仲順大主(方言)

概要

〔方言原話〕 今(なま)ぬ七月(しちぐゎち)ヤイサーね、七月(しちぐゎち)よ、七夕、中の十日(とか)んち有(あ)しが、うれーなー七月(しちぐゎち)の歌んち、また、うりから、「仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)や果報者(かふうなもん)。」りち、仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)んち、ヤイサーぬ一番初みに、歌いる歌やしが、うぬ仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)、じちぇー仲順流(ちゅんじゅんなが)りんりち、仲順流(ちゅんじゅんなが)れー七流り、うぬ昔(んかし)の念佛者(にんぶちゃー)んち居(う)しが、てーげーむぬくーやーぬ、頭(かしら)んかい居(う)しが、うぬ念佛者(にんぶちゃー)する人(ちゅ)、うぬ仲順流(ちゅんじゅんなが)りぬ、七流り、全部(むる)うまうてぃん唱(まん)なゆうすすしがる、念佛者(にんぶちゃー)やないる、今(なま)から話しいする仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)ぬ話しいやしが、くれえー、本当(ふんとぉー)や歌さーなかい、全部(むる)初まいから、終(う)わいまでぃなとーしが、私(わん)ねーうれーわからん。年(とぅし)、ああ、年寄達(とぅすぃんちゃー)が話しいすし、聞(ち)ち、覚(うび)とぉーる、うっさる話いないしが。うぬ仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)や、子供達(くゎぬちゃー)三人(みっちゃい)居(う)しが、ああ、金持人(うぇーきんちゅ)やたんでぃ。あんしうぬ長男(ちゃくし)夫婦(みいとぅんだ)んかい、子供(わらば)が生(ん)まりたくとぅ、うぬ長男(ちゃくし)夫婦(みいとぅんだ)んかい、「とー、生(ん)まりとーる子供(わらばー)や、山んぢ埋(う)すやーなかい、うぬ長男(ちゃくし)ぬ妻(とぅぢ)ぬ乳(ちー)や、私(わん)にんかい飲(ぬ)まし。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、「なー、親(うやー)、寄(ゆ)とーる年(とぅし)るやる、子供(わらばー)やちゃっさがゆーざけーすらわからんむんぬ、うれーならん。」でぃ言(い)ちさくとぅ、「えー、あんやみ。」んち、そういねー、今度(くんどー)次男(じなぬ)んかい子供(わらばー)が生(ん)まりてぃさくとぅ、次男(じなん)夫婦(みいとぅんだ)んかい、「とーなー、私(わん)ねー、年寄(とぅすぃ)なとーくとぅ、うぬ生(ん)まりとーる子供(わらばー)や、山んぢ葬(ほーむ)やーに、うぬ妻(とぅぢ)ぬ乳(ちー)や、私(わん)にんかい飲(ぬ)まし。」んちさくとぅ、「うーなーうれーならん、親(うやー)なー寄(ゆ)とーる年(とぅし)、私達(わったー)や、子供(わらび)る育(すだ)てぃる。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、「君達(いったー)ん、あんどぅやるい。」んちそーたんでぃーしが、うぬ後(あとぅ)、三男(さんなぬ)んかい、子供(わらばー)が生(ん)まりてぃさくとぅ、三男(さんなぬ)んかい同様(いーぬぐとぅ)、「君達(いったー)子供(わらばー)や、山んぢ葬(ほーむ)てぃ、うぬ妻(とぅぢ)ぬ乳(ちー)や、私(わん)にんかい飲(ぬ)まし。」んち話いさくとぅ、「あーなー。子供(わらばー)や産(な)しーねー、また、産(な)し替(けー)らりーしが、親(うやー)産(な)し替(けー)いるわきーねーいかん、ただ一人(ちゅい)る居(う)るむん、なー、親(うや)ぬ命(ぬち)助(たし)きる事(くとぅ)やれー、しみるする。」んでぃる事(くとぅ)んかい夫婦(みいとぅんだ)なたくとぅ、二人(たい)、泣く泣く合点(がってぃん)しさくとぅ、「あんし君達(いったー)や飲(ぬ)ますみ。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、「なー、飲(ぬ)まちんしむん、親(うやー)ぬ命(ぬち)ぬ助(たし)かれー、なー飲(ぬ)まちんしむん。」でぃ言(い)ちゃくとぅ、「とー、あんすらー、三本松(さんぼんまーち)ぬ真ん中んかい、三尺穴掘(ふ)てぃ埋(う)すりよー。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、なー、仕方ならんくとぅ、うぬ三男(さんなん)夫婦(みいとぅんだ)、鍬(くぇー)担(かた)みてぃ、自分(どぅー)ぬ山ぬ三本松(さんぼんまーち)ぬとぅくまんかい行(いん)ぢゃーに、穴掘(ふ)いがちー、なー、うぬ夫(うとぅ)ぬ、「一鍬(ちゅくぇー)落(う)とぅしば、目笑(みわれ)しち、二鍬(たくぇー)落(う)とぅしば手(てぃ)ゆ上(あ)ぎてぃ、三鍬(みくぇー)落(う)とぅしば、三尺ぬ。」んち泣(な)ちゃがちーなー子供(わらばー)埋(う)スイル穴掘(ふ)いる時(ばー)やしが、あんし、三尺掘(ふ)てぃ埋(う)すりんでぃ言(いゅ)てーるむんぬ、んち、鍬(くぇー)ぬ柄(い)し、三尺測(はか)てぃ、掘(ふ)いんちさくとぅ、下(しちゃ)んかい、まぎーさる箱(はく)ぬ入(いっ)ち、うぬ箱(はく)開(あ)きたくとぅ、黄金(くがに)ん、銀(なんじゃー)ん、んまんかい埋(う)すらってぃ、さくとぅ、うり担(かた)みてぃ、自分(どぅー)ぬ家(やー)んかいんち、三鍬(みくぇー)落(う)とぅしば、三尺いんち、掘(ふ)たる穴(あなー)、黄金(くがに)ぬ穴なやーなかい、うりから、産子(なしぐゎ)ぬ命(いぬち)すくわりてぃんでぃ、言(いゃー)なかい、子供(わらび)ぬ命(いぬち)ん助(たし)かてぃ、黄金(くがに)ん、銀(なんじゃ)ん担(かた)みてぃ、家(やー)かい帰(けー)てぃ行(いん)んぢさくとぅ、なげーさんぐとぅ、仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)やけーまーちさくとぅ、今度(くんどー)なー、うさまらんせー、長男(ちゃくし)とぅ、次男(じなぬ)、親(うや)ぬ後(あとー)親兄(うやしーじゃ)んちるあるんち、兄達(しーじゃぬちゃー)二人(たい)し、分(わ)きてぃ行(い)しる当(あ)たい前(めー)やるんち、うぬ銭(じん)、金(かに)、全部(むる)取(とぅ)り上(あ)ぎてぃねーらん、親(うや)ぬわ分(わ)きてーる土地(ぢー)、畑(はた)ん全部(むる)取(とぅ)り上(あ)ぎてぃねーらんやしが、三男(さんな)のー、「しみるする、私達(わったー)や黄金産子(くがになしぐゎー)ぬ居(う)せー。」んち、うぬ子供(わらばー)そーてぃ、んまから出(んぢ)てぃ行(いん)ぢさくとぅ、今度(くんどー)、長男(ちゃくし)とぅ次男(じなのー)なんじゅ、家(やー)ぬ手伝(てぃがねー)んさん、家畜(いちむし)ぬ手(てぃー)入(い)りんさんくとぅ、三男(さんなん)かい、牛養(ちか)たい、家(やー)ぬ手伝(てぃがねー)んそーくとぅ、「くぬ牛ぐゎーや私(わー)がそーてぃ行(い)ちゅん。私(わー)が今(なま)までぃ養(ちかな)とーる牛ぐゎーやくとぅ、そーてぃ行(い)ちゅん。」でぃ言(い)ちゃくとぅ、「牛(うせー)物(むぬ)ん喰(くゎ)いくとぅ、そーてぃ行けー。」んち、牛(うせー)そーてぃ行(いん)ぢ、養(ちか)なたくとぅ、あぬ牛(うせー)いー牛なてぃ、噂(うとぅ)出(んぢ)るんかぬいー牛なたくとぅ、今度(くんどー)うぬ兄(しーじゃ)ぬ、「うぬ牛(うせー)、やーが買(こー)てーる牛(うせー)あらん、親(うや)ぬ買(こー)てぃ置(う)ちぇーる牛るやくとぅ、私(わー)が引(すん)ち行(い)ちゅん。」でぃち、そーてぃ行(いん)ぢゃくとぅ、だーうれー、手(てぃー)入(い)りん、飼食(はみ)ん、草ん、立派んすらーち、養(ちかな)りはる、抜(ぬ)ぎ出(んぢ)た牛(うせー)ないる、ぬーさん、ただいー牛やくとぅんち、んまんかいくんちうちょーちーねー、よーがりふぃーがりし、ぬーんならんなやーに、したりてぃさくとぅ、「ちゃべーくんぐとーるやな牛(うせー)。」んでぃ言(いゃー)にすそーんからけーそーるうちに、うぬ牛(うせー)けーしじねーらん、くんぐとーるするうちねー、うぬ評判(はなしー)ぬ出(んぢ)てぃさくとぅ、くぬ兄達(しーじゃぬちゃー)二人(たい)や、「とー、くり生(い)ちかちょーちーねー、私達(わったー)名(なー)ぬしたりてぃならんくとぅ、でぃちゃーがなし、うらんなさ。」んち、夜(ゆる)、追剥(ふぇーれー)なじやきてぃ、うぬ弟(うっとぅ)殺(くる)ちさくとぅ、墓んかい埋(う)すてぃ葬(ほー)むてぃさくとぅ、うりが魂(まぶい)ぬ天(てぃぬ)んかい昇(ぬぶ)てぃ行(いん)ぢさくとぅ、閻魔王(えんまをー)とぅ、親(うや)ぬ、仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)が待ち受(う)きとーてぃ、「やーや、今(なま)ちゅーせー早(ふぇー)さん、私(わー)、弔方(とぅむれーがた)ん、なーださってーねーらんくとぅ、うりん、しまちから来(く)う。」んでぃ言(いゃっ)たくとぅ、「あんせー、ちゃーしさびーが。」んち問(とー)たくとぅ、閻魔王(えんまをー)ぬ、「七月(しちぐゎち)ぬ七夕から、十五日(じゅうぐにち)までー後生(ぐそー)ぬ門(じょー)開(あ)きーくとぅ、うんにんねー、墓んかいめんせーる親達(うやぬちゃー)、御元祖様方(うぐゎんすぬちゃー)、家(やー)んかいうんちけーしちゅーるぐとぅし、七夕ないねー、墓掃除し、きっちゃきしるびんしみそーらんぐとぅし、親達(うやぬちゃー)、御元祖様方(うぐゎんすぬちゃー)、皆(んな)うんちけーし家(やー)うてぃ、御馳走(くゎっちー)んぬーんうさぎてぃ、十五日(じゅうぐにち)ならわー、また、墓ぬ門(じょー)ぬ閉(みちゃ)らん間(まーどぅ)、墓んかい戻(むどぅ)みそーらし、私(わー)が開(あ)きてぃ、待(まっ)ちょーちゅくとぅ。」んでぃ言(い)みそーちさーに、うぬ三男(さんなのー)また、人間(にんじ)ぬんかい、生(い)ち返(げー)らさーに、家(やー)かいやらちさくとぅ、うぬ三男(さんなのー)、「とー、閻魔王(えんまをー)ん、自分(どぅー)ぬ親(うや)ん、あん言(いゅ)てーるむん。」でぃ言(いゃー)なかい、七月(しちぐゎち)七夕ねー、墓とぅ道(うち)掃除し、十三日から十五日(じゅうぐにち)までー、後生(ぐそー)ぬ精霊(そうろー)御接待(うとぅいむち)し、十五日(じゅうぐにち)ぬ夜(ゆる)なたくとぅ、うーくいし、あーなー、七夕から、うんけーから、うーくいまでぃ、後生(ぐそー)んかいめんせーる、親(うや)、御元祖様方(うぐゎんすぬちゃー)うんけーしちゃーなかい、家(やー)うてぃ御接待(うとぅいむち)すし、言(いー)るんせー後生(ぐそー)ぬ正月(そーぐゎち)んち、大祝(うふすーじ)さーなかい、家(やー)んかい戻(むどぅ)みそーらち、うり立派にしなちうさぎたんでぃち、生身(いちみ)ぬ人達(ちゅぬちゃー)、子、孫達(んまがぬちゃー)が、いー案配(あんべー)やたせー、んち、皆(んな)集(す)りてぃ遊(あし)ぶしが、ヤイサーなてぃそーしが、うぬ、ヤイサー、にん、仲順流(ちゅんじゅんなが)り、「七月(しちぐゎち)よ七夕中(たなばたなか)ぬ十日(とぅか)。」んち、七夕からーなー、七月(しちぐゎち)んち、七月(しちぐゎち)ぬ準備(しこーい)、掃除んぬーんさーなかい、きっちゃき、のーりんしみそーらんぐとぅんち、墓ん掃除すん。あんすくとぅ、ちゃーる、善日(いーふぃ)、悪日(やなふぃー)んちぇーねーらん、七夕日(たなばたーふぃー)無(な)しんち、墓ぬ掃除すん、うりから十三日ねー、迎(けー)、墓ぬ門(じょー)ぬ開(あ)ちゅる時(ばー)やくとぅ、また、十五日(じゅうぐにち)ねー、うーくいし、十六日(じゅうるくにち)ねーやいけー、すし、今(なま)までぃ伝(ちてー)らっとーる、仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)ぬ話いやしが、うぬ仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)が持(むっ)ち、使(ちか)とーたる鉦鼓(そーぐ)、けーまーちする前(めー)に、自分(どぅー)ぬ家(やー)ぬ、前庭(めーじょう)んかい、「私(わー)後(あとぅ)くぬ鉦鼓(そーぐ)持(むっ)ち、私(わー)あたいぬ念佛者(にんぶちゃー)ないしがうてぃ、仲順流(ちゅんじゅんなが)り全部(むる)読(ゆ)み下(くだ)ち、まんなゆーすしが居(う)らー取(とぅ)てぃ打(う)てぃ。」んち門(じょー)んかい向(ん)かてぃ投(な)ぎたくとぅ、誰(たー)ん取(とぅ)えーしゆーさん。うぬ鉦鼓(そーごー)、門(じょー)ぬとぅくまうてぃ、ゆらゆらし、地上(ぢー)ぬんかい落(う)てぃらん、天(てぃん)かいん上がらん、うぬままゆらゆらそーたんでぃる話い。仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)ぬ徳果(とぅっくゎ)ぬ高さぬ、誰(たー)がん及(うゆ)ばらんあたぬ人(ちゅ)やみせーたんでぃる話い。仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)んち、名(なー)る仲順(ちゅんじゅん)やる、場所(とぅろー)まーやがやらわからんしが、私達(わったー)が若さる時分、昭和十二年頃(ぐる)までぃ、仲順流(ちゅんじゅんなが)りまんなてぃ、けーまちょーる人(ちゅ)ぬ頭(ちぶる)ぬ上(うぃ)うてぃ、仲順流(ちゅんじゅんなが)りまんないがちーなー鉦鼓(そーぐ)打(う)ちゅしが、私達(わったー)、祖父(おじー)祖母(おばー)、うん人(ちゅ)がまーちゃいにん、むる、うんぐとぅやたん。くりが仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)ぬ話い。〔共通語訳〕  仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)の話。「七月よ七夕中の十日。」とありますが、これはもう七月の歌として歌っており、また、それから、「仲順大主は果報者。」と言って、仲順大主もヤイサーの一番初めに歌われる歌ですが、その仲順大主、実は仲順流(ちゅんじゅんなが)りといって、仲順流れは七流れというのがありますが、その昔から念佛者(にんぶちゃー)と言ってありますが、大方は物乞い達の頭目がなっていたそうですが、その念佛者たる者は、仲順流りの七流りを全部そこで唱える事のできる者ができるのです。今から話す仲順大主の話です。これは本当は歌になっていて、最初から最後まで綴られておりますが、私はそれを聞いたのですが、覚えておりません。年寄り達の話を聞いて覚えているだけしか話しできませんが、その仲順大主は三人の子供がいて金持ちだったそうです。そうして、その長男夫婦に子供ができますと、その長男夫婦に対して、「おおい、生まれている子供は山に連れていって埋めて、その長男の妻の乳は私に飲ましなさい。」と言いますと、「親は年寄りになっているが、子供は今からどんなに子孫繁栄していくか知れないから、それはできない。」と断りますと、「ああ、そうか。」と申していました。次に、今度は、次男夫婦に子供ができますと、次男夫婦に、「もう私は年寄りになっているから、その生まれた子供は山に葬って、その妻の乳を私に飲ましなさい。」と申しますと、「いいえ、それはできません。親はもう寄りつめた歳、私達は子供を育てます。」と言いますと、「君達もそうであったか。」と話していたそうですが、その後、三男夫婦に子供が生まれますと、三男にも同じように、「君達の子供は山に葬って、その妻の乳は私に飲ましなさい。」と話しますと、「ああもう、子供は産めばまた産み替えられるが、親は産み替えるわけにはいかない、ただ一人しかいないから、もう親の命を助ける事であればいいだろう。」ということになり、夫婦話し合いがつきますと、二人が泣く泣く同意しますと、「それでは君達は飲ましても良いのか。」と聞きますので、「もう飲ましても良い、親の命が助かれば飲ましても良い。」と言いますと、「よし、それでは三本松の真ん中に三尺穴を掘って埋めなさい。」と言い渡されますと、もう仕方がないので、その三男夫婦は、鍬を担いで自分の山の三本松のところに行き、穴を掘りながらその夫は、「一鍬落とせば微笑んで、二鍬落とせば手を上げて、三鍬落とせば三尺か。」と、泣きながら子供を埋める穴を掘っているのですが、ふと、三尺掘って埋めなさいと言われたことを思い出し、鍬の柄で三尺測って掘ろうとしますと、下に大きな箱が入っているのが見つかり、その箱を開けてみると、金や銀の宝物が埋められていますので、それを担いで自分の家にと思いながら、三鍬落とせば三尺か、掘った穴は黄金の穴になり、それから子供の命も救われてと言いながら、子供の命も助かり、金銀の宝物も担いで家に帰っていってしばらくすると、仲順大主は死亡したのです。すると、今度は不快なのは長男と次男です。「親の後は親兄という事なんだから。」と言って、「兄達二人で分けていくのが当たり前だ。」と言って、その宝物を全部二人で分けてしまい、親が分けて与えた土地も畑も取り上げてしまいました。だが三男は、「いいよ、私には黄金のような子供がいるから。」と言って、その子供を連れてそこから出ていきました。すると、長男次男はあまり家の手伝いもしていないので、家畜の手入れもしていないので、三男だけが牛も養い、家の手伝いもしていますから、「この子牛は私が連れて行く、私が今まで養っている子牛だから連れて行く。」と言うと、「牛は飼料も喰うし、草も喰うから良いだろう、連れて行け。」という事になりました。すると後になってその牛は立派な牛に成長したのです。噂に出るほどの優良牛になり評判になりますと、今度は兄が、「その牛も君が買った牛ではなく親父が買っておいた牛だから、私が連れて行く。」と言って、連れて行ったのですが、それは、手入れも飼料も草も立派に揃えて養わないと、抜きんでるよう優良牛にはなりません。何もしないでただ良い牛だからと、そこに繋いでおくと、痩せ衰えて何にもならなくなり、すたれてしまったので、「何だ、このやなやつ。」と言って疎んじているうちに、とうとうその牛は死んでしまいました。そのようにしているうちに、悪い評判が出ましたので兄達二人で、「もうこれを生かしておくと私達の評判が悪くなり、廃れるからと思い、ある夜、追剥の様相で弟を殺してしまったのです。そして、墓に埋葬して葬りますと、その魂が天に昇天して天に行きますと、閻魔王と父親の仲順大主が待ち受けていて、「君は今来るのは早い、私の弔い方もいまだなされてはいないではないか、それを済ましてから来い。」と言われましたので、「それではどうすれば良いのですか。」と問いますと、閻魔王が、「七月の七夕から十五日までは後生の門を開けるから、その時は、親達やご先祖様方を家にご招待していくようにして、七夕になると墓も道も掃除して、躓いたり滑ったりしないようにして、お墓の御元祖様や親達を家庭にご招待して御馳走などを差し上げて、十五日になるとまた、墓の門が閉まらないうちに墓にお戻りになるようにしなさい。私が開けて待っているから。」と申されまして、その三男はまた人間に生まれ返らして、家に帰しました。すると、その三男は、「そうだ、閻魔王も自分の親もそう言っていた。」と気がつき、七月七夕には墓も道も掃除して、十三日から十五日までは後生の精霊達をご接待し、もう、七夕から、十三日のお迎えから、十五日のお送りまで、後生に参られる親達や御元祖様方を家にてご接待するという事を後生の正月と言い、大きく祝って墓にお帰りできた事、また、このお祝いを立派に成し遂げた生身の人達、子、孫達が皆、良くできた事を喜び、皆が寄り集まって遊ぶのがヤイサーになっているが、そのヤイサーにも仲順流り、「七月よ七夕中の十日。」と、七夕からはもう七月という事で準備、掃除など、躓いたり滑ったりなさらないように墓や道などを掃除する。そして七夕には、どんな善日、悪日の分かちなく、七夕は日無し〔日の善悪を問わない〕として墓の掃除をし、十三日にはお迎え、墓の門が開く時である。それから十五日にはお送りして、十六日にヤイサーする事は今にいたるまで伝わっている。仲順大主の話だが、その仲順大主が持っていた鉦鼓(しょうこ)、仲順大主が死亡する前に自分の家の前庭に、「私の後にこの鉦鼓を持って、私ぐらいの念佛者になれる者がいて、仲順流りを全部読み下して唱える事のできる者がいたら取って打て。」と、門のところに向かって投げたのだが、誰も取ることができず、その鉦鼓は地面にも落ちず天にも昇らず、そのまま宙に浮いてゆらゆらしていたとの話である。仲順大主の徳果が高く、誰もその人に同位する人がいなかったとの話である。仲順大主というのは名前であって、場所はわからないが、私達が若い頃の事、昭和十二年頃は仲順流りを唱えて、死亡者の頭の上で仲順流りを唱えながら鉦鼓を打っていたのである。私達の祖父、祖母、叔父が死亡の時も、みなそのようであった。これが仲順大主の話。平成9年2月17日 高江洲亮翻字 T3A1

再生時間:11:01

民話詳細DATA

レコード番号 47O170020
CD番号 47O17C003
決定題名 仲順大主(方言)
話者がつけた題名 仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)
話者名 阿波根昌栄
話者名かな あはごんしょうえい
生年月日 19210309
性別
出身地 沖縄県中頭郡北谷町字上勢頭
記録日 19970217
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 T03A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 本格昔話、 伝説
発句(ほっく)
伝承事情 年寄りから
文字化資料 『想い出の昔話』
キーワード 仲順大主,エイサー,念仏者,三人息子,木の下の箱,宝物,牛,閻魔,七夕,お盆
梗概(こうがい) 〔方言原話〕 今(なま)ぬ七月(しちぐゎち)ヤイサーね、七月(しちぐゎち)よ、七夕、中の十日(とか)んち有(あ)しが、うれーなー七月(しちぐゎち)の歌んち、また、うりから、「仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)や果報者(かふうなもん)。」りち、仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)んち、ヤイサーぬ一番初みに、歌いる歌やしが、うぬ仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)、じちぇー仲順流(ちゅんじゅんなが)りんりち、仲順流(ちゅんじゅんなが)れー七流り、うぬ昔(んかし)の念佛者(にんぶちゃー)んち居(う)しが、てーげーむぬくーやーぬ、頭(かしら)んかい居(う)しが、うぬ念佛者(にんぶちゃー)する人(ちゅ)、うぬ仲順流(ちゅんじゅんなが)りぬ、七流り、全部(むる)うまうてぃん唱(まん)なゆうすすしがる、念佛者(にんぶちゃー)やないる、今(なま)から話しいする仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)ぬ話しいやしが、くれえー、本当(ふんとぉー)や歌さーなかい、全部(むる)初まいから、終(う)わいまでぃなとーしが、私(わん)ねーうれーわからん。年(とぅし)、ああ、年寄達(とぅすぃんちゃー)が話しいすし、聞(ち)ち、覚(うび)とぉーる、うっさる話いないしが。うぬ仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)や、子供達(くゎぬちゃー)三人(みっちゃい)居(う)しが、ああ、金持人(うぇーきんちゅ)やたんでぃ。あんしうぬ長男(ちゃくし)夫婦(みいとぅんだ)んかい、子供(わらば)が生(ん)まりたくとぅ、うぬ長男(ちゃくし)夫婦(みいとぅんだ)んかい、「とー、生(ん)まりとーる子供(わらばー)や、山んぢ埋(う)すやーなかい、うぬ長男(ちゃくし)ぬ妻(とぅぢ)ぬ乳(ちー)や、私(わん)にんかい飲(ぬ)まし。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、「なー、親(うやー)、寄(ゆ)とーる年(とぅし)るやる、子供(わらばー)やちゃっさがゆーざけーすらわからんむんぬ、うれーならん。」でぃ言(い)ちさくとぅ、「えー、あんやみ。」んち、そういねー、今度(くんどー)次男(じなぬ)んかい子供(わらばー)が生(ん)まりてぃさくとぅ、次男(じなん)夫婦(みいとぅんだ)んかい、「とーなー、私(わん)ねー、年寄(とぅすぃ)なとーくとぅ、うぬ生(ん)まりとーる子供(わらばー)や、山んぢ葬(ほーむ)やーに、うぬ妻(とぅぢ)ぬ乳(ちー)や、私(わん)にんかい飲(ぬ)まし。」んちさくとぅ、「うーなーうれーならん、親(うやー)なー寄(ゆ)とーる年(とぅし)、私達(わったー)や、子供(わらび)る育(すだ)てぃる。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、「君達(いったー)ん、あんどぅやるい。」んちそーたんでぃーしが、うぬ後(あとぅ)、三男(さんなぬ)んかい、子供(わらばー)が生(ん)まりてぃさくとぅ、三男(さんなぬ)んかい同様(いーぬぐとぅ)、「君達(いったー)子供(わらばー)や、山んぢ葬(ほーむ)てぃ、うぬ妻(とぅぢ)ぬ乳(ちー)や、私(わん)にんかい飲(ぬ)まし。」んち話いさくとぅ、「あーなー。子供(わらばー)や産(な)しーねー、また、産(な)し替(けー)らりーしが、親(うやー)産(な)し替(けー)いるわきーねーいかん、ただ一人(ちゅい)る居(う)るむん、なー、親(うや)ぬ命(ぬち)助(たし)きる事(くとぅ)やれー、しみるする。」んでぃる事(くとぅ)んかい夫婦(みいとぅんだ)なたくとぅ、二人(たい)、泣く泣く合点(がってぃん)しさくとぅ、「あんし君達(いったー)や飲(ぬ)ますみ。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、「なー、飲(ぬ)まちんしむん、親(うやー)ぬ命(ぬち)ぬ助(たし)かれー、なー飲(ぬ)まちんしむん。」でぃ言(い)ちゃくとぅ、「とー、あんすらー、三本松(さんぼんまーち)ぬ真ん中んかい、三尺穴掘(ふ)てぃ埋(う)すりよー。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、なー、仕方ならんくとぅ、うぬ三男(さんなん)夫婦(みいとぅんだ)、鍬(くぇー)担(かた)みてぃ、自分(どぅー)ぬ山ぬ三本松(さんぼんまーち)ぬとぅくまんかい行(いん)ぢゃーに、穴掘(ふ)いがちー、なー、うぬ夫(うとぅ)ぬ、「一鍬(ちゅくぇー)落(う)とぅしば、目笑(みわれ)しち、二鍬(たくぇー)落(う)とぅしば手(てぃ)ゆ上(あ)ぎてぃ、三鍬(みくぇー)落(う)とぅしば、三尺ぬ。」んち泣(な)ちゃがちーなー子供(わらばー)埋(う)スイル穴掘(ふ)いる時(ばー)やしが、あんし、三尺掘(ふ)てぃ埋(う)すりんでぃ言(いゅ)てーるむんぬ、んち、鍬(くぇー)ぬ柄(い)し、三尺測(はか)てぃ、掘(ふ)いんちさくとぅ、下(しちゃ)んかい、まぎーさる箱(はく)ぬ入(いっ)ち、うぬ箱(はく)開(あ)きたくとぅ、黄金(くがに)ん、銀(なんじゃー)ん、んまんかい埋(う)すらってぃ、さくとぅ、うり担(かた)みてぃ、自分(どぅー)ぬ家(やー)んかいんち、三鍬(みくぇー)落(う)とぅしば、三尺いんち、掘(ふ)たる穴(あなー)、黄金(くがに)ぬ穴なやーなかい、うりから、産子(なしぐゎ)ぬ命(いぬち)すくわりてぃんでぃ、言(いゃー)なかい、子供(わらび)ぬ命(いぬち)ん助(たし)かてぃ、黄金(くがに)ん、銀(なんじゃ)ん担(かた)みてぃ、家(やー)かい帰(けー)てぃ行(いん)んぢさくとぅ、なげーさんぐとぅ、仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)やけーまーちさくとぅ、今度(くんどー)なー、うさまらんせー、長男(ちゃくし)とぅ、次男(じなぬ)、親(うや)ぬ後(あとー)親兄(うやしーじゃ)んちるあるんち、兄達(しーじゃぬちゃー)二人(たい)し、分(わ)きてぃ行(い)しる当(あ)たい前(めー)やるんち、うぬ銭(じん)、金(かに)、全部(むる)取(とぅ)り上(あ)ぎてぃねーらん、親(うや)ぬわ分(わ)きてーる土地(ぢー)、畑(はた)ん全部(むる)取(とぅ)り上(あ)ぎてぃねーらんやしが、三男(さんな)のー、「しみるする、私達(わったー)や黄金産子(くがになしぐゎー)ぬ居(う)せー。」んち、うぬ子供(わらばー)そーてぃ、んまから出(んぢ)てぃ行(いん)ぢさくとぅ、今度(くんどー)、長男(ちゃくし)とぅ次男(じなのー)なんじゅ、家(やー)ぬ手伝(てぃがねー)んさん、家畜(いちむし)ぬ手(てぃー)入(い)りんさんくとぅ、三男(さんなん)かい、牛養(ちか)たい、家(やー)ぬ手伝(てぃがねー)んそーくとぅ、「くぬ牛ぐゎーや私(わー)がそーてぃ行(い)ちゅん。私(わー)が今(なま)までぃ養(ちかな)とーる牛ぐゎーやくとぅ、そーてぃ行(い)ちゅん。」でぃ言(い)ちゃくとぅ、「牛(うせー)物(むぬ)ん喰(くゎ)いくとぅ、そーてぃ行けー。」んち、牛(うせー)そーてぃ行(いん)ぢ、養(ちか)なたくとぅ、あぬ牛(うせー)いー牛なてぃ、噂(うとぅ)出(んぢ)るんかぬいー牛なたくとぅ、今度(くんどー)うぬ兄(しーじゃ)ぬ、「うぬ牛(うせー)、やーが買(こー)てーる牛(うせー)あらん、親(うや)ぬ買(こー)てぃ置(う)ちぇーる牛るやくとぅ、私(わー)が引(すん)ち行(い)ちゅん。」でぃち、そーてぃ行(いん)ぢゃくとぅ、だーうれー、手(てぃー)入(い)りん、飼食(はみ)ん、草ん、立派んすらーち、養(ちかな)りはる、抜(ぬ)ぎ出(んぢ)た牛(うせー)ないる、ぬーさん、ただいー牛やくとぅんち、んまんかいくんちうちょーちーねー、よーがりふぃーがりし、ぬーんならんなやーに、したりてぃさくとぅ、「ちゃべーくんぐとーるやな牛(うせー)。」んでぃ言(いゃー)にすそーんからけーそーるうちに、うぬ牛(うせー)けーしじねーらん、くんぐとーるするうちねー、うぬ評判(はなしー)ぬ出(んぢ)てぃさくとぅ、くぬ兄達(しーじゃぬちゃー)二人(たい)や、「とー、くり生(い)ちかちょーちーねー、私達(わったー)名(なー)ぬしたりてぃならんくとぅ、でぃちゃーがなし、うらんなさ。」んち、夜(ゆる)、追剥(ふぇーれー)なじやきてぃ、うぬ弟(うっとぅ)殺(くる)ちさくとぅ、墓んかい埋(う)すてぃ葬(ほー)むてぃさくとぅ、うりが魂(まぶい)ぬ天(てぃぬ)んかい昇(ぬぶ)てぃ行(いん)ぢさくとぅ、閻魔王(えんまをー)とぅ、親(うや)ぬ、仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)が待ち受(う)きとーてぃ、「やーや、今(なま)ちゅーせー早(ふぇー)さん、私(わー)、弔方(とぅむれーがた)ん、なーださってーねーらんくとぅ、うりん、しまちから来(く)う。」んでぃ言(いゃっ)たくとぅ、「あんせー、ちゃーしさびーが。」んち問(とー)たくとぅ、閻魔王(えんまをー)ぬ、「七月(しちぐゎち)ぬ七夕から、十五日(じゅうぐにち)までー後生(ぐそー)ぬ門(じょー)開(あ)きーくとぅ、うんにんねー、墓んかいめんせーる親達(うやぬちゃー)、御元祖様方(うぐゎんすぬちゃー)、家(やー)んかいうんちけーしちゅーるぐとぅし、七夕ないねー、墓掃除し、きっちゃきしるびんしみそーらんぐとぅし、親達(うやぬちゃー)、御元祖様方(うぐゎんすぬちゃー)、皆(んな)うんちけーし家(やー)うてぃ、御馳走(くゎっちー)んぬーんうさぎてぃ、十五日(じゅうぐにち)ならわー、また、墓ぬ門(じょー)ぬ閉(みちゃ)らん間(まーどぅ)、墓んかい戻(むどぅ)みそーらし、私(わー)が開(あ)きてぃ、待(まっ)ちょーちゅくとぅ。」んでぃ言(い)みそーちさーに、うぬ三男(さんなのー)また、人間(にんじ)ぬんかい、生(い)ち返(げー)らさーに、家(やー)かいやらちさくとぅ、うぬ三男(さんなのー)、「とー、閻魔王(えんまをー)ん、自分(どぅー)ぬ親(うや)ん、あん言(いゅ)てーるむん。」でぃ言(いゃー)なかい、七月(しちぐゎち)七夕ねー、墓とぅ道(うち)掃除し、十三日から十五日(じゅうぐにち)までー、後生(ぐそー)ぬ精霊(そうろー)御接待(うとぅいむち)し、十五日(じゅうぐにち)ぬ夜(ゆる)なたくとぅ、うーくいし、あーなー、七夕から、うんけーから、うーくいまでぃ、後生(ぐそー)んかいめんせーる、親(うや)、御元祖様方(うぐゎんすぬちゃー)うんけーしちゃーなかい、家(やー)うてぃ御接待(うとぅいむち)すし、言(いー)るんせー後生(ぐそー)ぬ正月(そーぐゎち)んち、大祝(うふすーじ)さーなかい、家(やー)んかい戻(むどぅ)みそーらち、うり立派にしなちうさぎたんでぃち、生身(いちみ)ぬ人達(ちゅぬちゃー)、子、孫達(んまがぬちゃー)が、いー案配(あんべー)やたせー、んち、皆(んな)集(す)りてぃ遊(あし)ぶしが、ヤイサーなてぃそーしが、うぬ、ヤイサー、にん、仲順流(ちゅんじゅんなが)り、「七月(しちぐゎち)よ七夕中(たなばたなか)ぬ十日(とぅか)。」んち、七夕からーなー、七月(しちぐゎち)んち、七月(しちぐゎち)ぬ準備(しこーい)、掃除んぬーんさーなかい、きっちゃき、のーりんしみそーらんぐとぅんち、墓ん掃除すん。あんすくとぅ、ちゃーる、善日(いーふぃ)、悪日(やなふぃー)んちぇーねーらん、七夕日(たなばたーふぃー)無(な)しんち、墓ぬ掃除すん、うりから十三日ねー、迎(けー)、墓ぬ門(じょー)ぬ開(あ)ちゅる時(ばー)やくとぅ、また、十五日(じゅうぐにち)ねー、うーくいし、十六日(じゅうるくにち)ねーやいけー、すし、今(なま)までぃ伝(ちてー)らっとーる、仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)ぬ話いやしが、うぬ仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)が持(むっ)ち、使(ちか)とーたる鉦鼓(そーぐ)、けーまーちする前(めー)に、自分(どぅー)ぬ家(やー)ぬ、前庭(めーじょう)んかい、「私(わー)後(あとぅ)くぬ鉦鼓(そーぐ)持(むっ)ち、私(わー)あたいぬ念佛者(にんぶちゃー)ないしがうてぃ、仲順流(ちゅんじゅんなが)り全部(むる)読(ゆ)み下(くだ)ち、まんなゆーすしが居(う)らー取(とぅ)てぃ打(う)てぃ。」んち門(じょー)んかい向(ん)かてぃ投(な)ぎたくとぅ、誰(たー)ん取(とぅ)えーしゆーさん。うぬ鉦鼓(そーごー)、門(じょー)ぬとぅくまうてぃ、ゆらゆらし、地上(ぢー)ぬんかい落(う)てぃらん、天(てぃん)かいん上がらん、うぬままゆらゆらそーたんでぃる話い。仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)ぬ徳果(とぅっくゎ)ぬ高さぬ、誰(たー)がん及(うゆ)ばらんあたぬ人(ちゅ)やみせーたんでぃる話い。仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)んち、名(なー)る仲順(ちゅんじゅん)やる、場所(とぅろー)まーやがやらわからんしが、私達(わったー)が若さる時分、昭和十二年頃(ぐる)までぃ、仲順流(ちゅんじゅんなが)りまんなてぃ、けーまちょーる人(ちゅ)ぬ頭(ちぶる)ぬ上(うぃ)うてぃ、仲順流(ちゅんじゅんなが)りまんないがちーなー鉦鼓(そーぐ)打(う)ちゅしが、私達(わったー)、祖父(おじー)祖母(おばー)、うん人(ちゅ)がまーちゃいにん、むる、うんぐとぅやたん。くりが仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)ぬ話い。〔共通語訳〕  仲順大主(ちゅんじゅんうふすー)の話。「七月よ七夕中の十日。」とありますが、これはもう七月の歌として歌っており、また、それから、「仲順大主は果報者。」と言って、仲順大主もヤイサーの一番初めに歌われる歌ですが、その仲順大主、実は仲順流(ちゅんじゅんなが)りといって、仲順流れは七流れというのがありますが、その昔から念佛者(にんぶちゃー)と言ってありますが、大方は物乞い達の頭目がなっていたそうですが、その念佛者たる者は、仲順流りの七流りを全部そこで唱える事のできる者ができるのです。今から話す仲順大主の話です。これは本当は歌になっていて、最初から最後まで綴られておりますが、私はそれを聞いたのですが、覚えておりません。年寄り達の話を聞いて覚えているだけしか話しできませんが、その仲順大主は三人の子供がいて金持ちだったそうです。そうして、その長男夫婦に子供ができますと、その長男夫婦に対して、「おおい、生まれている子供は山に連れていって埋めて、その長男の妻の乳は私に飲ましなさい。」と言いますと、「親は年寄りになっているが、子供は今からどんなに子孫繁栄していくか知れないから、それはできない。」と断りますと、「ああ、そうか。」と申していました。次に、今度は、次男夫婦に子供ができますと、次男夫婦に、「もう私は年寄りになっているから、その生まれた子供は山に葬って、その妻の乳を私に飲ましなさい。」と申しますと、「いいえ、それはできません。親はもう寄りつめた歳、私達は子供を育てます。」と言いますと、「君達もそうであったか。」と話していたそうですが、その後、三男夫婦に子供が生まれますと、三男にも同じように、「君達の子供は山に葬って、その妻の乳は私に飲ましなさい。」と話しますと、「ああもう、子供は産めばまた産み替えられるが、親は産み替えるわけにはいかない、ただ一人しかいないから、もう親の命を助ける事であればいいだろう。」ということになり、夫婦話し合いがつきますと、二人が泣く泣く同意しますと、「それでは君達は飲ましても良いのか。」と聞きますので、「もう飲ましても良い、親の命が助かれば飲ましても良い。」と言いますと、「よし、それでは三本松の真ん中に三尺穴を掘って埋めなさい。」と言い渡されますと、もう仕方がないので、その三男夫婦は、鍬を担いで自分の山の三本松のところに行き、穴を掘りながらその夫は、「一鍬落とせば微笑んで、二鍬落とせば手を上げて、三鍬落とせば三尺か。」と、泣きながら子供を埋める穴を掘っているのですが、ふと、三尺掘って埋めなさいと言われたことを思い出し、鍬の柄で三尺測って掘ろうとしますと、下に大きな箱が入っているのが見つかり、その箱を開けてみると、金や銀の宝物が埋められていますので、それを担いで自分の家にと思いながら、三鍬落とせば三尺か、掘った穴は黄金の穴になり、それから子供の命も救われてと言いながら、子供の命も助かり、金銀の宝物も担いで家に帰っていってしばらくすると、仲順大主は死亡したのです。すると、今度は不快なのは長男と次男です。「親の後は親兄という事なんだから。」と言って、「兄達二人で分けていくのが当たり前だ。」と言って、その宝物を全部二人で分けてしまい、親が分けて与えた土地も畑も取り上げてしまいました。だが三男は、「いいよ、私には黄金のような子供がいるから。」と言って、その子供を連れてそこから出ていきました。すると、長男次男はあまり家の手伝いもしていないので、家畜の手入れもしていないので、三男だけが牛も養い、家の手伝いもしていますから、「この子牛は私が連れて行く、私が今まで養っている子牛だから連れて行く。」と言うと、「牛は飼料も喰うし、草も喰うから良いだろう、連れて行け。」という事になりました。すると後になってその牛は立派な牛に成長したのです。噂に出るほどの優良牛になり評判になりますと、今度は兄が、「その牛も君が買った牛ではなく親父が買っておいた牛だから、私が連れて行く。」と言って、連れて行ったのですが、それは、手入れも飼料も草も立派に揃えて養わないと、抜きんでるよう優良牛にはなりません。何もしないでただ良い牛だからと、そこに繋いでおくと、痩せ衰えて何にもならなくなり、すたれてしまったので、「何だ、このやなやつ。」と言って疎んじているうちに、とうとうその牛は死んでしまいました。そのようにしているうちに、悪い評判が出ましたので兄達二人で、「もうこれを生かしておくと私達の評判が悪くなり、廃れるからと思い、ある夜、追剥の様相で弟を殺してしまったのです。そして、墓に埋葬して葬りますと、その魂が天に昇天して天に行きますと、閻魔王と父親の仲順大主が待ち受けていて、「君は今来るのは早い、私の弔い方もいまだなされてはいないではないか、それを済ましてから来い。」と言われましたので、「それではどうすれば良いのですか。」と問いますと、閻魔王が、「七月の七夕から十五日までは後生の門を開けるから、その時は、親達やご先祖様方を家にご招待していくようにして、七夕になると墓も道も掃除して、躓いたり滑ったりしないようにして、お墓の御元祖様や親達を家庭にご招待して御馳走などを差し上げて、十五日になるとまた、墓の門が閉まらないうちに墓にお戻りになるようにしなさい。私が開けて待っているから。」と申されまして、その三男はまた人間に生まれ返らして、家に帰しました。すると、その三男は、「そうだ、閻魔王も自分の親もそう言っていた。」と気がつき、七月七夕には墓も道も掃除して、十三日から十五日までは後生の精霊達をご接待し、もう、七夕から、十三日のお迎えから、十五日のお送りまで、後生に参られる親達や御元祖様方を家にてご接待するという事を後生の正月と言い、大きく祝って墓にお帰りできた事、また、このお祝いを立派に成し遂げた生身の人達、子、孫達が皆、良くできた事を喜び、皆が寄り集まって遊ぶのがヤイサーになっているが、そのヤイサーにも仲順流り、「七月よ七夕中の十日。」と、七夕からはもう七月という事で準備、掃除など、躓いたり滑ったりなさらないように墓や道などを掃除する。そして七夕には、どんな善日、悪日の分かちなく、七夕は日無し〔日の善悪を問わない〕として墓の掃除をし、十三日にはお迎え、墓の門が開く時である。それから十五日にはお送りして、十六日にヤイサーする事は今にいたるまで伝わっている。仲順大主の話だが、その仲順大主が持っていた鉦鼓(しょうこ)、仲順大主が死亡する前に自分の家の前庭に、「私の後にこの鉦鼓を持って、私ぐらいの念佛者になれる者がいて、仲順流りを全部読み下して唱える事のできる者がいたら取って打て。」と、門のところに向かって投げたのだが、誰も取ることができず、その鉦鼓は地面にも落ちず天にも昇らず、そのまま宙に浮いてゆらゆらしていたとの話である。仲順大主の徳果が高く、誰もその人に同位する人がいなかったとの話である。仲順大主というのは名前であって、場所はわからないが、私達が若い頃の事、昭和十二年頃は仲順流りを唱えて、死亡者の頭の上で仲順流りを唱えながら鉦鼓を打っていたのである。私達の祖父、祖母、叔父が死亡の時も、みなそのようであった。これが仲順大主の話。平成9年2月17日 高江洲亮翻字 T3A1
全体の記録時間数 11:01
物語の時間数 11:01
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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