与那城の始まり(シマグチ)

概要

与那城の始まりは我々の部落の方々の話では与那城タマターというところが、我謝の上ぬカーにありますが、そっちが与那城の発祥の地だといわれております。沖縄ではユヤーというんですが地滑りが多く起こるもんだから危険を感じて、今も名称を与那城古島というところが我謝の白川原にありますが、そっちに移ったそうです。そこは古島原って名称もあるが、今、ウフジュンガーと言って拝む井戸もあるでしょう。 それが三度目に与那城に移った理由としては、昔の古老の話では、いろいろこの我謝と与那原が喧嘩して、与那城は、その中間にあって大分被害を受け、また与那原は土地が狭いし、それでこの現在の場所に移ったということを聞かされております。昔の人の話では、そのころ与那城はまだ戸数が少なく、我謝と与那原は戸数も多くて仲が悪かったらしい。それで、この与那城で稲植えたら与那原の青年たちが刈って馬の草にする。また娘をひっぱり取りに来るし、「もう、これは一大事。」って言ってからによ、自分の親戚たち連れて来てから与那原の人を全員棒で殴り殺したからよ、今度は与那原がカニチジ打つてよ、戦押し寄せて来ているみたいないだね。それだから、ここの与那城は我謝の応援頼んだら、我謝はその場合に村の若者呼んで来てからに、男の頑丈者たちは棒持って喧嘩やったって。女は全員小石とカーミの割れているのを拾い集めてバーキに入れてこれで石合戦してよ。また、この喧嘩する場合は新北風というのが吹いて、風も強かったって。それで、女は各家からバーキに灰を集めて飛ばしたから、与那原の者たちはよ、もう目に灰が入って、戦できなくなって逃げて逃げたそうだ。そこに御主が来て与那原の逃げ遅れている者たちを全部綱で束ねて我謝の村屋に集めたみたいなんだね。そうしたから、与那原からは神人たちが集まって言い訳しに来てよ、それで我謝に詫びを入れたそうです。「もう今からそんな悪いことしないよ。」って言って。こんな争いがあったから与那城古島から、今の部落に来ているみたいなんだ。今の与那城の部落にねえ、謝名越之殿というのがありますよ。その殿を中心にねぇ、左右と前後に道を開いてねぇ、そっちに移って来たという話です。これは、四百年も前ではなかったかと思っている。もう一説はねえ、羽地王子の向象賢の時代に土地割当や村の移動もあって、このときに移動した村が西原にも多くて、幸地には城というのもある。東風平も移動したという話だよ。そのときに小さい部落をなくしてね、一つにまとめたようですよ。その時分に首里の命令で古島から与那城に移って来たともいいます。私はやはり与那城も当時首里王城の管轄下にあってですね、上納の関係で現在のところに土地の割り当てをされて、こっちに来たものと考えてはいますがね。それで、今の与那城の場所は三度目の場所だと聞いております。だから、その時期は四百年、我謝の綱引いた時分には与那城は現在の場所に移ったというんですから四百年前後の昔ではないかとこう考えております。

再生時間:2:22

民話詳細DATA

レコード番号 47O361076
CD番号 47O36C038
決定題名 与那城の始まり(シマグチ)
話者がつけた題名
話者名 城間源市
話者名かな しろまげんいち
生年月日 19121117
性別
出身地 沖縄県西原町字与那城
記録日 19830813
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 西原町字与那城調査4班T39A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 西原町史 別巻西原の民話P312
キーワード 与那城,始まり,部落,与那城タマター,我謝,ユヤー,与那城古島,白川原,古島原っ,ウフジュンガー
梗概(こうがい) 与那城の始まりは我々の部落の方々の話では与那城タマターというところが、我謝の上ぬカーにありますが、そっちが与那城の発祥の地だといわれております。沖縄ではユヤーというんですが地滑りが多く起こるもんだから危険を感じて、今も名称を与那城古島というところが我謝の白川原にありますが、そっちに移ったそうです。そこは古島原って名称もあるが、今、ウフジュンガーと言って拝む井戸もあるでしょう。 それが三度目に与那城に移った理由としては、昔の古老の話では、いろいろこの我謝と与那原が喧嘩して、与那城は、その中間にあって大分被害を受け、また与那原は土地が狭いし、それでこの現在の場所に移ったということを聞かされております。昔の人の話では、そのころ与那城はまだ戸数が少なく、我謝と与那原は戸数も多くて仲が悪かったらしい。それで、この与那城で稲植えたら与那原の青年たちが刈って馬の草にする。また娘をひっぱり取りに来るし、「もう、これは一大事。」って言ってからによ、自分の親戚たち連れて来てから与那原の人を全員棒で殴り殺したからよ、今度は与那原がカニチジ打つてよ、戦押し寄せて来ているみたいないだね。それだから、ここの与那城は我謝の応援頼んだら、我謝はその場合に村の若者呼んで来てからに、男の頑丈者たちは棒持って喧嘩やったって。女は全員小石とカーミの割れているのを拾い集めてバーキに入れてこれで石合戦してよ。また、この喧嘩する場合は新北風というのが吹いて、風も強かったって。それで、女は各家からバーキに灰を集めて飛ばしたから、与那原の者たちはよ、もう目に灰が入って、戦できなくなって逃げて逃げたそうだ。そこに御主が来て与那原の逃げ遅れている者たちを全部綱で束ねて我謝の村屋に集めたみたいなんだね。そうしたから、与那原からは神人たちが集まって言い訳しに来てよ、それで我謝に詫びを入れたそうです。「もう今からそんな悪いことしないよ。」って言って。こんな争いがあったから与那城古島から、今の部落に来ているみたいなんだ。今の与那城の部落にねえ、謝名越之殿というのがありますよ。その殿を中心にねぇ、左右と前後に道を開いてねぇ、そっちに移って来たという話です。これは、四百年も前ではなかったかと思っている。もう一説はねえ、羽地王子の向象賢の時代に土地割当や村の移動もあって、このときに移動した村が西原にも多くて、幸地には城というのもある。東風平も移動したという話だよ。そのときに小さい部落をなくしてね、一つにまとめたようですよ。その時分に首里の命令で古島から与那城に移って来たともいいます。私はやはり与那城も当時首里王城の管轄下にあってですね、上納の関係で現在のところに土地の割り当てをされて、こっちに来たものと考えてはいますがね。それで、今の与那城の場所は三度目の場所だと聞いております。だから、その時期は四百年、我謝の綱引いた時分には与那城は現在の場所に移ったというんですから四百年前後の昔ではないかとこう考えております。
全体の記録時間数 2:28
物語の時間数 2:22
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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