大浦の始まり(共通語)

概要

大浦は昔、狩俣の耕作地で、泊り掛けで狩俣から仕事をしに来ていた。休憩したり泊まったりするところをパリバンミャーといっていたが、次第に人々が集まって大浦部落になった。また、大浦にはトゥンミー(フジ嶺)と呼ばれる嶺があり、そこにはトゥナズと呼ばれる洞窟(今は伝われていないが、根間ヒデさんの家の古墓になっている)やトウガー(湧水)などと呼ばれるところがあり、ここはシナから来た人が使ったかららしい。このシナ人は、後に下地町の嘉手苅の「タマメガ」という人を妻にして、大浦の首長となり大浦を治めた。この人は名前を「大浦多志」と名乗り、大浦の神様として今も崇められている。城跡は字の上の方の丘にあり、石垣が積まれている。話者達はユイマールで茅取りに行ったりしていた。また、城の下の方の石垣は、字内の人が自宅の石垣に使ったりしていた。城の人はザガーと呼ばれる丘の下の方の湧き水を使っていたらしい。大浦の部落はもともとは、モトヤスクと呼ばれるところにあったが、明和の大津波でモトヤスクに砂が上がり、住めなくなったので今の所に移動してきた。

再生時間:10:00

民話詳細DATA

レコード番号 47O233015
CD番号 47O23C141
決定題名 大浦の始まり(共通語)
話者がつけた題名
話者名 下地富雄
話者名かな しもじとみお
生年月日 19200401
性別
出身地 平良市大浦
記録日 19950827
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 平良T06A04
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 平良市北部の民話H8卒論P1
キーワード 大浦多志,首長,大津波
梗概(こうがい) 大浦は昔、狩俣の耕作地で、泊り掛けで狩俣から仕事をしに来ていた。休憩したり泊まったりするところをパリバンミャーといっていたが、次第に人々が集まって大浦部落になった。また、大浦にはトゥンミー(フジ嶺)と呼ばれる嶺があり、そこにはトゥナズと呼ばれる洞窟(今は伝われていないが、根間ヒデさんの家の古墓になっている)やトウガー(湧水)などと呼ばれるところがあり、ここはシナから来た人が使ったかららしい。このシナ人は、後に下地町の嘉手苅の「タマメガ」という人を妻にして、大浦の首長となり大浦を治めた。この人は名前を「大浦多志」と名乗り、大浦の神様として今も崇められている。城跡は字の上の方の丘にあり、石垣が積まれている。話者達はユイマールで茅取りに行ったりしていた。また、城の下の方の石垣は、字内の人が自宅の石垣に使ったりしていた。城の人はザガーと呼ばれる丘の下の方の湧き水を使っていたらしい。大浦の部落はもともとは、モトヤスクと呼ばれるところにあったが、明和の大津波でモトヤスクに砂が上がり、住めなくなったので今の所に移動してきた。
全体の記録時間数 10:00
物語の時間数 10:00
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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