昔、薩摩との戦いの時に攻められて、第一軍が那覇港から攻めてきて、他の軍隊が 渡具知の浜から上陸してきました。その時、この辺には何の武器もないし備えもないから、どうしたらいいことかとみんなで知恵を絞って、頓智で、「ようし、これは女どもが集まって、ある物で攻めることにしよう」ということで、農作物の餅粟を持ち寄って、四枚鍋、五枚鍋にどんどんどんどんお粥を炊きました。餅粟のお粥。そしたら攻めてきた薩摩軍は、天川坂から首里へ攻めていこうとしたら、天川坂の上からどんとその餅粟のお粥が流れてきました。それとは知らず足を踏み込んで、大火傷をして足をとられた兵隊がたくさんいました。それを知らんで次から次から来た兵隊は、手を火傷する、足を火傷する。また、元気な兵隊は、上に女ども、住民がいっぱいいるから、上に向かってドンと打つかと思ったら、「あれは何でもない。女子供だ」と言って、馬鹿にして下ばっかり見て、坂だからどんどんはい上がろうとしたら、手も火傷して、みんな大火傷になってしまいました。それで、上の女たちは、みんな大笑いして、「でかした、でかした」と喜んでいました。こういうやり方でだいぶ防いだそうです。だけど、このお粥が冷めてしまったら、薩摩の後から来た兵隊たちは、「あれ、こりゃ何か。お粥みたいだよ。お腹も空いているし食べてみようか」と、ちょっと一口食べてみたら、「うまい。お粥じゃないか。こりゃ、しめたしめた。これで腹ごしらえができた。よーし、腹ごしらえして、首里までどんどんどんどん攻めて行こうじゃないかあ」て。またそこでみんな喜んで行ったという、そういう笑い話もありました。これ、昔のお爺さんたちの話でした。
| レコード番号 | 47O416030 |
|---|---|
| CD番号 | 47O41C320 |
| 決定題名 | 天川坂(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 山内敏 |
| 話者名かな | やまうちとし |
| 生年月日 | 19180810 |
| 性別 | 女 |
| 出身地 | 嘉手納町国直 |
| 記録日 | 19940222 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
| 元テープ番号 | 嘉手納T19B02 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | かでなの民話P26 |
| キーワード | 薩摩軍,お粥,四枚鍋,餅粟 |
| 梗概(こうがい) | 昔、薩摩との戦いの時に攻められて、第一軍が那覇港から攻めてきて、他の軍隊が 渡具知の浜から上陸してきました。その時、この辺には何の武器もないし備えもないから、どうしたらいいことかとみんなで知恵を絞って、頓智で、「ようし、これは女どもが集まって、ある物で攻めることにしよう」ということで、農作物の餅粟を持ち寄って、四枚鍋、五枚鍋にどんどんどんどんお粥を炊きました。餅粟のお粥。そしたら攻めてきた薩摩軍は、天川坂から首里へ攻めていこうとしたら、天川坂の上からどんとその餅粟のお粥が流れてきました。それとは知らず足を踏み込んで、大火傷をして足をとられた兵隊がたくさんいました。それを知らんで次から次から来た兵隊は、手を火傷する、足を火傷する。また、元気な兵隊は、上に女ども、住民がいっぱいいるから、上に向かってドンと打つかと思ったら、「あれは何でもない。女子供だ」と言って、馬鹿にして下ばっかり見て、坂だからどんどんはい上がろうとしたら、手も火傷して、みんな大火傷になってしまいました。それで、上の女たちは、みんな大笑いして、「でかした、でかした」と喜んでいました。こういうやり方でだいぶ防いだそうです。だけど、このお粥が冷めてしまったら、薩摩の後から来た兵隊たちは、「あれ、こりゃ何か。お粥みたいだよ。お腹も空いているし食べてみようか」と、ちょっと一口食べてみたら、「うまい。お粥じゃないか。こりゃ、しめたしめた。これで腹ごしらえができた。よーし、腹ごしらえして、首里までどんどんどんどん攻めて行こうじゃないかあ」て。またそこでみんな喜んで行ったという、そういう笑い話もありました。これ、昔のお爺さんたちの話でした。 |
| 全体の記録時間数 | 2:35 |
| 物語の時間数 | 2:30 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |