今からなあの六百年、七百年頃前にいぃ七百年頃前に兼城のあの南風原町の今の南風原町の兼城に、若いこの娘さんが病気で亡くなっ病気で亡くなってな、このあの黄金森にあのこのお墓にあのもう亡くなったといって葬式して、それまたあの翌日見(なぁちゃみぃ)、昔あの今はもう翌日見(なぁちゃみぃ)はもうないと思いますが、翌日見(なぁちゃみぃ)といって翌日な死んだ人葬式して翌日はあのお墓参り、あの昔は今あのあのこのあの自分達があのこの覚えておるの七十七、八年六、七年前の五、六年お墓人があの亡くなったらこの漆喰あの墓地空気が入らんようにしよったがな、その前はあのこの二、三日、二、三日あの後からあのこのあのりっぱに密封しよったらしい、あのまたあの今あの二十四時間あのだあの死んでからちゃんと葬式あのこのあのこの診断書が貰えないでしょ、あの時はもうあわててな、四、五時間でもこのすぐあのもう墓に早いのはこの葬りよったらしい、この人あのこの翌日見(なぁちゃみぃ)の日にこのあの兼城のこの按司の長女かわからんがこの按司の子供な、この翌日見(なぁちゃみぃ)のこの津嘉山の人はあのムンナンという人がな、南風原今の津嘉山村あっちにあの国頭のムンナンでぃる部落あっちからあのこの牛バクヨーだったらしい。牛バクであの牛を買ってきてな、このあのこのこっちから兼城のこのお墓通から家に帰る時、通る時にあの雨が降ってそこあのそこにあのお墓の所にあのこの雨だ雨宿りしたら、後ろからこのあの頭の髪捕まえていったらしいこの女この葬られた人が、「いや私はこのあの何按司のこのあのあの子供あの生きておるから、あのこの連絡してくれ。」といってあの兼城の按司の所にな、あのまたあっちはもう大変喜んで親戚一緒に行ったらこのあのこの生き返ったのをな、連れて来てまたその日はあのこの翌日見(なぁちゃみぃ)といってこの餅作るといってお米な、餅米たくさん漬けてあるでそのお祝いといってこのカシチーそれしかお祝いしたらしい、このあの首里の翌日見(なぁちゃみぃ)にはな、死んだ人の翌日はこの翌日見(なぁちゃみぃ)墓のこのお見舞いして行って、またこの餅作ってお供えしてでそれ元気で帰って来たんだから、お祝いしてカシチー炊いてな、それあのこのカシチーのあの由来記、一番始まいらしいカシチーのカシチーの由来記、これもう600年も前と思うがな。あの後はな、このあのムンナンこの牛バクヨーこの津嘉山におる人はムンナンあのそれとな、あのこの夫婦にさして、大変あのこの裕福にあのこの益々このあの兼城の按司は栄えたらしい。
| レコード番号 | 47O377531 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C304 |
| 決定題名 | カシチ由来(共通語) |
| 話者がつけた題名 | カシチ由来 |
| 話者名 | 田場信二郎 |
| 話者名かな | たばしんじろう |
| 生年月日 | 19100806 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 南風原町宮城 |
| 記録日 | 19910308 |
| 記録者の所属組織 | 南風原町口承文芸調査団 |
| 元テープ番号 | 南風原町T53A06 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 兼城,若い娘,病気,黄金森,葬られた,牛飼い,墓に雨宿り,後から髪,生きている,娘が生き返った,焼香,餅,カシチー,祝い |
| 梗概(こうがい) | 今からなあの六百年、七百年頃前にいぃ七百年頃前に兼城のあの南風原町の今の南風原町の兼城に、若いこの娘さんが病気で亡くなっ病気で亡くなってな、このあの黄金森にあのこのお墓にあのもう亡くなったといって葬式して、それまたあの翌日見(なぁちゃみぃ)、昔あの今はもう翌日見(なぁちゃみぃ)はもうないと思いますが、翌日見(なぁちゃみぃ)といって翌日な死んだ人葬式して翌日はあのお墓参り、あの昔は今あのあのこのあの自分達があのこの覚えておるの七十七、八年六、七年前の五、六年お墓人があの亡くなったらこの漆喰あの墓地空気が入らんようにしよったがな、その前はあのこの二、三日、二、三日あの後からあのこのあのりっぱに密封しよったらしい、あのまたあの今あの二十四時間あのだあの死んでからちゃんと葬式あのこのあのこの診断書が貰えないでしょ、あの時はもうあわててな、四、五時間でもこのすぐあのもう墓に早いのはこの葬りよったらしい、この人あのこの翌日見(なぁちゃみぃ)の日にこのあの兼城のこの按司の長女かわからんがこの按司の子供な、この翌日見(なぁちゃみぃ)のこの津嘉山の人はあのムンナンという人がな、南風原今の津嘉山村あっちにあの国頭のムンナンでぃる部落あっちからあのこの牛バクヨーだったらしい。牛バクであの牛を買ってきてな、このあのこのこっちから兼城のこのお墓通から家に帰る時、通る時にあの雨が降ってそこあのそこにあのお墓の所にあのこの雨だ雨宿りしたら、後ろからこのあの頭の髪捕まえていったらしいこの女この葬られた人が、「いや私はこのあの何按司のこのあのあの子供あの生きておるから、あのこの連絡してくれ。」といってあの兼城の按司の所にな、あのまたあっちはもう大変喜んで親戚一緒に行ったらこのあのこの生き返ったのをな、連れて来てまたその日はあのこの翌日見(なぁちゃみぃ)といってこの餅作るといってお米な、餅米たくさん漬けてあるでそのお祝いといってこのカシチーそれしかお祝いしたらしい、このあの首里の翌日見(なぁちゃみぃ)にはな、死んだ人の翌日はこの翌日見(なぁちゃみぃ)墓のこのお見舞いして行って、またこの餅作ってお供えしてでそれ元気で帰って来たんだから、お祝いしてカシチー炊いてな、それあのこのカシチーのあの由来記、一番始まいらしいカシチーのカシチーの由来記、これもう600年も前と思うがな。あの後はな、このあのムンナンこの牛バクヨーこの津嘉山におる人はムンナンあのそれとな、あのこの夫婦にさして、大変あのこの裕福にあのこの益々このあの兼城の按司は栄えたらしい。 |
| 全体の記録時間数 | 5:05 |
| 物語の時間数 | 5:03 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | 〇 |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |