シバサシとカシチーの由来(共通語)

概要

シバサシの由来記とゆうものは、本部満名(まんなぁ)といってね、この今の安平田子(あひだしぃ)がもとは本部満名、名前を本部、今帰仁城の、ねっ、湧川王子、湧川按司(あんじ)、今帰仁按司(あんじ)、また、岡春按司(あんじ)、そして、えぇ、この四名の元祖(がんす)を祀った、本部満名村、上(いぃ)之殿内(とぅんち)に祀られておるわけさぁ。そして、この、子孫の満名大(うふ)、大(うふ)、大屋子(うふやこ)の次男としてね、あっちから島尻に、一応は中山のところに来たら、自分の、まぁ、出世(すっせ)をしか、叶え、叶われるかねぇと言ってね、こっちに来たわけさぁ、そうして、このときに、大里城はもとは今帰仁城の、屋部村にゆう、仲宗、仲宗根若按司(あんじ)が隠れた、仲宗根若按司(あんじ)のこの子孫が二回(くゎい)とも、大里城に養子が入っているわけさぁ、そうして、この、意味でぇ、うちは大里城址とは、遠い親戚ぃでもあるが、そして、こっちにたどれぇば、こっちから何といって、いい話が聞こえるかねぇといってね、大里城に一応は本部満名は、い、いらっしゃったわけさぁ、そして、あんたはどこの方かぁと言って、大里按司(あんじ)に言われたらねぇ、うちは今帰仁城の王、今帰仁子(しぃ)の子孫、仲宗根若按司の子孫であると言っていたから、そうして、大里按司(あんじ)は、首里、国王に、耳に聞こえたらねぇ、今帰仁の、探索が来ているといって、勘違いをしぃ、やられたらいかないから、あんたの味方が、おじ、おじさん、ずっと上のね、おじ氏の方々が南風原(はえばら)間切の喜屋武部落に名護とゆう、方がいらっしゃる。今はもう家庭はいなくなっているさぁ、そして住むといっても、古い人がいるからね、はい、そしてこれを頼りに行きなさいと言って、言って、ゆうたわけさぁ。そのときに、名護(なぐ)はあんたは、南風原本部部落に満名(ムンナン)とゆう、部落があるからねぇ、あんたが一番、おじ氏に当たる方がいらっさるから、あっちでぇ一応養子のうえってね、百姓の真似をやっておきなさいといって、ゆうたわけさ、これも、今帰仁城の按司(あんじ)祀っているぅ、按司の子孫だから、そうして、本部満名(むとぅぶまんなぁ)に、うちを召使やって下さいと言ったら、うん、あんたどこから来たかぁ、自分は分からんふりぃり、むぅ、自分も一緒の満名村の、上(いぃ)之殿内(とのち)の、ずっと上の分かれだがね、分からんふりで、もう四代前に来ているから、分からんふりで、あんたどこに、あんた青年かぁと言ったら、うちは、本部満名村に上(いぃ)之殿内(とのち)、次男で、次男であるとゆうたわけさ、あんたは、按司の子孫だからねぇ、大、大袈裟には按司の子孫とは言わないで、もう戦国の時代だからね、中山、国王に付(ちゅ)かれ、聞こえたらね、勘違いやられたらいかないから、一応こっちで、働、農場、うちの農、大農場やっているからね。本部満名しょいて、あんたは本、農場を召使やりなさいと言って、使(ちゅ)かえたわけさぁ、そして、このときに、もう牛が必要、田を耕すときは、牛が必要だから、牛を、まぁ、中頭あたりで買ってきなさいと言って、言わ、言われたわけさぁ、そうして、はいと言って、この本部(むとぅぶ)の満名(むんな)の主人から、もう言われたから、はいと言って、遠慮なくやったわけさぁ。
 そのときに牛を、買って来て、内嶺(うちみね)城の南風原(はえばら)内嶺(うちんみ)兼城按司(あんじ)のねぇ、墓の前にさし、着(ちゅ)か、さしかかったわけさ、牛を持って、手じゅ、牛の、手綱(てじゅな)を持って、そしてこのときに、もう旧の八月(ぐゎち)、九月(ぐゎち)じ、時期は俄雨が沢山あるわけさぁ。とぉ、もう西の方から黒い雲が、ゆっ、ずっと、きたわけさぁねぇ、そのときに、これをもう牛は、内嶺(うちみね)城の墓の前、側の、木にくびって、そしてこのときは、今の墓の恰好(かっこ)はでない。自然のガマを利用やってね、人の立っている約一メートルぐらいの、石積みをやって、この上を開いているわけさ。この中に内嶺(うちみね)城主の四代めの兼城按司(あんじ)の長女、おう、まだ二十うぅ、十九のころの娘が、これはウミナビとゆうわけさぁね、按司(あんじ)の子供には、このウミナビ、こっちにもう死んで、こっちに白い衣装を着(ちゅ)けて、棺箱(かんばこ)に入れられて、葬られて入れ、いたわけさぁ。この当時、三日になるわけさぁ、このときはもう医者も優れないしね、そって、このときに、三日めにもう目を覚めて、この娘よ、目を、みたら、棺箱(かんばこ)の中に入っているから、この棺箱(かんばこ)を開けて、白い、し、白い、衣装を着けてね、このまま、棺箱(かんばこ)の側に、座っているわけさぁ、そのときにこのぅ、本部満名(まんなぁ)、安平田(あひだ)はねぇ、たく、はっ、墓を、一応後ろ、バックにやって、隠れているからね、肩頭をつかまれられておるさぁ、肩頭。そしてこのときに、生ちみりやりぃ、後生(ぶしょう)りやりぃと言って、ゆうたわけさぁ、〔 なるほど。〕あぁ、〔
生きているのか、後生の人かぁ。〕生きているかぁ、後生(ぐそう)かぁと、この方はもう武芸、学問優れた、武術の本部満名(まんなぁ)安平田(あひだ)だからねぇ、そして、うちは、この娘を、うちは、後生(ぐそう)はでない、死んでいると言って、うちの父按司(あんじ)、兼城按司(かねぐしくあんじ)、また、お母さん、ウナジャラがねぇ、皆沢山の方々が葬って、あぁ、葬ったとき、こっち、葬ったときは分からない。今、みうしうさみてから、どうするかねぇと、どうしてお家に城の内嶺(うちんみ)城址に入って行くかねぇと言ってねぇ、聞いたわけ、いや考えていたわけさぁ、そのときにぃ、本部満名(まんなぁ)安平田(あひだ)が来て、雨宿りやってぇいたわけさぁ、このときに肩頭を掴(ちゅ)かまえて、そして、この本部満名(まんなぁ)安平田(あひだ)は、もう英雄の武芸者だからねぇ、学問も、もう今帰仁はもうま、今帰仁城の、按(あん)、武士どもは非常に、武芸に達する方らから、そしてこのときにもうあんたは生き、生きているか、死んでいるえぇ、後生(ぐしょう)りやるいぃ、生ちみりやりぃとゆうたわけさぁ、そのとき、生ちみりやんろう、生き、生ちちょういびんろぅとゆうたわけさぁ、あんしぇやぁや、まじ立ちんりぃりちさくとぅ、もう立っ、立っ、もうこれからもう一応は、座っているもう一応お立ちになったわけさぁ、そのときの白い衣装を着けてもうもう青ざめにやって、いるからねぇ、あんたはどこのかぁと言って、本(むとぅ)、この本部満名(まんなぁ)がゆうたわけさぁ、わんねぇ、うちはね、内嶺(うちみね)兼城按司(あんじ)の娘でやるぅんでぃちゆうたわけさぁ、そのときに、じゃあ、このままうちが、兼城(かねぐしく)按司(あんじ)に城の方に入って、あんたの按司の娘を生きているとゆうたらねぇ、これ、死んでから、生きたとゆうものは、按司(あんじ)がも、ウナジャラがもね、これはもう納得はいかないから、なん、なんだか、こっちの棺箱(かんばこ)にね、すっ、あの世の旅立ちするときに、情けが、あっただろうと思うよぉとゆうてね、それもういったん、この棺箱(かんばこ)は、探してみなさいと言って、そしてこの、すぅ、棺箱(かんばこ)、棺(かん)の、棺(くゎん)の中を探したらね、昔は今の手拭いのように、縮緬とゆうわけさぁ、縮緬(ちりみん)、縮緬(ちりみん)が入(い)っちょおいびぃさぁ、入っているさぁ、とぅ、くれぇ、すぅ、証拠、証拠になるからね、これをうちの懐(ほところ)に入れてね、い、一応内嶺(うちみね)城址の、一応連絡するわけ、連絡しょうねぇとゆうたわけさ。そのときに、門番がふたりいるからねぇ、棒持って、内嶺(うちみね)城は、門、門番に、うちは按司(あんじ)にね、兼城按司(あんじ)に用事があるから入れてくれ、ぬぅぬ用事(ゆうじ)のあいん、何の用事のあるかとゆうたわけさぁ、じちぇ、二、三日前(めぇ)うまの按司ぬ、按司(あんじ)の女の子が、死んだだろうとゆうてから、はい、なんでぇりち、うぬちょお、生ちちょうくとぅやぁ、是非、あの按司(あんじ)んかい、告(ちゅ)げて、どうしても、こっちから、皆行って、連(ちゅ)れ、衣装もウナ、ウミナイビぬ前(めぇ)の衣装も持って行って、着しぇて、そしてこっちに、連れてこなかったらいかないよぅと、言っ、言って、ゆうたわけさぁ、そして、このあの門番の方がね、早速按司(あんじ)の前に、行って、按司加那志前(めえ)、うんじゅのウミンは、生ちちょうんでち連絡のあいびぃんどぉ、誰(たぁ)があいん言ちょうが、誰がゆうたかぁと言って、本部満名(まんなぁ)にぃりちにいちょおいびぃん青年(にぃせぇ)がいちょおんろう、やびたぐとぅや、じゃあこの本部満名(まんなぁ)青年(にぃせぇ)、うまんかい連(そう)てくぅりち、そして按司(あんじ)の前に連(ちゅ)れて行ったわけさ。えぇ、入ったわけさ。いみ、いっち、按司(あんじ)と入って、按司(あんじ)と話をやりなさいと門番がゆうたわけさぁ。そして按司(あんじ)の前に、跪きやって、さり、氏加那志前(めえ)、うんじゅの、ウ、ウミノ、おぅ、ウミナイビーは、生ちちょういびぃん、そうゆうたわけさぁ。そのときに、兼城按司(あんじ)は、もう天孫子、アマミキヨの時代からや、人間が死んでから、生き返ったとゆうのは、どこにもないからね、これはもう天の子(くゎあ)、天女(てんじょ)のやる、たたの人はでない、もうお父さん、父按司(あんじ)ももう珍しく思った。そのときに、ウナジャラの前(めえ)を呼んでね、お母さんを呼んで、お母さんに、こうして、あんたの、むす、息子生きているよぉと、ほんとうかぁ、そうでないかぁとゆうたわけさぁ。二片ぐらい、そして、このときに、懐から、出して、この縮緬はね、按司加那志、ウナジャラが、あの世に旅立つときに持たしたものでないかぁと言って、ほぅ、確かにと言ってね、目をもう大きくしてね、びっくりしたわけさ。これをもう生きているから、そのときに、祝女、兼城按司(あんじ)、祝女を連れ、伝えてね、祝女に、今日の夜はね、こっちの、兼城城址の侍どもを、皆集まって、刀、槍をみんな、武装、より、鎧兜を持って、皆武装やってね、悪霊(れい)が来るかもしれないから、こっちで悪霊(れい)ぬくいをやるために、祝女に、兼城按司(あんじ)に、祝女にね、あんたは按司、按司(あんじ)の、あにぃ、按司(あんじ)がね、命令をするわけさぁ、すすきの葉を持ってね、これで、サン結びをやって、あの世と生きた、世の、悪霊(れい)も来るかもしれないから、こっちで、悪霊(れい)払いをやりなさいといってたわけさ。このときにすすきの葉は、フカマジャチとゆう、地名のところからね、すすきの葉は、サン、サンザクの、長さの、すすきを切ってね、そして、この束を持って、そして、この、蚕の葉、沖縄ではナンデーシとゆうわけさ。ナンデーシ、かゆう、蚕に、桑、桑の葉、ナンデーシとゆう、これを結びついてね、そして払いをやる、やったわけさ、このときに、もう悪霊(れい)はもういないから、そして、いなく、来ないから。そして、じゃあ、これで、いい、いいねぇとゆうて、首里、首里国王に告(ちゅ)げるわけさぁ、この内嶺(うちみね)城址は、三山統一した、尚巴志王が、北山のハンアンチをおとして、そうして、このハンアンチの、娘、ウマジャラの前(めえ)をね、ほろとり、ほろを取ったわけさぁ、そって三男の喜屋武クシーをほろを取ったさぁ、四男の、また、外間子(ふかましぃ)もほろ取ったさぁ、そして、五男(ぐなん)のトラジュウがでもほろを取って、このほろ人はどこに連れて行ったかといったらね、大里城址に連れて行ったわけさ。この大里城址は尚巴志王の弟、平田子(ひらたしぃ)、平田按司(あんじ)とゆうところに、連れていって、行ったわけさ。 そして、お母さんはもうまけがたりなって、この世を去って、大、大里城址のね、西側の墓に、お墓を造って、葬ってね、後で三男の喜屋武クシーも外間子(ふかましぃ)もあっちに祀つられて、この、四男、五男のトラジュウガニに、大里城址の、えぇ、兼城按司(あんじ)の始まりは、尚巴志王が、あっ、僕が、あぁ、三山統一やったから、平田按司(あんじ)、平田の子(しぃ)、あんたの娘を妻をトラジュウガニに五男に今帰仁ハンアンチの五男(ぐなん)、トラジュウガニに娘をやれ、そして、二人(たい)、二人夫婦なし、やってね、うちが、うちのお父さんは、総シショウ、もとはナーシル大屋、総シショウ、尚巴志王が三山統一をやったから、うちはお父さん、うんじょお、ナーシル大屋やいびぃしが、総シショウと言って、なてぃくみそうれぇと、そして、このときにウラシイ城址の武寧王を倒してね そして、北山は、ハンアンチ、南山はタルマイ王を倒してね、そってこのときに、中山は今まではウラシー城址にあったわけ、このウラシー城址に、あったから、今の首里城は、首里森(しゅいむい)の御嶽といってね、おぅ、御嶽ばかしあったわけさ、山になって、そのときに中山は、中山王、武寧王通して、尚巴志が、統一やっているから、そのときのお父さんの総シショウが生きて間は、ウラシー城址に、しっ、国王なさって、そして、う、うちは、首里森(しゅいむい)に石垣を積んで、なっ、首里城を中心を中央の、し、しを、首里、首里嶺(しゅいみね)、首里(しゅい)、中山城を造ろうと言って、尚巴志は考えたわけさ、そうって、このときに、今帰仁城から、ほろ取ってきた、トラジュウガニ、自分の尚巴志の弟、弟、平田子(しぃ)に、あんたの娘やって、うちに南風原(はえばら)間切に、内嶺(うちみ)のぉ、山に、内嶺(うちみ)城、兼城按司(あんじ)といって、このトラジュウがね、最初の兼城按司(あんじ)になったわけさ。そして、四代めの、按司の時代にシバサシの由来記は始まってね。そのときに、本部満名(まんなぁ)は、本部満名(まんなぁ)から、こっちに来ているからね、シバサシの由来記をやっているから、そうして、なん、按司(あんじ)を、尚巴志から、尚泰久王の時代に、本部満名(まんなぁ)、安平、安平田はこっちに来ているから、そして、このときに、あんたの・・・・・

再生時間:60:5分

民話詳細DATA

レコード番号 47O377979
CD番号 47O37C324
決定題名 シバサシとカシチーの由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 大城浩紀
話者名かな おおしろこうき
生年月日 19311230
性別
出身地 南風原町津嘉山
記録日 19910306
記録者の所属組織 南風原町口承文芸調査団
元テープ番号 南風原町T80A01 80B01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード ,シバサシの由来記,本部満名,安平田子,今帰仁城,湧川王子,湧川按司,今帰仁按司,岡春按司,上之殿内,大屋子,次男,島尻,中山,大里城,屋部村,仲宗根若按司,養子,首里,国王,南風原間切,喜屋武部落,名護,牛,内嶺城,兼城按司,墓,棺箱,雨宿り,肩頭,後生,ウナジャラ,縮緬,門番,フカマジャチ,サン,蚕の葉,悪霊,三山統一,尚巴志王,北山のハンアンチ,トラジュウ,喜屋武クシー,外間子,ナーシル大屋,ウラシー城址,武寧王
梗概(こうがい) シバサシの由来記とゆうものは、本部満名(まんなぁ)といってね、この今の安平田子(あひだしぃ)がもとは本部満名、名前を本部、今帰仁城の、ねっ、湧川王子、湧川按司(あんじ)、今帰仁按司(あんじ)、また、岡春按司(あんじ)、そして、えぇ、この四名の元祖(がんす)を祀った、本部満名村、上(いぃ)之殿内(とぅんち)に祀られておるわけさぁ。そして、この、子孫の満名大(うふ)、大(うふ)、大屋子(うふやこ)の次男としてね、あっちから島尻に、一応は中山のところに来たら、自分の、まぁ、出世(すっせ)をしか、叶え、叶われるかねぇと言ってね、こっちに来たわけさぁ、そうして、このときに、大里城はもとは今帰仁城の、屋部村にゆう、仲宗、仲宗根若按司(あんじ)が隠れた、仲宗根若按司(あんじ)のこの子孫が二回(くゎい)とも、大里城に養子が入っているわけさぁ、そうして、この、意味でぇ、うちは大里城址とは、遠い親戚ぃでもあるが、そして、こっちにたどれぇば、こっちから何といって、いい話が聞こえるかねぇといってね、大里城に一応は本部満名は、い、いらっしゃったわけさぁ、そして、あんたはどこの方かぁと言って、大里按司(あんじ)に言われたらねぇ、うちは今帰仁城の王、今帰仁子(しぃ)の子孫、仲宗根若按司の子孫であると言っていたから、そうして、大里按司(あんじ)は、首里、国王に、耳に聞こえたらねぇ、今帰仁の、探索が来ているといって、勘違いをしぃ、やられたらいかないから、あんたの味方が、おじ、おじさん、ずっと上のね、おじ氏の方々が南風原(はえばら)間切の喜屋武部落に名護とゆう、方がいらっしゃる。今はもう家庭はいなくなっているさぁ、そして住むといっても、古い人がいるからね、はい、そしてこれを頼りに行きなさいと言って、言って、ゆうたわけさぁ。そのときに、名護(なぐ)はあんたは、南風原本部部落に満名(ムンナン)とゆう、部落があるからねぇ、あんたが一番、おじ氏に当たる方がいらっさるから、あっちでぇ一応養子のうえってね、百姓の真似をやっておきなさいといって、ゆうたわけさ、これも、今帰仁城の按司(あんじ)祀っているぅ、按司の子孫だから、そうして、本部満名(むとぅぶまんなぁ)に、うちを召使やって下さいと言ったら、うん、あんたどこから来たかぁ、自分は分からんふりぃり、むぅ、自分も一緒の満名村の、上(いぃ)之殿内(とのち)の、ずっと上の分かれだがね、分からんふりで、もう四代前に来ているから、分からんふりで、あんたどこに、あんた青年かぁと言ったら、うちは、本部満名村に上(いぃ)之殿内(とのち)、次男で、次男であるとゆうたわけさ、あんたは、按司の子孫だからねぇ、大、大袈裟には按司の子孫とは言わないで、もう戦国の時代だからね、中山、国王に付(ちゅ)かれ、聞こえたらね、勘違いやられたらいかないから、一応こっちで、働、農場、うちの農、大農場やっているからね。本部満名しょいて、あんたは本、農場を召使やりなさいと言って、使(ちゅ)かえたわけさぁ、そして、このときに、もう牛が必要、田を耕すときは、牛が必要だから、牛を、まぁ、中頭あたりで買ってきなさいと言って、言わ、言われたわけさぁ、そうして、はいと言って、この本部(むとぅぶ)の満名(むんな)の主人から、もう言われたから、はいと言って、遠慮なくやったわけさぁ。  そのときに牛を、買って来て、内嶺(うちみね)城の南風原(はえばら)内嶺(うちんみ)兼城按司(あんじ)のねぇ、墓の前にさし、着(ちゅ)か、さしかかったわけさ、牛を持って、手じゅ、牛の、手綱(てじゅな)を持って、そしてこのときに、もう旧の八月(ぐゎち)、九月(ぐゎち)じ、時期は俄雨が沢山あるわけさぁ。とぉ、もう西の方から黒い雲が、ゆっ、ずっと、きたわけさぁねぇ、そのときに、これをもう牛は、内嶺(うちみね)城の墓の前、側の、木にくびって、そしてこのときは、今の墓の恰好(かっこ)はでない。自然のガマを利用やってね、人の立っている約一メートルぐらいの、石積みをやって、この上を開いているわけさ。この中に内嶺(うちみね)城主の四代めの兼城按司(あんじ)の長女、おう、まだ二十うぅ、十九のころの娘が、これはウミナビとゆうわけさぁね、按司(あんじ)の子供には、このウミナビ、こっちにもう死んで、こっちに白い衣装を着(ちゅ)けて、棺箱(かんばこ)に入れられて、葬られて入れ、いたわけさぁ。この当時、三日になるわけさぁ、このときはもう医者も優れないしね、そって、このときに、三日めにもう目を覚めて、この娘よ、目を、みたら、棺箱(かんばこ)の中に入っているから、この棺箱(かんばこ)を開けて、白い、し、白い、衣装を着けてね、このまま、棺箱(かんばこ)の側に、座っているわけさぁ、そのときにこのぅ、本部満名(まんなぁ)、安平田(あひだ)はねぇ、たく、はっ、墓を、一応後ろ、バックにやって、隠れているからね、肩頭をつかまれられておるさぁ、肩頭。そしてこのときに、生ちみりやりぃ、後生(ぶしょう)りやりぃと言って、ゆうたわけさぁ、〔 なるほど。〕あぁ、〔 生きているのか、後生の人かぁ。〕生きているかぁ、後生(ぐそう)かぁと、この方はもう武芸、学問優れた、武術の本部満名(まんなぁ)安平田(あひだ)だからねぇ、そして、うちは、この娘を、うちは、後生(ぐそう)はでない、死んでいると言って、うちの父按司(あんじ)、兼城按司(かねぐしくあんじ)、また、お母さん、ウナジャラがねぇ、皆沢山の方々が葬って、あぁ、葬ったとき、こっち、葬ったときは分からない。今、みうしうさみてから、どうするかねぇと、どうしてお家に城の内嶺(うちんみ)城址に入って行くかねぇと言ってねぇ、聞いたわけ、いや考えていたわけさぁ、そのときにぃ、本部満名(まんなぁ)安平田(あひだ)が来て、雨宿りやってぇいたわけさぁ、このときに肩頭を掴(ちゅ)かまえて、そして、この本部満名(まんなぁ)安平田(あひだ)は、もう英雄の武芸者だからねぇ、学問も、もう今帰仁はもうま、今帰仁城の、按(あん)、武士どもは非常に、武芸に達する方らから、そしてこのときにもうあんたは生き、生きているか、死んでいるえぇ、後生(ぐしょう)りやるいぃ、生ちみりやりぃとゆうたわけさぁ、そのとき、生ちみりやんろう、生き、生ちちょういびんろぅとゆうたわけさぁ、あんしぇやぁや、まじ立ちんりぃりちさくとぅ、もう立っ、立っ、もうこれからもう一応は、座っているもう一応お立ちになったわけさぁ、そのときの白い衣装を着けてもうもう青ざめにやって、いるからねぇ、あんたはどこのかぁと言って、本(むとぅ)、この本部満名(まんなぁ)がゆうたわけさぁ、わんねぇ、うちはね、内嶺(うちみね)兼城按司(あんじ)の娘でやるぅんでぃちゆうたわけさぁ、そのときに、じゃあ、このままうちが、兼城(かねぐしく)按司(あんじ)に城の方に入って、あんたの按司の娘を生きているとゆうたらねぇ、これ、死んでから、生きたとゆうものは、按司(あんじ)がも、ウナジャラがもね、これはもう納得はいかないから、なん、なんだか、こっちの棺箱(かんばこ)にね、すっ、あの世の旅立ちするときに、情けが、あっただろうと思うよぉとゆうてね、それもういったん、この棺箱(かんばこ)は、探してみなさいと言って、そしてこの、すぅ、棺箱(かんばこ)、棺(かん)の、棺(くゎん)の中を探したらね、昔は今の手拭いのように、縮緬とゆうわけさぁ、縮緬(ちりみん)、縮緬(ちりみん)が入(い)っちょおいびぃさぁ、入っているさぁ、とぅ、くれぇ、すぅ、証拠、証拠になるからね、これをうちの懐(ほところ)に入れてね、い、一応内嶺(うちみね)城址の、一応連絡するわけ、連絡しょうねぇとゆうたわけさ。そのときに、門番がふたりいるからねぇ、棒持って、内嶺(うちみね)城は、門、門番に、うちは按司(あんじ)にね、兼城按司(あんじ)に用事があるから入れてくれ、ぬぅぬ用事(ゆうじ)のあいん、何の用事のあるかとゆうたわけさぁ、じちぇ、二、三日前(めぇ)うまの按司ぬ、按司(あんじ)の女の子が、死んだだろうとゆうてから、はい、なんでぇりち、うぬちょお、生ちちょうくとぅやぁ、是非、あの按司(あんじ)んかい、告(ちゅ)げて、どうしても、こっちから、皆行って、連(ちゅ)れ、衣装もウナ、ウミナイビぬ前(めぇ)の衣装も持って行って、着しぇて、そしてこっちに、連れてこなかったらいかないよぅと、言っ、言って、ゆうたわけさぁ、そして、このあの門番の方がね、早速按司(あんじ)の前に、行って、按司加那志前(めえ)、うんじゅのウミンは、生ちちょうんでち連絡のあいびぃんどぉ、誰(たぁ)があいん言ちょうが、誰がゆうたかぁと言って、本部満名(まんなぁ)にぃりちにいちょおいびぃん青年(にぃせぇ)がいちょおんろう、やびたぐとぅや、じゃあこの本部満名(まんなぁ)青年(にぃせぇ)、うまんかい連(そう)てくぅりち、そして按司(あんじ)の前に連(ちゅ)れて行ったわけさ。えぇ、入ったわけさ。いみ、いっち、按司(あんじ)と入って、按司(あんじ)と話をやりなさいと門番がゆうたわけさぁ。そして按司(あんじ)の前に、跪きやって、さり、氏加那志前(めえ)、うんじゅの、ウ、ウミノ、おぅ、ウミナイビーは、生ちちょういびぃん、そうゆうたわけさぁ。そのときに、兼城按司(あんじ)は、もう天孫子、アマミキヨの時代からや、人間が死んでから、生き返ったとゆうのは、どこにもないからね、これはもう天の子(くゎあ)、天女(てんじょ)のやる、たたの人はでない、もうお父さん、父按司(あんじ)ももう珍しく思った。そのときに、ウナジャラの前(めえ)を呼んでね、お母さんを呼んで、お母さんに、こうして、あんたの、むす、息子生きているよぉと、ほんとうかぁ、そうでないかぁとゆうたわけさぁ。二片ぐらい、そして、このときに、懐から、出して、この縮緬はね、按司加那志、ウナジャラが、あの世に旅立つときに持たしたものでないかぁと言って、ほぅ、確かにと言ってね、目をもう大きくしてね、びっくりしたわけさ。これをもう生きているから、そのときに、祝女、兼城按司(あんじ)、祝女を連れ、伝えてね、祝女に、今日の夜はね、こっちの、兼城城址の侍どもを、皆集まって、刀、槍をみんな、武装、より、鎧兜を持って、皆武装やってね、悪霊(れい)が来るかもしれないから、こっちで悪霊(れい)ぬくいをやるために、祝女に、兼城按司(あんじ)に、祝女にね、あんたは按司、按司(あんじ)の、あにぃ、按司(あんじ)がね、命令をするわけさぁ、すすきの葉を持ってね、これで、サン結びをやって、あの世と生きた、世の、悪霊(れい)も来るかもしれないから、こっちで、悪霊(れい)払いをやりなさいといってたわけさ。このときにすすきの葉は、フカマジャチとゆう、地名のところからね、すすきの葉は、サン、サンザクの、長さの、すすきを切ってね、そして、この束を持って、そして、この、蚕の葉、沖縄ではナンデーシとゆうわけさ。ナンデーシ、かゆう、蚕に、桑、桑の葉、ナンデーシとゆう、これを結びついてね、そして払いをやる、やったわけさ、このときに、もう悪霊(れい)はもういないから、そして、いなく、来ないから。そして、じゃあ、これで、いい、いいねぇとゆうて、首里、首里国王に告(ちゅ)げるわけさぁ、この内嶺(うちみね)城址は、三山統一した、尚巴志王が、北山のハンアンチをおとして、そうして、このハンアンチの、娘、ウマジャラの前(めえ)をね、ほろとり、ほろを取ったわけさぁ、そって三男の喜屋武クシーをほろを取ったさぁ、四男の、また、外間子(ふかましぃ)もほろ取ったさぁ、そして、五男(ぐなん)のトラジュウがでもほろを取って、このほろ人はどこに連れて行ったかといったらね、大里城址に連れて行ったわけさ。この大里城址は尚巴志王の弟、平田子(ひらたしぃ)、平田按司(あんじ)とゆうところに、連れていって、行ったわけさ。 そして、お母さんはもうまけがたりなって、この世を去って、大、大里城址のね、西側の墓に、お墓を造って、葬ってね、後で三男の喜屋武クシーも外間子(ふかましぃ)もあっちに祀つられて、この、四男、五男のトラジュウガニに、大里城址の、えぇ、兼城按司(あんじ)の始まりは、尚巴志王が、あっ、僕が、あぁ、三山統一やったから、平田按司(あんじ)、平田の子(しぃ)、あんたの娘を妻をトラジュウガニに五男に今帰仁ハンアンチの五男(ぐなん)、トラジュウガニに娘をやれ、そして、二人(たい)、二人夫婦なし、やってね、うちが、うちのお父さんは、総シショウ、もとはナーシル大屋、総シショウ、尚巴志王が三山統一をやったから、うちはお父さん、うんじょお、ナーシル大屋やいびぃしが、総シショウと言って、なてぃくみそうれぇと、そして、このときにウラシイ城址の武寧王を倒してね そして、北山は、ハンアンチ、南山はタルマイ王を倒してね、そってこのときに、中山は今まではウラシー城址にあったわけ、このウラシー城址に、あったから、今の首里城は、首里森(しゅいむい)の御嶽といってね、おぅ、御嶽ばかしあったわけさ、山になって、そのときに中山は、中山王、武寧王通して、尚巴志が、統一やっているから、そのときのお父さんの総シショウが生きて間は、ウラシー城址に、しっ、国王なさって、そして、う、うちは、首里森(しゅいむい)に石垣を積んで、なっ、首里城を中心を中央の、し、しを、首里、首里嶺(しゅいみね)、首里(しゅい)、中山城を造ろうと言って、尚巴志は考えたわけさ、そうって、このときに、今帰仁城から、ほろ取ってきた、トラジュウガニ、自分の尚巴志の弟、弟、平田子(しぃ)に、あんたの娘やって、うちに南風原(はえばら)間切に、内嶺(うちみ)のぉ、山に、内嶺(うちみ)城、兼城按司(あんじ)といって、このトラジュウがね、最初の兼城按司(あんじ)になったわけさ。そして、四代めの、按司の時代にシバサシの由来記は始まってね。そのときに、本部満名(まんなぁ)は、本部満名(まんなぁ)から、こっちに来ているからね、シバサシの由来記をやっているから、そうして、なん、按司(あんじ)を、尚巴志から、尚泰久王の時代に、本部満名(まんなぁ)、安平、安平田はこっちに来ているから、そして、このときに、あんたの・・・・・
全体の記録時間数 60:5分
物語の時間数 60:5分
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP