下庫理。小橋川の方に呉屋下庫理。また安室には前下庫理ってあるよ。下庫理というのは、首里城に行って何かの位の名前であるんだよ。ちょうど御茶当ていうのは茶飲ましたから御茶当、この呉屋下庫理。だぁ何てか、宮平という名前は前は、前は、だぁこれたち何ていいよったかね。安室のこれたち、前下庫理小なのか。〔他話者 前下庫理小、あれは喜屋武がしているんだよ。〕喜屋武であるんでしょう。これは家の名前。そうしたから、下庫理ていうのはよ、ウヤマ下庫理とかね、あれは位であるんだよ。また、もう一つは大変力が強いわけ、これには酒庫理って。酒庫理。棚原の酒庫理もあるさ。これの家の名前、まぁ合格するさね、今のになると何であるか。オリンピックに行って走り勝負して、もう等級書かしてするとね、これが、これがいつまでも残るわけね。このような酒庫理って言って、あれであるさ、越来の酒庫理とかね、棚原のあれたち宮里姓でないかね。だから家の名前これ言うというときに、屋号。これはこのぐらいの昔のこの位屋号って言いよったわけ。伊田っていうのもこんなにであったんだよ、伊田夫地頭。小波津の方に伊田があるさ、小波津の方にも伊田があるから、また幸地のイダ。あれは位であるてよ。〔調査員 どんな位ですかね、位。〕位、それは地頭代の上であるのか、それははっきりしませんな。〔調査員 下庫理は、下庫理はどのくらいの位ですか。〕それは、ただ話をこれも聞いているんだが、ちょうど田舎の百姓が、これは地頭代、掟、捌理、地頭代まで。これから伊田夫地頭っていうのは、地頭代の上にいたって。夫地頭、伊田と言って。これは私たち親の話であったんだけど、小橋川の伊田もあれね、地頭代の上の位。これが、これが、本当の地頭というのになるわけね、西原の総地頭は幸地殿内というのである。しあれが中城あれね。中城御殿は中城全部してからに首里城に納めるわけ。あれ幸地殿内の、また中城あれね。中城御殿の中城全部してからに中城御殿の食費を持っているわけ。これから、美里御殿は美里、美里村の物取り集めてからに、美里御殿をあれしているわけ。これから越来御殿とかね、勝連御殿、与那城御殿、全部御殿があるだけ、このそこの地頭であるわけねもう。そうしたから、あぁ慶長の乱に沖縄、いや、そうではない。慶長は別、廃藩置県のときに松田というが、松田何てか、だぁ、〔他話者内地の人。〕うん、大将なって首里城は、「何、お前たちは出れ。」て言って、この尚泰王は連れて行かれているさね、これは。このときまではこの地頭ていって各村の物を御殿が食べていたわけ。この後から、こんなにして取ってはいけないて言ってからに、これたちはもう各村から上納取って食べられなくなっているわけ。そうしたから、もう、百姓は大変徳しているわけね。もうこれたちにあれしているのを、鹿児島への上納納めなくてもいい。このまた御殿の食う分も納めなくてもいい、このときから大変自由なっているわけ。そうして、首里の御殿殿内にもう上に座ってまずもうお前たち首里の人の子や孫ていうと怒るけどね、御殿殿内の、御殿殿内。そうしてからよ、農業もすぐしなくなった、廃藩のアヤーメーていうのはこれからなっているとか。もう百姓にこのときから頭を下げて物を食べるわけね。百姓はね、もうやりなれているから、すぐ持って来ると自由なっているから、大変裕福にしているわけ。もう首里、畑もないさね、田舎下りして、これから田舎に全部下りてからに屋取ていって作っていて、このときから、これあれね屋取の人、すべて首里から下りている人だよ。こんなことになっていたんだよ、これはもう多い、山原ていうとね本部ね、本部もう首里流りの泊からもそこらへんにも大変多いから、それから具志川安慶名辺り、そうししてから芝居があるさ、廃藩の人ていってね、もう首里から。〔他話者 あるさ、あのぅ芝居を見て、廃藩の人ていってよ、あのぅ首里から、だぁ歌にやっておったんですよ、廃藩の侍、笠に顔隠して、馬を引っ張ってよ、とかなんとかがあったんだよ。〕
| レコード番号 | 47O361110 |
|---|---|
| CD番号 | 47O36C040 |
| 決定題名 | 位で屋号(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | 位で屋号は付けられた |
| 話者名 | 玉城永保 |
| 話者名かな | たまきえいほ |
| 生年月日 | 18970817 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県西原町字掛保久 |
| 記録日 | 19880813 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 西原町字掛保久調査5班T40B03 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 西原町史 別巻西原の民話P401 |
| キーワード | 下庫理,小橋川,呉屋下庫理,安室,前下庫理,首里城,伊田夫地頭,小波津,伊田,地頭代,総地頭,幸地殿内,中城御殿,美里御殿,勝連御殿,与那城御殿,慶長,廃藩置県,松田,尚泰王 |
| 梗概(こうがい) | 下庫理。小橋川の方に呉屋下庫理。また安室には前下庫理ってあるよ。下庫理というのは、首里城に行って何かの位の名前であるんだよ。ちょうど御茶当ていうのは茶飲ましたから御茶当、この呉屋下庫理。だぁ何てか、宮平という名前は前は、前は、だぁこれたち何ていいよったかね。安室のこれたち、前下庫理小なのか。〔他話者 前下庫理小、あれは喜屋武がしているんだよ。〕喜屋武であるんでしょう。これは家の名前。そうしたから、下庫理ていうのはよ、ウヤマ下庫理とかね、あれは位であるんだよ。また、もう一つは大変力が強いわけ、これには酒庫理って。酒庫理。棚原の酒庫理もあるさ。これの家の名前、まぁ合格するさね、今のになると何であるか。オリンピックに行って走り勝負して、もう等級書かしてするとね、これが、これがいつまでも残るわけね。このような酒庫理って言って、あれであるさ、越来の酒庫理とかね、棚原のあれたち宮里姓でないかね。だから家の名前これ言うというときに、屋号。これはこのぐらいの昔のこの位屋号って言いよったわけ。伊田っていうのもこんなにであったんだよ、伊田夫地頭。小波津の方に伊田があるさ、小波津の方にも伊田があるから、また幸地のイダ。あれは位であるてよ。〔調査員 どんな位ですかね、位。〕位、それは地頭代の上であるのか、それははっきりしませんな。〔調査員 下庫理は、下庫理はどのくらいの位ですか。〕それは、ただ話をこれも聞いているんだが、ちょうど田舎の百姓が、これは地頭代、掟、捌理、地頭代まで。これから伊田夫地頭っていうのは、地頭代の上にいたって。夫地頭、伊田と言って。これは私たち親の話であったんだけど、小橋川の伊田もあれね、地頭代の上の位。これが、これが、本当の地頭というのになるわけね、西原の総地頭は幸地殿内というのである。しあれが中城あれね。中城御殿は中城全部してからに首里城に納めるわけ。あれ幸地殿内の、また中城あれね。中城御殿の中城全部してからに中城御殿の食費を持っているわけ。これから、美里御殿は美里、美里村の物取り集めてからに、美里御殿をあれしているわけ。これから越来御殿とかね、勝連御殿、与那城御殿、全部御殿があるだけ、このそこの地頭であるわけねもう。そうしたから、あぁ慶長の乱に沖縄、いや、そうではない。慶長は別、廃藩置県のときに松田というが、松田何てか、だぁ、〔他話者内地の人。〕うん、大将なって首里城は、「何、お前たちは出れ。」て言って、この尚泰王は連れて行かれているさね、これは。このときまではこの地頭ていって各村の物を御殿が食べていたわけ。この後から、こんなにして取ってはいけないて言ってからに、これたちはもう各村から上納取って食べられなくなっているわけ。そうしたから、もう、百姓は大変徳しているわけね。もうこれたちにあれしているのを、鹿児島への上納納めなくてもいい。このまた御殿の食う分も納めなくてもいい、このときから大変自由なっているわけ。そうして、首里の御殿殿内にもう上に座ってまずもうお前たち首里の人の子や孫ていうと怒るけどね、御殿殿内の、御殿殿内。そうしてからよ、農業もすぐしなくなった、廃藩のアヤーメーていうのはこれからなっているとか。もう百姓にこのときから頭を下げて物を食べるわけね。百姓はね、もうやりなれているから、すぐ持って来ると自由なっているから、大変裕福にしているわけ。もう首里、畑もないさね、田舎下りして、これから田舎に全部下りてからに屋取ていって作っていて、このときから、これあれね屋取の人、すべて首里から下りている人だよ。こんなことになっていたんだよ、これはもう多い、山原ていうとね本部ね、本部もう首里流りの泊からもそこらへんにも大変多いから、それから具志川安慶名辺り、そうししてから芝居があるさ、廃藩の人ていってね、もう首里から。〔他話者 あるさ、あのぅ芝居を見て、廃藩の人ていってよ、あのぅ首里から、だぁ歌にやっておったんですよ、廃藩の侍、笠に顔隠して、馬を引っ張ってよ、とかなんとかがあったんだよ。〕 |
| 全体の記録時間数 | 7:17 |
| 物語の時間数 | 6:52 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |