大宗大国子とその子供達(共通語)

概要

大東島から大宗大国子が宮城、宮平、山川を巡行した後、宮城へ移住し住んでいた。大国子の土地は大変豊かな土地で水も豊富であった。その生活の跡はウスク井戸として宮城の残っている。宮城へ澄んだ大国子は宮城の祝女殿内という屋号の娘と夫婦になり5名の子供を授かった。長男を与那覇大国子といい与那覇を統一し亡くなった後はウサン森に葬られ、今でもその墓は残されている。次男は具志堅大屋子といい、真和志村具志堅を統一。三男は知念大屋子といい、今の知念村を統一した。四男を内間大屋子といい浦添市内間という名で残っている。五男は神里大屋子といい、山川村を統一した後、与那覇に移住し、長男与那覇大屋子が亡くなっていたので、その後を継ぎ現在根所大屋という家として残っている。又、大国子は正妻と5人の子供がありながら、摩文仁殿内という屋号の娘を妾にし2人の間に1人の男の子が生まれた。それで、周囲の反感をかい、その子と妾は大国子という名と与那覇へ住まわせた。妾の墓は実家の摩文仁殿内が墓を作ってくれて、屋敷の前に殿内として残っている。子孫である島袋さん達は現在でも摩文仁御殿を拝んでいるという。

再生時間:21:44

民話詳細DATA

レコード番号 47O378196
CD番号 47O37C335
決定題名 大宗大国子とその子供達(共通語)
話者がつけた題名
話者名 島袋春徳
話者名かな しまぶくろしゅんとく
生年月日 19140607
性別
出身地 南風原町与那覇
記録日 19910307
記録者の所属組織 南風原町口承文芸調査団
元テープ番号 南風原町T96A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 大東島,大宗大国子,宮城,宮平,山川,大国子の土地,大変豊かな土地,水も豊富,ウスク井戸,祝女殿内,娘,夫婦,5名の子供,長男を与那覇大国子,与那覇を統一,ウサン森,墓,次男は具志堅大屋子,、真和志村具志堅を統一,三男は知念大屋子,知念村を統一,四男を内間大屋子,浦添市内間,五男は神里大屋子,山川村を統一,与那覇に移住し,根所大屋,正妻と5人の子供,摩文仁殿内,妾
梗概(こうがい) 大東島から大宗大国子が宮城、宮平、山川を巡行した後、宮城へ移住し住んでいた。大国子の土地は大変豊かな土地で水も豊富であった。その生活の跡はウスク井戸として宮城の残っている。宮城へ澄んだ大国子は宮城の祝女殿内という屋号の娘と夫婦になり5名の子供を授かった。長男を与那覇大国子といい与那覇を統一し亡くなった後はウサン森に葬られ、今でもその墓は残されている。次男は具志堅大屋子といい、真和志村具志堅を統一。三男は知念大屋子といい、今の知念村を統一した。四男を内間大屋子といい浦添市内間という名で残っている。五男は神里大屋子といい、山川村を統一した後、与那覇に移住し、長男与那覇大屋子が亡くなっていたので、その後を継ぎ現在根所大屋という家として残っている。又、大国子は正妻と5人の子供がありながら、摩文仁殿内という屋号の娘を妾にし2人の間に1人の男の子が生まれた。それで、周囲の反感をかい、その子と妾は大国子という名と与那覇へ住まわせた。妾の墓は実家の摩文仁殿内が墓を作ってくれて、屋敷の前に殿内として残っている。子孫である島袋さん達は現在でも摩文仁御殿を拝んでいるという。
全体の記録時間数 21:50
物語の時間数 21:44
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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