鬼大城系夏門中(共通語)

概要

夏門中の先祖の鬼大城は、非常に武勇が優れて、王様から、鬼大城が、「阿麻和利は、君しか出来ないが、君指揮を取って、阿麻和利を滅ぼしてくれ。」ということで、そこの軍団と言いますか、大城が大将になって、でまた兄弟二人が副将軍ですか、攻めに行ったところがもう思ったよりも非常に攻めにくくて、もうやがてあきらめようとするかなと思うときに、鬼大城が知恵を働いて、で、「君達はこっちで、援護射撃みたいのやりなさい。僕は裏から回るから。」と言って、この女に化けて裏門から入っていって、その阿麻和利を負かしたと。そいうことは、良く耳にして聞いていることですが。そんで、そこ滅ぼして後から今度、認められて、越久の按司に任命されて、越久間切を治めておった。してそんときに、クーデーターが出てからに、その尚円王ですかな、はっきり覚えてないですが、それと、大城賢勇一緒だから、勝手にクーデーターの判定にしてから、悪者にされて、越久から追い回されて、こう逃げたと、ところが今の知花城のその洞穴ですね、今の北谷洞窟のそこに逃げ込んでいるの、後は見られて分かってしもうて、そこにいるということ分かったもんだから、たいまつを作ってからに、鬼大城は、火あぶられたと。それから、戦後の話ですけど、私の父が沖縄市教育委員会の取り組みして、この墓を開けて、いろいろ調べたらしいっすよ。そんときに、首里の摩文仁殿内に持っていったのが、碁石とその碁石を入れる壺ですねえ、それと普通の壺、刀、そう大事な物は、そんときに首里(すい)の摩文仁殿内に持っていったと。そういう話、聞いたですけんど、もう今は摩文仁殿内には、そういうのないらしいです。後から聞くと、刀は本土にいっていると話です。だから、たくさんも、売ったんじゃないかな僕自身は考える。今は摩文仁殿内は男いないもんだから、婿さんという、内地の方がすねえ、田島清といったかな、その人が管理しておったすよ。そういった那覇の大道にいるときにまぶい殿内がなんとかの大道にいるときに、あまり長らくならないけれども、その人亡くなっておった。そのころに売ったんじゃないかなあと僕は思っておるんすけどね。それから、今は大道から首里に移って現在までも、そこに摩文仁殿内が移ってるんです。で、ぼくらまでみんな、私の名が知花包喜というように、包(ほう)が付いてるんですよ。で、僕等の子からは、知花賢勇とか、賢正とかみんな賢(けん)になおってる。何故かといったら、戦後、僕等は子孫は鬼大城だから、賢と名を付くべきなんだけど、僕等の一番の先祖がうぬ大城の二号との子でね、そんで生まれたのが知花村だったらしいんだよ。知花村の名を取って知花と名が付いたと話は聞いておる。だから夏氏門中にはね、門中が五七あるらしいですよ。系図にはですねえ、大城賢勇の父は、栄野比大屋(えのびうふや)とか、その父が具志川按司とあるんですよ。持ってるんですよ、きれいに。たくさんあるんですよ。最初は浦添王子で、その浦添王子の次男の具志川按司が一番上になっとる。それから栄野比大家とかね、これが夏氏門中の一番上のほうです。それから、安慶名大川とかですね、この系図は、沖縄の歴史に詳しい首里の長嶺なんという先生かね、この方が戦後作ったんですよ。

再生時間:7:15

民話詳細DATA

レコード番号 47O416223
CD番号 47O41C330
決定題名 鬼大城系夏門中(共通語)
話者がつけた題名
話者名 知花包喜
話者名かな ちばなほうき
生年月日 19221031
性別
出身地 嘉手納町野国
記録日 19940916
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 嘉手納T34A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 かでなの民話P87
キーワード 夏門中の先祖の鬼大城,阿麻和利,越久間切,首里の摩文仁殿
梗概(こうがい) 夏門中の先祖の鬼大城は、非常に武勇が優れて、王様から、鬼大城が、「阿麻和利は、君しか出来ないが、君指揮を取って、阿麻和利を滅ぼしてくれ。」ということで、そこの軍団と言いますか、大城が大将になって、でまた兄弟二人が副将軍ですか、攻めに行ったところがもう思ったよりも非常に攻めにくくて、もうやがてあきらめようとするかなと思うときに、鬼大城が知恵を働いて、で、「君達はこっちで、援護射撃みたいのやりなさい。僕は裏から回るから。」と言って、この女に化けて裏門から入っていって、その阿麻和利を負かしたと。そいうことは、良く耳にして聞いていることですが。そんで、そこ滅ぼして後から今度、認められて、越久の按司に任命されて、越久間切を治めておった。してそんときに、クーデーターが出てからに、その尚円王ですかな、はっきり覚えてないですが、それと、大城賢勇一緒だから、勝手にクーデーターの判定にしてから、悪者にされて、越久から追い回されて、こう逃げたと、ところが今の知花城のその洞穴ですね、今の北谷洞窟のそこに逃げ込んでいるの、後は見られて分かってしもうて、そこにいるということ分かったもんだから、たいまつを作ってからに、鬼大城は、火あぶられたと。それから、戦後の話ですけど、私の父が沖縄市教育委員会の取り組みして、この墓を開けて、いろいろ調べたらしいっすよ。そんときに、首里の摩文仁殿内に持っていったのが、碁石とその碁石を入れる壺ですねえ、それと普通の壺、刀、そう大事な物は、そんときに首里(すい)の摩文仁殿内に持っていったと。そういう話、聞いたですけんど、もう今は摩文仁殿内には、そういうのないらしいです。後から聞くと、刀は本土にいっていると話です。だから、たくさんも、売ったんじゃないかな僕自身は考える。今は摩文仁殿内は男いないもんだから、婿さんという、内地の方がすねえ、田島清といったかな、その人が管理しておったすよ。そういった那覇の大道にいるときにまぶい殿内がなんとかの大道にいるときに、あまり長らくならないけれども、その人亡くなっておった。そのころに売ったんじゃないかなあと僕は思っておるんすけどね。それから、今は大道から首里に移って現在までも、そこに摩文仁殿内が移ってるんです。で、ぼくらまでみんな、私の名が知花包喜というように、包(ほう)が付いてるんですよ。で、僕等の子からは、知花賢勇とか、賢正とかみんな賢(けん)になおってる。何故かといったら、戦後、僕等は子孫は鬼大城だから、賢と名を付くべきなんだけど、僕等の一番の先祖がうぬ大城の二号との子でね、そんで生まれたのが知花村だったらしいんだよ。知花村の名を取って知花と名が付いたと話は聞いておる。だから夏氏門中にはね、門中が五七あるらしいですよ。系図にはですねえ、大城賢勇の父は、栄野比大屋(えのびうふや)とか、その父が具志川按司とあるんですよ。持ってるんですよ、きれいに。たくさんあるんですよ。最初は浦添王子で、その浦添王子の次男の具志川按司が一番上になっとる。それから栄野比大家とかね、これが夏氏門中の一番上のほうです。それから、安慶名大川とかですね、この系図は、沖縄の歴史に詳しい首里の長嶺なんという先生かね、この方が戦後作ったんですよ。
全体の記録時間数 8:10
物語の時間数 7:15
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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