護佐丸のところの、あぁ、あの方が、は、知る人は、もう阿麻和利をいっぺぇ、とっても悪いといい、いいておるがね、向こうの方、方に聞いたらね、護佐丸の方がいいと、そうゆうふうに、向こうでは言われておるからね。勝連では、勝連では、向こうに悪いとゆうことは大変らしいですからね、本当はこの、阿麻和利とゆうのは、もう天下を取ろうとゆう気は、相当頭がきれた、この人だってね、あぁのぅ、この始まりは、阿麻和利は、百、百姓の、と一緒に向こうに、住んでおってね、網を作って、魚を取る網を、それを、あれを作って、向こうに、向こうの住人にね、それを作って、ゆうてぃ、網を作ってね、いちゃんだ金も取らないで、こう皆これで、生活しなさいとゆうことをやって。 それは何で、何かとゆうたら、その頭の内には、こっちの、王様をねこっちの王を、取って、我が天下にするとゆう、頭の計らいでね、そうゆうふうにやって、それから皆が、この阿麻和利を信用した。 しゅう、自分なったら、それから戦を始めて、勝連城址にはね、討ち取られて阿麻和利が、それから、向こうに立って、王様になって、その王様になって、なって、なって後は、それからまた、中城城址をまた、のりとって、それから首里城に、首里城に取ろうとゆう、やっぱり計画でやったらしいですよ。そうして、中城は、八月十五夜のね、この踊りと遊、遊び、棒、棒、遊び棒と、使っておるから、使って、やっておるところにね、その阿麻和利があれはもう国王に、戦はよし、戦よしやるためにね、あれは、ぶゆうちいくしておるとか、そうゆう、でまいれて、ゆうて、ゆうたもんだから、阿麻和利が、あまり言われたもんだから、じゃあ、遣いを、遣いをやってね、見てきなさいとゆう、首里ぐ、首里、首里城から二名の、遣いを四、五名やってね、やって、やっておるが、途中で阿麻和利の、弟子がね、全部殺しておるわけさ、そうして、一人は生き残ってね、もうやられてしまって、生き残ってようやく、首里城にあがって、これを、つ、つぎ、つぎる間にはね、もう中城に行ってね、この阿麻和利は向こうを討ち取っておるわけさ。護佐丸はもう左御紋の旗を持ってきて、きておるから、これはもうやっぱり王様、国王にはね、出迎えできないからもう切腹するほかない、全部、切腹してね、次男まで切腹して、あともう三男、三男は、まだ赤子だから、これは、治安に連れさせて逃げたのが、向こうに、くにし、前里、前里と、ゆうところに、このしにやぁを、た、た、頼って行きなさいとゆう、王様の、命令で向こうに、向こうに行ったらしい。で行ってね、そうして、この、くにし、くにしにひゃあがね、向こう、こしうぅて、山に、山に逃げ去ったところ、今山もあるよ。この、モリチカが、住んでおった山が、まら、まだ残っておるよ。山がそのまま、い、井戸もあるしよ。ふる、このモリチカが入って、はい、使ったとゆう、この昔の水、水盥よ、あれ石で打ってね、あれに、これに水を溜めて、これも、この風呂入らしたとゆう石もあるよ。向こうに見て、見てきてね。 本当は護佐丸、護佐丸とゆうのは、とってもいい、いい人であってね、三回、三回も、お城を造るぐらいの、やっぱり権力もあって、たったったった、この、首里城に近寄ってね、首里城を守ろうとした、方だから、そっ、最初は山田の、山田城を築かれてね、この護佐丸は山田城を造くって、きておられ。また、あれからまた、読谷のやぁぬぅたが、だぁ、なんて、なんてゆう、城かなぁ、読谷の、なんとゆう、なんとゆう城かな、あれ、読谷にある、城は、だぁ、思い出そうとしておるが、この最初は、最後は、この中城城址を築かれてね、ここに、城を造って、住んでおって、おったらしいですよ。
| レコード番号 | 47O378783 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C369 |
| 決定題名 | 阿麻和利と護佐丸(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 金城文栄 |
| 話者名かな | きんじょうぶんえい |
| 生年月日 | 19141010 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 南風原町津嘉山 |
| 記録日 | 19910825 |
| 記録者の所属組織 | 南風原町口承文芸調査団 |
| 元テープ番号 | 南風原町T148A16 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 護佐丸,阿麻和利,悪い,勝連,天下,魚を取る網,王様,戦,勝連城址,中城城址,首里城,左御紋の旗,切腹,井戸,風呂,山田城,読谷 |
| 梗概(こうがい) | 護佐丸のところの、あぁ、あの方が、は、知る人は、もう阿麻和利をいっぺぇ、とっても悪いといい、いいておるがね、向こうの方、方に聞いたらね、護佐丸の方がいいと、そうゆうふうに、向こうでは言われておるからね。勝連では、勝連では、向こうに悪いとゆうことは大変らしいですからね、本当はこの、阿麻和利とゆうのは、もう天下を取ろうとゆう気は、相当頭がきれた、この人だってね、あぁのぅ、この始まりは、阿麻和利は、百、百姓の、と一緒に向こうに、住んでおってね、網を作って、魚を取る網を、それを、あれを作って、向こうに、向こうの住人にね、それを作って、ゆうてぃ、網を作ってね、いちゃんだ金も取らないで、こう皆これで、生活しなさいとゆうことをやって。 それは何で、何かとゆうたら、その頭の内には、こっちの、王様をねこっちの王を、取って、我が天下にするとゆう、頭の計らいでね、そうゆうふうにやって、それから皆が、この阿麻和利を信用した。 しゅう、自分なったら、それから戦を始めて、勝連城址にはね、討ち取られて阿麻和利が、それから、向こうに立って、王様になって、その王様になって、なって、なって後は、それからまた、中城城址をまた、のりとって、それから首里城に、首里城に取ろうとゆう、やっぱり計画でやったらしいですよ。そうして、中城は、八月十五夜のね、この踊りと遊、遊び、棒、棒、遊び棒と、使っておるから、使って、やっておるところにね、その阿麻和利があれはもう国王に、戦はよし、戦よしやるためにね、あれは、ぶゆうちいくしておるとか、そうゆう、でまいれて、ゆうて、ゆうたもんだから、阿麻和利が、あまり言われたもんだから、じゃあ、遣いを、遣いをやってね、見てきなさいとゆう、首里ぐ、首里、首里城から二名の、遣いを四、五名やってね、やって、やっておるが、途中で阿麻和利の、弟子がね、全部殺しておるわけさ、そうして、一人は生き残ってね、もうやられてしまって、生き残ってようやく、首里城にあがって、これを、つ、つぎ、つぎる間にはね、もう中城に行ってね、この阿麻和利は向こうを討ち取っておるわけさ。護佐丸はもう左御紋の旗を持ってきて、きておるから、これはもうやっぱり王様、国王にはね、出迎えできないからもう切腹するほかない、全部、切腹してね、次男まで切腹して、あともう三男、三男は、まだ赤子だから、これは、治安に連れさせて逃げたのが、向こうに、くにし、前里、前里と、ゆうところに、このしにやぁを、た、た、頼って行きなさいとゆう、王様の、命令で向こうに、向こうに行ったらしい。で行ってね、そうして、この、くにし、くにしにひゃあがね、向こう、こしうぅて、山に、山に逃げ去ったところ、今山もあるよ。この、モリチカが、住んでおった山が、まら、まだ残っておるよ。山がそのまま、い、井戸もあるしよ。ふる、このモリチカが入って、はい、使ったとゆう、この昔の水、水盥よ、あれ石で打ってね、あれに、これに水を溜めて、これも、この風呂入らしたとゆう石もあるよ。向こうに見て、見てきてね。 本当は護佐丸、護佐丸とゆうのは、とってもいい、いい人であってね、三回、三回も、お城を造るぐらいの、やっぱり権力もあって、たったったった、この、首里城に近寄ってね、首里城を守ろうとした、方だから、そっ、最初は山田の、山田城を築かれてね、この護佐丸は山田城を造くって、きておられ。また、あれからまた、読谷のやぁぬぅたが、だぁ、なんて、なんてゆう、城かなぁ、読谷の、なんとゆう、なんとゆう城かな、あれ、読谷にある、城は、だぁ、思い出そうとしておるが、この最初は、最後は、この中城城址を築かれてね、ここに、城を造って、住んでおって、おったらしいですよ。 |
| 全体の記録時間数 | 7:08 |
| 物語の時間数 | 7:04 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |