京阿波根親方(方言)

概要

〔方言原話〕 くぬ御方(うかたー)、初めえ、ただ、阿波根親方(あふぁぐんうぇーかた)るやみせーたんでぃしが、くぬ人(ちゅ)ぬ、なーだま母親(いなぐぬうや)ぬ身体(どぅー)ぬ中(なーか)んかいめんせーる時(ばー)に、うぬ母親(いなぐぬうや)ぬ、毎日(めーにち)鉄(かに)煎(しじ)てぃ、うさがみそーちゃくとぅ、喉(うとぅし)びけーる肉(しし)やる、うぬ他(ふかー)鉄(かに)やみせーたんでぃ。あんし、うぬ人(ちょー)、学問(がくむん)ぬ、武勇ん、大変(じこー)優(すぐ)りみそーち、豪勇(ごうゆう)なとーみせーたんでぃ。うぬ時(ばー)に、琉球(りゆちゅー)んかいや、三振(みふ)いぬ宝刀、千代金丸(ちよかねまる)、黄金丸(こがねまる)、地金丸(ぢがねまる)んち有(あ)しが、うぬうちぬ、地金丸(ぢがねまる)、京都(ちょー)ぬ刀(なち)とぅざーんかい盗(ぬす)まってぃさくとぅ、阿波根親方(あふぁぐんうぇーかた)、うぬ刀(なち)、取(とぅ)い戻(むどぅ)ち来(くー)んでぃる役目(やくみ)当(あ)たてぃさーに、京都(ちょー)んかい行(いん)ぢ、うぬ刀(なち)とぅざーんかい、弟子(でぃし)いりし、三年(さんにん)なたくとぅ、んまぬ娘子(うぃなぐんぐゎ)とぅ仲良(なかゆ)たしくなてぃ暮(く)らちょーしが、相手(いぇーてぃ)ん用心し、なかなかうぬ地金丸(ぢがねまる)見(んー)だらん。あんしするうちに、阿波根親方(あふぁぐんうぇーかた)ぬ妻(とぅぜー)心配(しわ)し、京都(ちょー)んかい行(いん)ぢゃーに、んまぬ下女(じょーしちゃー)なてぃいっちさーに、むぬ置(う)ちきてーる御膳(うじん)ぬ片隅(かたしみ)んかい、くーてー割符(わいふ)置(う)ちきてぃ行(いん)ぢゃくとぅ、親方(うぇーかた)、「今日(ちゅー)ぬむのーあんしまーさる、誰(たー)が作(ちゅく)いびたが。」んち、女主人(いなぐぬーしー)んかい問(とー)たくとぅ、「近頃(ちかぐる)入(いっ)ちぇーる下女(じょーしちゃー)が作(ちゅく)てーしが、口んかい合(あー)いびーん。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、「私(わー)口んかえー良(ゆー)合(あー)いびーん。」でぃち、親方(うぇーかた)妻(とぅぢ)ぬちょーし、わかてぃさくとぅ、親方(うぇーかた)、んまぬ娘子(うぃなぐんぐゎ)しかち、うぬ刀(なち)取(とぅ)らち、見(んー)じゅんねーびーし、取(とぅ)替(けー)らったる偽物(にしー)返(けー)さーに、「私(わん)ねーなー、家(やー)かい帰(けー)いん。」でぃち、んま止(や)やーなかい、馬(んま)んかい乗(ぬ)てぃ、薩摩(さちま)んあかいいっさんばーえーさくとぅ、相談(すーだん)せーる妻(とぅぜー)、薩摩(さちま)うてぃ待(まっ)ちそーしが、京都(ちょー)からぬ知らしぬあてぃ、地金丸(ぢがねまる)とぅいんち、親方(うぇーかた)ぬ通(とー)いる馬場(んまなー)んかい、落(う)とぅし穴掘(ふ)てぃ、んまんかい落(う)とぅする考(かんげ)えそうしが、妻(とぅぢ)ぬうりわかてぃ、親方(うぇーかた)んかい話いし、「私(わー)が木(きー)ぬ枝(ゆだ)置(う)ちきてぃ、印さびーくとぅ、飛(とぅ)んぢ越(くぃー)みそーり。」んでぃちさーに、穴の両方(どぅーほー)んかい木(きー)ぬ枝(ゆだ)置(う)ちきてぃさくとぅ、親方(うぇーかた)やぐぃー掛(か)てぃ、落(う)とぅし穴飛(とぅ)ん越(くぃー)てぃさくとぅ、妻(とぅぢ)ん、馬(んま)ん、三人(みっちゃい)助(たし)かたくとぅ、「いー馬(んま)、私(わー)命(ぬち)ぬ馬(んま)。」んち、一緒(まじゅーん)舟(ふに)んかい乗(ぬ)してぃ、琉球(りゆちゅー)んかい帰(けー)いる途中(みちなか)うてぃ、嵐はっちゃかてぃさくとぅ、馬(んまー)甲板(ぶん)ぬ上(うぃー)からけー落(う)てぃそーしが、名馬なやに、嵐ぬ海泳(うぃ)じ舟(ふに)追(うー)てぃさくとぅ、舟(ふに)ぬ人達(ちゅぬちゃー)ん加勢(かしー)しみてぃ、助(たー)きいんちそーしが、次第(しでー)に離(はな)りてぃ、助(たー)きららんなたくとぅ、馬(んま)浮(う)ちゃい、沈(しじ)だいぎさぎね、仕方(しかたー)ならんなたくとぅ、親方(うぇーかた)夫婦(みいとぅんだー)甲板(ぶぬ)んかい正座(ふぃさまんちゅ)かきてぃ、「やーや、私(わー)命(ぬち)助(たし)きてぃくぃたしが、私(わん)ねーやーや助(たし)きゆーさん、私(わん)助(たし)きてぃくぃーたるうんじとぅし、私達(わったー)一門(いちむぬ)んかえ、今(なま)から後(あとぅ)、馬(んま)ぬ肉(しし)や食(くぃ)らんくとぅ許(ゆる)ちとぅらし。」んち、合掌(てぃーうさー)ち拝(うが)だくとぅ、馬(んまー)うぬままちゃー沈(しじ)みしーたんでぃ。あんし琉球(りゆちゅー)んかい帰(けー)てぃめんそーちゃくとぅ、京都(ちょー)ぬ京(ちょー)ぬ字付(ち)きてぃ、京阿波根親方(ちょーはぐんぬうぇーかた)んでぃる言(いゅ)るぐとぅなたんでぃ。うぬ後(あとぅ)、謀叛(むふん)企(とく)どーたる人達(ちゅぬちゃー)が、髪結師(からじゆーやー)脅(うどぅ)ち、親方(うぇーかた)ぬ髭(ふぃじ)剃(す)いがちーなー親方(うぇーかた)ぬ喉(うとぅし)切(ち)らちゃくとぅ、京阿波根親方(ちょーはぐんぬうぇーかた)まーしみそーちゃくとぅ、反対派(はんたいふぁ)ぬ、戦(いくさ)寄(ゆ)し掛(か)きたくとぅ、墓から出(んぢ)みそーらさーに、支柱(がそー)ちかちいみそーらちゃくとぅ、「今(なま)生(い)ちちょーてぃ、ハチャグミるうさがみせーる。」んち、皆(んな)逃(ふぃん)ぎたんでぃしが、ハチャグミやあらん、蛆虫(うじむし)るやたんでぃ。うぬあたい、世間(しきぬ)んかい聞(ち)くぃー高(たか)とーみせーる豪勇(ごーゆー)やみせーたんでぃ。あんすくとぅ、京阿波根親方(ちょーはぐんぬうぇーかた)、生(い)ちちょーてぃ、千人(しんにん)、まーちん千人(しんにん)まかしみそーちゃんでぃ。大正(てーそー)ぬ初(はじ)み頃(ぐる)ぬ話いやしが、私達(わったー)祖父(ふぁーふじ)ぬ弟(うっとぅ)、三男が、越来村(ぐいくむら)ぬ座間味小(ざまんぐゎー)んでぃ言(いゅ)る家(やー)んかいいりちりーそーる時(ばー)ぬ事(くとぅ)やしが、んまー、私達(わったー)祖父(ふぁーふじ)ぬ婿兄弟(むーくちょーでー)なやーに、婿兄(むーくしーじゃ)なとーしが、大家庭(うふぢねー)やくとぅ、んまんかい、いりちりーそーてぃ、ある夜(ゆる)ぬ事(くとぅ)、「三男(さんなぬ)が腹(わた)ぬ痛(や)でぃーそーん。」でぃちぬ知らしぬちゃくとぅ、私達(わったー)祖父(ふぁーふじ)ぬ行(いん)ぢ見(んー)ちゃれー、「腹(わた)ぬ痛(や)むん。」でぃち、寝(に)んじぢゃーから出(んぢ)ゆーさんなたくとぅ、私達(わったー)祖父(ふぁーふじ)が、「夕食(ゆーば)のー何(ぬー)食(くぃ)みそーちゃが。」んち、問(とー)たくとぅ、「馬(んま)ぬ肉(ししー)。」んでぃ言(い)みそーちゃくとぅ、私達(わったー)祖父(ふぁーふじ)ぬ、「私達(わったー)一門(いちむ)のー馬(んま)ぬ肉(ししー)食(か)でーないびらん。」でぃち、あまぬトートーメーん、私達(わったー)トートーメーんかいん、合掌(てぃーうやー)ち拝(うが)だくとぅ、腹(わた)ぬ痛(や)でぃや治(のー)たんでぃる話いやん。うりから馬(んま)ぬ話い、昔(んかせー)、琉球(りゆちゅー)うてー、御主加那志前(うしゅがなしーめー)ぬたちかわみせーねー、海から、いー馬(んま)ぬ一匹(いっぴち)なー上(あ)がてぃ来(ちゅ)たんでぃしが、一番(いちば)とぅんぱいぬ、御主加那志前(うしゅがなしーめー)ぬ時(ば)にん、上(あ)がてぃそーたんでぃしが、「あね、やーかー、馬(んま)ぬ上(あ)がとーさ捕(とぅ)れー。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、うぬ馬(んまー)、うち戻(むどぅ)てぃ行(い)ちゅたんでぃ。さくとぅ、うぬ御主加那志前(うしゅがなしーめー)や、半分どぅ王(をー)掛(か)きみそーちゃんでぃ。また、昭和ぬ初(はじ)み頃(ぐる)、真っ白(しる)そーる馬(んま)ぬ生(ん)まりてぃさくとぅ、皇太子殿下ぬ乗(ぬ)い馬(んま)んでぃ言(い)ち、沖縄(うちなー)から送(うく)とーん。〔共通語訳〕 このお方は初めただ阿波根親方(あふぁごんうぇーかた)と申し上げていたのですが、この方が未だ母親の体内にいる時に、その母親が毎日お茶の代わりに鉄を煎じて召し上がったそうです。そうすると、喉だけが肉でその他は鉄だったそうです。そうしてこの人は、学問も武勇も大変優れた豪勇になったそうです。その時に、沖縄には三振の宝刀、千代金丸(ちよかねまる)、黄金丸(こがねまる)、地金丸(ぢがねまる)とあったのですが、その中の地金丸が京都の刀研師に盗まれてしまったのです。阿波根親方はその刀を取り戻す役目に当たったのです。すると、京都に行き、その刀研師に弟子入り奉公して三年になりますと、そこの娘と良い仲になって暮らしていますが、相手も用心深く、なかなかその地金丸を見ることができません。そうするうちに、阿波根親方の奥方は心配なされて京都に行き、そこの女中になって住み込んで、食事を置いてあるお膳の片隅に小さな割符を置いて出しますと、親方は、「今日の食事はとても美味しい。誰が作られたのですか。」と女主人に問いますと、「近頃入ってきた女中が作りましたが、口に合いますか。」と言いますので、「私の口には良く合います。」と答えて、親方は妻の来ていることがわかりますと、親方はそこの娘に頼みこみ、その刀を取らして見る振りをして取り替えられた偽物を返して、「私はもう家に帰る。」と申してそこを止めて、馬に乗り薩摩に一目散に行ったのです。相談しておいた妻は薩摩で待っていますが、京都からの知らせで地金丸と盗(と)れとのことです。すると、親方の通る馬場に落とし穴を堀り、そこに落とす考えです。奥方がそれを知り、親方に話して、「私が木の枝を置いて目印にいますから、そこを飛び越しなさい。」と申し上げて、穴の両端に木の枝を置いておきますと、親方はそこへ来ると掛け声もろとも馬も一緒にその落とし穴を飛び越えて、妻も馬も三人助かりますと、「良馬だ、私の命の親だ。」と言って一緒に舟に乗せて、琉球に帰る途中で嵐にあってしまいました。すると馬は甲板の上から海中に落下したのですが、さすがに名馬だけあって、嵐の中を泳いで舟を追っているのです。すると舟の人達も加勢してなんとかして助けようとしますが、次第に離れて助けることができなくなりますと、馬は浮きつ沈みつしていますが、もう助けられないとわかると、親方夫婦は甲板に正座して、「君は私の命を助けてくれたけれども、私は君を助けることができない。私を助けてくれた恩返しに、私達の一門は、今後馬の肉を食べさせないから許してくれ。」と手を合わせて拝みますと、馬はそのまま沈んでしまいました。そして琉球にお帰りになりますと、京都の京の字を付けて、京阿波根親方(ちょーはぐんぬうぇーかた)と申し上げるようになったそうです。その後、謀叛を企む人達が髪結師を脅して、髪結師に親方の髭を剃りながら親方の喉を切らしたのです。そして親方が死亡されますと、反対派が戦を押しかけたのです。すると、遺体を墓から出して、支柱を使って座らせていますと、「今も生きていて、ハチャグミを召し上がっている。」と思い、皆逃げて行ったそうですが、ハチャグミではなくて蛆虫だったとの話。それほど、世間に聞こえの高い豪勇だったそうです。だから京阿波根親方は、生きていて千人、死して千人に勝ったとの事です。大正の初め頃の事ですが、私達の祖父の弟、三男が、越来村(ごえくそん)の座間味家(ざまみけ)に住み込み奉公している時の事、そこは私達の祖父の婿兄弟で、婿兄なんだが、大農家ですから、そこに住み込み奉公している時に、ある夜、「三男が腹痛を起こした。」との知らせが来たので、私の祖父が行ってみると、「腹が痛い。」と言い、寝ている部屋から出ることもできないので、私達の祖父が、「夕食は何を食べたのですか。」と問いますと、「馬の肉。」と言われましたので、祖父は、「私達の一門は馬の肉を食べてはいけません。」と話して、そこのトートーメーと私達のトートーメーに合掌して拝みますと、腹痛が治ったとのことです。それから、馬の話に、昔、琉球では王様が代わられて即位なされると、海から名馬が一頭上陸してきたそうです。一番最後の王様の尚秦王の時も、上陸してきたそうですが、「ほれ、馬丁、馬が上陸してきた、捕らえなさい。」と言いますと、馬は海の方に戻っていったそうです。そして、その王様は半分しか王様の位に就くことはできませんでした。また、昭和の初頭に、真っ白い馬が生まれましたので、皇太子殿下の御乗馬として沖縄から送りました。平成9年2月17日 高江洲亮翻字 T4A2

再生時間:6:43

民話詳細DATA

レコード番号 47O170030
CD番号 47O17C004
決定題名 京阿波根親方(方言)
話者がつけた題名 京阿波根親方(ちょーはぐんぬウェーカタ)
話者名 阿波根昌栄
話者名かな あはごんしょうえい
生年月日 19210309
性別
出身地 沖縄県中頭郡北谷町字上勢頭
記録日 19970217
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 T04A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 本格昔話、 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 『想い出の昔話』
キーワード 鉄の体,千代金丸,黄金丸,地金丸,刀研師,馬の肉を食べない,髪結師,喉,生きて千人死んで千人,海から名馬
梗概(こうがい) 〔方言原話〕 くぬ御方(うかたー)、初めえ、ただ、阿波根親方(あふぁぐんうぇーかた)るやみせーたんでぃしが、くぬ人(ちゅ)ぬ、なーだま母親(いなぐぬうや)ぬ身体(どぅー)ぬ中(なーか)んかいめんせーる時(ばー)に、うぬ母親(いなぐぬうや)ぬ、毎日(めーにち)鉄(かに)煎(しじ)てぃ、うさがみそーちゃくとぅ、喉(うとぅし)びけーる肉(しし)やる、うぬ他(ふかー)鉄(かに)やみせーたんでぃ。あんし、うぬ人(ちょー)、学問(がくむん)ぬ、武勇ん、大変(じこー)優(すぐ)りみそーち、豪勇(ごうゆう)なとーみせーたんでぃ。うぬ時(ばー)に、琉球(りゆちゅー)んかいや、三振(みふ)いぬ宝刀、千代金丸(ちよかねまる)、黄金丸(こがねまる)、地金丸(ぢがねまる)んち有(あ)しが、うぬうちぬ、地金丸(ぢがねまる)、京都(ちょー)ぬ刀(なち)とぅざーんかい盗(ぬす)まってぃさくとぅ、阿波根親方(あふぁぐんうぇーかた)、うぬ刀(なち)、取(とぅ)い戻(むどぅ)ち来(くー)んでぃる役目(やくみ)当(あ)たてぃさーに、京都(ちょー)んかい行(いん)ぢ、うぬ刀(なち)とぅざーんかい、弟子(でぃし)いりし、三年(さんにん)なたくとぅ、んまぬ娘子(うぃなぐんぐゎ)とぅ仲良(なかゆ)たしくなてぃ暮(く)らちょーしが、相手(いぇーてぃ)ん用心し、なかなかうぬ地金丸(ぢがねまる)見(んー)だらん。あんしするうちに、阿波根親方(あふぁぐんうぇーかた)ぬ妻(とぅぜー)心配(しわ)し、京都(ちょー)んかい行(いん)ぢゃーに、んまぬ下女(じょーしちゃー)なてぃいっちさーに、むぬ置(う)ちきてーる御膳(うじん)ぬ片隅(かたしみ)んかい、くーてー割符(わいふ)置(う)ちきてぃ行(いん)ぢゃくとぅ、親方(うぇーかた)、「今日(ちゅー)ぬむのーあんしまーさる、誰(たー)が作(ちゅく)いびたが。」んち、女主人(いなぐぬーしー)んかい問(とー)たくとぅ、「近頃(ちかぐる)入(いっ)ちぇーる下女(じょーしちゃー)が作(ちゅく)てーしが、口んかい合(あー)いびーん。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、「私(わー)口んかえー良(ゆー)合(あー)いびーん。」でぃち、親方(うぇーかた)妻(とぅぢ)ぬちょーし、わかてぃさくとぅ、親方(うぇーかた)、んまぬ娘子(うぃなぐんぐゎ)しかち、うぬ刀(なち)取(とぅ)らち、見(んー)じゅんねーびーし、取(とぅ)替(けー)らったる偽物(にしー)返(けー)さーに、「私(わん)ねーなー、家(やー)かい帰(けー)いん。」でぃち、んま止(や)やーなかい、馬(んま)んかい乗(ぬ)てぃ、薩摩(さちま)んあかいいっさんばーえーさくとぅ、相談(すーだん)せーる妻(とぅぜー)、薩摩(さちま)うてぃ待(まっ)ちそーしが、京都(ちょー)からぬ知らしぬあてぃ、地金丸(ぢがねまる)とぅいんち、親方(うぇーかた)ぬ通(とー)いる馬場(んまなー)んかい、落(う)とぅし穴掘(ふ)てぃ、んまんかい落(う)とぅする考(かんげ)えそうしが、妻(とぅぢ)ぬうりわかてぃ、親方(うぇーかた)んかい話いし、「私(わー)が木(きー)ぬ枝(ゆだ)置(う)ちきてぃ、印さびーくとぅ、飛(とぅ)んぢ越(くぃー)みそーり。」んでぃちさーに、穴の両方(どぅーほー)んかい木(きー)ぬ枝(ゆだ)置(う)ちきてぃさくとぅ、親方(うぇーかた)やぐぃー掛(か)てぃ、落(う)とぅし穴飛(とぅ)ん越(くぃー)てぃさくとぅ、妻(とぅぢ)ん、馬(んま)ん、三人(みっちゃい)助(たし)かたくとぅ、「いー馬(んま)、私(わー)命(ぬち)ぬ馬(んま)。」んち、一緒(まじゅーん)舟(ふに)んかい乗(ぬ)してぃ、琉球(りゆちゅー)んかい帰(けー)いる途中(みちなか)うてぃ、嵐はっちゃかてぃさくとぅ、馬(んまー)甲板(ぶん)ぬ上(うぃー)からけー落(う)てぃそーしが、名馬なやに、嵐ぬ海泳(うぃ)じ舟(ふに)追(うー)てぃさくとぅ、舟(ふに)ぬ人達(ちゅぬちゃー)ん加勢(かしー)しみてぃ、助(たー)きいんちそーしが、次第(しでー)に離(はな)りてぃ、助(たー)きららんなたくとぅ、馬(んま)浮(う)ちゃい、沈(しじ)だいぎさぎね、仕方(しかたー)ならんなたくとぅ、親方(うぇーかた)夫婦(みいとぅんだー)甲板(ぶぬ)んかい正座(ふぃさまんちゅ)かきてぃ、「やーや、私(わー)命(ぬち)助(たし)きてぃくぃたしが、私(わん)ねーやーや助(たし)きゆーさん、私(わん)助(たし)きてぃくぃーたるうんじとぅし、私達(わったー)一門(いちむぬ)んかえ、今(なま)から後(あとぅ)、馬(んま)ぬ肉(しし)や食(くぃ)らんくとぅ許(ゆる)ちとぅらし。」んち、合掌(てぃーうさー)ち拝(うが)だくとぅ、馬(んまー)うぬままちゃー沈(しじ)みしーたんでぃ。あんし琉球(りゆちゅー)んかい帰(けー)てぃめんそーちゃくとぅ、京都(ちょー)ぬ京(ちょー)ぬ字付(ち)きてぃ、京阿波根親方(ちょーはぐんぬうぇーかた)んでぃる言(いゅ)るぐとぅなたんでぃ。うぬ後(あとぅ)、謀叛(むふん)企(とく)どーたる人達(ちゅぬちゃー)が、髪結師(からじゆーやー)脅(うどぅ)ち、親方(うぇーかた)ぬ髭(ふぃじ)剃(す)いがちーなー親方(うぇーかた)ぬ喉(うとぅし)切(ち)らちゃくとぅ、京阿波根親方(ちょーはぐんぬうぇーかた)まーしみそーちゃくとぅ、反対派(はんたいふぁ)ぬ、戦(いくさ)寄(ゆ)し掛(か)きたくとぅ、墓から出(んぢ)みそーらさーに、支柱(がそー)ちかちいみそーらちゃくとぅ、「今(なま)生(い)ちちょーてぃ、ハチャグミるうさがみせーる。」んち、皆(んな)逃(ふぃん)ぎたんでぃしが、ハチャグミやあらん、蛆虫(うじむし)るやたんでぃ。うぬあたい、世間(しきぬ)んかい聞(ち)くぃー高(たか)とーみせーる豪勇(ごーゆー)やみせーたんでぃ。あんすくとぅ、京阿波根親方(ちょーはぐんぬうぇーかた)、生(い)ちちょーてぃ、千人(しんにん)、まーちん千人(しんにん)まかしみそーちゃんでぃ。大正(てーそー)ぬ初(はじ)み頃(ぐる)ぬ話いやしが、私達(わったー)祖父(ふぁーふじ)ぬ弟(うっとぅ)、三男が、越来村(ぐいくむら)ぬ座間味小(ざまんぐゎー)んでぃ言(いゅ)る家(やー)んかいいりちりーそーる時(ばー)ぬ事(くとぅ)やしが、んまー、私達(わったー)祖父(ふぁーふじ)ぬ婿兄弟(むーくちょーでー)なやーに、婿兄(むーくしーじゃ)なとーしが、大家庭(うふぢねー)やくとぅ、んまんかい、いりちりーそーてぃ、ある夜(ゆる)ぬ事(くとぅ)、「三男(さんなぬ)が腹(わた)ぬ痛(や)でぃーそーん。」でぃちぬ知らしぬちゃくとぅ、私達(わったー)祖父(ふぁーふじ)ぬ行(いん)ぢ見(んー)ちゃれー、「腹(わた)ぬ痛(や)むん。」でぃち、寝(に)んじぢゃーから出(んぢ)ゆーさんなたくとぅ、私達(わったー)祖父(ふぁーふじ)が、「夕食(ゆーば)のー何(ぬー)食(くぃ)みそーちゃが。」んち、問(とー)たくとぅ、「馬(んま)ぬ肉(ししー)。」んでぃ言(い)みそーちゃくとぅ、私達(わったー)祖父(ふぁーふじ)ぬ、「私達(わったー)一門(いちむ)のー馬(んま)ぬ肉(ししー)食(か)でーないびらん。」でぃち、あまぬトートーメーん、私達(わったー)トートーメーんかいん、合掌(てぃーうやー)ち拝(うが)だくとぅ、腹(わた)ぬ痛(や)でぃや治(のー)たんでぃる話いやん。うりから馬(んま)ぬ話い、昔(んかせー)、琉球(りゆちゅー)うてー、御主加那志前(うしゅがなしーめー)ぬたちかわみせーねー、海から、いー馬(んま)ぬ一匹(いっぴち)なー上(あ)がてぃ来(ちゅ)たんでぃしが、一番(いちば)とぅんぱいぬ、御主加那志前(うしゅがなしーめー)ぬ時(ば)にん、上(あ)がてぃそーたんでぃしが、「あね、やーかー、馬(んま)ぬ上(あ)がとーさ捕(とぅ)れー。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、うぬ馬(んまー)、うち戻(むどぅ)てぃ行(い)ちゅたんでぃ。さくとぅ、うぬ御主加那志前(うしゅがなしーめー)や、半分どぅ王(をー)掛(か)きみそーちゃんでぃ。また、昭和ぬ初(はじ)み頃(ぐる)、真っ白(しる)そーる馬(んま)ぬ生(ん)まりてぃさくとぅ、皇太子殿下ぬ乗(ぬ)い馬(んま)んでぃ言(い)ち、沖縄(うちなー)から送(うく)とーん。〔共通語訳〕 このお方は初めただ阿波根親方(あふぁごんうぇーかた)と申し上げていたのですが、この方が未だ母親の体内にいる時に、その母親が毎日お茶の代わりに鉄を煎じて召し上がったそうです。そうすると、喉だけが肉でその他は鉄だったそうです。そうしてこの人は、学問も武勇も大変優れた豪勇になったそうです。その時に、沖縄には三振の宝刀、千代金丸(ちよかねまる)、黄金丸(こがねまる)、地金丸(ぢがねまる)とあったのですが、その中の地金丸が京都の刀研師に盗まれてしまったのです。阿波根親方はその刀を取り戻す役目に当たったのです。すると、京都に行き、その刀研師に弟子入り奉公して三年になりますと、そこの娘と良い仲になって暮らしていますが、相手も用心深く、なかなかその地金丸を見ることができません。そうするうちに、阿波根親方の奥方は心配なされて京都に行き、そこの女中になって住み込んで、食事を置いてあるお膳の片隅に小さな割符を置いて出しますと、親方は、「今日の食事はとても美味しい。誰が作られたのですか。」と女主人に問いますと、「近頃入ってきた女中が作りましたが、口に合いますか。」と言いますので、「私の口には良く合います。」と答えて、親方は妻の来ていることがわかりますと、親方はそこの娘に頼みこみ、その刀を取らして見る振りをして取り替えられた偽物を返して、「私はもう家に帰る。」と申してそこを止めて、馬に乗り薩摩に一目散に行ったのです。相談しておいた妻は薩摩で待っていますが、京都からの知らせで地金丸と盗(と)れとのことです。すると、親方の通る馬場に落とし穴を堀り、そこに落とす考えです。奥方がそれを知り、親方に話して、「私が木の枝を置いて目印にいますから、そこを飛び越しなさい。」と申し上げて、穴の両端に木の枝を置いておきますと、親方はそこへ来ると掛け声もろとも馬も一緒にその落とし穴を飛び越えて、妻も馬も三人助かりますと、「良馬だ、私の命の親だ。」と言って一緒に舟に乗せて、琉球に帰る途中で嵐にあってしまいました。すると馬は甲板の上から海中に落下したのですが、さすがに名馬だけあって、嵐の中を泳いで舟を追っているのです。すると舟の人達も加勢してなんとかして助けようとしますが、次第に離れて助けることができなくなりますと、馬は浮きつ沈みつしていますが、もう助けられないとわかると、親方夫婦は甲板に正座して、「君は私の命を助けてくれたけれども、私は君を助けることができない。私を助けてくれた恩返しに、私達の一門は、今後馬の肉を食べさせないから許してくれ。」と手を合わせて拝みますと、馬はそのまま沈んでしまいました。そして琉球にお帰りになりますと、京都の京の字を付けて、京阿波根親方(ちょーはぐんぬうぇーかた)と申し上げるようになったそうです。その後、謀叛を企む人達が髪結師を脅して、髪結師に親方の髭を剃りながら親方の喉を切らしたのです。そして親方が死亡されますと、反対派が戦を押しかけたのです。すると、遺体を墓から出して、支柱を使って座らせていますと、「今も生きていて、ハチャグミを召し上がっている。」と思い、皆逃げて行ったそうですが、ハチャグミではなくて蛆虫だったとの話。それほど、世間に聞こえの高い豪勇だったそうです。だから京阿波根親方は、生きていて千人、死して千人に勝ったとの事です。大正の初め頃の事ですが、私達の祖父の弟、三男が、越来村(ごえくそん)の座間味家(ざまみけ)に住み込み奉公している時の事、そこは私達の祖父の婿兄弟で、婿兄なんだが、大農家ですから、そこに住み込み奉公している時に、ある夜、「三男が腹痛を起こした。」との知らせが来たので、私の祖父が行ってみると、「腹が痛い。」と言い、寝ている部屋から出ることもできないので、私達の祖父が、「夕食は何を食べたのですか。」と問いますと、「馬の肉。」と言われましたので、祖父は、「私達の一門は馬の肉を食べてはいけません。」と話して、そこのトートーメーと私達のトートーメーに合掌して拝みますと、腹痛が治ったとのことです。それから、馬の話に、昔、琉球では王様が代わられて即位なされると、海から名馬が一頭上陸してきたそうです。一番最後の王様の尚秦王の時も、上陸してきたそうですが、「ほれ、馬丁、馬が上陸してきた、捕らえなさい。」と言いますと、馬は海の方に戻っていったそうです。そして、その王様は半分しか王様の位に就くことはできませんでした。また、昭和の初頭に、真っ白い馬が生まれましたので、皇太子殿下の御乗馬として沖縄から送りました。平成9年2月17日 高江洲亮翻字 T4A2
全体の記録時間数 6:43
物語の時間数 6:43
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