屋良の始まり(共通語)

概要

私、考えていますとですね、屋良の部落が出来たというのは、元は、城にもう続いている高いところに住んでいたんですが、今から、300年か、400年前の時代に、大川按司が今帰仁から出て、それから、伊波城跡を出て、按司としてこちらに来た。それから大川按司は屋良城を、造ったという。ことはこれは、先祖の人達が、話してくれたものである。それで、こちらに大川城跡が、出来たためにですね、こちら大川のお城は高い所ですよね、ですからね、この高いところに住んでいた子孫がですね、その高い所のその城跡の周囲とかですね、下の方に降りてですね、そういう字を初めて築いた。その降りてきたのが、今話したように根人ですね、そういう、家族とかですね、それから城間家とかですね、ミージとか、キーチャとかですね、久得とか、それからまた、ヌーグとかですね、知念とか、こういう人達がこういうふうに下に降りて来て家を造って来て住むようになった。だから、古い家はですね、またその城の周辺にですね、耕作地ですね、畑とか山とかですね、そういう所にもまた所有地を持っているんですよ。だからもう昔の屋良の部落はですね、今このこちら元のアシビナーですよ。アシビナーからこのずっとこの辺から向こう側にですね、今の根人とかですね、それと知念とか、そういう所の家が建っていたわけですね。このう付近ですね、そうして今度は、しだいしだいに向こうの方に、南側の方にとですね、次々に広がって、いってるわけですね。だからこれは城跡との関係が、あるわけですねえ。そうして土地も、近い所を耕作地にしていたと。そしたら、この地域の土地の様子がね、とても平坦で水に恵まれ、それから、畑や田んぼ、山ありで、昔は、百姓がこちらは、土地を持って、サトウキビ作ったり、芋を作ったり、野菜を作ったり、みんなが、一生懸命、働いていたんだ。それが、廃藩置県の後から、首里の士族が山原、それから中頭にみんな別れて行ったんだが、そうして、北谷村では、屋良村に一番士族が多く来て農業をやったりして働いた。それはこの屋良村の東側が広い土地だから、伊金堂、東、野原、屋宜屋取のこういったような所に士族の方々が来て、屋良の部落の屋取を作ったわけね。そこの屋取で、この士族の人達は働いていた。そうして、この部落のが屋取が非常に、環境に恵まれているということは、これはもう水が、非常に豊富であるためで、イージャーガーがあるし、それからまたここにもまた泉があり、すぐに飛行場の近くにもあるし、六ヵ所の泉があった。今、井戸のことを井と言っているが、泉が六ヵ所もあったということで、昔には、人間の生活にでぇじな水と、これから山からの薪もあって、生活が便利であるということで、屋良の村は、首里からの侍に達が集栄えた村を作ったというのは、これが屋良の村の始まり。

再生時間:2:40

民話詳細DATA

レコード番号 47O416546
CD番号 47O41C347
決定題名 屋良の始まり(共通語)
話者がつけた題名
話者名 伊波剛
話者名かな いはつよし
生年月日 19150105
性別
出身地 嘉手納町屋良
記録日 19940919
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 嘉手納T49B06
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 かでなの民話P2
キーワード 屋良の部落,大川按司,今帰仁,伊波城跡,屋良城,根人
梗概(こうがい) 私、考えていますとですね、屋良の部落が出来たというのは、元は、城にもう続いている高いところに住んでいたんですが、今から、300年か、400年前の時代に、大川按司が今帰仁から出て、それから、伊波城跡を出て、按司としてこちらに来た。それから大川按司は屋良城を、造ったという。ことはこれは、先祖の人達が、話してくれたものである。それで、こちらに大川城跡が、出来たためにですね、こちら大川のお城は高い所ですよね、ですからね、この高いところに住んでいた子孫がですね、その高い所のその城跡の周囲とかですね、下の方に降りてですね、そういう字を初めて築いた。その降りてきたのが、今話したように根人ですね、そういう、家族とかですね、それから城間家とかですね、ミージとか、キーチャとかですね、久得とか、それからまた、ヌーグとかですね、知念とか、こういう人達がこういうふうに下に降りて来て家を造って来て住むようになった。だから、古い家はですね、またその城の周辺にですね、耕作地ですね、畑とか山とかですね、そういう所にもまた所有地を持っているんですよ。だからもう昔の屋良の部落はですね、今このこちら元のアシビナーですよ。アシビナーからこのずっとこの辺から向こう側にですね、今の根人とかですね、それと知念とか、そういう所の家が建っていたわけですね。このう付近ですね、そうして今度は、しだいしだいに向こうの方に、南側の方にとですね、次々に広がって、いってるわけですね。だからこれは城跡との関係が、あるわけですねえ。そうして土地も、近い所を耕作地にしていたと。そしたら、この地域の土地の様子がね、とても平坦で水に恵まれ、それから、畑や田んぼ、山ありで、昔は、百姓がこちらは、土地を持って、サトウキビ作ったり、芋を作ったり、野菜を作ったり、みんなが、一生懸命、働いていたんだ。それが、廃藩置県の後から、首里の士族が山原、それから中頭にみんな別れて行ったんだが、そうして、北谷村では、屋良村に一番士族が多く来て農業をやったりして働いた。それはこの屋良村の東側が広い土地だから、伊金堂、東、野原、屋宜屋取のこういったような所に士族の方々が来て、屋良の部落の屋取を作ったわけね。そこの屋取で、この士族の人達は働いていた。そうして、この部落のが屋取が非常に、環境に恵まれているということは、これはもう水が、非常に豊富であるためで、イージャーガーがあるし、それからまたここにもまた泉があり、すぐに飛行場の近くにもあるし、六ヵ所の泉があった。今、井戸のことを井と言っているが、泉が六ヵ所もあったということで、昔には、人間の生活にでぇじな水と、これから山からの薪もあって、生活が便利であるということで、屋良の村は、首里からの侍に達が集栄えた村を作ったというのは、これが屋良の村の始まり。
全体の記録時間数 2:47
物語の時間数 2:40
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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