津堅親方と大新城親方の争いである。尚真王の代であったか、尚巴志の代であったか、津堅親方は首里にいて、大新城親方は山原にいた。(王の)長男のチーグーは大新城親方が養い、次男は津堅親方が養っていた。いよいよ王位を継ぐ日になったので、津堅親方の方から大新城親方の方に相談があるから出向いて来いという使いを出した。大新城親方は頭が良かったのでその使いの人の歩く通り(後から)ついて行ったので、津堅の計略した穴には落ちなかった。津堅はとても腹を立てたので、その使いの者はここにいたら殺されるからといって、大新城親方は自分の所に呼び寄せた。首里三箇は津堅親方の方について、那覇臣下は大新城親方についた。今の鳥居のあるところで2組が立ちあった。津堅の方は次男を王にするといい。大新城親方は長男を王にするべきだといい、大新城親方は長男に「貴方が何もしゃべらなければ我々は死ぬよりほかはないのだから、どうか何か話してくれ」と言うと、長男はしばらく双方の顔を見比べ、「ヤカ―よヤカ―ぐゎー」と言った。それから津堅親方の方は余所へ行き、大新城親方は首里城に行って王位を継がせた。その時の「キユヌ フクラサ チブルユル花ヌ・・」という祝の歌は大新城親方が最初に作った歌である。
| レコード番号 | 47O412736 |
|---|---|
| CD番号 | 47O41C109 |
| 決定題名 | 津堅親方と大新城親方(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 根路銘安喜 |
| 話者名かな | ねろめあんき |
| 生年月日 | 18980622 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 石川市東恩納 |
| 記録日 | 19820802 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石川市T26A06 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 津堅親方,大新城親方,首里,山原,長男のチーグー,王位 |
| 梗概(こうがい) | 津堅親方と大新城親方の争いである。尚真王の代であったか、尚巴志の代であったか、津堅親方は首里にいて、大新城親方は山原にいた。(王の)長男のチーグーは大新城親方が養い、次男は津堅親方が養っていた。いよいよ王位を継ぐ日になったので、津堅親方の方から大新城親方の方に相談があるから出向いて来いという使いを出した。大新城親方は頭が良かったのでその使いの人の歩く通り(後から)ついて行ったので、津堅の計略した穴には落ちなかった。津堅はとても腹を立てたので、その使いの者はここにいたら殺されるからといって、大新城親方は自分の所に呼び寄せた。首里三箇は津堅親方の方について、那覇臣下は大新城親方についた。今の鳥居のあるところで2組が立ちあった。津堅の方は次男を王にするといい。大新城親方は長男を王にするべきだといい、大新城親方は長男に「貴方が何もしゃべらなければ我々は死ぬよりほかはないのだから、どうか何か話してくれ」と言うと、長男はしばらく双方の顔を見比べ、「ヤカ―よヤカ―ぐゎー」と言った。それから津堅親方の方は余所へ行き、大新城親方は首里城に行って王位を継がせた。その時の「キユヌ フクラサ チブルユル花ヌ・・」という祝の歌は大新城親方が最初に作った歌である。 |
| 全体の記録時間数 | 8:11 |
| 物語の時間数 | 8:02 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |