与那覇家に3名、垣花家に2名の五勇士がいた。与那覇家の1人は久貝の出身である。日露戦争の時に島主から、南の海上で監視して日本に伝えるように、と命令が出た。だが、電報が八重山にしかなかったため、命令を受けた5名は、大泊御嶽から与那覇さんのサバにに乗って八重山に向かった。途中、多良間の方で波が高くて大変だったそうだ。五勇士は金目当てで電報を届けたと現在言われている。八重山の伊野田には五勇士の上陸した碑が建てられている。五勇士の屋号はイナソコという。
| レコード番号 | 47O233891 |
|---|---|
| CD番号 | 47O23C203 |
| 決定題名 | 久松五勇士(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 垣花昌美 |
| 話者名かな | かきのはなまさみ |
| 生年月日 | 19110620 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 平良市字松原 |
| 記録日 | 19970909 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
| 元テープ番号 | 平良T139A02 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 五勇士,八重山,電報,大泊御嶽 |
| 梗概(こうがい) | 与那覇家に3名、垣花家に2名の五勇士がいた。与那覇家の1人は久貝の出身である。日露戦争の時に島主から、南の海上で監視して日本に伝えるように、と命令が出た。だが、電報が八重山にしかなかったため、命令を受けた5名は、大泊御嶽から与那覇さんのサバにに乗って八重山に向かった。途中、多良間の方で波が高くて大変だったそうだ。五勇士は金目当てで電報を届けたと現在言われている。八重山の伊野田には五勇士の上陸した碑が建てられている。五勇士の屋号はイナソコという。 |
| 全体の記録時間数 | 7:18 |
| 物語の時間数 | 7:12 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |