この内間御座主という方は伊平屋島の貧しい農家にいたってだけど、これでは生活できないと言って、国頭の奥間の方に来たらしい。でもそこへ来ても財産は知れた者であるから、もういい土地は買えなかったわけよ。そしたら、はげ地をやるからと言われたわけ。もう前の主が耕していたときはもう土地は痩せているから作物はできなかったけど、その方が耕してからは作物がよくできていたって。それで、もう字民が、 「この人がもう耕してからは、あんなに作物ができるのか。」と言って、不思議に思って、「この人は夜遅く行って、こっそりと人の堆肥なんか盗んで入れておるんじゃないかな。」と噂して、結局、部落の方々が、「これは殺すか追い払うかやらねばいかない。」と言うてね、もう評議の末、殺すことになったって。だけど、百姓には道具はないから奥間鍛冶屋という人に頼んで、グブン道具を作らすとしてですね、注文したわけ。もうグブン道具が完成近くなってから、この内間御座主を呼んで、「あなたが来たおかげでね、もう周囲の堆肥なんかも盗んで畑に埋めて前のやせ畑が、こんなに肥沃になって作物ができていると言っているから、もうあなたを追い払おうということで、グブン道具を作っている。あと何個で完成だから、今、こっちで殺されるか逃げるか二つに一つ。あんたが選べ。」と言ったらね、「命あっての賜物。じゃあ逃げるから、どこに行ったらいいでしょうか。」と奥間鍛冶屋に頼んだらしいよ。そしたら、「私の家には妊娠している馬がいる。もう今月が分娩の時期だからこの馬に乗って逃げてくれ。」「どこに逃げるか。」と言ったら、「この馬が行くところに。それで、もしこれが歩かんときになったら、ちょうど分娩の日になるから、そこで一応降りて、そこで、生活にやりなさい。」と聞かされて、それで、お礼を言って、その馬をもらって逃げたらしいよ。それで、どんどん逃げて行ったら、西原の字嘉手苅というところで、その馬は歩こうともしないから、奥間鍛冶屋がいうのは今日今日の日だなぁと思って、降りて休ましたら、もうその晩は暴風になったから、そこにあった赤木という大きな木、その陰に馬はやったって。そしたら、時間が経つにしたがって、馬の様子がおかしくなって、いよいよ分娩したわけよ。そして、暴風の翌日、嘉手苅伊礼という金満家の方が畑や田んぼに被害がなかったかなぁと思ってね、回りに出よったらしいよ。出たらこの赤木の下に馬もお産してそれを前にしてね、しょんぼりしている内間御座主をこの伊礼の主人が見て、「どうしてか。」と言ったら、「向こうで殺されるのを、自分はあの奥間鍛冶屋のお世話になって、この馬をもらって来て、これがお産するからその土地にとどまって生活せよといういいつけられたので、これで馬の分娩させた後は、これから先どうするか心配しておりますよ。」と、一部始終話したらしいよ。そしたら、この人が、「当分は私たちが面倒みてやるから。」と、その方が御飯とか馬の草とか刈ったりやったりしていたって。で、まあそれから所帯は二つだから、もう大変になったからと言って、今度は御茶多理真五郎という人を雇って、「この本人の面倒はあんたが見てくれよ。」と頼んで面倒みさして、そこで一応落ち着いていたって。まあ、御茶多理真郎がすべての周囲の面倒みてくれるし、また経済的なもの金銭面は嘉手苅伊礼に面倒みてもらって生活していた。そして、嘉手苅伊礼の娘を妻にしたわけ。一番の妻は自分たちの先祖にあたるこの娘が、最初の妻ということを聞いているよ。で、このときから内間御座主は暇さえあれば内間の浜に行ってね、釣りをしよったですよ。そしたら、もう釣りには行くけど帰りは魚は持ってこないで、おかしいなと思ってね、この妻が追って行って見て釣竿を取って見たら針は真っ直ぐのものになっていたって。「あんた魚釣るにはね、曲がった釣針でなければ釣れんじゃないかな。」と言ったら、「いいです。もうこれでも大丈夫。」「じゃ、魚取らんでもいいか。」と言ったら、「ああ、もう取らんでもいい。」「魚取るときにはね、釣りが曲がっておる釣りだったらかかるのに、この真っ直ぐな釣りに魚がかるか。」と言ったら、「これはね、不真面目な人間が釣りを曲げるもんだ。自分だったら真っ直ぐしていても釣れる。」と言って、あっさり断わったら、「自分がもうあんたと一生は夫婦になれないから、今日は別れような。」と言って、別れたらしいですよ。そのとき、尚徳王はちょうど第一尚氏の五代目だから、その尚徳王は非常に荒っぽい人で、もう戦争好きで、もう国内も乱れていたって。そのときに琉球時代の国元であった、久高島に祭りに行くわけね。そこに行ったら、きれいな女がおってもうその女に迷ったというのかな。それで、政治も忘れて、もう首里では問題になって政治は乱れていたって。それで、「もうどうするか。こうするか。」と言って、沖縄の摂政三司官が集まって、「このまましたら琉球は滅ぶしかない。」と言うことで、評議があったらしい。そのころ、内間御座主は農業して那覇に物を売りに行きよったらしいです。もう買いに人が来たら、貧しい者だったらくれると半分で売るとか、非常にこの貧富の差をよく見ていたらしいね。この内間御座主が通るところに安里比屋の家があったって。前は安里グムイという、元一高女のあった右手にあったんだよ。この内間御座主が行ったり来たりして奉公しているのをこの安里の比屋が見ていたって。そうしたときに、内間御座主には今は雨が降ったときに傘さすでしょう。あれみたいに地位の御涼傘というのがあって、面影が見えたって。地位の御涼傘というのは、もう最高の人望、偉い人にしか下がらんというてね、それを見ているから、王はこの人であると決めていたって。そして、摂政三司官の評議があるというときに、この安里比屋は後ろにいて、もう何かいいたいといったように立ったり座ったりしていたって。もう三司官の評議は全然まとまらん、王になる人望も見出すことはできんで非常に思い悩んだときに摂政が、「後ろにいる安里、何か言いたいことがあったら言うてくれ。」と言ったら、「こんなに貧しい世の中で、人の人情知らん人はどこ行っても空腹する。寒いときに衣や物を与えるのが我が御主であります。」と言うたら、もうそれから賛成ね。こんな人だったらと言って、「だったら、その人はどの人か。」と聞いたら、「内間御座主、内間御座主。」と言ったわけ。そしたら、みんな賛同してこの人を迎えることになって、首里から行列して迎えに行くとして、「その人はどこにいるか。」と言うと、「内間というところにいる。」と。そして、行列して行ったら、もうこの内間御座主は、「もうグブン道具で殺されるとき、ここまで来たのに、ここまで追い詰められた。」と考えてよ、そこに置いてあったサバニに乗って漕いで逃げようとしたら、途中で転覆した。そして転覆したところが干瀬ですね、珊瑚礁が浮いてそれで助かったって。その名前が内間高干瀬といって現在は日本石油の基地になっておるところだよ。それから、本人はもう追っ手が寄って来て殺されると考えていたものだが、結果は王位として迎えるでしょう。だから、もうそのときは、身分も全然違うでしょう。もうすでに評議で決まったものだから、仕方なく行くとしていたって。そしたら、ちょうど内間から首里に行く途中に、今の津花波にウガンジャマーという場所がある。その場所で妻であった女が再縁を求めたわけさね。「私が尽くせなかったことは不届きだった。再縁をお願いしましょう。」と言ったら、「だったら、いいから水汲んで来い。」って、水を汲んで来させて、それを差し上げようとしたらね、「こぼしなさい。」と言いつけられたから、こぼして、またもう一茶碗あげようとしたら、「今、こぼした水を入れなさい。」と言うたわけ。「こぼした水が入れられるはずないでしょう。」と言ったらね、「一旦別れた縁はね、再縁できない。」と言ったって。もう王様の前を邪魔したでしょう。側から見た役人が、「拝でぃ邪魔すしや、側に除きり(拝んで王様の行列を邪魔するのは側に除けなさい)。」と言ったって。それで、そこはウガンジャマーというってよ。そして、それから、この内間御座主は首里城に行って、第一尚氏、尚円王になったということです。
| レコード番号 | 47O360818 |
|---|---|
| CD番号 | 47O36C029 |
| 決定題名 | 尚円王(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 仲宗根精恵 |
| 話者名かな | なかそねせいけい |
| 生年月日 | 19160404 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県西原町字翁長 |
| 記録日 | 19820219 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 西原町字翁長調査2班9班T28B01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 西原町史 別巻西原の民話P433 |
| キーワード | 尚円王,内間御鎖,尚徳王,安里のヒャー,アサトノヒャー |
| 梗概(こうがい) | この内間御座主という方は伊平屋島の貧しい農家にいたってだけど、これでは生活できないと言って、国頭の奥間の方に来たらしい。でもそこへ来ても財産は知れた者であるから、もういい土地は買えなかったわけよ。そしたら、はげ地をやるからと言われたわけ。もう前の主が耕していたときはもう土地は痩せているから作物はできなかったけど、その方が耕してからは作物がよくできていたって。それで、もう字民が、 「この人がもう耕してからは、あんなに作物ができるのか。」と言って、不思議に思って、「この人は夜遅く行って、こっそりと人の堆肥なんか盗んで入れておるんじゃないかな。」と噂して、結局、部落の方々が、「これは殺すか追い払うかやらねばいかない。」と言うてね、もう評議の末、殺すことになったって。だけど、百姓には道具はないから奥間鍛冶屋という人に頼んで、グブン道具を作らすとしてですね、注文したわけ。もうグブン道具が完成近くなってから、この内間御座主を呼んで、「あなたが来たおかげでね、もう周囲の堆肥なんかも盗んで畑に埋めて前のやせ畑が、こんなに肥沃になって作物ができていると言っているから、もうあなたを追い払おうということで、グブン道具を作っている。あと何個で完成だから、今、こっちで殺されるか逃げるか二つに一つ。あんたが選べ。」と言ったらね、「命あっての賜物。じゃあ逃げるから、どこに行ったらいいでしょうか。」と奥間鍛冶屋に頼んだらしいよ。そしたら、「私の家には妊娠している馬がいる。もう今月が分娩の時期だからこの馬に乗って逃げてくれ。」「どこに逃げるか。」と言ったら、「この馬が行くところに。それで、もしこれが歩かんときになったら、ちょうど分娩の日になるから、そこで一応降りて、そこで、生活にやりなさい。」と聞かされて、それで、お礼を言って、その馬をもらって逃げたらしいよ。それで、どんどん逃げて行ったら、西原の字嘉手苅というところで、その馬は歩こうともしないから、奥間鍛冶屋がいうのは今日今日の日だなぁと思って、降りて休ましたら、もうその晩は暴風になったから、そこにあった赤木という大きな木、その陰に馬はやったって。そしたら、時間が経つにしたがって、馬の様子がおかしくなって、いよいよ分娩したわけよ。そして、暴風の翌日、嘉手苅伊礼という金満家の方が畑や田んぼに被害がなかったかなぁと思ってね、回りに出よったらしいよ。出たらこの赤木の下に馬もお産してそれを前にしてね、しょんぼりしている内間御座主をこの伊礼の主人が見て、「どうしてか。」と言ったら、「向こうで殺されるのを、自分はあの奥間鍛冶屋のお世話になって、この馬をもらって来て、これがお産するからその土地にとどまって生活せよといういいつけられたので、これで馬の分娩させた後は、これから先どうするか心配しておりますよ。」と、一部始終話したらしいよ。そしたら、この人が、「当分は私たちが面倒みてやるから。」と、その方が御飯とか馬の草とか刈ったりやったりしていたって。で、まあそれから所帯は二つだから、もう大変になったからと言って、今度は御茶多理真五郎という人を雇って、「この本人の面倒はあんたが見てくれよ。」と頼んで面倒みさして、そこで一応落ち着いていたって。まあ、御茶多理真郎がすべての周囲の面倒みてくれるし、また経済的なもの金銭面は嘉手苅伊礼に面倒みてもらって生活していた。そして、嘉手苅伊礼の娘を妻にしたわけ。一番の妻は自分たちの先祖にあたるこの娘が、最初の妻ということを聞いているよ。で、このときから内間御座主は暇さえあれば内間の浜に行ってね、釣りをしよったですよ。そしたら、もう釣りには行くけど帰りは魚は持ってこないで、おかしいなと思ってね、この妻が追って行って見て釣竿を取って見たら針は真っ直ぐのものになっていたって。「あんた魚釣るにはね、曲がった釣針でなければ釣れんじゃないかな。」と言ったら、「いいです。もうこれでも大丈夫。」「じゃ、魚取らんでもいいか。」と言ったら、「ああ、もう取らんでもいい。」「魚取るときにはね、釣りが曲がっておる釣りだったらかかるのに、この真っ直ぐな釣りに魚がかるか。」と言ったら、「これはね、不真面目な人間が釣りを曲げるもんだ。自分だったら真っ直ぐしていても釣れる。」と言って、あっさり断わったら、「自分がもうあんたと一生は夫婦になれないから、今日は別れような。」と言って、別れたらしいですよ。そのとき、尚徳王はちょうど第一尚氏の五代目だから、その尚徳王は非常に荒っぽい人で、もう戦争好きで、もう国内も乱れていたって。そのときに琉球時代の国元であった、久高島に祭りに行くわけね。そこに行ったら、きれいな女がおってもうその女に迷ったというのかな。それで、政治も忘れて、もう首里では問題になって政治は乱れていたって。それで、「もうどうするか。こうするか。」と言って、沖縄の摂政三司官が集まって、「このまましたら琉球は滅ぶしかない。」と言うことで、評議があったらしい。そのころ、内間御座主は農業して那覇に物を売りに行きよったらしいです。もう買いに人が来たら、貧しい者だったらくれると半分で売るとか、非常にこの貧富の差をよく見ていたらしいね。この内間御座主が通るところに安里比屋の家があったって。前は安里グムイという、元一高女のあった右手にあったんだよ。この内間御座主が行ったり来たりして奉公しているのをこの安里の比屋が見ていたって。そうしたときに、内間御座主には今は雨が降ったときに傘さすでしょう。あれみたいに地位の御涼傘というのがあって、面影が見えたって。地位の御涼傘というのは、もう最高の人望、偉い人にしか下がらんというてね、それを見ているから、王はこの人であると決めていたって。そして、摂政三司官の評議があるというときに、この安里比屋は後ろにいて、もう何かいいたいといったように立ったり座ったりしていたって。もう三司官の評議は全然まとまらん、王になる人望も見出すことはできんで非常に思い悩んだときに摂政が、「後ろにいる安里、何か言いたいことがあったら言うてくれ。」と言ったら、「こんなに貧しい世の中で、人の人情知らん人はどこ行っても空腹する。寒いときに衣や物を与えるのが我が御主であります。」と言うたら、もうそれから賛成ね。こんな人だったらと言って、「だったら、その人はどの人か。」と聞いたら、「内間御座主、内間御座主。」と言ったわけ。そしたら、みんな賛同してこの人を迎えることになって、首里から行列して迎えに行くとして、「その人はどこにいるか。」と言うと、「内間というところにいる。」と。そして、行列して行ったら、もうこの内間御座主は、「もうグブン道具で殺されるとき、ここまで来たのに、ここまで追い詰められた。」と考えてよ、そこに置いてあったサバニに乗って漕いで逃げようとしたら、途中で転覆した。そして転覆したところが干瀬ですね、珊瑚礁が浮いてそれで助かったって。その名前が内間高干瀬といって現在は日本石油の基地になっておるところだよ。それから、本人はもう追っ手が寄って来て殺されると考えていたものだが、結果は王位として迎えるでしょう。だから、もうそのときは、身分も全然違うでしょう。もうすでに評議で決まったものだから、仕方なく行くとしていたって。そしたら、ちょうど内間から首里に行く途中に、今の津花波にウガンジャマーという場所がある。その場所で妻であった女が再縁を求めたわけさね。「私が尽くせなかったことは不届きだった。再縁をお願いしましょう。」と言ったら、「だったら、いいから水汲んで来い。」って、水を汲んで来させて、それを差し上げようとしたらね、「こぼしなさい。」と言いつけられたから、こぼして、またもう一茶碗あげようとしたら、「今、こぼした水を入れなさい。」と言うたわけ。「こぼした水が入れられるはずないでしょう。」と言ったらね、「一旦別れた縁はね、再縁できない。」と言ったって。もう王様の前を邪魔したでしょう。側から見た役人が、「拝でぃ邪魔すしや、側に除きり(拝んで王様の行列を邪魔するのは側に除けなさい)。」と言ったって。それで、そこはウガンジャマーというってよ。そして、それから、この内間御座主は首里城に行って、第一尚氏、尚円王になったということです。 |
| 全体の記録時間数 | 15:59 |
| 物語の時間数 | 15:49 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |