ母親(いなぐぬうや)ぬるならーちぇーいびーる。やくとぅ私(わん)ねえーぬーんふしこうねえーびらん。私達(わったー)や貧乏者(ふぃんすむん)なてぃ、今日(ちゅー)ん、明日(あちゃ)んぬーかむがんでぃるあたいるやいびいしが、私(わん)ねえー兄弟(ちょーでぇー)んうらん、母親(いなぐぬうや)一人(ちゅい)るういびいくとぅ、私(わー)母親(いなぐぬうや)なー、あぬ洞窟(がま)から家(やー)かいむどぅちくぃみそうり。また、他(ふか)にんとぅすいぬちゃーがめんせえーびーくとぅ、今(なま)から後(あとぉー)、あぬオホオホー墓(ばか)んかいとぅすいぬちゃーいしるぐとぉーさんよーいし。昔(んかし)ん人(ちゅ)ぬ諺(いくとぅば)に、年(とぅし)ぬくーや亀甲(かーみくー)んちあいびいくとぅ、なー、仕事(しぐとぉー)ならんてぃん、むぬかんげえーやー、若者達(わかーたー)やかましるやいびいくとぅ、親捨山(うやしてぃやまー)さんぐとぅ、なーくれえーやみてぃくぃみそうり。私(わん)ねえー銭金(じんかに)んぬーんふしまんしが、自分(どぅー)ぬ親(うやー)大切(あたらさいびーん)。」でぃちうなきたくとぅ、王様や、「えーあぬい。とぉーあんすらー今後(なまからー)そーてぇー行くなよう。」んでぃ言みそうちゃくとぅ、うんにんからーオホオホー墓(ばかー)、親捨(うやしてぃー)る山(やまー)やみてぃ、とぅすいぬちゃーうまんかいそうーてぃんぢぇーいしらんぐとぅなたんでぃ。また、オホオホーんでぃる名前(なー)ぬあせえー、とぅすいぬちゃーがいちょーてぃ、オホオホしさっくぃーすしがちかりーくとぅ、オホオホー墓(ばか)んでぃ言ゅい。あんしまた、うまぬ下(しちゃ)から、いふぇーぐゎー前(めー)んかい行ちぃーねえー、ガラガラー池(ぐむい)ぬあしが、うぬガラガラー池(ぐむい)んでぃせー、いしらっとぉーるとぅすいぬちゃーが、洞窟(がま)からうりてぃ、食物(むぬ)んかでぇーねえーらんくとぅ、きっちゃき、くるびさがなー下(しちゃ)ぬ天口(てぃんぐち)んかいうりてぃ、下(しちゃ)ぬ池(くむい)んぢ、水(みじ)ぬむんでぃさーに、きっちゃきさい、しんでぃたいし、むっちょーる道具うとぅしいねえー、ガラガラーし、うぬ池(くむい)んかい行ちゅたんでぃ。あんさーにうぬ池(くむえー)ガラガラー池(ぐむい)んでぃち名前(なー)ちちょーんでぃしが、今(なまー)なー耕地整理さってぃ、道なやーに、オホオホー墓(ばか)んなーねえーらんなてぃ、ガラガラー池(ぐむい)んうすらってぃそうしが、私達(わったー)字ぬ近く、天口(てぃんぐち)ぬ下流(しってぃ)ぬ側(すば)んかいや、うんぐとぉーるとぅすいしてぃる、姥捨山(うばしてぃやま)ぬあたしが、今(なまー)なー、いふぇー面影(うむかぢ)ぬあしが、なーあんぐとぉーる、昔(んかし)私達(わったー)がんーちゃる洞窟(がまー)ねえーらん。くりが、オホオホー墓(ばか)とぅ、ガラガラー池(ぐむい)ぬ話(はな)しい。〔共通語訳〕 これは、字上勢頭の与那覇組の東側に土地境界の道が通っているが、その道の東側に天口という川が流れていて、その川は、昔、七ヵ月雨が降り七ヵ月旱魃が続いても、水は絶えず流れていたというので、天口という名がついたという話だが、その川の土手の麓の少し上の所に、親捨山という名で、オホオホー墓という岩穴があるが、そのオホオホー墓の前をおりて少し行くと、ガラガラー池という池がある。また、その向かいには一本橋のある所なんだが、そこは土地境界で、土地境界というのは、元の越来間切と北谷間切の境界の事で、土地境界道路は両方とも、樹木が鬱蒼と茂っている山の上部から通っていて、丁度馬の背中からあちらは越来間切、こちらは北谷間切という様になっていて、あちらも下の方には田も畑もあり、こちらも下の方は田も畑もある所だが、そこの越来間切の方の傾斜に、オホオホー墓というのはある。そこは、昔、六十歳を越した年寄り達を、そこに連れて行って座らせたというが、或る年、母親と男の子と二人暮らしている家庭の母親を、そこに連れて行かなければならない様になったので、連れて行って、本来ならば食べ物や食料を持っていってはいけない掟なんだが、隠れて人目に触れない様に食べ物を運んでいたのです。それで、その年に薩摩が難題をふっかけてきたのですが、琉球の役人達はその難題が解けませんので、下々の人々に達しを出して、その難題を解く事のできる者がいるならば褒美を与えるとしていますが、武士達は誰もできませんので、後は百姓でも誰でも良い、という事になりますと、この青年はその事を聞いて、自分の母親に、「こうこうで困っている。」と話しますと、母親が、「その難題というのは何か。」と、その子に聞きますと、「それは、灰で縄を綯ってこい、という事だ。」と言ったので、母親は、「それで、誰もそれをわからないのか。」と尋ねますと、「誰もわからないで、みんな困り、下々の百姓まで困っている。」と答えますと、その母親は、「よし、それでは、屋根の頂上の編み物を縛ってある縄は藁縄だから、朽ちかけて危なくなっているはず。暴風前だから、かけかえてから、その古縄を持っていって、あそこで少し切って、一回はお前がそこで燃やしてみせなさい。そうすると、その藁縄は朽ちて腐れかけているから、綯ったまま、そのまま縄の姿で残るはずだから、灰で綯った縄というのはそれだ。そして、残った縄は薩摩の国で燃やすと、立派に残るよ。」と教えますと、その青年は持っていって、母に教えられた通りに、縄を持っていきますと、「もう一つ。丸い玉があるが、その玉の中に穴が通っていて、その穴は、中で七曲がり曲がった穴であるが、その穴に糸を通してこい。」という難題で、それを母に話すと、「それは、砂糖水を作ってその中に漬けておき、蟻の子どもを探してきて、その蟻に赤子の非常に細い髪の毛を結んで、その穴に向かわしておき、向こう側に行かせて、向こう側に出てきたら、次第に太い糸に継いで通せばよい。」と教えますと、その様にして二回位やりますと、その蟻の子どもは向こう側に抜け出してきましたので、それに次第に太い糸を継いて通していきますと、それを完全に通して作ると、二つ一緒に持って役人の前に行くと、王様の前に案内されて、「これは君が作ったものだから、君から王様に差し上げなさい。」と言われましたので、持っていって王様にお目にかけてから、「玉に糸を通しました。また、これは私が焼いた、灰の縄でございます。また、この灰で綯った縄を途中で失った時には、あちらでこれを燃やして下さい。」と言って、朽ちて腐れかけた藁縄を持っていき置きますと、「これならできる。」とおっしゃいましたが、その王様が、「その難題を解く人には褒美を授ける。」という達しを出していますから、王様が、「君は、それの褒美に何が欲しいか。欲しいと思うものを何でも言ってごらん。私がここで聞いて、何でも聞き届けてあげる。」とおっしゃいますと、その青年は、「実はもう、これは私が考えだした事ではありません。私の母親はもう六十余りで、土地境界のあちらのオホオホー墓に座っているのですが、その母親が考えたのです。だから私は何も欲しい物はありません。私達は貧乏者で、今日も明日も、何を食べるかという位ですが、私には兄弟もなく母親一人だけしかおりませんから、私の母親を、あの洞窟から家に戻して下さい。また、他にも年寄りがおられますから、今後はあのオホオホー墓には、年寄り達を座らせないようにして下さい。昔の人の諺に、年の功は亀の甲、とありますから、仕事はできなくても、いろいろな考え事は若者達よりも勝っていますから、親を捨てる山にはしない様に、もうこれはやめて下さい。私はもう、金も銀も欲しくありませんが、自分の親が一番大切ですから。」と申しますと、王様は、「おお、そうであったか。それなら今後そのオホオホー墓には、年寄り達を連れて行かなくてもよい。」とおっしゃいましたので、その時からは、オホオホー墓は親を捨てる山はやめて、年寄り達をそこに座らせる事は無くなったのです。また、オホオホーという名前が付いているのは、年寄り達がオホオホと咳き込んでいる声が聞こえてくるから、オホオホー墓という様になっています。そしてまた、そこの下から少し前の方に行きますと、ガラガラー池がありますが、そのガラガラー池というのは、座っていた年寄り達が洞窟からおりて、食べ物を食べていないから、よろよろして躓いたり転んだりしながら、下の天口の川におりて水を飲みに行く為に、躓いたり滑ったりして、持っていた道具を落とすと、ガラガラと音を立てながら池の所までいきよったそうです。それで、その池はガラガラ池という名前が付いたそうですが、今はもう耕地整理されて道になり、オホオホー墓もガラガラー池も埋められているが、昔、自分達の字の近くの天口の下流の側に、その様な、年寄りを捨てるお婆捨山があったのだが、今はもう、少し面影は残っているが、この様な、昔私達が見た様な洞窟は無い。これが、オホオホー墓、ガラガラー池の話。平成9年2月17日 識名隆人翻字 T6B5

再生時間:8:51

民話詳細DATA

レコード番号 47O170054
CD番号 47O17C006
決定題名 親捨山(方言)
話者がつけた題名 親捨山(オホオホー、ガラガラー)
話者名 阿波根昌栄
話者名かな あはごんしょうえい
生年月日 19210309
性別
出身地 沖縄県中頭郡北谷町字上勢頭
記録日 19970217
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 T06B05
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 本格昔話、 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 『想い出の昔話』
キーワード 親捨,薩摩,難題,灰縄,糸通し,年寄りの智恵
梗概(こうがい) 〔方言原話〕 くれえー字上勢頭(あざうぃーしーどぅ)ぬ、与那覇組(ゆなふゎぐみ)ぬ東側(あがりむてぃ)から、土地境(ぢーざけー)道ぬとぅーとぉーしが、うぬ道ぬ東側(あがりむてぃ)んかい、天口(てぃんぐち)んでぃる川(かーら)ぬなげーりとぉーん。うぬ川(かーら)、昔(んかし)、七月(ななちち)雨(あみ)降てぃ、七月(ななちち)旱魃(ひゃー)たる時(ばー)にん、水(み)ぜーちりらん、ちゃーなげーりやたんでぃち、天口(てぃんぐち)んでぃる名(なー)ぬちちょーんでぃしが、うぬ川(かーら)ぬ土手(あぶし)ぬあむとぅぬ、いふぃ上方(うゎーび)んかい、親捨山(うやしてぃやま)んでぃる名(なー)し、オホオホー墓(ばか)んでぃちあしが、うぬオホオホー墓(ばか)ぬ前(めー)んかいうりてぃ、いふぃぐゎー行ちぃねえー、ガラガラー池(ぐむい)んでぃる池(くむい)ぬあん。また、池(くむい)ぬあがたんかいや、一本橋(てぃちゅーばし)ぬある所(とぅくま)やしが、うまー、土地境(ぢーざけー)、土地境(ぢーざけー)んでぃせえー、元(むとぅ)ぬ越来間切(ぐぃくまぢり)とぅ、北谷間切(ちゃたんまぢり)ぬ境(さけー)ぬ事(くとぅ)やしが、土地境道(ぢーざけーみちぇー)両方(どぉーほー)木(きー)ぬ、じこーふちゃーりかんとぉーる山ぬ上方(うゎーび)からとぉーてぃ、丁度(ちょーどぅ)馬(んま)ぬ背中(ながに)から、あがたー越来間切(ぐぃくまぢり)、くがたー北谷間切(ちゃたんまぢり)でぃるふーじさーなかい、あがたん下(しちゃ)ねえー田(たー)ん、畑(はたき)んあい、くがたん下(しちゃ)ぬえー田(たー)ん、畑(はた)んある所(とぅくま)やしが、うまぬ越来間切(ぐぃくまぢり)ぬ傾斜(けーり)んかい、オホオホー墓(ばか)んでぃしがあん。うまー、昔(んかし)、六十余とぉーる、とぅすいぬ達(ちゃー)や、うまんかいそーてぃんぢ、いしいたんでぃしが、ある年(とぅし)、母親(いなぐぬうや)とぅ男子(いきがんぐゎ)ぬ二人(たい)暮(ぐ)らしそうる家庭(ちねえー)ぬ母親(いなぐぬうや)、うまんかいそーてぃ行かねえならんぐとぅなたくとぅ、そーてぃ行ちゃーに、本当(ふんとぉー)やなー、食物(かみむん)、食料(はんめー)やむっちんぢぇーならん定みやしが、ゆすねえー見ーららんぐとぅ、くゎっくぃてぃ、母親(いなぐぬうや)んかい、食料(はんめー)かやーちゅたんでぃ。あんさくとぅ、うぬ年(とぅし)に、薩摩(さちま)から琉球(りゅうちゅー)んかい、難題(なんでぇー)ふっかきらってぃ、琉球(りゅうちゅー)ぬ役人達(やくにんたー)や、うぬ難題(なんでぇー)とぅちゆうさんなてぃさくとぅ、下々(しむじむ)んかいたっしんぢゃち、うぬ難題(なんでぇー)とぅちゆうすしがうるむんやれー、褒美(ふーび)いーらすん、でぃちそうしが、武士達(さむれーたー)やたーんならんなたくとぅ、後(あとぉー)百姓(ひゃくそー)やてぃん、たーやてぃん、しむんでぃる事(くとぅ)んかいなたくとぅ、うぬ青年(にーせー)や、うりちちゃーなかい、自分(どぅー)ぬ母親(いなぐぬうや)んかい、「くんぐとぅくんぐとぅし、くまとぉーん。」ち話(はな)しいさくとぅ、母親(いなぐぬうやー)ぬ、「うぬ難題(なんでぇー)んでぃ言ゅせーぬーやが。」んでぃ、うぬ子(くゎ)んかい言ちゃくとぅ、「うれえー、灰(ふぇー)し縄(ちな)のーてぃくう。」んでぃ言ちゅんでぃ。あんさくとぅ、母親(いなぐぬうやー)、「あんし、たーんわからんでぃなー。」んでぃち問ぅたくとぅ、「たーんわからん、皆(んな)くまてぃ、下々(しむじむ)百姓(ひゃくそー)までぃん、くまとぉーん。」んでぃ言ちゃくとぅ、うぬ母親(いなぐぬうや)、「とぉーあんせー、屋根(やんたん)頂上(ちぢ)ぬ編物(あんむん)くんちぇーる縄(ちなー)、藁縄(わらぢな)なてぃ、くちぶーなてぃ、ふちふちなとぉーるはじ。なーかじふちめーやくとぅ、うりかきけーやーなかい、うぬ古縄(ふるぢな)むっちんぢゃーなかい、うりいふぇーちっち、一回(ちゅけー)のー君(やー)がうまうてぃめーち見しれえー。あんしいるんせー、くちぶーなてぃるうくとぅ、うぬ縄(ちなー)のーてぇーるまま、うぬままぬ姿(しがた)しぬくいるはじやくとぅ、灰(ふぇー)ぬ縄(ちな)んでぃせーうりやさ。あんさーに、ぬくとぉーる縄(ちなー)薩摩(さちま)ぬ国うてぃめーしみれえー。殿様(とぅぬさま)ぬ前(めー)うてぃめーしいるんせー立派(りっぱん)にぬくいさ。」んでぃち、ならーちゃくとぅ、うぬ青年(にーせー)や、家(やー)かいけーてぃんぢ、母親(いなぐぬうや)んかいならーっさったるぐとぅさーに、縄(ちな)ん用意し、むっちんぢゃくとぅ、「なーてぃーち。丸さる玉ぬあしが、うぬ玉ぬ中(なーか)んかい、穴ぬふぎてぃ、うぬ穴(はなー)中(なーか)うてぃ、七まがい、まがとぉーる穴やしが、うぬ穴んかい、糸(いーちゅ)とぅーちくう。」んでぃる難題(なんでぇー)やんでぃち、母親(いなぐぬうや)んかい話(はな)しいさくとぅ、「うれえー、砂糖水(さーたーみじ)ちゅくやーなかいちきとぉーてぃ、蟻(あいこー)ぬ子(くゎ)かめーてぃちゃーに、うりんかい、赤子(あかんぐゎ)ぬじこーくまさる髪毛(からじぎー)うりんかいくんち、うぬ穴んかいぬしきてぃ、あがたんかいんぢらせー。あがたんかいんぢらわー、次第(しでぇー)にまぎさる糸(いーちゅー)ちぢゃーちとぅーせー。」んち、ならーさーに、うんぐとぅさくとぅ、二日(ふちか)びけーねえーうぬ蟻(あいこー)ぬ子(くゎ)、あがたんかいとぅんじてぃちゃくとぅ、うりんかい、次第(しでぇー)にまぎさる糸(いーちゅー)ちぢゃーちぇーとぅしとぅしさーなかい、うれえー完全(りっぱん)にとぅちちゅくやーに、今度(くんどぉー)たーちむっち、役人ぬ前(めー)んかいんちゃくとぅ、王様ぬ前(めー)んかい案内(あんねえー)さってぃ、「くれえー君(やー)がちゅくてぇーしやくとぅ、君(やー)が王様んかいうさぐぎり。」んでぃ言ったくとぅ、むっちんぢ王様んかいうみかきてぃ、「玉(たまー)糸(いちゅー)とぅーさびたん。くれえー私(わー)が焼ちぇーる灰(ふぇー)なーやいびーん。また、くれえー、くぬ灰縄(ふぇーなー)むしか、途中(みちなかー)うてぃうしいる時(ばー)ねえー、あまうてぃくれえーめーしみそうり。」んでぃち、くちぶーなとぉーる藁縄(わらぢな)むっちんぢうちきたくとぅ、「くりやれえーないん。」でぃちそうしが、うぬ王様ぬ、「くぬ難題(なんでぇー)とぅちゅる人(ちゅ)んかい、褒美(ふーび)いーらすん。」でぃちたっしんぢゃちぇーくとぅ、「君(やー)やうりが褒美(ふーべー)ぬーふさが。君(やー)がふさんでぃうむいせー、ぬーやてぃん言ぇーわ。私(わん)がくまうてぃちちゃーなかい、ちちとぅどぅきてぃとぅらすん。」でぃ言みそうちゃくとぅ、うぬ青年(にーせー)や、「じちぇーなー、くれえー私(わー)がかんげえてぇーる事(くとぉー)あいびらん。私(わー)母親(いなぐぬうやー)六十歳(るくじゅう)余てぃ、土地境(ぢーざけー)ぬあがたぬ、オホオホー墓(ばか)んかいるういびいしが、うぬ母親(いなぐぬうや)ぬるならーちぇーいびーる。やくとぅ私(わん)ねえーぬーんふしこうねえーびらん。私達(わったー)や貧乏者(ふぃんすむん)なてぃ、今日(ちゅー)ん、明日(あちゃ)んぬーかむがんでぃるあたいるやいびいしが、私(わん)ねえー兄弟(ちょーでぇー)んうらん、母親(いなぐぬうや)一人(ちゅい)るういびいくとぅ、私(わー)母親(いなぐぬうや)なー、あぬ洞窟(がま)から家(やー)かいむどぅちくぃみそうり。また、他(ふか)にんとぅすいぬちゃーがめんせえーびーくとぅ、今(なま)から後(あとぉー)、あぬオホオホー墓(ばか)んかいとぅすいぬちゃーいしるぐとぉーさんよーいし。昔(んかし)ん人(ちゅ)ぬ諺(いくとぅば)に、年(とぅし)ぬくーや亀甲(かーみくー)んちあいびいくとぅ、なー、仕事(しぐとぉー)ならんてぃん、むぬかんげえーやー、若者達(わかーたー)やかましるやいびいくとぅ、親捨山(うやしてぃやまー)さんぐとぅ、なーくれえーやみてぃくぃみそうり。私(わん)ねえー銭金(じんかに)んぬーんふしまんしが、自分(どぅー)ぬ親(うやー)大切(あたらさいびーん)。」でぃちうなきたくとぅ、王様や、「えーあぬい。とぉーあんすらー今後(なまからー)そーてぇー行くなよう。」んでぃ言みそうちゃくとぅ、うんにんからーオホオホー墓(ばかー)、親捨(うやしてぃー)る山(やまー)やみてぃ、とぅすいぬちゃーうまんかいそうーてぃんぢぇーいしらんぐとぅなたんでぃ。また、オホオホーんでぃる名前(なー)ぬあせえー、とぅすいぬちゃーがいちょーてぃ、オホオホしさっくぃーすしがちかりーくとぅ、オホオホー墓(ばか)んでぃ言ゅい。あんしまた、うまぬ下(しちゃ)から、いふぇーぐゎー前(めー)んかい行ちぃーねえー、ガラガラー池(ぐむい)ぬあしが、うぬガラガラー池(ぐむい)んでぃせー、いしらっとぉーるとぅすいぬちゃーが、洞窟(がま)からうりてぃ、食物(むぬ)んかでぇーねえーらんくとぅ、きっちゃき、くるびさがなー下(しちゃ)ぬ天口(てぃんぐち)んかいうりてぃ、下(しちゃ)ぬ池(くむい)んぢ、水(みじ)ぬむんでぃさーに、きっちゃきさい、しんでぃたいし、むっちょーる道具うとぅしいねえー、ガラガラーし、うぬ池(くむい)んかい行ちゅたんでぃ。あんさーにうぬ池(くむえー)ガラガラー池(ぐむい)んでぃち名前(なー)ちちょーんでぃしが、今(なまー)なー耕地整理さってぃ、道なやーに、オホオホー墓(ばか)んなーねえーらんなてぃ、ガラガラー池(ぐむい)んうすらってぃそうしが、私達(わったー)字ぬ近く、天口(てぃんぐち)ぬ下流(しってぃ)ぬ側(すば)んかいや、うんぐとぉーるとぅすいしてぃる、姥捨山(うばしてぃやま)ぬあたしが、今(なまー)なー、いふぇー面影(うむかぢ)ぬあしが、なーあんぐとぉーる、昔(んかし)私達(わったー)がんーちゃる洞窟(がまー)ねえーらん。くりが、オホオホー墓(ばか)とぅ、ガラガラー池(ぐむい)ぬ話(はな)しい。〔共通語訳〕 これは、字上勢頭の与那覇組の東側に土地境界の道が通っているが、その道の東側に天口という川が流れていて、その川は、昔、七ヵ月雨が降り七ヵ月旱魃が続いても、水は絶えず流れていたというので、天口という名がついたという話だが、その川の土手の麓の少し上の所に、親捨山という名で、オホオホー墓という岩穴があるが、そのオホオホー墓の前をおりて少し行くと、ガラガラー池という池がある。また、その向かいには一本橋のある所なんだが、そこは土地境界で、土地境界というのは、元の越来間切と北谷間切の境界の事で、土地境界道路は両方とも、樹木が鬱蒼と茂っている山の上部から通っていて、丁度馬の背中からあちらは越来間切、こちらは北谷間切という様になっていて、あちらも下の方には田も畑もあり、こちらも下の方は田も畑もある所だが、そこの越来間切の方の傾斜に、オホオホー墓というのはある。そこは、昔、六十歳を越した年寄り達を、そこに連れて行って座らせたというが、或る年、母親と男の子と二人暮らしている家庭の母親を、そこに連れて行かなければならない様になったので、連れて行って、本来ならば食べ物や食料を持っていってはいけない掟なんだが、隠れて人目に触れない様に食べ物を運んでいたのです。それで、その年に薩摩が難題をふっかけてきたのですが、琉球の役人達はその難題が解けませんので、下々の人々に達しを出して、その難題を解く事のできる者がいるならば褒美を与えるとしていますが、武士達は誰もできませんので、後は百姓でも誰でも良い、という事になりますと、この青年はその事を聞いて、自分の母親に、「こうこうで困っている。」と話しますと、母親が、「その難題というのは何か。」と、その子に聞きますと、「それは、灰で縄を綯ってこい、という事だ。」と言ったので、母親は、「それで、誰もそれをわからないのか。」と尋ねますと、「誰もわからないで、みんな困り、下々の百姓まで困っている。」と答えますと、その母親は、「よし、それでは、屋根の頂上の編み物を縛ってある縄は藁縄だから、朽ちかけて危なくなっているはず。暴風前だから、かけかえてから、その古縄を持っていって、あそこで少し切って、一回はお前がそこで燃やしてみせなさい。そうすると、その藁縄は朽ちて腐れかけているから、綯ったまま、そのまま縄の姿で残るはずだから、灰で綯った縄というのはそれだ。そして、残った縄は薩摩の国で燃やすと、立派に残るよ。」と教えますと、その青年は持っていって、母に教えられた通りに、縄を持っていきますと、「もう一つ。丸い玉があるが、その玉の中に穴が通っていて、その穴は、中で七曲がり曲がった穴であるが、その穴に糸を通してこい。」という難題で、それを母に話すと、「それは、砂糖水を作ってその中に漬けておき、蟻の子どもを探してきて、その蟻に赤子の非常に細い髪の毛を結んで、その穴に向かわしておき、向こう側に行かせて、向こう側に出てきたら、次第に太い糸に継いで通せばよい。」と教えますと、その様にして二回位やりますと、その蟻の子どもは向こう側に抜け出してきましたので、それに次第に太い糸を継いて通していきますと、それを完全に通して作ると、二つ一緒に持って役人の前に行くと、王様の前に案内されて、「これは君が作ったものだから、君から王様に差し上げなさい。」と言われましたので、持っていって王様にお目にかけてから、「玉に糸を通しました。また、これは私が焼いた、灰の縄でございます。また、この灰で綯った縄を途中で失った時には、あちらでこれを燃やして下さい。」と言って、朽ちて腐れかけた藁縄を持っていき置きますと、「これならできる。」とおっしゃいましたが、その王様が、「その難題を解く人には褒美を授ける。」という達しを出していますから、王様が、「君は、それの褒美に何が欲しいか。欲しいと思うものを何でも言ってごらん。私がここで聞いて、何でも聞き届けてあげる。」とおっしゃいますと、その青年は、「実はもう、これは私が考えだした事ではありません。私の母親はもう六十余りで、土地境界のあちらのオホオホー墓に座っているのですが、その母親が考えたのです。だから私は何も欲しい物はありません。私達は貧乏者で、今日も明日も、何を食べるかという位ですが、私には兄弟もなく母親一人だけしかおりませんから、私の母親を、あの洞窟から家に戻して下さい。また、他にも年寄りがおられますから、今後はあのオホオホー墓には、年寄り達を座らせないようにして下さい。昔の人の諺に、年の功は亀の甲、とありますから、仕事はできなくても、いろいろな考え事は若者達よりも勝っていますから、親を捨てる山にはしない様に、もうこれはやめて下さい。私はもう、金も銀も欲しくありませんが、自分の親が一番大切ですから。」と申しますと、王様は、「おお、そうであったか。それなら今後そのオホオホー墓には、年寄り達を連れて行かなくてもよい。」とおっしゃいましたので、その時からは、オホオホー墓は親を捨てる山はやめて、年寄り達をそこに座らせる事は無くなったのです。また、オホオホーという名前が付いているのは、年寄り達がオホオホと咳き込んでいる声が聞こえてくるから、オホオホー墓という様になっています。そしてまた、そこの下から少し前の方に行きますと、ガラガラー池がありますが、そのガラガラー池というのは、座っていた年寄り達が洞窟からおりて、食べ物を食べていないから、よろよろして躓いたり転んだりしながら、下の天口の川におりて水を飲みに行く為に、躓いたり滑ったりして、持っていた道具を落とすと、ガラガラと音を立てながら池の所までいきよったそうです。それで、その池はガラガラ池という名前が付いたそうですが、今はもう耕地整理されて道になり、オホオホー墓もガラガラー池も埋められているが、昔、自分達の字の近くの天口の下流の側に、その様な、年寄りを捨てるお婆捨山があったのだが、今はもう、少し面影は残っているが、この様な、昔私達が見た様な洞窟は無い。これが、オホオホー墓、ガラガラー池の話。平成9年2月17日 識名隆人翻字 T6B5
全体の記録時間数 8:51
物語の時間数 8:51
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音源の質
テープ番号
予備項目1

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