久米系福地門中(共通語)

概要

昔々、大昔は、沖縄は、支那から王の位をもらう琉球王と言っていたんだが、それから、戦争始め出して日本にこの沖縄は取られたんですよ。もう唐のユウから大和のユウと言ってあるでしょ。そうしてもう廃藩のユウですよ。昔は、こっちは唐の流れですよ。大昔、唐からジュンと言う人がこの琉球に降りて来て、那覇の久米町で学問は出てたさ。 だから、昔は、夜の学問でも、那覇久米に行ってやっていた。久米村の今の儀間本店が大元です。私達の福地の門中は、蔡氏蔡温の蔡です。蔡温が門中の一番上になっている。昔、南松と言って松があるでしょう。あれも蔡温が植えた話も聞いたことあります。それが、廃幡なってから士族が那覇から兼久の村に降りてきたんだよ。

再生時間:10:11

民話詳細DATA

レコード番号 47O416503
CD番号 47O41C345
決定題名 久米系福地門中(共通語)
話者がつけた題名
話者名 福地孝幸
話者名かな ふくじたかゆき
生年月日 18970610
性別
出身地 嘉手納町兼久
記録日 19940918
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 嘉手納T47B03
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 かでなの民話P22
キーワード 支那,王の位,琉球王,久米町,蔡氏蔡温
梗概(こうがい) 昔々、大昔は、沖縄は、支那から王の位をもらう琉球王と言っていたんだが、それから、戦争始め出して日本にこの沖縄は取られたんですよ。もう唐のユウから大和のユウと言ってあるでしょ。そうしてもう廃藩のユウですよ。昔は、こっちは唐の流れですよ。大昔、唐からジュンと言う人がこの琉球に降りて来て、那覇の久米町で学問は出てたさ。 だから、昔は、夜の学問でも、那覇久米に行ってやっていた。久米村の今の儀間本店が大元です。私達の福地の門中は、蔡氏蔡温の蔡です。蔡温が門中の一番上になっている。昔、南松と言って松があるでしょう。あれも蔡温が植えた話も聞いたことあります。それが、廃幡なってから士族が那覇から兼久の村に降りてきたんだよ。
全体の記録時間数 10:56
物語の時間数 10:11
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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