〔方言原話〕 勢頭(しーどぅ)ぬ遺念火(いにんびー)ぬ話(はな)しい。大正(たいそう)ぬ終わい頃(ぐる)ぬ話(はな)しいやしが、上勢頭(うぃーしーどぅ)ぬフィラカージーぬ東側(あがりむてぃ)なかい、石灰岩山(いしぐーやま)ぬあしが、うまんかい、墓(はる)ぶしんすんでぃち、上勢頭(うぃーしーどぅ)ぬ、トゥルクンニー勢理客小(ぢっちゃくぐゎー)ぬ、んなとぅわちそうる時(ばー)に、石細工(いしぜーくー)から、加勢人(かくーさー)や、皆(んな)昼食(あさばん)かどぉーる時(ばー)に、うぬ家(やー)ぬ青年(にーせー)や、「皆様(んなー)、苦労(なんじ)し仕事(しぐとぅ)しみせーるむんぬ、私(わん)ねえーゆくてぃうらりーみ。」んでぃち、自分一人(どぅーちゅい)石ふとぉーたんでぃしが、あったに上(うぃ)ぬ大石(うふいし)ぬくじりてぃちゃーに、うぬ青年(にーせー)しちくるちさくとぅ、皆(んな)しうぬ石とぅいんでぃそうしが、ならん。上勢頭(うぃーしーどぅ)ぬ字中(あざじゅー)ぬ人達(ちゅぬちゃー)あちまてぃんならん。後(あとぉー)、下勢頭(しちゃしーどぅ)ぬ人達(ちゅぬちゃー)までぃんんぢてぃ、うぬ石、側(すば)んかいくるばちそうしが、うぬ青年(にーせー)やたしからんなてぃさくとぅ、なーうまねえー墓(はかー)ちゅくらん、なげーうぬまませーたしが、うまぬ近くぬ道ぬ側(すば)んかいや、ぬいんぢゃちぇーる石から、だてぇーんうかっとぉーたしが、うぬ後(あとぅ)、あぬ家(やー)から、穴ふてぇーる所(とぅくる)までぃ、遺念火(いにんびー)ぬ行ちむどぅやーし、雨(あみ)ぬふてぃんぬーしん、毎夜(めーゆる)ちぢちょーしがみーゆしが、うぬ道(みちぇー)、平安山之上(はんざぬうぃー)から国直(くんのーい)んかいとぅーとぉーる郡道(ぐんどぉー)とぅ、上勢頭(うぃーしーどぅ)ぬ勢理客組(ぢっちゃくぐみ)から、野里馬場(ぬざとぅんまうぃー)んかいぬ道ぬ、十字路(かじまや)なとぉーる所(とぅくま)とぅーいしが、遺念火(いにんび)や、勢理客組(ぢっちゃくぐみ)から、野里馬場(ぬざとぅんまうぃー)んかいぬ道とぅーいくとぅ、私達(わったー)家(やー)から、うぬ十字路(かじまや)やまーたんなとぉーくとぅ、家(やー)ぬ内(うち)んかいいちょーてぃん、ゆう見ーゆん。遺念火(いにんびー)んでぃせー、灯(あかがい)やあしが、ひかれえーねえーらん。ただ灯(あか)がてぃるうる。私達(わったー)叔父達(うざさーたー)が、友達(どぅしぬちゃー)数人(いくたいん)あちまてぃ、半分(はんぶ)のー離座(あさぎぐゎー)んかいうちょーてぃ、蝋燭(どー)ちきてぃうちょーてぃ、遺念火(いにんびー)ぬ、うぬ十字路(かじまやー)んかいちーねえー、蝋燭(どー)ぬ火(ふぃー)ちゃーち、合図(いぇーじ)し、十字路(かじまやー)ぬ側(すば)ぬウージ畑(ばたきー)ぬ中(なーか)んかいくゎっくぃとぉーる人達(しんか)んかい知らち、うぬ時(ばー)に遺念火(いにんびー)ぬ見ーゆみ、見ーらに、んちそうしが、何回(いくけー)しん見ーらんなたくとぅ、後(あとぉー)皆(んな)けえーてぃちょーたん。遺念火(いにんびー)んでぃ言ゅせー、人(ちゅ)ぬ近くんかいちーねえー見ーらん、また、ちゅてぇーしいねえー、あまから行ちゃぎいん。うれえー勢理客(ぢっちゃく)ぬ墓ちゅくいに死亡(まー)ちゃる人(ちゅ)ぬ遺念火(いにんび)やんでぃ。〔共通語訳〕 勢頭(しーどぅ)の遺念火(いにんびー)の話。大正の終わり頃の話なんだが、上勢頭の平且巖山(ふぃらかーじー)の東側の方に、石灰岩山(いしぐーやま)の小さな丘があるが、そこに墓を作る為、字上勢のトゥルクンニー整理客小(ぢっちゃくぐぐゎー)という家が満堀りをしている時に、石細工人や加勢人達が、みんな昼食をして休んでいる時に、その家の青年は、「皆様は大変苦労していらっしゃるのに、私は休んではいられない。」と、自分一人で石を掘り出していますと、突然上の大岩が転落してきて、その青年を敷き殺してしまったのです。それでみんなでその石を取り除こうとするが、石が大きくてできません。上勢頭の字中の人達が集まってもできません。字下勢頭の人達も応援してその石を転がしましたが、その青年は助かりませんでしたので、とうとうそこには墓は造らなくなって、永い間そのままにして置かれていた。そこの近くの道の側には、掘り出した石や、また墓を造る時に使う石等が、たくさん置かれていたが、その後、あの家から墓を造りかけた所まで、遺念火(いにんびー)が行きつ戻りつする様になり、雨が降っても何しても、毎夜続けて見えるのである。その道は平安山之上(はんざぬうぃー)から国直に通ずる郡道と、上勢頭の勢理客組(ぢっちゃくぐみ)から野里馬場に行く道の十字路になった所を通るが、遺念火(いにんびー)は勢理客組(ぢっちゃくぐみ)から野里馬場に行く道を通るので、私達の家からその十字路は真向かいになっているので、家の中に座っていても良く見える。遺念火(いにんびー)というのは、灯はあるが輝きはなく、ただボオッと灯があるだけである。私の叔父達が、友達数人集まって、半分は私の家の離れ座敷にいえ、蝋燭をつけて置いておき、遺念火(いにんびー)がその十字路にきた時には、蝋燭の火を消して合図して、十字路の側のウージ畑の中に隠れている人に知らせて、その時に遺念火(いにんびー)が見えるか見えないか確かめたが、何回やっても見えないので、後は、みんな引き上げてきてた。遺念火(いにんびー)というのは、人が近くに来ると見えなくなって、また少しすると、離れた所から向こうの方へ行くのである。それは勢理客組(ぢっちゃくぐみ)の墓を造る時に亡くなった人の遺念火(いにんびー)だという話。平成9年2月17日 識名隆人翻字 T6B3
| レコード番号 | 47O170052 |
|---|---|
| CD番号 | 47O17C006 |
| 決定題名 | 勢頭ぬ遺念火(方言) |
| 話者がつけた題名 | 勢頭ぬ遺念火(しゐどぅぬいにんびー) |
| 話者名 | 阿波根昌栄 |
| 話者名かな | あはごんしょうえい |
| 生年月日 | 19210309 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県中頭郡北谷町字上勢頭 |
| 記録日 | 19970217 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | T06B03 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説、 俗信 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 『想い出の昔話』 |
| キーワード | 墓造成,石工,遺念火 |
| 梗概(こうがい) | 〔方言原話〕 勢頭(しーどぅ)ぬ遺念火(いにんびー)ぬ話(はな)しい。大正(たいそう)ぬ終わい頃(ぐる)ぬ話(はな)しいやしが、上勢頭(うぃーしーどぅ)ぬフィラカージーぬ東側(あがりむてぃ)なかい、石灰岩山(いしぐーやま)ぬあしが、うまんかい、墓(はる)ぶしんすんでぃち、上勢頭(うぃーしーどぅ)ぬ、トゥルクンニー勢理客小(ぢっちゃくぐゎー)ぬ、んなとぅわちそうる時(ばー)に、石細工(いしぜーくー)から、加勢人(かくーさー)や、皆(んな)昼食(あさばん)かどぉーる時(ばー)に、うぬ家(やー)ぬ青年(にーせー)や、「皆様(んなー)、苦労(なんじ)し仕事(しぐとぅ)しみせーるむんぬ、私(わん)ねえーゆくてぃうらりーみ。」んでぃち、自分一人(どぅーちゅい)石ふとぉーたんでぃしが、あったに上(うぃ)ぬ大石(うふいし)ぬくじりてぃちゃーに、うぬ青年(にーせー)しちくるちさくとぅ、皆(んな)しうぬ石とぅいんでぃそうしが、ならん。上勢頭(うぃーしーどぅ)ぬ字中(あざじゅー)ぬ人達(ちゅぬちゃー)あちまてぃんならん。後(あとぉー)、下勢頭(しちゃしーどぅ)ぬ人達(ちゅぬちゃー)までぃんんぢてぃ、うぬ石、側(すば)んかいくるばちそうしが、うぬ青年(にーせー)やたしからんなてぃさくとぅ、なーうまねえー墓(はかー)ちゅくらん、なげーうぬまませーたしが、うまぬ近くぬ道ぬ側(すば)んかいや、ぬいんぢゃちぇーる石から、だてぇーんうかっとぉーたしが、うぬ後(あとぅ)、あぬ家(やー)から、穴ふてぇーる所(とぅくる)までぃ、遺念火(いにんびー)ぬ行ちむどぅやーし、雨(あみ)ぬふてぃんぬーしん、毎夜(めーゆる)ちぢちょーしがみーゆしが、うぬ道(みちぇー)、平安山之上(はんざぬうぃー)から国直(くんのーい)んかいとぅーとぉーる郡道(ぐんどぉー)とぅ、上勢頭(うぃーしーどぅ)ぬ勢理客組(ぢっちゃくぐみ)から、野里馬場(ぬざとぅんまうぃー)んかいぬ道ぬ、十字路(かじまや)なとぉーる所(とぅくま)とぅーいしが、遺念火(いにんび)や、勢理客組(ぢっちゃくぐみ)から、野里馬場(ぬざとぅんまうぃー)んかいぬ道とぅーいくとぅ、私達(わったー)家(やー)から、うぬ十字路(かじまや)やまーたんなとぉーくとぅ、家(やー)ぬ内(うち)んかいいちょーてぃん、ゆう見ーゆん。遺念火(いにんびー)んでぃせー、灯(あかがい)やあしが、ひかれえーねえーらん。ただ灯(あか)がてぃるうる。私達(わったー)叔父達(うざさーたー)が、友達(どぅしぬちゃー)数人(いくたいん)あちまてぃ、半分(はんぶ)のー離座(あさぎぐゎー)んかいうちょーてぃ、蝋燭(どー)ちきてぃうちょーてぃ、遺念火(いにんびー)ぬ、うぬ十字路(かじまやー)んかいちーねえー、蝋燭(どー)ぬ火(ふぃー)ちゃーち、合図(いぇーじ)し、十字路(かじまやー)ぬ側(すば)ぬウージ畑(ばたきー)ぬ中(なーか)んかいくゎっくぃとぉーる人達(しんか)んかい知らち、うぬ時(ばー)に遺念火(いにんびー)ぬ見ーゆみ、見ーらに、んちそうしが、何回(いくけー)しん見ーらんなたくとぅ、後(あとぉー)皆(んな)けえーてぃちょーたん。遺念火(いにんびー)んでぃ言ゅせー、人(ちゅ)ぬ近くんかいちーねえー見ーらん、また、ちゅてぇーしいねえー、あまから行ちゃぎいん。うれえー勢理客(ぢっちゃく)ぬ墓ちゅくいに死亡(まー)ちゃる人(ちゅ)ぬ遺念火(いにんび)やんでぃ。〔共通語訳〕 勢頭(しーどぅ)の遺念火(いにんびー)の話。大正の終わり頃の話なんだが、上勢頭の平且巖山(ふぃらかーじー)の東側の方に、石灰岩山(いしぐーやま)の小さな丘があるが、そこに墓を作る為、字上勢のトゥルクンニー整理客小(ぢっちゃくぐぐゎー)という家が満堀りをしている時に、石細工人や加勢人達が、みんな昼食をして休んでいる時に、その家の青年は、「皆様は大変苦労していらっしゃるのに、私は休んではいられない。」と、自分一人で石を掘り出していますと、突然上の大岩が転落してきて、その青年を敷き殺してしまったのです。それでみんなでその石を取り除こうとするが、石が大きくてできません。上勢頭の字中の人達が集まってもできません。字下勢頭の人達も応援してその石を転がしましたが、その青年は助かりませんでしたので、とうとうそこには墓は造らなくなって、永い間そのままにして置かれていた。そこの近くの道の側には、掘り出した石や、また墓を造る時に使う石等が、たくさん置かれていたが、その後、あの家から墓を造りかけた所まで、遺念火(いにんびー)が行きつ戻りつする様になり、雨が降っても何しても、毎夜続けて見えるのである。その道は平安山之上(はんざぬうぃー)から国直に通ずる郡道と、上勢頭の勢理客組(ぢっちゃくぐみ)から野里馬場に行く道の十字路になった所を通るが、遺念火(いにんびー)は勢理客組(ぢっちゃくぐみ)から野里馬場に行く道を通るので、私達の家からその十字路は真向かいになっているので、家の中に座っていても良く見える。遺念火(いにんびー)というのは、灯はあるが輝きはなく、ただボオッと灯があるだけである。私の叔父達が、友達数人集まって、半分は私の家の離れ座敷にいえ、蝋燭をつけて置いておき、遺念火(いにんびー)がその十字路にきた時には、蝋燭の火を消して合図して、十字路の側のウージ畑の中に隠れている人に知らせて、その時に遺念火(いにんびー)が見えるか見えないか確かめたが、何回やっても見えないので、後は、みんな引き上げてきてた。遺念火(いにんびー)というのは、人が近くに来ると見えなくなって、また少しすると、離れた所から向こうの方へ行くのである。それは勢理客組(ぢっちゃくぐみ)の墓を造る時に亡くなった人の遺念火(いにんびー)だという話。平成9年2月17日 識名隆人翻字 T6B3 |
| 全体の記録時間数 | 2:57 |
| 物語の時間数 | 2:57 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |