クニンダっていったら久米村ね。清の時代に久米村に出稼ぎに来たらしいよ。で、久米村に出稼ぎに来て、で、久米村っていったらね、三 十六姓が住んでいる所で察度王時代にね、尚金福っていうのがいてね、で、北京政府と琉球王が貿易関係のためにね、それで向こうに行って、沖縄の技術者が少ないもんだから、まあ船大工ね、それからサトウキビ作る、それから建築、それから石橋造る技術者が、もうおらんもんだからね、中国の方から琉球の方に、移住さしてくれんかあとお願いして、手紙書いて、で、お願いして、ちょうど三十六名が那覇に来たっていう。それで、来た者が三十六氏っていってね、三十六姓だけど。それで来たもんだから、その人たちは貿易船に乗ってね、船持ちの羅針盤みたいに、太陽で船の航路計る技術ね、船造る技術者ね。また、瓦作る技術者ね。それからサトウキビ。いろんな技術者が三十六名来て、そして、妻は琉球からもらって生活するようになったらしいんだよ。これで何で久米村ってちゅうたかはね、久しい米でしょ。もう、中国から毎年貿易あるたんびに、年に一回ずつ米送ってきたらしい。自分の奥さん、弟や子や孫やみんなに。中国と沖縄、沖縄は距離も遠いしね、場合によっては天気の関係で、一年に一回、二年に一回しかできん場合もある。で、もう遭難なんかもあるしね。それで、もう以前までは六ヵ月に一回、一年に一回って米がついたのに、今年の場合は、一ヵ年も二ヵ年も三ヵ年ももう来なくて、初めてもう来たもんだから、久しぶりに米が来たもんだから、久しい米、それから久米村って言ってるさ。で、久米村は、戦前は石垣煉瓦積んでね、全部三十六姓は、もう一族みたいにそこの中にいたって。それで、三十六姓は、来てから五八〇年ぐらいなるから、二〇〇年の間は中国風にしてあったらしいよ。でね、それから、また沖縄にもう長いこと移住したもんだから、沖縄慣れしてね、カタカシラも結うようになったわけ。で、沖縄の着物も着るようになったらしい。で、本当の琉球人になったのは、もう今から三〇〇年くらい前。そんで、この久米村が、もう本当のクニンダ村というその三十六姓あたりがね、もう子孫をどんどん広げて、そうとうの村が出来るようになったわけよ。もう、数百人、数千人も生んできたわけよね。
レコード番号 | 47O235861 |
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CD番号 | 47O23C312 |
決定題名 | 久米村の名の由来(共通語) |
話者がつけた題名 | - |
話者名 | 沢岻安徳 |
話者名かな | たくしあんとく |
生年月日 | 19220826 |
性別 | 男 |
出身地 | 嘉手納町字野国 |
記録日 | 19930829 |
記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
元テープ番号 | 嘉手納T12B07 |
元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
分類 | 伝説 |
発句(ほっく) | - |
伝承事情 | - |
文字化資料 | かでなの民話P232 |
キーワード | 久米村,察度王,三十六姓,尚金福,瓦職人 |
梗概(こうがい) | クニンダっていったら久米村ね。清の時代に久米村に出稼ぎに来たらしいよ。で、久米村に出稼ぎに来て、で、久米村っていったらね、三 十六姓が住んでいる所で察度王時代にね、尚金福っていうのがいてね、で、北京政府と琉球王が貿易関係のためにね、それで向こうに行って、沖縄の技術者が少ないもんだから、まあ船大工ね、それからサトウキビ作る、それから建築、それから石橋造る技術者が、もうおらんもんだからね、中国の方から琉球の方に、移住さしてくれんかあとお願いして、手紙書いて、で、お願いして、ちょうど三十六名が那覇に来たっていう。それで、来た者が三十六氏っていってね、三十六姓だけど。それで来たもんだから、その人たちは貿易船に乗ってね、船持ちの羅針盤みたいに、太陽で船の航路計る技術ね、船造る技術者ね。また、瓦作る技術者ね。それからサトウキビ。いろんな技術者が三十六名来て、そして、妻は琉球からもらって生活するようになったらしいんだよ。これで何で久米村ってちゅうたかはね、久しい米でしょ。もう、中国から毎年貿易あるたんびに、年に一回ずつ米送ってきたらしい。自分の奥さん、弟や子や孫やみんなに。中国と沖縄、沖縄は距離も遠いしね、場合によっては天気の関係で、一年に一回、二年に一回しかできん場合もある。で、もう遭難なんかもあるしね。それで、もう以前までは六ヵ月に一回、一年に一回って米がついたのに、今年の場合は、一ヵ年も二ヵ年も三ヵ年ももう来なくて、初めてもう来たもんだから、久しぶりに米が来たもんだから、久しい米、それから久米村って言ってるさ。で、久米村は、戦前は石垣煉瓦積んでね、全部三十六姓は、もう一族みたいにそこの中にいたって。それで、三十六姓は、来てから五八〇年ぐらいなるから、二〇〇年の間は中国風にしてあったらしいよ。でね、それから、また沖縄にもう長いこと移住したもんだから、沖縄慣れしてね、カタカシラも結うようになったわけ。で、沖縄の着物も着るようになったらしい。で、本当の琉球人になったのは、もう今から三〇〇年くらい前。そんで、この久米村が、もう本当のクニンダ村というその三十六姓あたりがね、もう子孫をどんどん広げて、そうとうの村が出来るようになったわけよ。もう、数百人、数千人も生んできたわけよね。 |
全体の記録時間数 | 4:30 |
物語の時間数 | 4:30 |
言語識別 | 共通語 |
音源の質 | ○ |
テープ番号 | - |
予備項目1 | - |