久米島のある兄妹が夫婦となったため、父親に勘当され島流しになった。二人は狩俣の浜に流れ着き、そこで石垣の家を造り、母親からもらった粟の種をまいて育て、生活した。その家は今でも残っている。海綿を養殖するために使う石に、その石垣を用いようとしたが、祟りがあったため石を元に戻した。話者が北の浜へ行った時、5名の家族がいた。どこから来たのか尋ねると、久米島からイソツの御嶽を拝みに来たということだった。イソツの御嶽は航海安全を祈るところである。(※話者によれば、その人達は、二人の子孫ではないかということだった。)
| レコード番号 | 47O233055 |
|---|---|
| CD番号 | 47O23C143 |
| 決定題名 | 狩俣の始まり(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 新里平勇 |
| 話者名かな | しんざとへいゆう |
| 生年月日 | 19281013 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 平良市平良 |
| 記録日 | 19950828 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
| 元テープ番号 | 平良T12A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 平良市北部の民話H8卒論P33 |
| キーワード | 久米島,兄妹夫婦,イソツ御嶽 |
| 梗概(こうがい) | 久米島のある兄妹が夫婦となったため、父親に勘当され島流しになった。二人は狩俣の浜に流れ着き、そこで石垣の家を造り、母親からもらった粟の種をまいて育て、生活した。その家は今でも残っている。海綿を養殖するために使う石に、その石垣を用いようとしたが、祟りがあったため石を元に戻した。話者が北の浜へ行った時、5名の家族がいた。どこから来たのか尋ねると、久米島からイソツの御嶽を拝みに来たということだった。イソツの御嶽は航海安全を祈るところである。(※話者によれば、その人達は、二人の子孫ではないかということだった。) |
| 全体の記録時間数 | 3:45 |
| 物語の時間数 | 3:45 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |