吉屋チルー(方言)

概要

〔方言原話〕 吉屋(ゆしやー)チルーぬ話い。北谷町(ちゃたんちょう)ぬ、北谷間切(ちゃたんまぢり)んでぃる言(いゅ)る時代(まんぐら)や、比謝橋(ふぃざばし)からー北谷(ちゃたん)どぅやくとぅ、吉屋(ゆしやー)チルーぬ、比謝橋(ふぃざばし)かきてぃぬ歌から、また、北側(にしむてぃ)ぬ毛(もー)んかい有(あ)る、牛市場(うしまち)んかいぬ歌から、話い、色々(いるいる)まんどーん、皆(んな)うんな話いや、自分達(どぅーなーたー)村、町ぬ話いるやくとぅ、年寄達(とぅすぃんちゃー)ん、若者達(わかーたー)ん、良(ゆー)知(しっ)ちょーる筈(はじ)やくとぅ、うぬ吉屋(ゆしやー)チルーぬ、なんじゅ、皆(んな)が話いせーねーらんぎさーぬ話いんでぃ思(うむ)いーし、話いしんでーやーんでぃ思(うむ)いん。私(わー)父(うや)、祖父(ふぁーふじ)ん、自分(どぅー)くるし、三味線(さんしん)作(ちゅく)てぃ沖縄(うちなー)ぬ古典(いしぶし)ん、民謡(ふゎーうた)ん弾(ふぃ)ちゃがなー、友達(どぅしぬちゃー)が集(あち)まてぃ、酒(さき)ぐゎ飲(ぬ)まがちーなー話いすし、聞(ち)ち、覚(うび)とーしから皆(んな)がなんじゅ、わからんぎさーぬ話い、二、三、しんだなやーんでぃ思(うむ)とーん。うぬ吉屋(ゆしやー)チルーんでぃる女(いなごー)、大変(じこー)知恵(ぢんぶん)ぬまんでぃ、歌ん良(ゆー)作(ちゅく)いしが、人(ちゅ)んかい負(ま)きてー納得(ちもー)ふがん、意地(ぢーぐ)強(ふゎ)さる人(ちゅ)やたる筈(はじ)んでぃ思(うむ)いん。うりがある時(ばー)に、当(あ)たい前(めー)ぬ歌んでぃせー道理んかなてぃ、なるふどぅやーんでぃち、うぬ表(うむてぃ)ぬ言葉(くとぅば)んかい当(あ)たいる裏ぬ、歌詠(うたわ)でーる人(ちゅ)ぬ心(くくる)んわかいるあたい、ぬーがなぬ、んまんかい有(あ)しが、今度(くんどー)、だーうれー、辻(ちーじ)んかい、女郎(ぢゅり)なてぅ居(う)くとぅ、他(ふか)ぬ女郎(ぢゅり)とぅ勝負(すーぶ)し、道理ぬあたらん歌、作(ちゅく)い勝負(すーぶ)さなんちさくとぅ、「いー、しむん。」でぃちさーなかい、一人(ちゅい)ぬ女郎(ぢゅり)ぬ、「暑(あち)さ防(ふし)じゆんでぃ、布団(うどぅ)かんたくとぅ、間違(まちげ)えがやたら、汗疣(あしぶ)出(んぢ)てぃ。」んち、詠(ゆ)だくとぅ、吉屋(ゆしやー)や、「あぎじゃびよー、やーむのー、うれーじよういなてーねーらん、うれー、道理んかいかなとーせーやーや。」んでぃ言(いゃー)に、吉屋(ゆしやー)チルーや、ぬーんち詠(ゆ)だがどぅんやれー、「裸なてぃ、尻(ちぶ)い、いちょてぃ、ぐないすじ、那覇(なふぁ)に打(う)ち向(ん)かてぃ、首里(すい)ぬ登(ぬぶ)ら。」んち、詠(ゆ)だくとぅ、チルーがまかちゃんでぃ。また、昼(ふぃる)なーや、あまはい、くまはい、ちながみしーが歩(あっ)ちょーる事(しじ)やしが、うぬ時(ばー)に、一箇所(ちゅとぅくま)ぬ家(やー)ぬ庭んかい黄桃(むむ)ぬ花ぬ、沢山(だちぇーん)咲(さ)ちかんとーし見(んー)ぢゃーに、「あっさびよー、くれー、桜ぬ花やかにん、美(ちゅら)さぬ、黄桃(むむ)ぬ花(はなー)上等やるむんなー。」んでぃち、どぅーちゅいむにーし、んまんかい立(たっ)ち、他人(ちゅ)ぬ屋敷(やしち)ぬ、石垣(いしがち)ぬ内ぬ、庭んかい生(みー)とーる黄桃(むむ)ぬ花(はな)ぬ、沢山(だちぇーん)咲(さ)ちかんとーしんかい見(んー)惚(ぶ)りさーに立(たっ)ちょたくとぅ、んまぬ主人(ぬーせー)、桃木(むむぎ)ぬ手入(てぃーい)りすんでぃ桃木(むむぎ)ぬ下(しちゃ)んかい居(う)しが、吉屋(ゆしやー)ぬ、どぅーちゅいむにー聞(ち)ちゃーに、「あー、いぇー、女郎(ぢゅり)ぐゎーくれー、花んくんぐとぅ、美(ちゅら)く、見事(みぐとぅ)に咲(さ)ちゅしが、、実(みー)ぬないねー、実(みー)ん大変(じこー)まーさくとぅ、うぬ実(ない)ぬんーだるじぶのー、また来(くー)よー、やーにん分(わ)きてぃくぃくとぅ、大変(じこー)まーさんどー。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、吉屋(ゆしやー)や、言葉(くとぅば)返(けー)さったんでぃる意味(ちむえー)さーなかい、「実にないるまでぃや、待(ま)ちなげさあむぬ、花ぬ中(うち)うとー、またん拝(うが)ま。」でぃち、歌詠(ゆ)だくとぅ、うぬ主人(ぬーせー)、「はー、とー、くぬ人(ちょー)。」んでぃ言(いゃー)なかい、うぬ手入(てぃーい)りそーみせーたる年寄(とぅすぃ)や、自分(どぅ)やか年下(わらび)、女童(いなぐわらび)るやしが、「はー、とー、くぬ人(ちょー)。んでぃ、言(いゃー)なかい、家(やー)ぬ内んかい引(ふぃ)込(く)むたんでぃる話い。また、ある時(ばー)に、いーぬ女郎達(ぢゅりぬちゃー)勝負(すーぶ)し、一番最後(とぅんぱい)ぬ歌、詠(ゆ)み勝負(すーぶ)さな、んち、いーぬぐとぅ、歌さい、三味線(さんしん)弾(ふぃ)ちゃいする女郎(ぢゅり)ぬちゃくとぅ、「しむん。」でぃち、勝負(すーぶ)す事(くとぅ)んかいなてぃ。前(めー)にん色々(いるいる)な勝負事(すーぶぐとぅ)ぬ有(あ)てーくとぅんでぃ言(いゃー)なかい、うぬ女郎(ぢゅり)れー、立派、着物(ちぬ)ん、七重(ななかさび)、八重(やかさび)着(ち)ちちゃくとぅ、「沖縄(うちなー)うてー、着物(ちん)一枚(いちめー)んでぃせー、着物(ちん)七枚(ななち)しる一枚(いちめー)やるしじやくとぅ。」うり重(かさ)びてぃ着(ち)ち、立派(りっぱん)、すがてぃちゃくとぅ、うぬ吉屋(ゆしやー)や、着物(ちん)一着(てぃーち)、着(ち)ち、平常(ふぃーじー)ぬすがいし出(んぢ)てぃちゃくとぅ、来(ちょー)る女郎(ぢゅり)ぬ、「とー、吉屋(ゆしやー)、あんせー、やーから詠(ゆ)めー、私(わん)にん詠(ゆ)むさ。」んち勝負(すーぶ)さくとぅ、一番最後(とぅんぱい)ぬ歌、なー、終(う)わいぬ歌んちさくとぅ、吉屋(ゆしやー)や、「打ち重(かさ)び重(かさ)び、鳥(とぅい)ぬ羽根(はに)重(かさ)び、後生(ぐそー)ぬすがい。」んち、詠(ゆ)だくとぅ、だー、うれー、人間(にんじん)ぬ最後(とぅんぱい)や、後生(ぐそー)るやくとぅ、うりんかえーなー返(けー)さらんなてぃさくとぅ、うぬ女郎(ぢゅれー)負(ま)てぃさくとぅ、いぇーやねーらんぐとぅうぬ女郎(ぢゅれー)けーまーちゃんでぃる話いやしが、他(ふか)ぬ女郎達(ぢゅりぬちゃー)や、吉屋(ゆしやー)が詠(ゆ)み殺(くる)ちぇーんでぃち、話いすたんでぃ。くりが、最後(とぅんぱい)ぬ歌ぬ話いやしが、吉屋(ゆしやー)や、うんぐとぅし、他人(ちゅ)んかい負(ま)きてー、ちもーふがん人(ちゅ)、がーぢゅーさる人(ちゅ)やてーるふーじーやん、他(ふか)ぬ吉屋(ゆしやー)ぬ話いや、また、他(ふか)ぬ人(ちゅ)んかい。〔共通語訳〕 吉屋の話。北谷町が北谷間切と呼ばれていた時代は、比謝橋(ひじゃばし)から南は北谷だっらので、吉屋チルーが比謝橋にかけての歌から、また、北側の原っぱにある牛市場(うしまち)などに詠んだ歌など、いろいろ沢山あるが、それなどの話は、自分達の村や町内の話だから、年寄り達も若者達も良く知っている筈だから、その吉屋チルーの話で、あまり、みんなが話してしないと思われる話をしてみたいと思う。私の父や祖父は自分で三味線を作り、沖縄の古典や民謡を弾きながら、友達が集まり、お酒を飲みながら話してるのを聞いて覚えているもので、みんながあまり知らないだろうと思う話を二、三、してみたいと思う。吉屋チルーという女は、大変、知恵もあり歌もよく作るが、他人には負けず嫌いで、負けては納得しない自我の強い人(ちゅ)だったと思う。それがある時の事、普通、歌というのは、道理にかない、なるほどとその表言葉に当たる裏の、歌を詠んだ人の心がわかるくらい、何かがそこにあるのだが、今度は、彼女は辻遊廓の女郎になっているのだから、他の女郎達と勝負して、道理のかなわない歌の作り勝負をしすると、「よろしい。」ということになりまして、一人の女郎が、「暑さを防ごうと布団をかぶりますと、間違えたのか、汗疣をかいて。」と詠みますと、吉屋は、「何だ君のは、全然駄目じゃないか、それはなってないよ、それは道理にかなってるよ君。」と言って、吉屋チルーは何と詠んだか言うと、「裸になって、尻端折り、座して小急し那覇(なは)に打ち向かい、、首里(しゅり)に登る。」と詠んだので、吉屋チルーが勝ったとの事です。また、昼などは、彼方へ行ったり此方へ行ったりして、景色を眺めて歩いて、ある時の事、一か所の一つの家の中庭に、黄桃の花が沢山咲き乱れているのを見て、「あらあら、ここは桜の花より綺麗だなあ、黄桃の花は上等な花だなあ。」と独り言をいいながら、道に立って他人の石垣の内に生えている黄桃の花が見事に咲いているのに見とれて立っていますと、そこの主人は桃の木の手入れをするために、桃の木の下におりまして、吉屋チルーの独り言を聞いて、「おお、はい、女郎さん、これは花もこのように綺麗に見事に咲いているが、実になると、実も大変美味しいから、その実が熟した時期にまたおいで、あなたにも分けてあげるから。大変おいしいですよ。」と、言いますと、吉屋チルーは言葉を返されたという意味で、「実になるまでは待ち遠しいですから、花のうちにまた拝みたいです。」と、歌に詠んで返しますと、その主人は、「はあ驚いた、この人は。」と言って、その手入れをしていた主人は、自分よりも年下の、女童なんですが、「はあ驚いた、この人は。」と言って、自分の家の中に引き込んで行ったという話。また、ある時に、同じ女郎達が勝負して一番最後の歌の詠み勝負をしようと、同じように歌もでき、三味線も弾く女郎が来ますと、「よろしい。」と勝負することになりました。前にもいろいろな勝負事があったからということで、その女郎はいつもより立派に着物を着けて、七重、八重着けてきますと、「沖縄では着物一枚というのは、着物七着で一枚ですから。」それを重ねて着け、着飾って来ますと、その吉屋チルーは、平常の姿で出てきますと、出向いてきた女郎が、「はい吉屋、それではあなたから詠みなさい、私も詠むから。」と言って勝負しますと、一番最後の歌、もう終わりの歌ということですから、吉屋チルーは打ち重ね重ね、鳥の羽根重ね、後生の着飾り。」と詠みますと、もうそれは人間の最後は後生ですから、それにはもう返すことはできなくなって、その女郎は負けたということですが、しばらくして、その女郎は死亡したとの話です。すると、他の女郎達は、吉屋の詠み殺されたという様に話していたそうです。これが最後の歌の話ですが、吉屋チルーはこのように、他の人に負けては納得しない人で、自我の強い人だった様子です。他の吉屋チルーの話は、また、他の人にしてもらいます。平成9年2月17日 高江洲亮翻字 T4B4

再生時間:5:39

民話詳細DATA

レコード番号 47O170036
CD番号 47O17C004
決定題名 吉屋チルー(方言)
話者がつけた題名 吉屋チルー
話者名 阿波根昌栄
話者名かな あはごんしょうえい
生年月日 19210309
性別
出身地 沖縄県中頭郡北谷町字上勢頭
記録日 19970217
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 T04B05
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 『想い出の昔話』
キーワード 比謝橋,辻,遊郭,歌詠み勝負
梗概(こうがい) 〔方言原話〕 吉屋(ゆしやー)チルーぬ話い。北谷町(ちゃたんちょう)ぬ、北谷間切(ちゃたんまぢり)んでぃる言(いゅ)る時代(まんぐら)や、比謝橋(ふぃざばし)からー北谷(ちゃたん)どぅやくとぅ、吉屋(ゆしやー)チルーぬ、比謝橋(ふぃざばし)かきてぃぬ歌から、また、北側(にしむてぃ)ぬ毛(もー)んかい有(あ)る、牛市場(うしまち)んかいぬ歌から、話い、色々(いるいる)まんどーん、皆(んな)うんな話いや、自分達(どぅーなーたー)村、町ぬ話いるやくとぅ、年寄達(とぅすぃんちゃー)ん、若者達(わかーたー)ん、良(ゆー)知(しっ)ちょーる筈(はじ)やくとぅ、うぬ吉屋(ゆしやー)チルーぬ、なんじゅ、皆(んな)が話いせーねーらんぎさーぬ話いんでぃ思(うむ)いーし、話いしんでーやーんでぃ思(うむ)いん。私(わー)父(うや)、祖父(ふぁーふじ)ん、自分(どぅー)くるし、三味線(さんしん)作(ちゅく)てぃ沖縄(うちなー)ぬ古典(いしぶし)ん、民謡(ふゎーうた)ん弾(ふぃ)ちゃがなー、友達(どぅしぬちゃー)が集(あち)まてぃ、酒(さき)ぐゎ飲(ぬ)まがちーなー話いすし、聞(ち)ち、覚(うび)とーしから皆(んな)がなんじゅ、わからんぎさーぬ話い、二、三、しんだなやーんでぃ思(うむ)とーん。うぬ吉屋(ゆしやー)チルーんでぃる女(いなごー)、大変(じこー)知恵(ぢんぶん)ぬまんでぃ、歌ん良(ゆー)作(ちゅく)いしが、人(ちゅ)んかい負(ま)きてー納得(ちもー)ふがん、意地(ぢーぐ)強(ふゎ)さる人(ちゅ)やたる筈(はじ)んでぃ思(うむ)いん。うりがある時(ばー)に、当(あ)たい前(めー)ぬ歌んでぃせー道理んかなてぃ、なるふどぅやーんでぃち、うぬ表(うむてぃ)ぬ言葉(くとぅば)んかい当(あ)たいる裏ぬ、歌詠(うたわ)でーる人(ちゅ)ぬ心(くくる)んわかいるあたい、ぬーがなぬ、んまんかい有(あ)しが、今度(くんどー)、だーうれー、辻(ちーじ)んかい、女郎(ぢゅり)なてぅ居(う)くとぅ、他(ふか)ぬ女郎(ぢゅり)とぅ勝負(すーぶ)し、道理ぬあたらん歌、作(ちゅく)い勝負(すーぶ)さなんちさくとぅ、「いー、しむん。」でぃちさーなかい、一人(ちゅい)ぬ女郎(ぢゅり)ぬ、「暑(あち)さ防(ふし)じゆんでぃ、布団(うどぅ)かんたくとぅ、間違(まちげ)えがやたら、汗疣(あしぶ)出(んぢ)てぃ。」んち、詠(ゆ)だくとぅ、吉屋(ゆしやー)や、「あぎじゃびよー、やーむのー、うれーじよういなてーねーらん、うれー、道理んかいかなとーせーやーや。」んでぃ言(いゃー)に、吉屋(ゆしやー)チルーや、ぬーんち詠(ゆ)だがどぅんやれー、「裸なてぃ、尻(ちぶ)い、いちょてぃ、ぐないすじ、那覇(なふぁ)に打(う)ち向(ん)かてぃ、首里(すい)ぬ登(ぬぶ)ら。」んち、詠(ゆ)だくとぅ、チルーがまかちゃんでぃ。また、昼(ふぃる)なーや、あまはい、くまはい、ちながみしーが歩(あっ)ちょーる事(しじ)やしが、うぬ時(ばー)に、一箇所(ちゅとぅくま)ぬ家(やー)ぬ庭んかい黄桃(むむ)ぬ花ぬ、沢山(だちぇーん)咲(さ)ちかんとーし見(んー)ぢゃーに、「あっさびよー、くれー、桜ぬ花やかにん、美(ちゅら)さぬ、黄桃(むむ)ぬ花(はなー)上等やるむんなー。」んでぃち、どぅーちゅいむにーし、んまんかい立(たっ)ち、他人(ちゅ)ぬ屋敷(やしち)ぬ、石垣(いしがち)ぬ内ぬ、庭んかい生(みー)とーる黄桃(むむ)ぬ花(はな)ぬ、沢山(だちぇーん)咲(さ)ちかんとーしんかい見(んー)惚(ぶ)りさーに立(たっ)ちょたくとぅ、んまぬ主人(ぬーせー)、桃木(むむぎ)ぬ手入(てぃーい)りすんでぃ桃木(むむぎ)ぬ下(しちゃ)んかい居(う)しが、吉屋(ゆしやー)ぬ、どぅーちゅいむにー聞(ち)ちゃーに、「あー、いぇー、女郎(ぢゅり)ぐゎーくれー、花んくんぐとぅ、美(ちゅら)く、見事(みぐとぅ)に咲(さ)ちゅしが、、実(みー)ぬないねー、実(みー)ん大変(じこー)まーさくとぅ、うぬ実(ない)ぬんーだるじぶのー、また来(くー)よー、やーにん分(わ)きてぃくぃくとぅ、大変(じこー)まーさんどー。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、吉屋(ゆしやー)や、言葉(くとぅば)返(けー)さったんでぃる意味(ちむえー)さーなかい、「実にないるまでぃや、待(ま)ちなげさあむぬ、花ぬ中(うち)うとー、またん拝(うが)ま。」でぃち、歌詠(ゆ)だくとぅ、うぬ主人(ぬーせー)、「はー、とー、くぬ人(ちょー)。」んでぃ言(いゃー)なかい、うぬ手入(てぃーい)りそーみせーたる年寄(とぅすぃ)や、自分(どぅ)やか年下(わらび)、女童(いなぐわらび)るやしが、「はー、とー、くぬ人(ちょー)。んでぃ、言(いゃー)なかい、家(やー)ぬ内んかい引(ふぃ)込(く)むたんでぃる話い。また、ある時(ばー)に、いーぬ女郎達(ぢゅりぬちゃー)勝負(すーぶ)し、一番最後(とぅんぱい)ぬ歌、詠(ゆ)み勝負(すーぶ)さな、んち、いーぬぐとぅ、歌さい、三味線(さんしん)弾(ふぃ)ちゃいする女郎(ぢゅり)ぬちゃくとぅ、「しむん。」でぃち、勝負(すーぶ)す事(くとぅ)んかいなてぃ。前(めー)にん色々(いるいる)な勝負事(すーぶぐとぅ)ぬ有(あ)てーくとぅんでぃ言(いゃー)なかい、うぬ女郎(ぢゅり)れー、立派、着物(ちぬ)ん、七重(ななかさび)、八重(やかさび)着(ち)ちちゃくとぅ、「沖縄(うちなー)うてー、着物(ちん)一枚(いちめー)んでぃせー、着物(ちん)七枚(ななち)しる一枚(いちめー)やるしじやくとぅ。」うり重(かさ)びてぃ着(ち)ち、立派(りっぱん)、すがてぃちゃくとぅ、うぬ吉屋(ゆしやー)や、着物(ちん)一着(てぃーち)、着(ち)ち、平常(ふぃーじー)ぬすがいし出(んぢ)てぃちゃくとぅ、来(ちょー)る女郎(ぢゅり)ぬ、「とー、吉屋(ゆしやー)、あんせー、やーから詠(ゆ)めー、私(わん)にん詠(ゆ)むさ。」んち勝負(すーぶ)さくとぅ、一番最後(とぅんぱい)ぬ歌、なー、終(う)わいぬ歌んちさくとぅ、吉屋(ゆしやー)や、「打ち重(かさ)び重(かさ)び、鳥(とぅい)ぬ羽根(はに)重(かさ)び、後生(ぐそー)ぬすがい。」んち、詠(ゆ)だくとぅ、だー、うれー、人間(にんじん)ぬ最後(とぅんぱい)や、後生(ぐそー)るやくとぅ、うりんかえーなー返(けー)さらんなてぃさくとぅ、うぬ女郎(ぢゅれー)負(ま)てぃさくとぅ、いぇーやねーらんぐとぅうぬ女郎(ぢゅれー)けーまーちゃんでぃる話いやしが、他(ふか)ぬ女郎達(ぢゅりぬちゃー)や、吉屋(ゆしやー)が詠(ゆ)み殺(くる)ちぇーんでぃち、話いすたんでぃ。くりが、最後(とぅんぱい)ぬ歌ぬ話いやしが、吉屋(ゆしやー)や、うんぐとぅし、他人(ちゅ)んかい負(ま)きてー、ちもーふがん人(ちゅ)、がーぢゅーさる人(ちゅ)やてーるふーじーやん、他(ふか)ぬ吉屋(ゆしやー)ぬ話いや、また、他(ふか)ぬ人(ちゅ)んかい。〔共通語訳〕 吉屋の話。北谷町が北谷間切と呼ばれていた時代は、比謝橋(ひじゃばし)から南は北谷だっらので、吉屋チルーが比謝橋にかけての歌から、また、北側の原っぱにある牛市場(うしまち)などに詠んだ歌など、いろいろ沢山あるが、それなどの話は、自分達の村や町内の話だから、年寄り達も若者達も良く知っている筈だから、その吉屋チルーの話で、あまり、みんなが話してしないと思われる話をしてみたいと思う。私の父や祖父は自分で三味線を作り、沖縄の古典や民謡を弾きながら、友達が集まり、お酒を飲みながら話してるのを聞いて覚えているもので、みんながあまり知らないだろうと思う話を二、三、してみたいと思う。吉屋チルーという女は、大変、知恵もあり歌もよく作るが、他人には負けず嫌いで、負けては納得しない自我の強い人(ちゅ)だったと思う。それがある時の事、普通、歌というのは、道理にかない、なるほどとその表言葉に当たる裏の、歌を詠んだ人の心がわかるくらい、何かがそこにあるのだが、今度は、彼女は辻遊廓の女郎になっているのだから、他の女郎達と勝負して、道理のかなわない歌の作り勝負をしすると、「よろしい。」ということになりまして、一人の女郎が、「暑さを防ごうと布団をかぶりますと、間違えたのか、汗疣をかいて。」と詠みますと、吉屋は、「何だ君のは、全然駄目じゃないか、それはなってないよ、それは道理にかなってるよ君。」と言って、吉屋チルーは何と詠んだか言うと、「裸になって、尻端折り、座して小急し那覇(なは)に打ち向かい、、首里(しゅり)に登る。」と詠んだので、吉屋チルーが勝ったとの事です。また、昼などは、彼方へ行ったり此方へ行ったりして、景色を眺めて歩いて、ある時の事、一か所の一つの家の中庭に、黄桃の花が沢山咲き乱れているのを見て、「あらあら、ここは桜の花より綺麗だなあ、黄桃の花は上等な花だなあ。」と独り言をいいながら、道に立って他人の石垣の内に生えている黄桃の花が見事に咲いているのに見とれて立っていますと、そこの主人は桃の木の手入れをするために、桃の木の下におりまして、吉屋チルーの独り言を聞いて、「おお、はい、女郎さん、これは花もこのように綺麗に見事に咲いているが、実になると、実も大変美味しいから、その実が熟した時期にまたおいで、あなたにも分けてあげるから。大変おいしいですよ。」と、言いますと、吉屋チルーは言葉を返されたという意味で、「実になるまでは待ち遠しいですから、花のうちにまた拝みたいです。」と、歌に詠んで返しますと、その主人は、「はあ驚いた、この人は。」と言って、その手入れをしていた主人は、自分よりも年下の、女童なんですが、「はあ驚いた、この人は。」と言って、自分の家の中に引き込んで行ったという話。また、ある時に、同じ女郎達が勝負して一番最後の歌の詠み勝負をしようと、同じように歌もでき、三味線も弾く女郎が来ますと、「よろしい。」と勝負することになりました。前にもいろいろな勝負事があったからということで、その女郎はいつもより立派に着物を着けて、七重、八重着けてきますと、「沖縄では着物一枚というのは、着物七着で一枚ですから。」それを重ねて着け、着飾って来ますと、その吉屋チルーは、平常の姿で出てきますと、出向いてきた女郎が、「はい吉屋、それではあなたから詠みなさい、私も詠むから。」と言って勝負しますと、一番最後の歌、もう終わりの歌ということですから、吉屋チルーは打ち重ね重ね、鳥の羽根重ね、後生の着飾り。」と詠みますと、もうそれは人間の最後は後生ですから、それにはもう返すことはできなくなって、その女郎は負けたということですが、しばらくして、その女郎は死亡したとの話です。すると、他の女郎達は、吉屋の詠み殺されたという様に話していたそうです。これが最後の歌の話ですが、吉屋チルーはこのように、他の人に負けては納得しない人で、自我の強い人だった様子です。他の吉屋チルーの話は、また、他の人にしてもらいます。平成9年2月17日 高江洲亮翻字 T4B4
全体の記録時間数 5:39
物語の時間数 5:39
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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