話者の父の家は、首里から北谷超の上勢頭に移住した家であるが、土地がせまかったため、上勢頭から最初の移住としてハワイに出稼ぎに行き、農園で働いた。ハワイでは明治39年から大正5~6年ごろまで、働き、その間に2000円の舎を蓄えた。沖縄に帰って来ると、坪30銭で国直の土地を4千坪買い、あとの千円は人に金を貸し、その利子分だけ、貸した人に働いてもらった。作物は大豆が最も良く、サトウキビ、芋などを作った。百合の球根も作ったが、土地があわないので盛んにはならず、煙草は乾燥せずカビたために失敗した家が多い。そのころは、自分の家で製糖をするために、砂糖産を持っている家が7軒ほどあり、瓦茸家は10軒ほどあった。
| レコード番号 | 47O416614 |
|---|---|
| CD番号 | 47O41C351 |
| 決定題名 | 勝連家国直移住(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 勝連朝蒲 |
| 話者名かな | かつれんちょうほ |
| 生年月日 | 19280907 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 嘉手納町国直 |
| 記録日 | 19940918 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
| 元テープ番号 | 嘉手納T54A02 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 首里,北谷超の上勢頭,ハワイ,瓦家,製糖 |
| 梗概(こうがい) | 話者の父の家は、首里から北谷超の上勢頭に移住した家であるが、土地がせまかったため、上勢頭から最初の移住としてハワイに出稼ぎに行き、農園で働いた。ハワイでは明治39年から大正5~6年ごろまで、働き、その間に2000円の舎を蓄えた。沖縄に帰って来ると、坪30銭で国直の土地を4千坪買い、あとの千円は人に金を貸し、その利子分だけ、貸した人に働いてもらった。作物は大豆が最も良く、サトウキビ、芋などを作った。百合の球根も作ったが、土地があわないので盛んにはならず、煙草は乾燥せずカビたために失敗した家が多い。そのころは、自分の家で製糖をするために、砂糖産を持っている家が7軒ほどあり、瓦茸家は10軒ほどあった。 |
| 全体の記録時間数 | 10:49 |
| 物語の時間数 | 9:55 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |