比嘉筑登親雲上(共通語)

概要

比嘉筑登親雲上が昔のあの比謝橋架けたって。本当は私達は比嘉だから、私達は、だからこの人のこのユーベーの子なんですよ。本当の妻は、首里にいたって。子孫になって、池原になっているわけ。したから、比謝橋のあっちの森の側にお墓もあるんですよ。今も私達は、清明やります。山原、だから首里だから、奥さんは、首里に置いといて、こっちに橋架けるって何ヵ年て掛けるさあね、この橋は。だからこっちでユーベー探して、私達はユーベーの子孫になって、橋架けて死ぬ前は、自分で石厨子、造って、墓ん中に入れてはいたって。だけど、この石厨子は、もうこの戦争中無くなっている。自分が入る、甕さ、これ作っておいてから、死んでいたわけさ。いっぺいあのりきやーだったってようこの人は。だから、倒れるのは、この比嘉と言う門中のお家で、この人は、こっちでとっても病気していたら、お家の上から、この人の上に天井から山羊が落ちて来たって。これでもう魂取られたんで長らく待たんで、もう亡くなったらしい。奥さんの家は、今私達、元家にして、信じているんですよ。「二号でも、女がいたから、子孫が生まれている。これを捨ててはいけない。」といって今信じている。遺骨はまあ、ユーベも本妻も、あのお墓に一緒になっているよ。筑登親雲上の遺骨は、首里の元家に行っているから、こっちにはない。首里の玉川と言ったかな。こっちから前は拝みにも行ったがさあ、遠いからよ、朝早く行から行っても、「ユーベーの子が、神を拝みに来たねえ。」と言って早くは拝まさん。必ず、あっちが本妻の子孫が、拝んでからこっちを拝まして、那覇に泊まって来よった。今はもう首里への拝みは、やらないけど。

再生時間:5:43

民話詳細DATA

レコード番号 47O416527
CD番号 47O41C346
決定題名 比嘉筑登親雲上(共通語)
話者がつけた題名
話者名 池原苗
話者名かな いけはらなえ
生年月日 19140315
性別
出身地 嘉手納町屋良
記録日 19940918
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 嘉手納T48B09
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 比嘉筑登親雲上,比謝橋
梗概(こうがい) 比嘉筑登親雲上が昔のあの比謝橋架けたって。本当は私達は比嘉だから、私達は、だからこの人のこのユーベーの子なんですよ。本当の妻は、首里にいたって。子孫になって、池原になっているわけ。したから、比謝橋のあっちの森の側にお墓もあるんですよ。今も私達は、清明やります。山原、だから首里だから、奥さんは、首里に置いといて、こっちに橋架けるって何ヵ年て掛けるさあね、この橋は。だからこっちでユーベー探して、私達はユーベーの子孫になって、橋架けて死ぬ前は、自分で石厨子、造って、墓ん中に入れてはいたって。だけど、この石厨子は、もうこの戦争中無くなっている。自分が入る、甕さ、これ作っておいてから、死んでいたわけさ。いっぺいあのりきやーだったってようこの人は。だから、倒れるのは、この比嘉と言う門中のお家で、この人は、こっちでとっても病気していたら、お家の上から、この人の上に天井から山羊が落ちて来たって。これでもう魂取られたんで長らく待たんで、もう亡くなったらしい。奥さんの家は、今私達、元家にして、信じているんですよ。「二号でも、女がいたから、子孫が生まれている。これを捨ててはいけない。」といって今信じている。遺骨はまあ、ユーベも本妻も、あのお墓に一緒になっているよ。筑登親雲上の遺骨は、首里の元家に行っているから、こっちにはない。首里の玉川と言ったかな。こっちから前は拝みにも行ったがさあ、遠いからよ、朝早く行から行っても、「ユーベーの子が、神を拝みに来たねえ。」と言って早くは拝まさん。必ず、あっちが本妻の子孫が、拝んでからこっちを拝まして、那覇に泊まって来よった。今はもう首里への拝みは、やらないけど。
全体の記録時間数 5:50
物語の時間数 5:43
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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