カシチ由来とチチ鐘(共通語)

概要

あね、あったさぁ、あそこから兼城のね、南風原兼城の内嶺城とあるでしょう。あそこの女の子がちょうど旧の八月十に七日(なんか)あったですよ。初七日(はちなんか)、初七日(はつなんか)、その前の日に、墓場のね、このぉ、雨宿り、津嘉山の親国の草刈やぁが北谷から牛買って引いて来る時に、雨ちょうど今のあぁプリマートかね、あるでしょう。あそこの裏の山ぐゎぁ、元はあれ、前から道あったらしい、古道ぐゎぁで、ちょうど雨降ったもんだから、そこの墓場の前で雨宿りしたらしいすよ。だから、ちょっと、あまだい後から、手を出して、この草刈やぁの頭を引っ張ったらしいすよぉ、そしたら、なんかしたら、人間の声するから、本当に生きとったね。あんた、この証拠になるの持たしてから死ぬ時に、あのはにじぬ手拭い(てぃさぁじ)かぶしてるの、親のこれ証拠として持っていったらしいすよ。兼城の上の内嶺城という所に生きてるよぉ、そしたら向こうは、明日は初七日(はちなんか)あたるから、して、餅米たくさんしたから、これをカシチーね言って、八月十日のカシチーにてこれに白御飯やったらいかんから、言って、赤い物入れてやっぱし、やったらしいすよぉ、これから始まった話じゃないかなぁ。餅米がちょうどカシチーになって、祝いといって、そうして今のこれ付近ではないんだが、向こうは牛、北谷から買って、雨宿りして、主はまぁ、娘と酒ぐゎぁ飲みぃしてお酒持たしたらしいすよ。津嘉山の親国は、だから、この上でなぁこの牛を殺して、しゅぅじてるしゅぅじて、して今、戦前は、今はどうかしらんが、昔は、津嘉山は、あ、この牛を一頭買って、村中まわして、あれがあったですよぉ、どうどう牛小〈ぐわぁ〉いって、津嘉山は、津嘉山が、今もないだろう思うがなぁ、で今の、給油所があるでしょう、うま、あまんかいのぼる所山があるでしょう、給油所がるでしょうあそこの所に、安平田子(あひだしぃ)いって、山があるんですよ、そこに、夫婦なって、あの津嘉山親国(うぇぐん)に家作ってくれてあったらしいすよぉ、それから、八月カシチーちゅうのは、カシチーというのは、始まって話でないか、この話めぇカシチー、これから始まったんでないかなぁ、場所、あひぐしだから、学校も記念文化財としてあるでしょう、ちょうど、あの給油所の後ろっ側ですよ、だから、今、戦前なんか、あそこは、餅(むぅちぃ)皮(がば)あるね、旧の餅(むぅちぃ)皮、木も切られなかったよ、かぁめが高いでしょ、手で喜屋武の人が怖がっておったよぉ。だか、山川の人、うちなんか、子供の時はあそこに、みかんの木があるからね、これ取って食べたけど、どうもなかったんだよ。りっぱな、やっぱり家庭としてね、みかんの木もあったんだから、今でも津嘉山の親国(うぇぐん)管理してるでしょ、だから村としてはあそこまで学校作るのは、もうやめたらしい、文化財として、こんな話し、兼城の人よう知っとるよぉ。兼城の内嶺城といってね部落の上にあったんですよ。鐘ですね、なんという、だぁ、あの鐘は、鐘、寺の鐘。あれがあって、あの内嶺城にあったんだが、あれ鳴らすと首里城まで聞こえて、首里城に取り上げられたらしいすよ、だから、よう鳴る鐘だからいって、だから、向こういったら鳴らなかったらしいすよ、この鐘は首里城に持ってって、首里城に持ってたら鳴らなかった、あとはねぇ、もぉこれは神、神事だからして、向こうから、返還されたらしいよこれ、どうしてかと言うと、小学一年生が、この先生がおったんですよ男の先生がその先生がそう話されよった、こうだったらしい、カシチーの始まりの話もこの人がされよった、こうやったちて、だからこれ、あの終戦にあるだろうと思って、やっぱり気にしておったらしいが、無かったですね。あの山はもう何回も地すべりしたらしいすよ、うちの学校時代から小さい、ただ御願だけしかなかったんだよ。

再生時間:8:45

民話詳細DATA

レコード番号 47O378921
CD番号 47O37C375
決定題名 カシチ由来とチチ鐘(共通語)
話者がつけた題名
話者名 宮城早三郎
話者名かな みやぎそうさぶろう
生年月日 19110415
性別
出身地 南風原町山川
記録日 19910828
記録者の所属組織 南風原町口承文芸調査団
元テープ番号 南風原町T158A05
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 兼城,内嶺城,女の子,旧八月十日,初七日,墓場,雨宿り,津嘉山の親国の草刈,北谷,牛,頭を引っ張った,生きとった,手拭い,餅米,カシチー,安平田子,八月カシチー,喜屋武,山川,鐘,首里城
梗概(こうがい) あね、あったさぁ、あそこから兼城のね、南風原兼城の内嶺城とあるでしょう。あそこの女の子がちょうど旧の八月十に七日(なんか)あったですよ。初七日(はちなんか)、初七日(はつなんか)、その前の日に、墓場のね、このぉ、雨宿り、津嘉山の親国の草刈やぁが北谷から牛買って引いて来る時に、雨ちょうど今のあぁプリマートかね、あるでしょう。あそこの裏の山ぐゎぁ、元はあれ、前から道あったらしい、古道ぐゎぁで、ちょうど雨降ったもんだから、そこの墓場の前で雨宿りしたらしいすよ。だから、ちょっと、あまだい後から、手を出して、この草刈やぁの頭を引っ張ったらしいすよぉ、そしたら、なんかしたら、人間の声するから、本当に生きとったね。あんた、この証拠になるの持たしてから死ぬ時に、あのはにじぬ手拭い(てぃさぁじ)かぶしてるの、親のこれ証拠として持っていったらしいすよ。兼城の上の内嶺城という所に生きてるよぉ、そしたら向こうは、明日は初七日(はちなんか)あたるから、して、餅米たくさんしたから、これをカシチーね言って、八月十日のカシチーにてこれに白御飯やったらいかんから、言って、赤い物入れてやっぱし、やったらしいすよぉ、これから始まった話じゃないかなぁ。餅米がちょうどカシチーになって、祝いといって、そうして今のこれ付近ではないんだが、向こうは牛、北谷から買って、雨宿りして、主はまぁ、娘と酒ぐゎぁ飲みぃしてお酒持たしたらしいすよ。津嘉山の親国は、だから、この上でなぁこの牛を殺して、しゅぅじてるしゅぅじて、して今、戦前は、今はどうかしらんが、昔は、津嘉山は、あ、この牛を一頭買って、村中まわして、あれがあったですよぉ、どうどう牛小〈ぐわぁ〉いって、津嘉山は、津嘉山が、今もないだろう思うがなぁ、で今の、給油所があるでしょう、うま、あまんかいのぼる所山があるでしょう、給油所がるでしょうあそこの所に、安平田子(あひだしぃ)いって、山があるんですよ、そこに、夫婦なって、あの津嘉山親国(うぇぐん)に家作ってくれてあったらしいすよぉ、それから、八月カシチーちゅうのは、カシチーというのは、始まって話でないか、この話めぇカシチー、これから始まったんでないかなぁ、場所、あひぐしだから、学校も記念文化財としてあるでしょう、ちょうど、あの給油所の後ろっ側ですよ、だから、今、戦前なんか、あそこは、餅(むぅちぃ)皮(がば)あるね、旧の餅(むぅちぃ)皮、木も切られなかったよ、かぁめが高いでしょ、手で喜屋武の人が怖がっておったよぉ。だか、山川の人、うちなんか、子供の時はあそこに、みかんの木があるからね、これ取って食べたけど、どうもなかったんだよ。りっぱな、やっぱり家庭としてね、みかんの木もあったんだから、今でも津嘉山の親国(うぇぐん)管理してるでしょ、だから村としてはあそこまで学校作るのは、もうやめたらしい、文化財として、こんな話し、兼城の人よう知っとるよぉ。兼城の内嶺城といってね部落の上にあったんですよ。鐘ですね、なんという、だぁ、あの鐘は、鐘、寺の鐘。あれがあって、あの内嶺城にあったんだが、あれ鳴らすと首里城まで聞こえて、首里城に取り上げられたらしいすよ、だから、よう鳴る鐘だからいって、だから、向こういったら鳴らなかったらしいすよ、この鐘は首里城に持ってって、首里城に持ってたら鳴らなかった、あとはねぇ、もぉこれは神、神事だからして、向こうから、返還されたらしいよこれ、どうしてかと言うと、小学一年生が、この先生がおったんですよ男の先生がその先生がそう話されよった、こうだったらしい、カシチーの始まりの話もこの人がされよった、こうやったちて、だからこれ、あの終戦にあるだろうと思って、やっぱり気にしておったらしいが、無かったですね。あの山はもう何回も地すべりしたらしいすよ、うちの学校時代から小さい、ただ御願だけしかなかったんだよ。
全体の記録時間数 8:55
物語の時間数 8:45
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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