与那嶺門中は与那原に行ったのは、首里から与那原に行った者と、それから、与那原にもまた、上原門中おるわね。なんだか、ウナイイキーでないかと思うな。兄貴だろう、なにかしらん、あの一緒に東廻り一緒にやりましたよ、上原門中とあの与那嶺門中と一緒に阿知利か、我々の結局一番の祖先ですよ。で、そのまた上はね、まぁ、これ一人の考えだけども、私らが今はあるかどうか知らん掛け軸があったんですがね。先祖の当番であすこに一日、十五日の当番でいったもんですよ。阿知利まで割当てが来て、宮平から一人こい、宮城から一人こい、あすこ祀りに行くわけですよ、今はそういうこともなくなったけどねぇ。とにかく、あすこに掛け軸があって、その掛け軸が運は天にありといってほまいせんにあれして、太陽のこう、明るい所向いてこうやって、ついたところがこう沖縄であったっちゅうて、その掛け軸があったんです。だから、結局、為朝公の子孫である、直系であるということが分かったわけですよ。まぁ、一国一城の主で戦の神様ですよね。その当時、戦国時代だから・・・。そうですね、与那原を守っていたわけでしょうね。家は、また宮城が本家でね、宮城から分かれてきたもんですよ。まだ、九世代くらいしかならない、宮平きて。だから、宮平にくれば、まぁ、寄留民みたいな扱いされたことがあるんだ。後からこっち来たんだから、宮城からあの井(かぁ)の後ろの父と大与那嶺の父と区長、区長、立候補して、えぇ、やったら、このそんな大きな仲村一門に負けたんだよ。いやぁ、その、いやぁ、その時に覚えているのが、その寄い者と言われたんだよ。うんぐとぅる、寄い者に負けて、寄い者ちったら、寄留民のこと方言ではねぇ、いや、そういうことを覚えてるんもんだから、あぁ、その寄い者(ゆいむん)だったわけさ。宮城、宮城が、宮平。宮平に来たのは、まだ九代しかならん。与那原で阿知利世の主は一番の大きい、三つある神様でそのなかの一つですよね。あすこは、やっぱり、いわゆる、えー、あすことつながってるんじゃないすかぁ。東廻りのゆぅあぁきぃの御嶽、湯の始まりちゅうのがるでしょう。与那原とそのあがりこぉいて歩く拝んで歩く所とつながってるんじゃないすか。てんそんこりんは向こうだからね。にらいかないちゅうのは海の彼方でしょう。海の彼方から、流れてよってきたにらいかないちゅうのがあるよね。
| レコード番号 | 47O378346 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C345 |
| 決定題名 | 阿知利世の主と与那嶺家(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 与那嶺亀助 |
| 話者名かな | よなみねかめすけ |
| 生年月日 | 19160325 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 南風原町宮平 |
| 記録日 | 19910828 |
| 記録者の所属組織 | 南風原町口承文芸調査団 |
| 元テープ番号 | 南風原町T113A10 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 与那嶺門中,与那原,首里,上原門中,ウナイイキー,東廻り,阿知利,掛け軸,宮平,宮城,祀り,為朝公の子孫,一国一城の主,戦の神様 |
| 梗概(こうがい) | 与那嶺門中は与那原に行ったのは、首里から与那原に行った者と、それから、与那原にもまた、上原門中おるわね。なんだか、ウナイイキーでないかと思うな。兄貴だろう、なにかしらん、あの一緒に東廻り一緒にやりましたよ、上原門中とあの与那嶺門中と一緒に阿知利か、我々の結局一番の祖先ですよ。で、そのまた上はね、まぁ、これ一人の考えだけども、私らが今はあるかどうか知らん掛け軸があったんですがね。先祖の当番であすこに一日、十五日の当番でいったもんですよ。阿知利まで割当てが来て、宮平から一人こい、宮城から一人こい、あすこ祀りに行くわけですよ、今はそういうこともなくなったけどねぇ。とにかく、あすこに掛け軸があって、その掛け軸が運は天にありといってほまいせんにあれして、太陽のこう、明るい所向いてこうやって、ついたところがこう沖縄であったっちゅうて、その掛け軸があったんです。だから、結局、為朝公の子孫である、直系であるということが分かったわけですよ。まぁ、一国一城の主で戦の神様ですよね。その当時、戦国時代だから・・・。そうですね、与那原を守っていたわけでしょうね。家は、また宮城が本家でね、宮城から分かれてきたもんですよ。まだ、九世代くらいしかならない、宮平きて。だから、宮平にくれば、まぁ、寄留民みたいな扱いされたことがあるんだ。後からこっち来たんだから、宮城からあの井(かぁ)の後ろの父と大与那嶺の父と区長、区長、立候補して、えぇ、やったら、このそんな大きな仲村一門に負けたんだよ。いやぁ、その、いやぁ、その時に覚えているのが、その寄い者と言われたんだよ。うんぐとぅる、寄い者に負けて、寄い者ちったら、寄留民のこと方言ではねぇ、いや、そういうことを覚えてるんもんだから、あぁ、その寄い者(ゆいむん)だったわけさ。宮城、宮城が、宮平。宮平に来たのは、まだ九代しかならん。与那原で阿知利世の主は一番の大きい、三つある神様でそのなかの一つですよね。あすこは、やっぱり、いわゆる、えー、あすことつながってるんじゃないすかぁ。東廻りのゆぅあぁきぃの御嶽、湯の始まりちゅうのがるでしょう。与那原とそのあがりこぉいて歩く拝んで歩く所とつながってるんじゃないすか。てんそんこりんは向こうだからね。にらいかないちゅうのは海の彼方でしょう。海の彼方から、流れてよってきたにらいかないちゅうのがあるよね。 |
| 全体の記録時間数 | 4:28 |
| 物語の時間数 | 4:17 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |