安平田子と仲間満慶(シマグチ混)

概要

尚泰久王時代、本部満名村の上殿内の次男、安平田子が出世しようと、大里城を頼りにしてでかけた。ところが首里で大里は戦をたくらんでいると聞き、南風原にある喜屋武の同じ北山系の名護の家に行った。そこで「自分の家は危ないから、本部の満名の家に行け」と言われた。そして満名の家を頼りに行って、安平田子は百姓の真似をして働いていた。ある時、主人から中頭から牛を買って来なさいと言われ、買いに行った。その帰る途中で兼城の内嶺城の前を通った。そこでは按司の娘が17~18歳の若さで心臓発作で亡くなったばかりであった。その娘の墓の前に安平田子が通りがかった時に、雨が降り始めたので、雨宿りをした。そこでは娘が3日前に生き返って棺箱から出て白装束のまま顔も青ざめていたところだった。娘は安平田子のカタカシラをつかまえ引っ張った。娘の気配に気づいた安平田子が娘の話を聞くと、自分が生き返ったことを父母に知らせて欲しいと言う。しかし、証拠がないと信じてもらえない。そこで、娘の父母が棺箱に入れてくれたチリメンの手拭いを持って行きなさいと教えられ、持って行った。門番に事情を説明して、按司に会うことが出来た安平田子はこれまでのいきさつを話し、チリメンを見せた。それで娘が生きていることを知った兼城按司は娘を助け出した。その時に小豆でお祝いしたのがカシチーの始まり。首里の尚泰久はこの出来事を知って、「この子が生き返ったのは、この2人が神の子だ」からといって二人を結婚させた。そして安平田子を兼城按司にさせた。五代目金城按司、安平田子に長女マナビ、次女マグジが生まれる。しばらく後、別腹で長男が生まれ、そのことを尚泰久王に告げる。尚泰久王は「お前はまことに神の子だ。嘘を言わない真の青年だから、このまま農民には落とせない」と言って、現照屋、山川の土地を与えた。その時に娘マナビ、マグジに対して、「尚泰久王はこんなにたくさんの富を下さったのだから、いつまでも子孫にもこのご恩を忘れてはいけないよ。また他部落から移民してきた人々と共に田畑を発展させて、天地の神々に豊作の祝をしてから自分の倉につめ、首里への上納も納めなさい。」と言い聞かせた。また王から安平田開鐘もいただいた。ある年、豊作の祝の祭りをする時、たくさんの御馳走をつくった。そこへ来たアマダンジャ里主が「水をくれ」と言ったところ、本当に水だけしかくれなかったので、腹をたて、首里に戻った時に尚泰久王に「本部満名安平田子、金城按司は謀反を働こうとしている」と嘘をつき、王は大軍を出して安平田を討つ。娘のマナビ、マグジは玉那覇村に逃げ、金城按司は幻となった。尚泰久の所に毎晩亡霊が出るようになり、王は眠れなくなって、自分は間違ったことをしたと思った。翌日、内間御鎖王に相談し、この後継ぎをどうするかとなり、長女マナビ、次女マグジは内間御鎖王を証人として仲間大主を婿養子にした。後、尚徳王が喜界島征伐をしたと、内間御鎖は内間殿に帰った。尚徳王はおごりたかぶって久高島に美しい祝女がいるから側に置こうと久高に渡って、1、2年も帰って来なかった。首里の軍師はこのままではいけないと言って集まり、王の次に高い位にあった内間御鎖主を王にたてようとした。この時、内間御鎖は西原の浜でよく釣りをしていた。首里の人々は衣装とカゴを持って迎えに来る。「内間御鎖主はどこにいらっしゃるのか」と近くの民間人に聞くと、「あの方はよく釣りをしているよ」と言って、そこへ行くと内間御鎖主がいた。持って来た衣装などを着せて連れて行く。その時、側にあった1.2mの大岩はインシュヌジツと呼ばれている。内間親雲上は尚円王の命令で八重山に在番奉行として視察に行くことになった。ところが八重山に行く途中で暴風に遭い。船は転覆したので、丸太にすがって漂流していると、石垣島の川平に流された。その時、三隻の漁船が通り架かり丸太にすがっている人を見つけたので助けあげた。見ると立派な着物を来ているので、身分の高い人と知り、仲間親雲上を川平の司の所に連れて行った。司は22~23歳の独身の女性だが、掟の命令で仲間親雲上はその司に看病してもらうことになった。司はお粥を作り、魚を煎じて介抱した。やがて二人の間に遭いが芽生え、司は妊娠した。しかし、仲間親雲上はそういつまでも八重山に留まることができないので、自分の名と身分を明かして「男の子が生まれたら安平田子の子孫だから、安平田子から始まった柴差之行事を、また牛を殺して結願祭をし、子供には武芸と学問を教えなさい」と言って、沖縄本島に帰って行った。司は男の子が生まれるように願い、石垣島のあちこちの御嶽で鷲ン鳥の歌と踊りを奉納した。生まれた子は男の子だった。その子は成長して仲間満慶と呼ばれるようになった。首里では尚円王の死後、弟の尚宣威が王についたが、尚恩の妻世襲御殿が自分の子尚真を王位につけようと、宣威を批判して退位させたので、尚真が王になった。尚真は父尚円から安平田子の話を聞いていたので、その子孫である仲間大主を厚遇し、津嘉山の土地を与えたが、津嘉山にいた旧門中の人々はそれを喜ばず、仲間大主の妻が美人だったこともあって、争いとなり、妻は津嘉山を出て識名で死んだ。このことが後に王に知れて、旧津嘉山の門中の人は罰された。この内間大主から出る祝女は天のアヤメーと呼ばれ、腕には左御紋のハジチをすることが許されていた。仲間大主の子の仲間満慶は八重山の川平で成長し、8人の男の子の親となった。その8人の子が成長した頃、石垣島を治めていたのは満慶と長田大主、オヤケアカハチだった。尚真王から首里に税を阿さめるように八重山に命令があると、オヤケアカハチ、満慶、長田大主が相談し、長田大主と満慶は治めようと言ったが、オヤケアカハチは反対した。アカハチは満慶が帰る時、部下に先回りさせて落とし穴を作り、その穴に落ちた満慶を殺した。満慶の供の二人のうち一人はそのことを満慶の子供に知らせ、もう一人は長田大主に知らせた。満慶の8人の子はこれを聞いてすぐにサバ二に乗って西表島に逃げ、西表から多良間、伊良部島から、宮古に行ってこのことを知らせたので、宮古からこのことを聞いた尚真王は、3000人の軍を出して、宮古の仲宗根豊見親と共に八重山のアカハチを攻めさせた。しかし、昼はアカハチの防備が固いので、久米島祝女に戦のサチバイをさせて攻め、夜をまって松明を持った船に南に向かうように見せ、アカハチの軍が南に集まった時、西から上陸してアカハチを滅ぼした。


尚泰久王時代 本部満名村 上殿内の次男 安平田子 大里城 首里 戦 南風原 喜屋武 名護の家 百姓の真似 中頭から牛 兼城の内嶺城 按司の娘が 亡くなった 娘の墓の前 雨宿り 生き返た カタカシラ 棺箱 チリメンの手拭い 小豆でお祝い カシチーの始まり 二人を結婚 兼城按司 五代目金城按司 長女マナビ 次女マグジ 別腹で長男 照屋と山川の土地 豊作の祝の祭り 御馳走 アマダンジャ里主 水をくれ 謀反 玉那覇村 金城按司 亡霊 内間御鎖王 仲間大主を婿養子 尚徳王 喜界島征伐 内間殿 久高島 美しい祝女 首里の軍師 西原の浜 釣り インシュヌジツ 内間親雲上 尚円王 八重山に在番奉行 暴風 船は転覆 石垣島の川平 司に看病 司は妊娠 柴差の行事 牛を殺して結願祭 武芸と学問 鷲ン鳥の歌と踊りを奉納 仲間満慶 尚宣威 世襲御殿 津嘉山の土地 天のアヤメー 腕には左御紋のハジチ 8人の男の子の親 長田大主 オヤケアカハチ 首里に税 落とし穴 西表島 多良間 伊良部島 宮古 仲宗根豊見親 久米島祝女

再生時間:50:32 57:21

民話詳細DATA

レコード番号 47O378732
CD番号 47O37C363 47O37C364
決定題名 安平田子と仲間満慶(シマグチ混)
話者がつけた題名
話者名 大城紀浩
話者名かな おおしろきこう
生年月日 19311230
性別
出身地 南風原町津嘉山
記録日 19910825
記録者の所属組織 南風原町口承文芸調査団
元テープ番号 南風原町T143A01 T143B01 T144A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 尚泰久王時代,本部満名村,上殿内の次男,安平田子,大里城,首里,戦,南風原,喜屋武,名護の家,百姓の真似,中頭から牛,兼城の内嶺城,按司の娘が,亡くなった,娘の墓の前,雨宿り,生き返た,カタカシラ,棺箱,チリメンの手拭い,小豆でお祝い,カシチーの始まり,二人を結婚,兼城按司,五代目金城按司,長女マナビ,次女マグジ,別腹で長男,照屋と山川の土地,豊作の祝の祭り,御馳走,アマダンジャ里主,水をくれ,謀反,玉那覇村,金城按司,亡霊,内間御鎖王,仲間大主を婿養子,尚徳王,喜界島征伐,内間殿,久高島,美しい祝女,首里の軍師,西原の浜,釣り,インシュヌジツ,内間親雲上,尚円王,八重山に在番奉行,暴風,船は転覆,石垣島の川平,司に看病,司は妊娠,柴差の行事,牛を殺して結願祭,武芸と学問,鷲ン鳥の歌と踊りを奉納,仲間満慶,尚宣威,世襲御殿,津嘉山の土地,天のアヤメー,腕には左御紋のハジチ,8人の男の子の親,長田大主,オヤケアカハチ,首里に税,落とし穴,西表島,多良間,伊良部島,宮古,仲宗根豊見親,久米島祝女
梗概(こうがい) 尚泰久王時代、本部満名村の上殿内の次男、安平田子が出世しようと、大里城を頼りにしてでかけた。ところが首里で大里は戦をたくらんでいると聞き、南風原にある喜屋武の同じ北山系の名護の家に行った。そこで「自分の家は危ないから、本部の満名の家に行け」と言われた。そして満名の家を頼りに行って、安平田子は百姓の真似をして働いていた。ある時、主人から中頭から牛を買って来なさいと言われ、買いに行った。その帰る途中で兼城の内嶺城の前を通った。そこでは按司の娘が17~18歳の若さで心臓発作で亡くなったばかりであった。その娘の墓の前に安平田子が通りがかった時に、雨が降り始めたので、雨宿りをした。そこでは娘が3日前に生き返って棺箱から出て白装束のまま顔も青ざめていたところだった。娘は安平田子のカタカシラをつかまえ引っ張った。娘の気配に気づいた安平田子が娘の話を聞くと、自分が生き返ったことを父母に知らせて欲しいと言う。しかし、証拠がないと信じてもらえない。そこで、娘の父母が棺箱に入れてくれたチリメンの手拭いを持って行きなさいと教えられ、持って行った。門番に事情を説明して、按司に会うことが出来た安平田子はこれまでのいきさつを話し、チリメンを見せた。それで娘が生きていることを知った兼城按司は娘を助け出した。その時に小豆でお祝いしたのがカシチーの始まり。首里の尚泰久はこの出来事を知って、「この子が生き返ったのは、この2人が神の子だ」からといって二人を結婚させた。そして安平田子を兼城按司にさせた。五代目金城按司、安平田子に長女マナビ、次女マグジが生まれる。しばらく後、別腹で長男が生まれ、そのことを尚泰久王に告げる。尚泰久王は「お前はまことに神の子だ。嘘を言わない真の青年だから、このまま農民には落とせない」と言って、現照屋、山川の土地を与えた。その時に娘マナビ、マグジに対して、「尚泰久王はこんなにたくさんの富を下さったのだから、いつまでも子孫にもこのご恩を忘れてはいけないよ。また他部落から移民してきた人々と共に田畑を発展させて、天地の神々に豊作の祝をしてから自分の倉につめ、首里への上納も納めなさい。」と言い聞かせた。また王から安平田開鐘もいただいた。ある年、豊作の祝の祭りをする時、たくさんの御馳走をつくった。そこへ来たアマダンジャ里主が「水をくれ」と言ったところ、本当に水だけしかくれなかったので、腹をたて、首里に戻った時に尚泰久王に「本部満名安平田子、金城按司は謀反を働こうとしている」と嘘をつき、王は大軍を出して安平田を討つ。娘のマナビ、マグジは玉那覇村に逃げ、金城按司は幻となった。尚泰久の所に毎晩亡霊が出るようになり、王は眠れなくなって、自分は間違ったことをしたと思った。翌日、内間御鎖王に相談し、この後継ぎをどうするかとなり、長女マナビ、次女マグジは内間御鎖王を証人として仲間大主を婿養子にした。後、尚徳王が喜界島征伐をしたと、内間御鎖は内間殿に帰った。尚徳王はおごりたかぶって久高島に美しい祝女がいるから側に置こうと久高に渡って、1、2年も帰って来なかった。首里の軍師はこのままではいけないと言って集まり、王の次に高い位にあった内間御鎖主を王にたてようとした。この時、内間御鎖は西原の浜でよく釣りをしていた。首里の人々は衣装とカゴを持って迎えに来る。「内間御鎖主はどこにいらっしゃるのか」と近くの民間人に聞くと、「あの方はよく釣りをしているよ」と言って、そこへ行くと内間御鎖主がいた。持って来た衣装などを着せて連れて行く。その時、側にあった1.2mの大岩はインシュヌジツと呼ばれている。内間親雲上は尚円王の命令で八重山に在番奉行として視察に行くことになった。ところが八重山に行く途中で暴風に遭い。船は転覆したので、丸太にすがって漂流していると、石垣島の川平に流された。その時、三隻の漁船が通り架かり丸太にすがっている人を見つけたので助けあげた。見ると立派な着物を来ているので、身分の高い人と知り、仲間親雲上を川平の司の所に連れて行った。司は22~23歳の独身の女性だが、掟の命令で仲間親雲上はその司に看病してもらうことになった。司はお粥を作り、魚を煎じて介抱した。やがて二人の間に遭いが芽生え、司は妊娠した。しかし、仲間親雲上はそういつまでも八重山に留まることができないので、自分の名と身分を明かして「男の子が生まれたら安平田子の子孫だから、安平田子から始まった柴差之行事を、また牛を殺して結願祭をし、子供には武芸と学問を教えなさい」と言って、沖縄本島に帰って行った。司は男の子が生まれるように願い、石垣島のあちこちの御嶽で鷲ン鳥の歌と踊りを奉納した。生まれた子は男の子だった。その子は成長して仲間満慶と呼ばれるようになった。首里では尚円王の死後、弟の尚宣威が王についたが、尚恩の妻世襲御殿が自分の子尚真を王位につけようと、宣威を批判して退位させたので、尚真が王になった。尚真は父尚円から安平田子の話を聞いていたので、その子孫である仲間大主を厚遇し、津嘉山の土地を与えたが、津嘉山にいた旧門中の人々はそれを喜ばず、仲間大主の妻が美人だったこともあって、争いとなり、妻は津嘉山を出て識名で死んだ。このことが後に王に知れて、旧津嘉山の門中の人は罰された。この内間大主から出る祝女は天のアヤメーと呼ばれ、腕には左御紋のハジチをすることが許されていた。仲間大主の子の仲間満慶は八重山の川平で成長し、8人の男の子の親となった。その8人の子が成長した頃、石垣島を治めていたのは満慶と長田大主、オヤケアカハチだった。尚真王から首里に税を阿さめるように八重山に命令があると、オヤケアカハチ、満慶、長田大主が相談し、長田大主と満慶は治めようと言ったが、オヤケアカハチは反対した。アカハチは満慶が帰る時、部下に先回りさせて落とし穴を作り、その穴に落ちた満慶を殺した。満慶の供の二人のうち一人はそのことを満慶の子供に知らせ、もう一人は長田大主に知らせた。満慶の8人の子はこれを聞いてすぐにサバ二に乗って西表島に逃げ、西表から多良間、伊良部島から、宮古に行ってこのことを知らせたので、宮古からこのことを聞いた尚真王は、3000人の軍を出して、宮古の仲宗根豊見親と共に八重山のアカハチを攻めさせた。しかし、昼はアカハチの防備が固いので、久米島祝女に戦のサチバイをさせて攻め、夜をまって松明を持った船に南に向かうように見せ、アカハチの軍が南に集まった時、西から上陸してアカハチを滅ぼした。 尚泰久王時代 本部満名村 上殿内の次男 安平田子 大里城 首里 戦 南風原 喜屋武 名護の家 百姓の真似 中頭から牛 兼城の内嶺城 按司の娘が 亡くなった 娘の墓の前 雨宿り 生き返た カタカシラ 棺箱 チリメンの手拭い 小豆でお祝い カシチーの始まり 二人を結婚 兼城按司 五代目金城按司 長女マナビ 次女マグジ 別腹で長男 照屋と山川の土地 豊作の祝の祭り 御馳走 アマダンジャ里主 水をくれ 謀反 玉那覇村 金城按司 亡霊 内間御鎖王 仲間大主を婿養子 尚徳王 喜界島征伐 内間殿 久高島 美しい祝女 首里の軍師 西原の浜 釣り インシュヌジツ 内間親雲上 尚円王 八重山に在番奉行 暴風 船は転覆 石垣島の川平 司に看病 司は妊娠 柴差の行事 牛を殺して結願祭 武芸と学問 鷲ン鳥の歌と踊りを奉納 仲間満慶 尚宣威 世襲御殿 津嘉山の土地 天のアヤメー 腕には左御紋のハジチ 8人の男の子の親 長田大主 オヤケアカハチ 首里に税 落とし穴 西表島 多良間 伊良部島 宮古 仲宗根豊見親 久米島祝女
全体の記録時間数 50:32 57:21
物語の時間数 50:32 57:21
言語識別 混在
音源の質
テープ番号
予備項目1

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