〔方言原話〕 津堅(ちきん)とぅ久高ぬ話い。昔(んかせー)津堅(ちき)いん、久高(くだ)ん、神ぬ島なてぃ、沖縄(うちなー)から見(んー)じゅる時(ばー)ねー、島見(みー)ゆしが彼方(あがた)んかい行ちーねー、船えー神ぬ持(む)ち上ぎてぃ、天(てぃん)から飛(とぅ)ばさーにうぬ島んかい、舟(ふに)着(ち)きる事(くとぅ)ならんたんでぃ。また、久高ん同様(ぬーぬぐとぅ)、久高ぬ上(うぃー)から、舟(ふねー)越(くぃ)やなかい、うぬ島んかえー舟(ふねー)着(ち)きらったんでぃ。さくとぅ島ぬ人達(ちゅぬちゃー)や、ちゃーがなしー。東(あがり)んかい二(たー)ち有る島んかい行からんがやーんでぃち考(かんげー)とーたんでぃしが、初めー名(なー)んねーらん、ただ東(あがり)んかい有る島んでぃちやたんでぃるむんぬ、ある時(とぅち)、一人(ちゅい)ぬ天法(てぃんぷー)測らいる人(ちゅ)ぬんまんから歩(あっ)ちゃがなー、「彼方(あま)んかい見(みー)ゆる島、ただならん島やっさー、ぬーんでぃる島がやー。」んち、海から上がてぃちゃーぎーる海人(うみんちゅー)かい問(とー)たくとぅ、あぬ島くまから見(んー)じねー見(みー)ゆしが、あまんかい行ちーねー見(みー)らんなてぃ、舟(ふねー)上(うぃ)から走(はい)越(く)いてぃ彼方(あがた)んかいる行ちゅくとぅ、あぬ島んかえー、舟(ふねー)着(ち)きららんくとぅ、今(なま)名前(なー)やねーらんしが、島ぬ二(たー)ち有せー、此方(くま)から見(みー)くとぅわかいん。」でぃ言(い)ちゃくとぅ、うぬ人(ちょー)、舟頭(しんどぅ)頼(たる)まーなかい、行(いん)ぢさくとぅ、なるふどぅ、彼方(あがた)行ちゅる間(うぇーまー)見(み)ゆたしが、なー、島んかい着(ち)ちゅる時分やしがやーんでぃ思(うむ)てぃん、だー、うれー、舟(ふねー)天(てぃん)からる飛(とぅ)どーくとぅ、島んかえー舟(ふねー)着(ち)きららんなてぃさくとぅ、うぬ天法(てぃんぷー)測らいる人(ちゅ)ぬ、「着(ち)ちゅるやー津堅(ちきん)。」でぃ言(い)みそーちゃくとぅ、舟(ふねー)下(しちゃ)んかい引(ふぃ)っ下がてぃちゃーにうぬ島んかい舟(ふに)着(ち)きるぐとぅなたんでぃ、あんし帰(けー)てぃちゃーに、「くぬ島着(ち)ちゃるやー津堅(ちきん)。でぃ言(い)ちゃくとぅ、島んかい下(う)りらりーるぐとぅなとーくとぅ、津堅(ちきん)でぃる島やさ。」んでぃ言(い)みそーちゃくとぅ、「あんしあぬ島ちゃーさびーがやー。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、「えー、あんやさやー、彼方(あま)にん有さやー、とー、あんせー、なー一回(ちゅけーん)舟(ふに)いぢゃちんでー。」んち、舟(ふに)いぢゃち、行(いん)ぢゃくとぅ、うぬ島んなるふどぅ、なー着(ち)ちゅる時分なてぃん、島見(みー)らん、いぢ初まいや見(み)ゆたしが、次第(しでー)に見(みー)らんなてぃ、なー着(ち)ちゅる時分やしがやーんでぃ思(うむ)てぃん、島(しまー)見(みー)らん、海びけーなとーんねーそーしが、舟(ふねー)天(てぃん)から飛(とぅ)ばさってぃるうっくとぅ、島んかえー着(ち)きららんなてぃさくとぅ、うぬ人(ちゅ)ぬ、「踏(くだ)みたるやー久高。」んでぃ言(い)みそーちゃくとぅ、舟(ふねー)また下(しちゃ)んかい引(ふぃ)っ下がてちゃーなかい、島んかい着(ち)きらりーるぐとぅなたんでぃ。あんすくとぅ、うぬ島(しまー)久高んち付(ち)きたんでぃ。あんさーなかい、津堅(ちき)ぬん、久高ん、神ぬ島んかい、人(ちゅ)ぬ行かりーるぐとぅなたんでぃ。今(なま)ちきてぃ、津堅(ちき)ぬん、久高ん、神ぬ島やんでぃちぬ、昔(んか)からぬ言(いー)伝(ちてー)ぬあんどー。昔(んかし)、首里城(すいぐしく)ぬ御主加那志前(うしゅがなしーめー)ん拝(うが)みせーるぐとぅなとーたんでぃ。〔共通語訳〕 津堅島(つけんじま)と久高島(くだかじま)の話。昔は津堅の島も久高の島も神の島であって、沖縄の方から見ると島は見えるのだが、あそこまで行くと、舟は神様が持ち上げて天から飛ばして、その島に舟を着ける事はできなかったそうだ。また、久高も同様で、久高の上から舟は走り越して、その島に舟を着ける事はできなかったそうだ。すると、島の人達は何とかして東にある二つの島に行けないだろうかと考えていたのだが、初めは名前もなくただ東にある島と呼んでいたそうだが、ある時、天法を測る易者が一人そこに通りかかり、その島を見て、「あそこに見える島は異様な島だなあ、何という島だろう。」と、海から上がってきた漁師に尋ねますと、「あの島はここから見る時は見えるのだが、あそこに行くと見えなくなり、舟は上から走り去って向こう側に行くので、あの島には舟は着けられないのでいまだに名前はないが、島のあるのは二つともここから見えるのでわかるのだが。」と言いますと、その人はその船頭に頼んで行ってみると、なるほど、話の通り、ある程度行くまでは見えていたのですが、もう島に着いている時刻になっていると思っても、神様が舟を天から飛ばしているのですから舟を島に着ける事はできません。すると、その天法を測る人が、「着いたね津堅。」と申しますと、舟は下の方に下がっていき、とうとうその島に舟を着ける事ができるようになって、帰ってきて、「この島に、『着いたね津堅。』と言ったので島に下りられるようになったから、この島の名は津堅という島だ。」とおっしゃいました。すると、「そうして、あそこにある島はどうしますか。」と申し上げますと、「おお、そうだったな、ああ、あそこにもあったなあ、それではもう一回舟を出しなさい。」と言われて舟を出して行きますと、この島もなるほど話の通り、もう着く頃になっても島は見えず、出発の時は見えていたが、もう着く頃になっているが、島は次第に見えなくなり海ばかりになっているようにしか見えない。舟は天から飛ばされているので島に着ける事ができなくなると、その人が、「踏めたね久高。」と申しますと、舟はまた下の方に下がっていき、島に舟を着ける事ができるようになったのだそうです。だから、その島には久高と付けたのだそうです。そして、津堅も久高も神の島に人が行かれるようになったのだそうです。今にいたるまで、津堅の島も久高の島も神の島だという昔からの言い伝えがあります。それで首里城(しゅりじょう)の琉球王も拝まれるようになっていったそうです。平成9年2月17日 高江洲亮翻字 T1B5
| レコード番号 | 47O170008 |
|---|---|
| CD番号 | 47O17C001 |
| 決定題名 | 津堅と久高(方言) |
| 話者がつけた題名 | 津堅と久高 |
| 話者名 | 阿波根昌栄 |
| 話者名かな | あはごんしょうえい |
| 生年月日 | 19210309 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県中頭郡北谷町字上勢頭 |
| 記録日 | 19970217 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | T01B05 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 『想い出の昔話』 |
| キーワード | 津堅島,久高島,舟 |
| 梗概(こうがい) | 〔方言原話〕 津堅(ちきん)とぅ久高ぬ話い。昔(んかせー)津堅(ちき)いん、久高(くだ)ん、神ぬ島なてぃ、沖縄(うちなー)から見(んー)じゅる時(ばー)ねー、島見(みー)ゆしが彼方(あがた)んかい行ちーねー、船えー神ぬ持(む)ち上ぎてぃ、天(てぃん)から飛(とぅ)ばさーにうぬ島んかい、舟(ふに)着(ち)きる事(くとぅ)ならんたんでぃ。また、久高ん同様(ぬーぬぐとぅ)、久高ぬ上(うぃー)から、舟(ふねー)越(くぃ)やなかい、うぬ島んかえー舟(ふねー)着(ち)きらったんでぃ。さくとぅ島ぬ人達(ちゅぬちゃー)や、ちゃーがなしー。東(あがり)んかい二(たー)ち有る島んかい行からんがやーんでぃち考(かんげー)とーたんでぃしが、初めー名(なー)んねーらん、ただ東(あがり)んかい有る島んでぃちやたんでぃるむんぬ、ある時(とぅち)、一人(ちゅい)ぬ天法(てぃんぷー)測らいる人(ちゅ)ぬんまんから歩(あっ)ちゃがなー、「彼方(あま)んかい見(みー)ゆる島、ただならん島やっさー、ぬーんでぃる島がやー。」んち、海から上がてぃちゃーぎーる海人(うみんちゅー)かい問(とー)たくとぅ、あぬ島くまから見(んー)じねー見(みー)ゆしが、あまんかい行ちーねー見(みー)らんなてぃ、舟(ふねー)上(うぃ)から走(はい)越(く)いてぃ彼方(あがた)んかいる行ちゅくとぅ、あぬ島んかえー、舟(ふねー)着(ち)きららんくとぅ、今(なま)名前(なー)やねーらんしが、島ぬ二(たー)ち有せー、此方(くま)から見(みー)くとぅわかいん。」でぃ言(い)ちゃくとぅ、うぬ人(ちょー)、舟頭(しんどぅ)頼(たる)まーなかい、行(いん)ぢさくとぅ、なるふどぅ、彼方(あがた)行ちゅる間(うぇーまー)見(み)ゆたしが、なー、島んかい着(ち)ちゅる時分やしがやーんでぃ思(うむ)てぃん、だー、うれー、舟(ふねー)天(てぃん)からる飛(とぅ)どーくとぅ、島んかえー舟(ふねー)着(ち)きららんなてぃさくとぅ、うぬ天法(てぃんぷー)測らいる人(ちゅ)ぬ、「着(ち)ちゅるやー津堅(ちきん)。」でぃ言(い)みそーちゃくとぅ、舟(ふねー)下(しちゃ)んかい引(ふぃ)っ下がてぃちゃーにうぬ島んかい舟(ふに)着(ち)きるぐとぅなたんでぃ、あんし帰(けー)てぃちゃーに、「くぬ島着(ち)ちゃるやー津堅(ちきん)。でぃ言(い)ちゃくとぅ、島んかい下(う)りらりーるぐとぅなとーくとぅ、津堅(ちきん)でぃる島やさ。」んでぃ言(い)みそーちゃくとぅ、「あんしあぬ島ちゃーさびーがやー。」んでぃ言(い)ちゃくとぅ、「えー、あんやさやー、彼方(あま)にん有さやー、とー、あんせー、なー一回(ちゅけーん)舟(ふに)いぢゃちんでー。」んち、舟(ふに)いぢゃち、行(いん)ぢゃくとぅ、うぬ島んなるふどぅ、なー着(ち)ちゅる時分なてぃん、島見(みー)らん、いぢ初まいや見(み)ゆたしが、次第(しでー)に見(みー)らんなてぃ、なー着(ち)ちゅる時分やしがやーんでぃ思(うむ)てぃん、島(しまー)見(みー)らん、海びけーなとーんねーそーしが、舟(ふねー)天(てぃん)から飛(とぅ)ばさってぃるうっくとぅ、島んかえー着(ち)きららんなてぃさくとぅ、うぬ人(ちゅ)ぬ、「踏(くだ)みたるやー久高。」んでぃ言(い)みそーちゃくとぅ、舟(ふねー)また下(しちゃ)んかい引(ふぃ)っ下がてちゃーなかい、島んかい着(ち)きらりーるぐとぅなたんでぃ。あんすくとぅ、うぬ島(しまー)久高んち付(ち)きたんでぃ。あんさーなかい、津堅(ちき)ぬん、久高ん、神ぬ島んかい、人(ちゅ)ぬ行かりーるぐとぅなたんでぃ。今(なま)ちきてぃ、津堅(ちき)ぬん、久高ん、神ぬ島やんでぃちぬ、昔(んか)からぬ言(いー)伝(ちてー)ぬあんどー。昔(んかし)、首里城(すいぐしく)ぬ御主加那志前(うしゅがなしーめー)ん拝(うが)みせーるぐとぅなとーたんでぃ。〔共通語訳〕 津堅島(つけんじま)と久高島(くだかじま)の話。昔は津堅の島も久高の島も神の島であって、沖縄の方から見ると島は見えるのだが、あそこまで行くと、舟は神様が持ち上げて天から飛ばして、その島に舟を着ける事はできなかったそうだ。また、久高も同様で、久高の上から舟は走り越して、その島に舟を着ける事はできなかったそうだ。すると、島の人達は何とかして東にある二つの島に行けないだろうかと考えていたのだが、初めは名前もなくただ東にある島と呼んでいたそうだが、ある時、天法を測る易者が一人そこに通りかかり、その島を見て、「あそこに見える島は異様な島だなあ、何という島だろう。」と、海から上がってきた漁師に尋ねますと、「あの島はここから見る時は見えるのだが、あそこに行くと見えなくなり、舟は上から走り去って向こう側に行くので、あの島には舟は着けられないのでいまだに名前はないが、島のあるのは二つともここから見えるのでわかるのだが。」と言いますと、その人はその船頭に頼んで行ってみると、なるほど、話の通り、ある程度行くまでは見えていたのですが、もう島に着いている時刻になっていると思っても、神様が舟を天から飛ばしているのですから舟を島に着ける事はできません。すると、その天法を測る人が、「着いたね津堅。」と申しますと、舟は下の方に下がっていき、とうとうその島に舟を着ける事ができるようになって、帰ってきて、「この島に、『着いたね津堅。』と言ったので島に下りられるようになったから、この島の名は津堅という島だ。」とおっしゃいました。すると、「そうして、あそこにある島はどうしますか。」と申し上げますと、「おお、そうだったな、ああ、あそこにもあったなあ、それではもう一回舟を出しなさい。」と言われて舟を出して行きますと、この島もなるほど話の通り、もう着く頃になっても島は見えず、出発の時は見えていたが、もう着く頃になっているが、島は次第に見えなくなり海ばかりになっているようにしか見えない。舟は天から飛ばされているので島に着ける事ができなくなると、その人が、「踏めたね久高。」と申しますと、舟はまた下の方に下がっていき、島に舟を着ける事ができるようになったのだそうです。だから、その島には久高と付けたのだそうです。そして、津堅も久高も神の島に人が行かれるようになったのだそうです。今にいたるまで、津堅の島も久高の島も神の島だという昔からの言い伝えがあります。それで首里城(しゅりじょう)の琉球王も拝まれるようになっていったそうです。平成9年2月17日 高江洲亮翻字 T1B5 |
| 全体の記録時間数 | 3:12 |
| 物語の時間数 | 3:12 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |