阿麻和利(共通語)

概要

大川按司の祖先は今帰仁で、今帰仁から伊波城に来て、伊波からね、具志川のね、何と言よったか、天願の傍にあるんだがな向こう何と言よったかな。その具志川来て具志川から屋良に来て、王様になって、そして、大川按司の何代目までにね、屋良の人の女中と出来た男の子がよ、勝連の阿麻和利と言ってね。そして、阿麻和利はね、小さい時にね、七つまでね、歩けなかったんだよ。だから、按司はね、「こいつはもう跡継ぎ出来ないから、山に捨てなさい。」と言ってね、山に捨てたって。アマンジャナーがね、捨てられてたってあったのは、本には久得山としてあるがね、本当はね、屋良の近くのこの辺だったけどもね、こっちは城であってね、ずっとその辺は木が鬱蒼と茂ってね、なんだか窯みたいな所が昔はね、多分その辺だと聞いてるが。これ我々が聞いた話ではねえ、久得山としているがね、あれは嘘だと言って。名前ない。今、全部平坦になって、何処か分からなくなっているからね、その辺だと我々は、小さい時からね、親父からね、言い聞かされている。山に捨てたらね、山の洞穴(ほらあな)の中で、生活してね、歩けないもんだからね、家(うち)のお母さんがねえ、食事を持っていたんでしょうな。そのほら穴の中でね、蜘蛛がね、巣を作るのを見て、蜘蛛が、巣作るさあね、あれを見て、この阿麻和利はね、大きくなって、ええっと南蛮に行く。シャム、タイ国へ行ってね、向こうで、その網をね、作ってくる。その網で、勝連のね、漁師達をね、手なずけて、勝連でね、成功する。そうやって、阿麻和利は、勝連の按司をね、物見台に連れて行って、物見台から落として、自分が按司になる。これが勝連の阿麻和利だからね。一説目はね、屋良のアマンジャナーと言うがね。勝連の按司と言う。アマンジャナーはは屋良で生まれて、そして、ずっと成長して、勝連に行って、勝連で、向こうの按司になるんだが、勝連の按司と出るまでねえ、これ色々まあ計画あるさあねえ。南蛮行って鉄を買って来てね、鉄で農具を作って、向こうの農民にやったりね、網を作ってね、漁民にやったりして、そして、そこの農民や漁民にね、「何月何日の何時頃ね、全部、松明をね、松明をつけてねえ、村の傍に集まりなさい。」と命令した。して、何月何日、ちょうど勝連の按司がね、物見に上がっている時に、阿麻和利はその日、按司を殺そうと思っているがね、すぐ、「あの明かりを見ろ。首里からね、大軍が押し寄せて来よるよ。」うと言って、嘘をついてね、それで、勝連の按司を騙してね、殺してしまう。そして、勝連の按司になって、その後は非常に政治力がやっぱりね、立派な按司として、納まって。だから、歴史の中でもね、英雄を称えるね、おもろとのがあるがね、いろんな物語があるが、おもろの中に残っている勝連按司はね、阿麻和利だけだと。だから、勝連の阿麻和利は、非常に有名な偉い人だと。そういうふうに、やっているがね。この阿麻和利は、後は尚泰久王をだまして、中城護佐丸をね、撃つんだよ。だから中城の人から言うとね、屋良のアマンジャナーは、悪い人だと言うしね、屋良の人から言うとね、中城の護佐丸は悪い人だと言われている。この阿麻和利は、首里のね、尚泰久王が使ったね、知花のね、何按司かな、その人に殺られるがね、楚辺のね、人に見つかって、それから降参してね、方言で降参することをエミすんというから、だから、そこの阿麻和利がね、侘びして殺された海端の広っぱをね、楚辺のエンミ毛というさあね。昔は闘牛場あったがね、今はずっと、通信隊の中になっている。そういうことで、だから一時まあ、阿麻和利はねえ、英雄であったかどうかというと、沖縄の歴史家がね、結局戦前はね、阿麻和利は悪いもんだと言って、戦後まあやっと戦国時代にはそういうふうにしてなければ生きられないなあ。阿麻和利はやっぱし、偉かったということでね、英雄になった。それから、最近出来た教育委員会が作った本だがね、嘉手納の先人達という本があるがね、これには、野国総監とかね、阿麻和利があるさ。あれは、誌上は全部、屋良の歴史のアルバムと言ってね、阿麻和利のことも書いてあるが、それぐらい有名なね、阿麻和利の小学校向きのね、歴史物語になっている。だから、今でも、阿麻和利の墓は、古堅小学校の裏にある。

再生時間:10:31

民話詳細DATA

レコード番号 47O416564
CD番号 47O41C349
決定題名 阿麻和利(共通語)
話者がつけた題名
話者名 池原吉助
話者名かな いけはらきちすけ
生年月日 19221220
性別
出身地 嘉手納町屋良
記録日 19940918
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 嘉手納T51A06
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 かでなの民話P114
キーワード 大川按司の祖先,今帰仁,伊波城,具志川,屋良,勝連の阿麻和利,尚泰久王,中城の護佐丸
梗概(こうがい) 大川按司の祖先は今帰仁で、今帰仁から伊波城に来て、伊波からね、具志川のね、何と言よったか、天願の傍にあるんだがな向こう何と言よったかな。その具志川来て具志川から屋良に来て、王様になって、そして、大川按司の何代目までにね、屋良の人の女中と出来た男の子がよ、勝連の阿麻和利と言ってね。そして、阿麻和利はね、小さい時にね、七つまでね、歩けなかったんだよ。だから、按司はね、「こいつはもう跡継ぎ出来ないから、山に捨てなさい。」と言ってね、山に捨てたって。アマンジャナーがね、捨てられてたってあったのは、本には久得山としてあるがね、本当はね、屋良の近くのこの辺だったけどもね、こっちは城であってね、ずっとその辺は木が鬱蒼と茂ってね、なんだか窯みたいな所が昔はね、多分その辺だと聞いてるが。これ我々が聞いた話ではねえ、久得山としているがね、あれは嘘だと言って。名前ない。今、全部平坦になって、何処か分からなくなっているからね、その辺だと我々は、小さい時からね、親父からね、言い聞かされている。山に捨てたらね、山の洞穴(ほらあな)の中で、生活してね、歩けないもんだからね、家(うち)のお母さんがねえ、食事を持っていたんでしょうな。そのほら穴の中でね、蜘蛛がね、巣を作るのを見て、蜘蛛が、巣作るさあね、あれを見て、この阿麻和利はね、大きくなって、ええっと南蛮に行く。シャム、タイ国へ行ってね、向こうで、その網をね、作ってくる。その網で、勝連のね、漁師達をね、手なずけて、勝連でね、成功する。そうやって、阿麻和利は、勝連の按司をね、物見台に連れて行って、物見台から落として、自分が按司になる。これが勝連の阿麻和利だからね。一説目はね、屋良のアマンジャナーと言うがね。勝連の按司と言う。アマンジャナーはは屋良で生まれて、そして、ずっと成長して、勝連に行って、勝連で、向こうの按司になるんだが、勝連の按司と出るまでねえ、これ色々まあ計画あるさあねえ。南蛮行って鉄を買って来てね、鉄で農具を作って、向こうの農民にやったりね、網を作ってね、漁民にやったりして、そして、そこの農民や漁民にね、「何月何日の何時頃ね、全部、松明をね、松明をつけてねえ、村の傍に集まりなさい。」と命令した。して、何月何日、ちょうど勝連の按司がね、物見に上がっている時に、阿麻和利はその日、按司を殺そうと思っているがね、すぐ、「あの明かりを見ろ。首里からね、大軍が押し寄せて来よるよ。」うと言って、嘘をついてね、それで、勝連の按司を騙してね、殺してしまう。そして、勝連の按司になって、その後は非常に政治力がやっぱりね、立派な按司として、納まって。だから、歴史の中でもね、英雄を称えるね、おもろとのがあるがね、いろんな物語があるが、おもろの中に残っている勝連按司はね、阿麻和利だけだと。だから、勝連の阿麻和利は、非常に有名な偉い人だと。そういうふうに、やっているがね。この阿麻和利は、後は尚泰久王をだまして、中城護佐丸をね、撃つんだよ。だから中城の人から言うとね、屋良のアマンジャナーは、悪い人だと言うしね、屋良の人から言うとね、中城の護佐丸は悪い人だと言われている。この阿麻和利は、首里のね、尚泰久王が使ったね、知花のね、何按司かな、その人に殺られるがね、楚辺のね、人に見つかって、それから降参してね、方言で降参することをエミすんというから、だから、そこの阿麻和利がね、侘びして殺された海端の広っぱをね、楚辺のエンミ毛というさあね。昔は闘牛場あったがね、今はずっと、通信隊の中になっている。そういうことで、だから一時まあ、阿麻和利はねえ、英雄であったかどうかというと、沖縄の歴史家がね、結局戦前はね、阿麻和利は悪いもんだと言って、戦後まあやっと戦国時代にはそういうふうにしてなければ生きられないなあ。阿麻和利はやっぱし、偉かったということでね、英雄になった。それから、最近出来た教育委員会が作った本だがね、嘉手納の先人達という本があるがね、これには、野国総監とかね、阿麻和利があるさ。あれは、誌上は全部、屋良の歴史のアルバムと言ってね、阿麻和利のことも書いてあるが、それぐらい有名なね、阿麻和利の小学校向きのね、歴史物語になっている。だから、今でも、阿麻和利の墓は、古堅小学校の裏にある。
全体の記録時間数 10:46
物語の時間数 10:31
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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