喜屋武の始まり(シマグチ混)

概要

こっちぶの、部落の、喜屋武部落の一番元家は、親国親国、親国、国と書く、親という字と国という、親国、こっちの部落では、こっちが一番元家とゆうて、神元家。皆が何かあるとき、兵隊さんに行くときでも、何のときでも、祈願祭でも、一門も親国から拝み、たきだき拝み、この親国に、あの元家になっているけど、いっ、一番最初のもう部落の元家とゆうところでですからね、親国は。こっちからがやぁたちゃぁやぬ、新殿内、仲里、仲里は次男、新殿内えぇ、三男やみしぇえたんといって聞いているけど、親国のたちは、神さぁね、昔話といったら、こんなものだけど、こっちの部落では、喜屋武末出といってあるさぁね、こっちに、あんた方は分からないね、末、出ると書くって、あんさぁに、そぬ、そぬ、拝みもしぇえたんりぃせぇちゃぁのうまぁ、喜屋武末出の御願といってね、向こうに、親国んじ、餅ぐわぁ、百度之御願まで、百度之、百人なちくみそぉりとゆう、念願が、御願があったって、百人もいないわけさぁね、人口が、それで、お餅ぐわぁと、ぐぅ、なんねぇ、一貫みぃといいおったけど二銭、二銭とゆうお金は今の五十銭、五十円ぬぅぐらいだったかね、赤い金で作られたのがあったわけ、とぉうりがうひなぁちゅくらって、百、百人なちくみそぉりとゆう、わんは親国でやってからまた、喜屋武末出に行って、こんなにしてする御願があったって、それで、これは、喜屋武末出ぬ村の拝むところこっちってよ。部落の始まりだけど、あれ、御願に行って、じゃ、そこで拝んでいる。〕部落のおじいさんたぁがよ、もう個人個人になったから、個人から一人づつ出るようになられたわけさぁね、おじいさんたぁやね、各家庭からひとりづつ、あ、あ、集まってだったけど、なぁ、なまてぇな、この、公民館の部落の人だけであれでしょ。百人といったら、百度之御願でぃだからもう人口が少ないから百人のぉなちくみそぉりとゆうお願いしたわけでしょ。千人も余っているけど、親国とゆう屋号です。大城です。大城豊栄さんだけど、今はこの人はもうあの親が親国の親国小おじぃや、ゆぅのぬんでぇだりんてだけど、本当の親国の、子はいなくて、おじいさんが、次、三、四男だったけど、この人の次男が今はもう家造ってもう御先祖、祀って、こっちに出世している。こっちにいる。親国てゆうお家は、何代とは聞き、分からないねぇ、何代がなみしぇえらやぁ、だいすんやぁぬぅがら、親国のちっちゃんぬぅの勝連おじぃありぃてぃがやぁ、ぬぅんでぇそぉ、わかいみしょうらんでぃな何百年か、何かわからない。あれも、もう私達より子供時代の子供だからわからない。あれは、もう内地育ちして、兵隊さん、分からない。仲里、これたちの親元、わったぁのあれがだったけど、また、ふかたいしんかもいるし、勝連しんかもいるし、こっちには大城うふさてぃんやぁ、野原が大さんてぇやぁ一番、内原びちが多いさぁ、門中は、あっちこっち門中がありますよ。野原しんかが一番多い。野原が多い、大城が二番多いね。親国てゆうところから分家。分家とゆうよりは、違う、全部、祖先、正してゆってみたら、皆、後は最初に、親国の分家は仲里と新殿内。次は勝連とかや全部大城姓。糸満とかあるさぁね。赤嶺。直接この親国の分家とゆうのは、仲里と新殿内のほうといって聞いていますけど、わったぁみぃやもう十代、二十代、二十代と聞いている。内原とふかたいしんかとどあぬやるやかけいちょうる。こっちの親国のほうで、なんか、百度之御願するために餅作ってあった。今ではやらないでしょ、今、戦、戦後はもうやらないはずね、餅はつくらんでぇや、あらん、御願は、御願は今でもやってはいるけど、昔のおじいさんたぁ時代が、わったぁ時代でもないよ、わったぁ、親ふぁあふじの、わったぁがおじいさんたぁ時代はこんな、餅ぐわぁそれもまた、これひとつと、だけど、こっちでは食べなくて、皆家に孫さんだちがいるから、持っていらっしゃりおった。それを覚えているわけさぁやぁ。かしらぁまぁるぅやあらん、ちちがしら、ちちがしらぁやぁねぇまたよ、二月しまぁみぃないねぇ。

再生時間:10:42

民話詳細DATA

レコード番号 47O377875
CD番号 47O37C320
決定題名 喜屋武の始まり(シマグチ混)
話者がつけた題名
話者名 金城カメ
話者名かな きんじょうかめ
生年月日 19090610
性別
出身地 南風原町喜屋武
記録日 19910308
記録者の所属組織 南風原町口承文芸調査団
元テープ番号 南風原町T74A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 民俗
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 喜屋武部落,一番元家,親国,神元家,新殿内,仲里,喜屋武末出の御願,百度之御願,人口
梗概(こうがい) こっちぶの、部落の、喜屋武部落の一番元家は、親国親国、親国、国と書く、親という字と国という、親国、こっちの部落では、こっちが一番元家とゆうて、神元家。皆が何かあるとき、兵隊さんに行くときでも、何のときでも、祈願祭でも、一門も親国から拝み、たきだき拝み、この親国に、あの元家になっているけど、いっ、一番最初のもう部落の元家とゆうところでですからね、親国は。こっちからがやぁたちゃぁやぬ、新殿内、仲里、仲里は次男、新殿内えぇ、三男やみしぇえたんといって聞いているけど、親国のたちは、神さぁね、昔話といったら、こんなものだけど、こっちの部落では、喜屋武末出といってあるさぁね、こっちに、あんた方は分からないね、末、出ると書くって、あんさぁに、そぬ、そぬ、拝みもしぇえたんりぃせぇちゃぁのうまぁ、喜屋武末出の御願といってね、向こうに、親国んじ、餅ぐわぁ、百度之御願まで、百度之、百人なちくみそぉりとゆう、念願が、御願があったって、百人もいないわけさぁね、人口が、それで、お餅ぐわぁと、ぐぅ、なんねぇ、一貫みぃといいおったけど二銭、二銭とゆうお金は今の五十銭、五十円ぬぅぐらいだったかね、赤い金で作られたのがあったわけ、とぉうりがうひなぁちゅくらって、百、百人なちくみそぉりとゆう、わんは親国でやってからまた、喜屋武末出に行って、こんなにしてする御願があったって、それで、これは、喜屋武末出ぬ村の拝むところこっちってよ。部落の始まりだけど、あれ、御願に行って、じゃ、そこで拝んでいる。〕部落のおじいさんたぁがよ、もう個人個人になったから、個人から一人づつ出るようになられたわけさぁね、おじいさんたぁやね、各家庭からひとりづつ、あ、あ、集まってだったけど、なぁ、なまてぇな、この、公民館の部落の人だけであれでしょ。百人といったら、百度之御願でぃだからもう人口が少ないから百人のぉなちくみそぉりとゆうお願いしたわけでしょ。千人も余っているけど、親国とゆう屋号です。大城です。大城豊栄さんだけど、今はこの人はもうあの親が親国の親国小おじぃや、ゆぅのぬんでぇだりんてだけど、本当の親国の、子はいなくて、おじいさんが、次、三、四男だったけど、この人の次男が今はもう家造ってもう御先祖、祀って、こっちに出世している。こっちにいる。親国てゆうお家は、何代とは聞き、分からないねぇ、何代がなみしぇえらやぁ、だいすんやぁぬぅがら、親国のちっちゃんぬぅの勝連おじぃありぃてぃがやぁ、ぬぅんでぇそぉ、わかいみしょうらんでぃな何百年か、何かわからない。あれも、もう私達より子供時代の子供だからわからない。あれは、もう内地育ちして、兵隊さん、分からない。仲里、これたちの親元、わったぁのあれがだったけど、また、ふかたいしんかもいるし、勝連しんかもいるし、こっちには大城うふさてぃんやぁ、野原が大さんてぇやぁ一番、内原びちが多いさぁ、門中は、あっちこっち門中がありますよ。野原しんかが一番多い。野原が多い、大城が二番多いね。親国てゆうところから分家。分家とゆうよりは、違う、全部、祖先、正してゆってみたら、皆、後は最初に、親国の分家は仲里と新殿内。次は勝連とかや全部大城姓。糸満とかあるさぁね。赤嶺。直接この親国の分家とゆうのは、仲里と新殿内のほうといって聞いていますけど、わったぁみぃやもう十代、二十代、二十代と聞いている。内原とふかたいしんかとどあぬやるやかけいちょうる。こっちの親国のほうで、なんか、百度之御願するために餅作ってあった。今ではやらないでしょ、今、戦、戦後はもうやらないはずね、餅はつくらんでぇや、あらん、御願は、御願は今でもやってはいるけど、昔のおじいさんたぁ時代が、わったぁ時代でもないよ、わったぁ、親ふぁあふじの、わったぁがおじいさんたぁ時代はこんな、餅ぐわぁそれもまた、これひとつと、だけど、こっちでは食べなくて、皆家に孫さんだちがいるから、持っていらっしゃりおった。それを覚えているわけさぁやぁ。かしらぁまぁるぅやあらん、ちちがしら、ちちがしらぁやぁねぇまたよ、二月しまぁみぃないねぇ。
全体の記録時間数 10:42
物語の時間数 10:42
言語識別 混在
音源の質
テープ番号
予備項目1

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