〔方言原話〕 平安山之上(はんざぬうぃー)から国直(くんのーい)んかい行ちゅる郡道(ぐんどぉー)ぬ、なーやがてぃ、国直(くんのーい)ぬ十字路(かじまやー)んかいちちがたーんかい、奥曲川(うくまがいがーら)ぬあしが、うぬ川(かーら)んかい架かとぉーる橋ぬ奥曲橋(うくまがいばし)やしが、大正(たいそー)ぬ始みぐるまでぇー木橋(きーばし)なやーに、うゎーべー板敷ちゃーなかいにあまくま穴あち、馬車(ばさ)ぬ車輪(ひゃーがー)ぬ、うぬ穴(くぶい)ん、うてぇーういし、とぅーいぐりさんあい、人達(ちゅぬちゃー)や、うぬ穴から下(しちゃ)んーぢぃーねえーうとぅるさぬ、とぅーいぐりさる橋やたんでぃ。うぬ頃(くる)、焼廻地屋取(やきまーぢやーどぅい)ぬ、大和兼久小(やまとぅーかにくぐゎー)ぬ、平安山之上(はんざぬうぃー)かい、移転(やーうちー)すんでぃ、馬車(ばさ)んかい、荷物(にむち)ちでぃ、うぬ橋渡いる時(ばー)に、馬車(ばさ)ぬ車輪(ひゃーがー)ぬ、うぬ穴(くぶい)んかいうてぃてぃさくとぅ、馬車(ばさ)ぬ後側(くしむてぃ)から、子(くゎ)うーふわしあっちょーたる奥様(あんまー)や、馬車(ばさ)ぬ台(でぇー)ぬ後(くし)ぬ端(はに)さーに、橋ぬ下(しちゃ)んかいうちうとぅさったくとぅ、うぬ奥様(あんまー)や、自分(どぅー)や下(しちゃ)なてぃうてぃやーに、死亡(まー)ちょーしが、子供(くゎー)たしかてぃそうたんでぃ。昔人(んかしんちゅ)ぬ話(はな)しいや、川(かーら)んでぇー海んでぇー、うてぃ死亡(まー)しいねえー、「うまんかい、なー一人(ちゅい)代わいぬ人(ちゅ)、ふぃちくみわる、自分(どぅー)やうかばりーん。」でぃる話(はな)しいやしが、うぬ後(あとぅ)、うぬ橋ぬ側(すば)ぬ土手(あぶし)ぬゲーンぬふちゃーりとぉーる所(とぅくま)んかい、綺麗(ちゅら)着物(ぢん)ちち、子供(くゎー)うーふゎそうる女(いなぐ)ぬ、道(みちぇー)後(くし)なち立ちゅしが、暗闇(くらしん)うてぃん、着物(ちん)ぬ模様(あやー)ゆーみーゆんでぃ。あんし合図(いぇーじ)しとぅんけーいねえー、顔(ちら)ゆでぃ卵(くーが)ぬぐとぅし、目(みー)ん、鼻ん、口ん、ねーらん、なんどぅるーるやんでぃ。うぬ話(はな)しいんぢてぃ後(あとぅ)から、奥曲橋(うくまがいばし)ぬ上流(うゎーら)んかい、川幅(かーらはば)ぬくーくなとぉーる所(とぅくま)んかい、一枚(いちめー)ぬ平石(ふぃらいさー)し架きてぇーる、コーグー橋小(ばしぐゎー)ぬあしが。ある暴風(かじ)吹ちぬ時(ばー)に、大水(うーみぢ)んぢとぉーる、うぬコーグー橋小(ばしぐゎー)、一人(ちゅい)ぬいーとぉーる人(ちゅ)ぬ渡いんでぃさーに、大水(うーみぢ)んかいなげーらさってぃ、奥曲橋(うくまがいばし)ぬ下(しちゃ)から、なげーりてぃ、うまぬ下流(してぃ)んかえー、川(かーら)ぬ中(なーか)んかいや、まぎさる岩(しいー)ぬあてぃ、うまからー、川(かーら)ぬ水(みじぇー)、両方(どぉーほー)んかい分かりてぃなげーりいくとぅ、コーグー橋小(ばしぐゎー)からなげーりたる人(ちょー)、うまぬ岩(しいー)んかい、ふぃっかかとぉーたんでぃ。あんさくとぅ、うぬ後(あとぅ)橋ぬ側(すば)んかい、シチマジムンなてぃ立っち、とぅーいる人(ちゅ)ぬ、たましぬぎてぃすしんまがいしねえー、うぬシチマジムのー次第次第(しでぇーしでぇー)に高くなてぃ、また、反対に、自分(どぅー)ぬ高くぬばがいねえー、次第次第(しでぇーしでぇー)にふぃくくなやーに、最後(あとぉー)、豚(うゎー)ぐゎーマジムンなたい、アフィルーマジムンなてぃ立ちゅしが、うぬマジムン、股ばしからとぅーしいねえー、命(ぬち)とぅらいんでぃ。また、うりんかい、うゎーりいねえー、鍛冶屋(かんじゃーやー)ぬ鞴(ふーち)さーに、フウフウうかしいね、火(ふぃ)ぬうくりてぃ、焼かりいがすらんでぃち、ふぃんぎいんでぃ。うぬ後(あとぅ)、大正(たいそー)ぬ中頃(なかぐる)、奥曲橋(うくまがいば)せえー、石橋なてぃそうしが、私(わー)が細工見習(せーくなれー)が、朝夕かゆたしが、ぬーんんーだんたん。幽霊(ゆーりー)んーだん人(ちゅ)ぬとぅーいねえー、盲人(みっくゎー)ぬフィブーんうじらんでぃしとぉ同様(いーぬむん)、盲人(みっくゎー)ぬちゃーぎいんでぃち、幽霊(ゆーりー)んマジムヌん道あきてぃとぅーすんでぃくとぅ、あんしがやたら。〔共通語訳〕 平安山之上(はんざぬうぃー)から国直に通っている郡道が、もうやがて国直の十字路に着く手前に、奥曲川(うくまがいがーら)があるが、その川に架かっている橋が奥曲橋(うくまがいばし)なんだが、大正の始め頃までは木の橋であったので、上部は板敷きになっていて所々穴があき、馬車の車輪がその穴に落ち込む場合が多く、通り難くもあり、また人達はその穴から下の川が見えるので、怖くて通り難い橋だったそうです。その頃、焼廻地屋取(やきまーぢやーどぅい)の、大和兼久小(やまとぅーかにくぐゎー)が平安山之上(はんざぬうぃー)に移転する為に、馬車に荷物を積んでその橋を渡る時に、馬車の車輪がその穴に落ち込みましたので、馬車の後側から子どもを背負って歩いていた奥様は、馬車の台の後方の端で、橋の下に打ち落とされますと、その奥様は自分が下になって、落下して亡くなりましたが、子どもは無事に助かったそうです。昔の人の話では、川や海等で亡くなる人は、「そこにもう一人、代わりの人を引き込まなければ、自分は成仏できない。」と言う話だが、その後、その橋の側の土手の唐薄の沢山茂った所に、綺麗な着物を着て、子どもを背負った女が、道を背にして立っているが、暗闇でも着物の模様がはっきり見えるという。それで合図して振り向くと、顔はゆで卵の様にして、目も鼻も口も無く、のっぺらぼうだとの話。その話が出て後、奥曲橋(うくまがいばし)の上流に川幅の狭くなった場所があるが、一枚の平たい石で架けた、コーグー橋小(ばしぐゎー)がある。ある暴風の時に、大水が出ているそのコーグー橋小(ばしぐゎー)を、一人の酒に酔った人が渡ろうとして、大水に流れてしまって、奥曲橋(うくまがいばし)の下から下流の方に流れていきますと、そこには川の中の方に大きな巖があり、そこから川の水は両方に別れて流れて行きますので、コーグー橋小(ばしぐゎー)から流された人は、そこの巖に引っ掛かっていたという事です。するとその後、橋の側の方に、悪迷魂(しちまじむん)になって立ち、そこを通る人が度肝を抜かれて縮まっていると、その悪迷魂(しちまじむん)は次第次第に高くなり、反対に自分が高くなると、次第次第に低くなって、最後には子豚迷魂(うゎーぐゎーまじむん)になったり、家鴨迷魂(あふぃるまじむん)になって立つが、その迷魂(まじむん)を股ぐらから通すと、命を取られるとの事。また、それに追いかけられたら、鍛冶屋の鞴でふうふう吹かすと、火が起こり、焼かれると思って逃げていくそうです。その後、大正の中頃、奥曲橋(うくまがいばし)は石橋になっていますが、私も大工見習いで、朝夕通りましたが、何も見ませんでした。幽霊の見えない人が通ると、「盲人、蛇に恐れず」と同様で、「盲人が来た」という事で、幽霊も迷魂(まじむん)も、道を開けて通すとの話だが、そうだったのか。平成9年2月17日 識名隆人翻字 T6B1
| レコード番号 | 47O170050 |
|---|---|
| CD番号 | 47O17C006 |
| 決定題名 | 奥曲ぬ迷魂(方言) |
| 話者がつけた題名 | 奥曲ぬ迷魂(うくまがゐぬしちまじむん) |
| 話者名 | 阿波根昌栄 |
| 話者名かな | あはごんしょうえい |
| 生年月日 | 19210309 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県中頭郡北谷町字上勢頭 |
| 記録日 | 19970217 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | T06B01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説、 俗信 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 『想い出の昔話』 |
| キーワード | 奥曲川,転落死,のっぺらぼう,鍛冶屋のふいご |
| 梗概(こうがい) | 〔方言原話〕 平安山之上(はんざぬうぃー)から国直(くんのーい)んかい行ちゅる郡道(ぐんどぉー)ぬ、なーやがてぃ、国直(くんのーい)ぬ十字路(かじまやー)んかいちちがたーんかい、奥曲川(うくまがいがーら)ぬあしが、うぬ川(かーら)んかい架かとぉーる橋ぬ奥曲橋(うくまがいばし)やしが、大正(たいそー)ぬ始みぐるまでぇー木橋(きーばし)なやーに、うゎーべー板敷ちゃーなかいにあまくま穴あち、馬車(ばさ)ぬ車輪(ひゃーがー)ぬ、うぬ穴(くぶい)ん、うてぇーういし、とぅーいぐりさんあい、人達(ちゅぬちゃー)や、うぬ穴から下(しちゃ)んーぢぃーねえーうとぅるさぬ、とぅーいぐりさる橋やたんでぃ。うぬ頃(くる)、焼廻地屋取(やきまーぢやーどぅい)ぬ、大和兼久小(やまとぅーかにくぐゎー)ぬ、平安山之上(はんざぬうぃー)かい、移転(やーうちー)すんでぃ、馬車(ばさ)んかい、荷物(にむち)ちでぃ、うぬ橋渡いる時(ばー)に、馬車(ばさ)ぬ車輪(ひゃーがー)ぬ、うぬ穴(くぶい)んかいうてぃてぃさくとぅ、馬車(ばさ)ぬ後側(くしむてぃ)から、子(くゎ)うーふわしあっちょーたる奥様(あんまー)や、馬車(ばさ)ぬ台(でぇー)ぬ後(くし)ぬ端(はに)さーに、橋ぬ下(しちゃ)んかいうちうとぅさったくとぅ、うぬ奥様(あんまー)や、自分(どぅー)や下(しちゃ)なてぃうてぃやーに、死亡(まー)ちょーしが、子供(くゎー)たしかてぃそうたんでぃ。昔人(んかしんちゅ)ぬ話(はな)しいや、川(かーら)んでぇー海んでぇー、うてぃ死亡(まー)しいねえー、「うまんかい、なー一人(ちゅい)代わいぬ人(ちゅ)、ふぃちくみわる、自分(どぅー)やうかばりーん。」でぃる話(はな)しいやしが、うぬ後(あとぅ)、うぬ橋ぬ側(すば)ぬ土手(あぶし)ぬゲーンぬふちゃーりとぉーる所(とぅくま)んかい、綺麗(ちゅら)着物(ぢん)ちち、子供(くゎー)うーふゎそうる女(いなぐ)ぬ、道(みちぇー)後(くし)なち立ちゅしが、暗闇(くらしん)うてぃん、着物(ちん)ぬ模様(あやー)ゆーみーゆんでぃ。あんし合図(いぇーじ)しとぅんけーいねえー、顔(ちら)ゆでぃ卵(くーが)ぬぐとぅし、目(みー)ん、鼻ん、口ん、ねーらん、なんどぅるーるやんでぃ。うぬ話(はな)しいんぢてぃ後(あとぅ)から、奥曲橋(うくまがいばし)ぬ上流(うゎーら)んかい、川幅(かーらはば)ぬくーくなとぉーる所(とぅくま)んかい、一枚(いちめー)ぬ平石(ふぃらいさー)し架きてぇーる、コーグー橋小(ばしぐゎー)ぬあしが。ある暴風(かじ)吹ちぬ時(ばー)に、大水(うーみぢ)んぢとぉーる、うぬコーグー橋小(ばしぐゎー)、一人(ちゅい)ぬいーとぉーる人(ちゅ)ぬ渡いんでぃさーに、大水(うーみぢ)んかいなげーらさってぃ、奥曲橋(うくまがいばし)ぬ下(しちゃ)から、なげーりてぃ、うまぬ下流(してぃ)んかえー、川(かーら)ぬ中(なーか)んかいや、まぎさる岩(しいー)ぬあてぃ、うまからー、川(かーら)ぬ水(みじぇー)、両方(どぉーほー)んかい分かりてぃなげーりいくとぅ、コーグー橋小(ばしぐゎー)からなげーりたる人(ちょー)、うまぬ岩(しいー)んかい、ふぃっかかとぉーたんでぃ。あんさくとぅ、うぬ後(あとぅ)橋ぬ側(すば)んかい、シチマジムンなてぃ立っち、とぅーいる人(ちゅ)ぬ、たましぬぎてぃすしんまがいしねえー、うぬシチマジムのー次第次第(しでぇーしでぇー)に高くなてぃ、また、反対に、自分(どぅー)ぬ高くぬばがいねえー、次第次第(しでぇーしでぇー)にふぃくくなやーに、最後(あとぉー)、豚(うゎー)ぐゎーマジムンなたい、アフィルーマジムンなてぃ立ちゅしが、うぬマジムン、股ばしからとぅーしいねえー、命(ぬち)とぅらいんでぃ。また、うりんかい、うゎーりいねえー、鍛冶屋(かんじゃーやー)ぬ鞴(ふーち)さーに、フウフウうかしいね、火(ふぃ)ぬうくりてぃ、焼かりいがすらんでぃち、ふぃんぎいんでぃ。うぬ後(あとぅ)、大正(たいそー)ぬ中頃(なかぐる)、奥曲橋(うくまがいば)せえー、石橋なてぃそうしが、私(わー)が細工見習(せーくなれー)が、朝夕かゆたしが、ぬーんんーだんたん。幽霊(ゆーりー)んーだん人(ちゅ)ぬとぅーいねえー、盲人(みっくゎー)ぬフィブーんうじらんでぃしとぉ同様(いーぬむん)、盲人(みっくゎー)ぬちゃーぎいんでぃち、幽霊(ゆーりー)んマジムヌん道あきてぃとぅーすんでぃくとぅ、あんしがやたら。〔共通語訳〕 平安山之上(はんざぬうぃー)から国直に通っている郡道が、もうやがて国直の十字路に着く手前に、奥曲川(うくまがいがーら)があるが、その川に架かっている橋が奥曲橋(うくまがいばし)なんだが、大正の始め頃までは木の橋であったので、上部は板敷きになっていて所々穴があき、馬車の車輪がその穴に落ち込む場合が多く、通り難くもあり、また人達はその穴から下の川が見えるので、怖くて通り難い橋だったそうです。その頃、焼廻地屋取(やきまーぢやーどぅい)の、大和兼久小(やまとぅーかにくぐゎー)が平安山之上(はんざぬうぃー)に移転する為に、馬車に荷物を積んでその橋を渡る時に、馬車の車輪がその穴に落ち込みましたので、馬車の後側から子どもを背負って歩いていた奥様は、馬車の台の後方の端で、橋の下に打ち落とされますと、その奥様は自分が下になって、落下して亡くなりましたが、子どもは無事に助かったそうです。昔の人の話では、川や海等で亡くなる人は、「そこにもう一人、代わりの人を引き込まなければ、自分は成仏できない。」と言う話だが、その後、その橋の側の土手の唐薄の沢山茂った所に、綺麗な着物を着て、子どもを背負った女が、道を背にして立っているが、暗闇でも着物の模様がはっきり見えるという。それで合図して振り向くと、顔はゆで卵の様にして、目も鼻も口も無く、のっぺらぼうだとの話。その話が出て後、奥曲橋(うくまがいばし)の上流に川幅の狭くなった場所があるが、一枚の平たい石で架けた、コーグー橋小(ばしぐゎー)がある。ある暴風の時に、大水が出ているそのコーグー橋小(ばしぐゎー)を、一人の酒に酔った人が渡ろうとして、大水に流れてしまって、奥曲橋(うくまがいばし)の下から下流の方に流れていきますと、そこには川の中の方に大きな巖があり、そこから川の水は両方に別れて流れて行きますので、コーグー橋小(ばしぐゎー)から流された人は、そこの巖に引っ掛かっていたという事です。するとその後、橋の側の方に、悪迷魂(しちまじむん)になって立ち、そこを通る人が度肝を抜かれて縮まっていると、その悪迷魂(しちまじむん)は次第次第に高くなり、反対に自分が高くなると、次第次第に低くなって、最後には子豚迷魂(うゎーぐゎーまじむん)になったり、家鴨迷魂(あふぃるまじむん)になって立つが、その迷魂(まじむん)を股ぐらから通すと、命を取られるとの事。また、それに追いかけられたら、鍛冶屋の鞴でふうふう吹かすと、火が起こり、焼かれると思って逃げていくそうです。その後、大正の中頃、奥曲橋(うくまがいばし)は石橋になっていますが、私も大工見習いで、朝夕通りましたが、何も見ませんでした。幽霊の見えない人が通ると、「盲人、蛇に恐れず」と同様で、「盲人が来た」という事で、幽霊も迷魂(まじむん)も、道を開けて通すとの話だが、そうだったのか。平成9年2月17日 識名隆人翻字 T6B1 |
| 全体の記録時間数 | 4:18 |
| 物語の時間数 | 4:18 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |