雀と川蝉(方言)

概要

〔方言原話〕 くれー、雀(くらー)ぐゎーとぅ川蝉(かーらかんじゅやー)ぬ話い。昔(んかし)、あーなーまーぬ村やがわからんしが、村外(むらはじ)りんかい大変(じこー)ぬ貧乏者(ふぃんすーむん)ぬ親子(うやっくゎ)三人(みっちゃい)、母親(いなぐぬうや)とぅ、うりから娘子(うぃなぐんぐゎ)二人(たい)とぅし暮らちょーる家庭(ちねー)有たんでぃしが、んまぬ家庭(ちねー)ぬ母親(いなぐぬうや)大変(じこー)ぬ働ちゃー、うりから、娘子(うぃなぐんぐゎ)ぬ妹(うっとぅ)ん大変(じこー)ぬ働ちゃーなやーに、着物(ちぬ)ん着(ち)れーから、何時(いち)までぃん、着(ちゃー)ち通(くまー)し、切(ち)りむしりしん、うぬままるやいすしが、くぬ姉(しーじゃ)娘子(うぃなぐんぐゎ)一人(ちゅい)えー変種(たながー)やーに、着物(ちぬ)ん美(ちゅら)着物(ぢん)やらはる承知(がってぃん)する、親(うやー)うぬ言(いゅ)る事(くとぅ)ん全部(むる)反対るやくとぅ、妹(うっとぅ)とぅ姉(しーじゃ)とぅ、姉(しーじゃ)とーまる反対なてぃ、親(うやー)うーはまい、畑(はる)かいんまーかいん行ちゅしが、親(うや)とぅ一緒(まじゅん)妹娘(うっとぅんぐゎー)ん、親(うやー)ぬ手助(てぃがねー)すんでぃ働ち、親孝行(うやこーこー)すんでぃ、耳切(ち)り働(ばたら)ちそーるばーやしが、くぬ姉(しーじゃ)ぬうふそーむのー美(ちゅら)すがいびけーし、あまはい、くまはいびけーるしる、一向(てぃーち)ん仕事(しぐとぅー)さん遊(あし)でぃ歩(あっ)ちさーに、ふどぅふどぅなたくとぅ、親(うや)とー全部(むる)反対し、西(いり)んでぃ言(いー)ねー東(あがり)、南(ふぇー)んでぃ言(いー)ねー北(にー)、全部(むる)親(うや)とー反対びけーし暮らちょーたんでぃしが、あんする内に、親(うや)ん年(とぅし)寄(ゆ)やーに、病気(やんめー)かかてぃ、なー今日(ちゅい)い、明日(あちゃー)いするぐとぅなたくとぅ、うぬ妹娘(うっとぅんぐゎー)やなー看病(とぅんぢゃく)すんでぃ、寝(に)んぢゅる目(みー)ん寝(に)んだんぐとぅそーくとぅ、母親(いなぐぬうや)ぬうりせんかい、「やーや、むしか、私(わー)が、くぬ病気(やんめー)かい持(む)ち負きてぃ、行ちゅる時(ばー)ねー、今(なま)までぃさる親孝行(うやこーこー)ぬ代わい、やーや雀(くら)んかいなやーに、人(ちゅ)ぬ倉ぬ側(すば)落(う)てぃちりそーる米(くみ)ぬまんどーくとぅ、うり拾(ふぃっ)てぃ食(か)でぃ、人(ちゅ)ぬ家(やー)ぬ側(すば)なーでぃ、食物(くぇーむん)ぬ切(ち)り端んまんどーくとぅ、うり拾(ふぃっ)てぃ食(か)まに、暑(あち)さ、寒(ふぃー)さんさんぐとぅ、人(ちゅ)ぬ家(やー)ぬ側(すば)うてぃ暮らしよー。」ん話し、うぬ後(あとぅ)、姉(しーじゃ)ぬうふそーむんぬ入(いっ)てぃちゃくとぅ、だー、親(うや)とー全部(むる)反対るやくとぅ、親(うや)ぬ病気(やんめー)かかてぃん一向(てぃーちん)看病(とぅんぢゃく)んさん、自分(どぅー)や美(ちゅら)着物(ぢん)着(ち)ち、あまはい、くまはい遊(あし)でぃる歩(あっ)ちゅくとぅ、うぬ親(うや)ぬ、「いぇー、やーややー、私(わー)がむしか治(のー)ゆーさんむんやれー、私(わん)にんかい兄弟(うぃーきー)、姉妹達(うないぬちゃー)が居(う)いねー、親(うや)う母親(ばまー)、親(うや)う父親(ぢゃさー)んち、私(わー)兄弟(うぃーきー)、姉妹達(うないぬちゃー)ん、親(うや)代わいなてぃ、君達(いったー)ん見(んー)ぢゅる筈(はじ)やしが、親戚(うぇーか)、親族(はろーじ)ん居(う)らん、ただ三人(みっちゃい)る居(う)くとぅ、私(わー)後(あとー)やーが、親(うや)姉(しーじゃ)んちやーんかいるちゅーくとぅ、私(わー)むしか治(のー)ゆーさんむんやらー、川原(かーら)ぬ側(すば)んかいそーてぃ行(ん)ぢ、埋葬(うくいとぅどぅ)けーしとぅらしよ。」んち、言(い)い聞(ち)かち、いぇーやねーらんぐとぅ、、うぬ母親(いなぐぬうや)けーまーちさくとぅ、今(なま)までぃむる言(いゅ)る事(くとー)聞(ち)かん、反対びけーし、親(うや)んかえーなー不孝(ふこー)びけーびけーるそーる、親(うや)ぬ手助(てぃがねー)んでぃせーなーぬー一(てぃー)ちんせーねーん。親(うや)ぬ言(いゅ)る事(くとぅ)んぬー一(てぃー)ちん聞(ち)ちぇーねーんどぅあしが、親(うやー)ぬ、なーあぬ世(ゆー)んかい行ちがたーなーてぃから言(いゅ)せーなーくれー遺言(いぐん)どぅやくとぅ、くぬ遺言(いぐん)一(ちぃ)ちぇーちょーん、聞(ち)きはるないる、んち、川原(かーら)ぬ側(すば)んかい埋葬(うくいとぅどぅ)きてぃさくとぅ、うね、雨(あみ)ぬ降いがたーないねー心配(しわ)し、ぱらぱら落(う)てぃー初まいねー、川原(かーら)んかい落(う)てぃーる雨足見(んー)ちょーてぃ、大雨(うーあみ)降いねー、私達(わったー)母親(いなぐぬうや)葬(ほーむ)てぃる墓ん、流(なげー)らさのーあがやーんち、首延(ねー)てー墓見(んー)ちぇー、また、首引(ふぃ)込(く)みてぃ、うすでぃ川原(かーら)ぬ水(みじ)ぬうゎーびんかい落(う)てぃーる雨足見(んー)ちぇーし、ちゃー心配(しわ)し、暮らちょーんでぃ。くりが、川蝉(かーらかんじゅやー)、美(ちゅら)着物(ぢん)着(ち)やーなかい、親(うや)ぬ言(いゅ)る事(くとぅ)聞(ち)かんたる姉娘(しーじゃうぃなぐんぐゎ)やんでぃ。親孝行(うやこーこー)さる雀(くらー)ぐゎーとぅ、親不孝(うやふこー)さる川蝉(かーらかんじゅやー)ぬ話い。〔共通語訳〕 これは雀と川蝉の話。昔、或る処に、何と言う村かはわからないが、村外れの方に、大変貧乏な親子三人が住んでいました。母親と、娘二人の三人暮の家庭でした。其の家庭の母親は非常な働き者で、それから、子供達の妹娘の方も非常に働き者で、着物も一度着けると、着けた尽摺切れて、切尽迄其の尽着けているのですが、姉娘の方はどうした事か、親、妹とは異い、着る着物も、美しい物でなければ承知せず、親の言う事も全部返 なので妹と姉は丸反対になって親は一生懸命畑仕事や、山に薪取り等に行くのですが、親と一緒に妹娘も親の手助けをして働き、親に孝行するのに鍬の年が切れそうになる迄働いているのですが、姉娘の方は大怠者で着装って彼方へ行ったり、此方へ行ったりして一向に仕事もせず、遊び廻っているのです。成長すると、親の言う事にも全部反対し、西と言えば東、南と言えば北、全部反対ばかりして暮していましたが其の内に、親も年寄になり、病気になり、今日、明日をも知れない様になりますと、其の妹娘の方は親の着病を、夜の日も寝ずに一生懸命やっていますと、母親が其の娘に「君は若し、私が此の病氣に負けて行く時には、今頃尽した親達行の代り君は雀になって人の倉の側には落零れたお米が沢山有るから其れを拾って食べ、人家の側付近には食べ物の切端が沢山有るから其れを拾って食べて、暑さ、寒さもしないで、人家の側で暮しなさい」と話して後に姉の大怠者が入って来ますと、其の娘は、親には何事も反対ですから、母親が病氣に罹っても、一向に着病もせず、自分は奇麗な着物を着て、彼方、此方と遊廻っていますので、其の母親が「おい、お前ねー、私が若し治らなかったならば。私に兄弟、姉妹が居たならば、父親、母親として、其の人達が親代りとなって君達の事も考えてくれる筈だが、親戚や親族も居ない、ただ三人しか居ないから、私の後は君が親代りになって行くんだよ。だから、若し私が治らなかったら、川原の側に連れて行って埋葬してくれねー」と言聞かせて、暫らくして、其の母親は亡なりました。すると、今迄全く言う事を聞かず、反対ばかりして、親には不幸ばかりしかしていないが、手助も何一つしていない、親の言う事も何一つ聞いていないのだから、親が彼の世に行く前になって言ったのは、もう此れは遺言なのだから、今からでも親孝行のつもりで、此の遺言一つだけでも聞かないといけない、と考えて、川原の側に埋葬すると、どうでしょう、雨が降りそうになると心配し、ぱらぱらと落初めると、川面に落ちる、両足を見ながら、大雨が降ると、私達の母親を埋葬してある墓が押流されるのではないかと、首を延して、墓を見たり、又、首を引込めて伏むいて、川面の上部に落る両足を見て常に心配して暮しているとの事。此れが川蝉、奇麗な着物を着て親の言う事を聞かなかった姉娘だそうだ。親孝行をした雀と、親不幸をした川蝉の話。平成9年2月17日 高江洲亮・赤嶺素花女翻字 T2B2

再生時間:5:04

民話詳細DATA

レコード番号 47O170015
CD番号 47O17C002
決定題名 雀と川蝉(方言)
話者がつけた題名 雀と川蝉(クラーグヮーとぅカーラカンヂュヤー)
話者名 阿波根昌栄
話者名かな あはごんしょうえい
生年月日 19210309
性別
出身地 沖縄県中頭郡北谷町字上勢頭
記録日 19970217
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 T02B03
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 動物昔話
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 『想い出の昔話』
キーワード 母,娘,親孝行,雀,川蝉
梗概(こうがい) 〔方言原話〕 くれー、雀(くらー)ぐゎーとぅ川蝉(かーらかんじゅやー)ぬ話い。昔(んかし)、あーなーまーぬ村やがわからんしが、村外(むらはじ)りんかい大変(じこー)ぬ貧乏者(ふぃんすーむん)ぬ親子(うやっくゎ)三人(みっちゃい)、母親(いなぐぬうや)とぅ、うりから娘子(うぃなぐんぐゎ)二人(たい)とぅし暮らちょーる家庭(ちねー)有たんでぃしが、んまぬ家庭(ちねー)ぬ母親(いなぐぬうや)大変(じこー)ぬ働ちゃー、うりから、娘子(うぃなぐんぐゎ)ぬ妹(うっとぅ)ん大変(じこー)ぬ働ちゃーなやーに、着物(ちぬ)ん着(ち)れーから、何時(いち)までぃん、着(ちゃー)ち通(くまー)し、切(ち)りむしりしん、うぬままるやいすしが、くぬ姉(しーじゃ)娘子(うぃなぐんぐゎ)一人(ちゅい)えー変種(たながー)やーに、着物(ちぬ)ん美(ちゅら)着物(ぢん)やらはる承知(がってぃん)する、親(うやー)うぬ言(いゅ)る事(くとぅ)ん全部(むる)反対るやくとぅ、妹(うっとぅ)とぅ姉(しーじゃ)とぅ、姉(しーじゃ)とーまる反対なてぃ、親(うやー)うーはまい、畑(はる)かいんまーかいん行ちゅしが、親(うや)とぅ一緒(まじゅん)妹娘(うっとぅんぐゎー)ん、親(うやー)ぬ手助(てぃがねー)すんでぃ働ち、親孝行(うやこーこー)すんでぃ、耳切(ち)り働(ばたら)ちそーるばーやしが、くぬ姉(しーじゃ)ぬうふそーむのー美(ちゅら)すがいびけーし、あまはい、くまはいびけーるしる、一向(てぃーち)ん仕事(しぐとぅー)さん遊(あし)でぃ歩(あっ)ちさーに、ふどぅふどぅなたくとぅ、親(うや)とー全部(むる)反対し、西(いり)んでぃ言(いー)ねー東(あがり)、南(ふぇー)んでぃ言(いー)ねー北(にー)、全部(むる)親(うや)とー反対びけーし暮らちょーたんでぃしが、あんする内に、親(うや)ん年(とぅし)寄(ゆ)やーに、病気(やんめー)かかてぃ、なー今日(ちゅい)い、明日(あちゃー)いするぐとぅなたくとぅ、うぬ妹娘(うっとぅんぐゎー)やなー看病(とぅんぢゃく)すんでぃ、寝(に)んぢゅる目(みー)ん寝(に)んだんぐとぅそーくとぅ、母親(いなぐぬうや)ぬうりせんかい、「やーや、むしか、私(わー)が、くぬ病気(やんめー)かい持(む)ち負きてぃ、行ちゅる時(ばー)ねー、今(なま)までぃさる親孝行(うやこーこー)ぬ代わい、やーや雀(くら)んかいなやーに、人(ちゅ)ぬ倉ぬ側(すば)落(う)てぃちりそーる米(くみ)ぬまんどーくとぅ、うり拾(ふぃっ)てぃ食(か)でぃ、人(ちゅ)ぬ家(やー)ぬ側(すば)なーでぃ、食物(くぇーむん)ぬ切(ち)り端んまんどーくとぅ、うり拾(ふぃっ)てぃ食(か)まに、暑(あち)さ、寒(ふぃー)さんさんぐとぅ、人(ちゅ)ぬ家(やー)ぬ側(すば)うてぃ暮らしよー。」ん話し、うぬ後(あとぅ)、姉(しーじゃ)ぬうふそーむんぬ入(いっ)てぃちゃくとぅ、だー、親(うや)とー全部(むる)反対るやくとぅ、親(うや)ぬ病気(やんめー)かかてぃん一向(てぃーちん)看病(とぅんぢゃく)んさん、自分(どぅー)や美(ちゅら)着物(ぢん)着(ち)ち、あまはい、くまはい遊(あし)でぃる歩(あっ)ちゅくとぅ、うぬ親(うや)ぬ、「いぇー、やーややー、私(わー)がむしか治(のー)ゆーさんむんやれー、私(わん)にんかい兄弟(うぃーきー)、姉妹達(うないぬちゃー)が居(う)いねー、親(うや)う母親(ばまー)、親(うや)う父親(ぢゃさー)んち、私(わー)兄弟(うぃーきー)、姉妹達(うないぬちゃー)ん、親(うや)代わいなてぃ、君達(いったー)ん見(んー)ぢゅる筈(はじ)やしが、親戚(うぇーか)、親族(はろーじ)ん居(う)らん、ただ三人(みっちゃい)る居(う)くとぅ、私(わー)後(あとー)やーが、親(うや)姉(しーじゃ)んちやーんかいるちゅーくとぅ、私(わー)むしか治(のー)ゆーさんむんやらー、川原(かーら)ぬ側(すば)んかいそーてぃ行(ん)ぢ、埋葬(うくいとぅどぅ)けーしとぅらしよ。」んち、言(い)い聞(ち)かち、いぇーやねーらんぐとぅ、、うぬ母親(いなぐぬうや)けーまーちさくとぅ、今(なま)までぃむる言(いゅ)る事(くとー)聞(ち)かん、反対びけーし、親(うや)んかえーなー不孝(ふこー)びけーびけーるそーる、親(うや)ぬ手助(てぃがねー)んでぃせーなーぬー一(てぃー)ちんせーねーん。親(うや)ぬ言(いゅ)る事(くとぅ)んぬー一(てぃー)ちん聞(ち)ちぇーねーんどぅあしが、親(うやー)ぬ、なーあぬ世(ゆー)んかい行ちがたーなーてぃから言(いゅ)せーなーくれー遺言(いぐん)どぅやくとぅ、くぬ遺言(いぐん)一(ちぃ)ちぇーちょーん、聞(ち)きはるないる、んち、川原(かーら)ぬ側(すば)んかい埋葬(うくいとぅどぅ)きてぃさくとぅ、うね、雨(あみ)ぬ降いがたーないねー心配(しわ)し、ぱらぱら落(う)てぃー初まいねー、川原(かーら)んかい落(う)てぃーる雨足見(んー)ちょーてぃ、大雨(うーあみ)降いねー、私達(わったー)母親(いなぐぬうや)葬(ほーむ)てぃる墓ん、流(なげー)らさのーあがやーんち、首延(ねー)てー墓見(んー)ちぇー、また、首引(ふぃ)込(く)みてぃ、うすでぃ川原(かーら)ぬ水(みじ)ぬうゎーびんかい落(う)てぃーる雨足見(んー)ちぇーし、ちゃー心配(しわ)し、暮らちょーんでぃ。くりが、川蝉(かーらかんじゅやー)、美(ちゅら)着物(ぢん)着(ち)やーなかい、親(うや)ぬ言(いゅ)る事(くとぅ)聞(ち)かんたる姉娘(しーじゃうぃなぐんぐゎ)やんでぃ。親孝行(うやこーこー)さる雀(くらー)ぐゎーとぅ、親不孝(うやふこー)さる川蝉(かーらかんじゅやー)ぬ話い。〔共通語訳〕 これは雀と川蝉の話。昔、或る処に、何と言う村かはわからないが、村外れの方に、大変貧乏な親子三人が住んでいました。母親と、娘二人の三人暮の家庭でした。其の家庭の母親は非常な働き者で、それから、子供達の妹娘の方も非常に働き者で、着物も一度着けると、着けた尽摺切れて、切尽迄其の尽着けているのですが、姉娘の方はどうした事か、親、妹とは異い、着る着物も、美しい物でなければ承知せず、親の言う事も全部返 なので妹と姉は丸反対になって親は一生懸命畑仕事や、山に薪取り等に行くのですが、親と一緒に妹娘も親の手助けをして働き、親に孝行するのに鍬の年が切れそうになる迄働いているのですが、姉娘の方は大怠者で着装って彼方へ行ったり、此方へ行ったりして一向に仕事もせず、遊び廻っているのです。成長すると、親の言う事にも全部反対し、西と言えば東、南と言えば北、全部反対ばかりして暮していましたが其の内に、親も年寄になり、病気になり、今日、明日をも知れない様になりますと、其の妹娘の方は親の着病を、夜の日も寝ずに一生懸命やっていますと、母親が其の娘に「君は若し、私が此の病氣に負けて行く時には、今頃尽した親達行の代り君は雀になって人の倉の側には落零れたお米が沢山有るから其れを拾って食べ、人家の側付近には食べ物の切端が沢山有るから其れを拾って食べて、暑さ、寒さもしないで、人家の側で暮しなさい」と話して後に姉の大怠者が入って来ますと、其の娘は、親には何事も反対ですから、母親が病氣に罹っても、一向に着病もせず、自分は奇麗な着物を着て、彼方、此方と遊廻っていますので、其の母親が「おい、お前ねー、私が若し治らなかったならば。私に兄弟、姉妹が居たならば、父親、母親として、其の人達が親代りとなって君達の事も考えてくれる筈だが、親戚や親族も居ない、ただ三人しか居ないから、私の後は君が親代りになって行くんだよ。だから、若し私が治らなかったら、川原の側に連れて行って埋葬してくれねー」と言聞かせて、暫らくして、其の母親は亡なりました。すると、今迄全く言う事を聞かず、反対ばかりして、親には不幸ばかりしかしていないが、手助も何一つしていない、親の言う事も何一つ聞いていないのだから、親が彼の世に行く前になって言ったのは、もう此れは遺言なのだから、今からでも親孝行のつもりで、此の遺言一つだけでも聞かないといけない、と考えて、川原の側に埋葬すると、どうでしょう、雨が降りそうになると心配し、ぱらぱらと落初めると、川面に落ちる、両足を見ながら、大雨が降ると、私達の母親を埋葬してある墓が押流されるのではないかと、首を延して、墓を見たり、又、首を引込めて伏むいて、川面の上部に落る両足を見て常に心配して暮しているとの事。此れが川蝉、奇麗な着物を着て親の言う事を聞かなかった姉娘だそうだ。親孝行をした雀と、親不幸をした川蝉の話。平成9年2月17日 高江洲亮・赤嶺素花女翻字 T2B2
全体の記録時間数 5:04
物語の時間数 5:04
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP