野國總管という人が青年時代にね、久米村に出稼ぎに行ったら、行ったこの家の人もいい人たちであってね、ほで、「学問しなさいよ」ちゅうてね、学問も教えてねで、漢文も教えて、その野國總管はね、下男の仕事もしながら学問も習ってね、で、やっぱり頭達者だったろうな。で、学問上達してね。ほで、その昔は国学つったら、今の大学になる。ほんで、平学といったらね、中国語なんだよ。当時は、田舎には学校無かったんだ。で、首里には学校があったわけよ。ひょっとしたら、野國總管は、私の考えだけどその学校に試験受けて、学校に入学したかも分からん。そうなくちゃ、その總管役には就けないから。で、多分入学して、總管役も与えられて中国に行ったと思うんだよ。ほで、中国に行ったら、薩摩芋は十年前にルソン島から中国に輸入して、中国のほうに盛んに入っとったらしいけどね。向こうでも薩摩芋が来てからね、十年しかならんかったですよ。で、中国では、十年しかならんもんだからね、法律上は海外には禁止で、一個、一本でも持ち出し出来んかったですよ。で、野國總管は、沖縄では台風がある時はもう餓死なんかするでしょう。(これとってもいいものだからね、これでも持って行って広げたら琉球民のためになる)と思ったけど、向こうから、海外に輸出禁止だったから、「しかし、こんなん持っては帰れん」ちゅうて、ほで杖は竹だからね、芋蔓を差し込んで入れて、それを持って来たらしい。ほで、芋持って来て、自分の畑グヮーに植えて作ったらしいんだよ。ほで、一粒、二粒と植えて、んで、芋も出来たもんだから、これを聞いたのが儀間親方。儀間親方は、当時あの人よりも少しは年下だったが、この人も儀間真常っていってね、住まいは垣花で、首里の親方級なんだが、この人は頭もいいし、親方だから、サトウキビ持って来たのもこれ、儀間真常だからね。もう物凄い、琉球のためにやろうとする熱意があるでしょう。この薩摩芋、名護に広まってるという話を聞いたもんだから、わざわざすぐ来て、その人は頭いいし、どうしたら琉球のためになるかって、それを考えておるからね、そのね、芋の蔓、少しもらってね、で、垣花持てって、これ広げた。この人は、もうあっちこっち間切、間切ね、全部もう広げてね、増えるようになって、それから、百年で全琉に広めたらしい。で、そのために、沖縄は戦争中、それがなかったら、餓死して死んでた人もいたらしい。
| レコード番号 | 47O235862 |
|---|---|
| CD番号 | 47O23C312 |
| 決定題名 | 野国総管(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 沢岻安徳 |
| 話者名かな | たくしあんとく |
| 生年月日 | 19220826 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 嘉手納町字野国 |
| 記録日 | 19930829 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
| 元テープ番号 | 嘉手納T12B08 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | かでなの民話P148 |
| キーワード | 野國總管,久米村,薩摩芋,儀間真常,サトウキビ, |
| 梗概(こうがい) | 野國總管という人が青年時代にね、久米村に出稼ぎに行ったら、行ったこの家の人もいい人たちであってね、ほで、「学問しなさいよ」ちゅうてね、学問も教えてねで、漢文も教えて、その野國總管はね、下男の仕事もしながら学問も習ってね、で、やっぱり頭達者だったろうな。で、学問上達してね。ほで、その昔は国学つったら、今の大学になる。ほんで、平学といったらね、中国語なんだよ。当時は、田舎には学校無かったんだ。で、首里には学校があったわけよ。ひょっとしたら、野國總管は、私の考えだけどその学校に試験受けて、学校に入学したかも分からん。そうなくちゃ、その總管役には就けないから。で、多分入学して、總管役も与えられて中国に行ったと思うんだよ。ほで、中国に行ったら、薩摩芋は十年前にルソン島から中国に輸入して、中国のほうに盛んに入っとったらしいけどね。向こうでも薩摩芋が来てからね、十年しかならんかったですよ。で、中国では、十年しかならんもんだからね、法律上は海外には禁止で、一個、一本でも持ち出し出来んかったですよ。で、野國總管は、沖縄では台風がある時はもう餓死なんかするでしょう。(これとってもいいものだからね、これでも持って行って広げたら琉球民のためになる)と思ったけど、向こうから、海外に輸出禁止だったから、「しかし、こんなん持っては帰れん」ちゅうて、ほで杖は竹だからね、芋蔓を差し込んで入れて、それを持って来たらしい。ほで、芋持って来て、自分の畑グヮーに植えて作ったらしいんだよ。ほで、一粒、二粒と植えて、んで、芋も出来たもんだから、これを聞いたのが儀間親方。儀間親方は、当時あの人よりも少しは年下だったが、この人も儀間真常っていってね、住まいは垣花で、首里の親方級なんだが、この人は頭もいいし、親方だから、サトウキビ持って来たのもこれ、儀間真常だからね。もう物凄い、琉球のためにやろうとする熱意があるでしょう。この薩摩芋、名護に広まってるという話を聞いたもんだから、わざわざすぐ来て、その人は頭いいし、どうしたら琉球のためになるかって、それを考えておるからね、そのね、芋の蔓、少しもらってね、で、垣花持てって、これ広げた。この人は、もうあっちこっち間切、間切ね、全部もう広げてね、増えるようになって、それから、百年で全琉に広めたらしい。で、そのために、沖縄は戦争中、それがなかったら、餓死して死んでた人もいたらしい。 |
| 全体の記録時間数 | 4:51 |
| 物語の時間数 | 4:42 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |