阿麻和利(共通語) 

概要

屋良大川按司は、大川大主の第五子というふうになっているんですよね。こちらの屋良大川はですね、これの子孫になるのがですね、うちのだから、アガリントウという所になっているんでないかね、そうしてそのアガリントウには、私達がですね、門中の中にいるわけですよ。そうして、その門中でも、今の所は、アガリントウの本家でありますからね、その次のまた中元が私の家になっているわけですけどね、そういうふうにして中元から次々に、こういうふうにしてですね、マーブ下の子とか、次々こう出来て上がって来ているというようなことを話してましたがね、阿麻和利はですね、安次嶺坊主と言ってですね、坊さんがおったらしいですがね、その安次嶺坊主の女小とですね、その大川按司の間に出来たのが阿麻和利でないかと。そうしてなぜそれじゃあこの人は、そういったようなことをですね、はっきりそういう人の子であるということをみんなに申し出ることが出来なかったかと言うと、その安次嶺の方はですね、百姓の身分であるために、もう自分達はもう気が小さくなって、こういったような方と、こんなに結んで子供も出来たんだから、もうこんなに恥ずかしい覚えはないということでですね、この安次嶺坊主はもうここで亡くなったというようなこと言ってますがね。だからその安次嶺坊主の家も、今の伊波、屋良城跡のですね、近くにあったようですよ。だから、阿麻和利は、生まれはここで育っているでしょう。ところが身体が非常に軟弱で、足が立たないから、そういう穴のほら穴の中でやっていたのでなかったかなあという話だがね。それとですね私がまた、感じているのはですね、この人がそういうことで、自分でその物も取って来て食べている。そうして今度はまた、下にちょうどヒージャーガという昔からの飲料水になる、その泉があるわけわけですよね。だからそこまで降りて行って、この人は水を飲んだりすることが出来たもんだから、そういうふうに生き返ったんじゃないかと、私は思いますが。捨てられた洞は、城の中にあって、そうしてこの今泉のある所もこの城の下の方に、流れていますからね。昔はだから、城を築く時には水源を求めてやったとあるがね。そうしているうちに色々、蜘蛛の巣を作ったりしているのを見て、あれからその網の研究をやったというようなことになったんじゃないんですかな。時の洞の所には色々蜘蛛がたくさんいたと思いますがね。それは、魚を捕る網で、これはですね、屋良にいる時にはそうでなくて、大きくなって勝連に行ってからじゃないかと思いますがね、勝連に行ってですね、そうして魚を捕って、そうして向こうの漁民に、こういうふうにしてやるんだというような指導して教えてやったというようなことでですね。それ自体がだからもうこの漁港発展させた一つと、それから貿易をまたそれによって、あちらこちらに、やったというようなことが、あれから、勝連は、発祥の地になったんじゃないかと。勝連の按司になったのは、これはですね、これだけ体の弱いものが、向こうに行ってですね、そういう網を模索してやった結果その魚を捕るのも、向こうの漁民、農民に教えた。そうしてそれによって向こうの農民や漁民はですね、この人のその毎日の生活のあれを見てですね、非常に、共感を持って、それからその向こうの勝連の人達からの信用があってですね、そういうことでこの人は我々を救うてくれる、人だなあというようなことでですね、みんなに慕われているからこれから持ち上げられたんじゃないかなあと、思っていますがね。だからこの人は勝連の人から言うと、決して、悪い者ではない。我々農民を救ってくれたもう非常に神様みたような人だと思っていたんでないかと思いますがね。

再生時間:10:06

民話詳細DATA

レコード番号 47O416532
CD番号 47O41C346
決定題名 阿麻和利(共通語) 
話者がつけた題名
話者名 伊波剛
話者名かな いはつよし
生年月日 19150105
性別
出身地 嘉手納町屋良
記録日 19940919
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 嘉手納T49A03
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 かでなの民話P120
キーワード 屋良大川按司,大川大主の第五子,阿麻和利,安次嶺坊主,屋良城跡
梗概(こうがい) 屋良大川按司は、大川大主の第五子というふうになっているんですよね。こちらの屋良大川はですね、これの子孫になるのがですね、うちのだから、アガリントウという所になっているんでないかね、そうしてそのアガリントウには、私達がですね、門中の中にいるわけですよ。そうして、その門中でも、今の所は、アガリントウの本家でありますからね、その次のまた中元が私の家になっているわけですけどね、そういうふうにして中元から次々に、こういうふうにしてですね、マーブ下の子とか、次々こう出来て上がって来ているというようなことを話してましたがね、阿麻和利はですね、安次嶺坊主と言ってですね、坊さんがおったらしいですがね、その安次嶺坊主の女小とですね、その大川按司の間に出来たのが阿麻和利でないかと。そうしてなぜそれじゃあこの人は、そういったようなことをですね、はっきりそういう人の子であるということをみんなに申し出ることが出来なかったかと言うと、その安次嶺の方はですね、百姓の身分であるために、もう自分達はもう気が小さくなって、こういったような方と、こんなに結んで子供も出来たんだから、もうこんなに恥ずかしい覚えはないということでですね、この安次嶺坊主はもうここで亡くなったというようなこと言ってますがね。だからその安次嶺坊主の家も、今の伊波、屋良城跡のですね、近くにあったようですよ。だから、阿麻和利は、生まれはここで育っているでしょう。ところが身体が非常に軟弱で、足が立たないから、そういう穴のほら穴の中でやっていたのでなかったかなあという話だがね。それとですね私がまた、感じているのはですね、この人がそういうことで、自分でその物も取って来て食べている。そうして今度はまた、下にちょうどヒージャーガという昔からの飲料水になる、その泉があるわけわけですよね。だからそこまで降りて行って、この人は水を飲んだりすることが出来たもんだから、そういうふうに生き返ったんじゃないかと、私は思いますが。捨てられた洞は、城の中にあって、そうしてこの今泉のある所もこの城の下の方に、流れていますからね。昔はだから、城を築く時には水源を求めてやったとあるがね。そうしているうちに色々、蜘蛛の巣を作ったりしているのを見て、あれからその網の研究をやったというようなことになったんじゃないんですかな。時の洞の所には色々蜘蛛がたくさんいたと思いますがね。それは、魚を捕る網で、これはですね、屋良にいる時にはそうでなくて、大きくなって勝連に行ってからじゃないかと思いますがね、勝連に行ってですね、そうして魚を捕って、そうして向こうの漁民に、こういうふうにしてやるんだというような指導して教えてやったというようなことでですね。それ自体がだからもうこの漁港発展させた一つと、それから貿易をまたそれによって、あちらこちらに、やったというようなことが、あれから、勝連は、発祥の地になったんじゃないかと。勝連の按司になったのは、これはですね、これだけ体の弱いものが、向こうに行ってですね、そういう網を模索してやった結果その魚を捕るのも、向こうの漁民、農民に教えた。そうしてそれによって向こうの農民や漁民はですね、この人のその毎日の生活のあれを見てですね、非常に、共感を持って、それからその向こうの勝連の人達からの信用があってですね、そういうことでこの人は我々を救うてくれる、人だなあというようなことでですね、みんなに慕われているからこれから持ち上げられたんじゃないかなあと、思っていますがね。だからこの人は勝連の人から言うと、決して、悪い者ではない。我々農民を救ってくれたもう非常に神様みたような人だと思っていたんでないかと思いますがね。
全体の記録時間数 10:32
物語の時間数 10:06
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP