山城ウナー(共通語)

概要

わしらの祖先は山城ウナーという。山城ウナーは伊波按司の家老役であり、武芸を教える指南役であったんですね、大変強いのでウナーというあだ名がついとったわけ。また、八町次郎ともつけられとったんというんだがね。それは石を投げると、・八町も投げたというんで、八町次郎ともいわれとった。そのぐらいの力の強い大きな人だったんですね。・八町…町は尺貫法の長さの単位。一町が約一○九メートル。山城ウナーは、大変な弓の名人で、それで、いつも伊波の若按司に弓の稽古をさせるんですね。伊波の若按司は、伊波城の西側にちょっと小高い平らな所があるんですがね、そこに伊波の若按司は立って弓を射た。山城ウナーは、もうずうっと遠い山城の高山原(たかやんばる)っていっていたんだが、そこには、今もウナーが馬を立てたので、ハルナーもウマタティバルという所が残っているんですが、そこから弓を引いたというんです。伊波の若按司が弓を引くところは、平らだが、山城ウナーが弓を引くところは、平らなところがない山の中だから、そこに大きな石を二つ、自分一人でこう持って行って、その二つの石で柱を作ってですねえ、その石の上に何人がかりでも持てないような平たいカブ石という大きい石を持って行って載せて、そのカブ石の上に立って、そうして、伊波の若按司のいる方に向かって弓を引いたというんですね。その山城のカブ石っていうんですがねえ、そこに山城ウナーが立って、それでまた伊波の若按司は、伊波の伊波城のむこうに立って弓をくらべた。山城ウナーがもうこの山城の部落の西の方ですからねえ、伊波と山城とだから、そうとうな距離でしょう。だから、そこで二人は向かい合って、こう向うから弓を引いてきたら、こっちが受ける。こっちから弓を射ると向うが受け取ると、まそういうようなかたちで、弓の練習したり、競争したりしたんですね。そうして弓勝負をすると、伊波の若按司は若いもんだから、飛んできた山城ウナーの弓をまともに口で食い止めたが山城ウナーの方は、年をとっているもんだから、伊波若按司の引いた矢を正面で受けることができなくて、飛んできた矢の横をくわえたというような話もあるわけですよねえ。それで、伊波の若按司と山城ウナーが弓の稽古をするというので、それを見に伊波のむこうに、そこの近くの人が集まってね、そこをみんなで、勝負を見ながら足をこんなふうにして夢中で踏んだものだから、あそこの草がみんな枯れてしまってね、それで、そこを・クンパチモーといって、いまだにその名が伊波の畑名として残っているんですねえ。また、その時に、山城ウナーの引いた弓矢がね、当った岩の石が飛んで舞い上がって落ちたところは、舞いあがって落ちたというので、そこをモートゥンジヤといってですね、その時に飛び散った石が今も伊波の方にあるわけです。こういういきさつで、その大和の海賊は皆切り殺されたでしょう。そん時は、部落にも何軒しかない家だから、あんまり人はおらんでしょう。それで、山城桃原には、たくさんの海賊の死体があったが、それをもう倒れたまま放ったらかしてたわけよねえ。そうしたら、六ケ月間雨が降らなくなったわけ。それで、もう六ケ月間も雨が降らんもんだから、作物ができず飯が食えないでしょう。そうしたら、これを片什けないと雨は降らないというものだから、これをみんなで片付けた。その墓が今も大和人墓といって山城にあるんですよ。片付けてこの墓をつくると、今度はね、また七ケ月も雨も降った。そうしたらね、もう晴れている時は飯は食えるけれども、七ケ月も雨が降ると薪がないでしょう。雨が降ったら燃えるのがないので飯が食えない。しまいには、唐竹があるでしょう、あの竹だけは燃えよったというんですね。他のものは燃えないけど、唐竹だけは燃えたという話があるんです。それで、この山城ウナーの話の中に、こういう大和人の墓があるけれども、これは部落で葬ってお祭しないとだめだと、字は繁栄しないというので、石でねお地蔵とまいを積んで、あの洞窟の中に入れてね、それで、そこの前を石で区切って、そして、・清明(せいめい)とか・十六日(じゅうるくにちー)といってあるでしょう。旧の十六日。これは部落が拝むわけ。部落が責任を持ってね。部落の自治会長は、その時には御馳走を作って、そこを拝みに行くわけ。ええ、今でもずうっと拝んでいるんですよ、うん。そういう伝説があるんです。

再生時間:9:48

民話詳細DATA

レコード番号 47O412403
CD番号 47O41C094
決定題名 山城ウナー(共通語)
話者がつけた題名
話者名 山城好増
話者名かな やましろこうぞう
生年月日 19081130
性別
出身地 石川市山城
記録日 19820613
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石川市T09B07
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 石川の民話伝説編P217
キーワード 山城ウナー,伊波按司の家老役,武芸を教える指南役,大変強い,八町次郎,弓の名人,伊波の若按司,伊波城の西側,ウマタティバル,カブ石,モートゥンジヤ,山城桃原,海賊の死体,日照り,大和人の墓
梗概(こうがい) わしらの祖先は山城ウナーという。山城ウナーは伊波按司の家老役であり、武芸を教える指南役であったんですね、大変強いのでウナーというあだ名がついとったわけ。また、八町次郎ともつけられとったんというんだがね。それは石を投げると、・八町も投げたというんで、八町次郎ともいわれとった。そのぐらいの力の強い大きな人だったんですね。・八町…町は尺貫法の長さの単位。一町が約一○九メートル。山城ウナーは、大変な弓の名人で、それで、いつも伊波の若按司に弓の稽古をさせるんですね。伊波の若按司は、伊波城の西側にちょっと小高い平らな所があるんですがね、そこに伊波の若按司は立って弓を射た。山城ウナーは、もうずうっと遠い山城の高山原(たかやんばる)っていっていたんだが、そこには、今もウナーが馬を立てたので、ハルナーもウマタティバルという所が残っているんですが、そこから弓を引いたというんです。伊波の若按司が弓を引くところは、平らだが、山城ウナーが弓を引くところは、平らなところがない山の中だから、そこに大きな石を二つ、自分一人でこう持って行って、その二つの石で柱を作ってですねえ、その石の上に何人がかりでも持てないような平たいカブ石という大きい石を持って行って載せて、そのカブ石の上に立って、そうして、伊波の若按司のいる方に向かって弓を引いたというんですね。その山城のカブ石っていうんですがねえ、そこに山城ウナーが立って、それでまた伊波の若按司は、伊波の伊波城のむこうに立って弓をくらべた。山城ウナーがもうこの山城の部落の西の方ですからねえ、伊波と山城とだから、そうとうな距離でしょう。だから、そこで二人は向かい合って、こう向うから弓を引いてきたら、こっちが受ける。こっちから弓を射ると向うが受け取ると、まそういうようなかたちで、弓の練習したり、競争したりしたんですね。そうして弓勝負をすると、伊波の若按司は若いもんだから、飛んできた山城ウナーの弓をまともに口で食い止めたが山城ウナーの方は、年をとっているもんだから、伊波若按司の引いた矢を正面で受けることができなくて、飛んできた矢の横をくわえたというような話もあるわけですよねえ。それで、伊波の若按司と山城ウナーが弓の稽古をするというので、それを見に伊波のむこうに、そこの近くの人が集まってね、そこをみんなで、勝負を見ながら足をこんなふうにして夢中で踏んだものだから、あそこの草がみんな枯れてしまってね、それで、そこを・クンパチモーといって、いまだにその名が伊波の畑名として残っているんですねえ。また、その時に、山城ウナーの引いた弓矢がね、当った岩の石が飛んで舞い上がって落ちたところは、舞いあがって落ちたというので、そこをモートゥンジヤといってですね、その時に飛び散った石が今も伊波の方にあるわけです。こういういきさつで、その大和の海賊は皆切り殺されたでしょう。そん時は、部落にも何軒しかない家だから、あんまり人はおらんでしょう。それで、山城桃原には、たくさんの海賊の死体があったが、それをもう倒れたまま放ったらかしてたわけよねえ。そうしたら、六ケ月間雨が降らなくなったわけ。それで、もう六ケ月間も雨が降らんもんだから、作物ができず飯が食えないでしょう。そうしたら、これを片什けないと雨は降らないというものだから、これをみんなで片付けた。その墓が今も大和人墓といって山城にあるんですよ。片付けてこの墓をつくると、今度はね、また七ケ月も雨も降った。そうしたらね、もう晴れている時は飯は食えるけれども、七ケ月も雨が降ると薪がないでしょう。雨が降ったら燃えるのがないので飯が食えない。しまいには、唐竹があるでしょう、あの竹だけは燃えよったというんですね。他のものは燃えないけど、唐竹だけは燃えたという話があるんです。それで、この山城ウナーの話の中に、こういう大和人の墓があるけれども、これは部落で葬ってお祭しないとだめだと、字は繁栄しないというので、石でねお地蔵とまいを積んで、あの洞窟の中に入れてね、それで、そこの前を石で区切って、そして、・清明(せいめい)とか・十六日(じゅうるくにちー)といってあるでしょう。旧の十六日。これは部落が拝むわけ。部落が責任を持ってね。部落の自治会長は、その時には御馳走を作って、そこを拝みに行くわけ。ええ、今でもずうっと拝んでいるんですよ、うん。そういう伝説があるんです。
全体の記録時間数 10:33
物語の時間数 9:48
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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