水釜の始まり(共通語)

概要

水釜は元は北谷間切屋良村の管轄であった。屋良バルの水釜バルとはこのあたりの地名。南の兼久の方に、二百年ほど前、奥間の先祖が那覇の久米村から下りてきた。奥間兼仁はカタミアチネー(品物を担いで行商する)をして回っていた。夜は屋良村の青年達に学問を教えたりしたため、奥間は屋良の人達から信用され、「あなたの好きな所を選んで住みなさい」と言われ、シワキウキジ(土地の種類:土地を開墾して畑にし、首里王府に届けるとその人の畑になる。)にするにはどこがいいかと悩んだ末、海に最も近く、北側に屋良バンタという松林を背にして、前に開けている場所を選んだ。そのすぐ側には水洞(ミズガマ)もあった。泉の湧水ではないが、松林の中に降った雨が岩に滲みとおり、湧き水が洞穴に垂れて、くぼんだ穴にどんどん溜まり、溢れて流れ出た。山原船の乗組員達がその水洞の水を利用して飲んでいた。そして、渡具知から島袋家の先祖がやって来て、奥間家の先祖と一緒に家を建てた。それが水釜の始まりである。畑も作り、作物が取れるようになったので、奥間家の先祖は結婚して男の子4名、女の子3名(女1人は幼い頃亡くなる)生まれた。長女の婿には陳氏の人が来た(こうちの先祖)。次女の婿には阮氏の人が来た(前田家の先祖)。長男は結婚して北奥間を継ぐ。次男は分家して那覇の垣花へ行った。水釜という名称は、最初は水洞という洞窟の名前をとって水洞といっていたが、沖縄県の廃藩置県の時に政府の役人が、「みずがま」と聞いて、水釜と勘違いして現在に至っている。

再生時間:16:36

民話詳細DATA

レコード番号 47O235745
CD番号 47O23C307
決定題名 水釜の始まり(共通語)
話者がつけた題名
話者名 奥間信一
話者名かな おくましんいち
生年月日 19220301
性別
出身地 嘉手納町水釜
記録日 19930828
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 嘉手納T08A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 かでなの民話P12
キーワード 水釜,北谷間切屋良村,屋良バル,水釜バル,奥間の先祖,那覇の久米村
梗概(こうがい) 水釜は元は北谷間切屋良村の管轄であった。屋良バルの水釜バルとはこのあたりの地名。南の兼久の方に、二百年ほど前、奥間の先祖が那覇の久米村から下りてきた。奥間兼仁はカタミアチネー(品物を担いで行商する)をして回っていた。夜は屋良村の青年達に学問を教えたりしたため、奥間は屋良の人達から信用され、「あなたの好きな所を選んで住みなさい」と言われ、シワキウキジ(土地の種類:土地を開墾して畑にし、首里王府に届けるとその人の畑になる。)にするにはどこがいいかと悩んだ末、海に最も近く、北側に屋良バンタという松林を背にして、前に開けている場所を選んだ。そのすぐ側には水洞(ミズガマ)もあった。泉の湧水ではないが、松林の中に降った雨が岩に滲みとおり、湧き水が洞穴に垂れて、くぼんだ穴にどんどん溜まり、溢れて流れ出た。山原船の乗組員達がその水洞の水を利用して飲んでいた。そして、渡具知から島袋家の先祖がやって来て、奥間家の先祖と一緒に家を建てた。それが水釜の始まりである。畑も作り、作物が取れるようになったので、奥間家の先祖は結婚して男の子4名、女の子3名(女1人は幼い頃亡くなる)生まれた。長女の婿には陳氏の人が来た(こうちの先祖)。次女の婿には阮氏の人が来た(前田家の先祖)。長男は結婚して北奥間を継ぐ。次男は分家して那覇の垣花へ行った。水釜という名称は、最初は水洞という洞窟の名前をとって水洞といっていたが、沖縄県の廃藩置県の時に政府の役人が、「みずがま」と聞いて、水釜と勘違いして現在に至っている。
全体の記録時間数 17:11
物語の時間数 16:36
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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