喜屋武の始まり(共通語)

概要

玉城の百名大主の11男が喜屋武シジにやって来て、イシジャーに住居をつくった。それは上がお墓、真中が住宅、下の方に飲み水用の井戸があるという家である。この家がお役にと名付けられて、中城村から婿養子を迎えて、そこから広がっていった。その親国に祝女がいて、そこの娘さんが照屋の仲筋に嫁いでいった。玉城の百名大主の7男は津嘉山のムートゥヤーである。親国は今でも玉城の仲村渠のミントゥンを拝んでいる。喜屋武には名護、北谷、恩納などの屋号が多くあるので、北部から来たと言う説も考えられる。喜屋武には系図が残っている家は赤嶺姓だけがある。

再生時間:9:43

民話詳細DATA

レコード番号 47O378585
CD番号 47O37C355
決定題名 喜屋武の始まり(共通語)
話者がつけた題名
話者名 野原広仁
話者名かな のはらこうじん
生年月日 19100604
性別
出身地 南風原町喜屋武
記録日 19910827
記録者の所属組織 南風原町口承文芸調査団
元テープ番号 南風原町T132A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 玉城の百名大主の11男,喜屋武シジ,イシジャー,上がお墓,真中が住宅,下の方に飲み水用の井戸,中城村,婿養子,親国に祝女,照屋の仲筋,玉城の百名大主の7男,津嘉山のムートゥヤー,玉城の仲村渠のミントゥン,喜屋武,名護,北谷,恩納,屋号,北部から来た,赤嶺姓
梗概(こうがい) 玉城の百名大主の11男が喜屋武シジにやって来て、イシジャーに住居をつくった。それは上がお墓、真中が住宅、下の方に飲み水用の井戸があるという家である。この家がお役にと名付けられて、中城村から婿養子を迎えて、そこから広がっていった。その親国に祝女がいて、そこの娘さんが照屋の仲筋に嫁いでいった。玉城の百名大主の7男は津嘉山のムートゥヤーである。親国は今でも玉城の仲村渠のミントゥンを拝んでいる。喜屋武には名護、北谷、恩納などの屋号が多くあるので、北部から来たと言う説も考えられる。喜屋武には系図が残っている家は赤嶺姓だけがある。
全体の記録時間数 9:47
物語の時間数 9:43
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP