宝箱由来(シマグチ混じり)

概要

昔話を一つやってみようと思います。沖縄正月(旧正月)になると、白紙一枚、黄色紙一枚、赤紙一枚の三枚を一組にして、みな、神様に供えます。そのアカカビーを供える意味を申し上げてみたいと思います。昔、男の親子がいたらしい。子どもは一里近くも離れている財産家、金満家の家で働いておりました。その金満家、財産家では何十人という人夫を雇っていたが、その子どものように働いたり、そのような精神のもちぬしの人はいなかったので、主人にとても信用されていた。そうして、その話を政府に申し上げると、 「そのような子どもであるなら、表彰し政府からも褒美を与えて、農家を発展させなければならない。」と考え、「宝を与えよう。」と、政府は協議してその子どもに宝を与えることになった。「どのようにして与えましょうか。」と言うと、「これは、試験をしてから与えることにしよう。」と。そうして、政府の人は、わずかの宝ではあるが、わざと大きな箱に入れて担ぎ、その子どもが主人の家から帰る途中で出会うような方法で試験をした。そこで、その子どもが主人の家から戻ってくる道中に出会い、「やあ、ニーセー(青年)。」と言われたので、「何でしょうか。」「私の頼みを聞いてくれないか。」と言うと、「何でもお聞きしましょう。」と言ったので、「それじゃあ、私が通る道中に乱暴なフェーレー(追いはぎ)がいたので、そのフェーレーを殺して、この箱に入れて担いでいるが、手伝って一緒に葬ってくれないか。」と言われたので、「それなら、お手伝いしましょう。」と言った。そうして、「私は疲れたので、ちょっと交代して担いでくれないか。」と頼まれたので、「はい。」と言って、交代してその子どもが担いだ。飽きるほど担がせて、その子どもの家の近くまで来ると、政府の人は回ってきて、「もう遅くなっていることだし、おまえも疲れたはずだから降ろして休みなさい。私は小便をしてこようね。」と言って、この政府の人はどこかに逃げて、いなくなってしまった。「もう、大変なことになってしまった。殺された人を預かってしまってどうしよう。」と言って、箱をそこに置いて、自分の家に走って行って、親に合図しようとすると、親もまた門の方で待ちかねていたらしく、そこで出くわした。「私は、こうこういう人に、『フェーレーを一緒に葬ってくれ』と頼まれて、それで、嫌とも言えず、こんなに遅くなってしまった。そこに放って置くわけにもいかないし、私一人では葬ることはできないから、親子で葬ってあげましょう。」と頼んだ。そうして、親子で、殺されたフェーレーを葬むろうと、穴を掘って箱を入れる準備ができたので、「これは男か女か、また、知っている人かどうか開けて確かめてから葬ろう。」と親が言ったので、「そうしましょう。」と言って、その箱を開けて見ると、人ではなかった。箱の中には宝が入っていて、「何ということだ。これは、宝であって人ではないじゃないか。」と言って、それから、「あの人は泥棒だったんだ。我々人民にはこのような宝はないので、きっと政府の物を盗んできたんだよ。」と。まじめな親子であるので、また政府にその宝を持って行って、「こうこういう人がおりました。」とわけを話すと、「そうであったか。実は、この宝は政府がおまえたちを篤農家にしようとの考えで、褒美として与えたのだよ。おまえたちを試すために政府の役人が試験をしたのだから、この宝はおまえたちが持って行きなさい。」と、政府から与えられた。そうして、担いで帰って、「さて、宝をこんな大きな箱に入れて置いていてはいけないので、南蛮瓶を買ってきて、この宝を入れて、宝の入っていた箱は天井に上げておこう。」と、置いてあった。その後、長くは待たずに親は亡くなられた。親が亡くなったので、宝の入っていた箱に入れて後生に送ってあげた。それから、その箱には宝と言い、宝物とも言うし、棺箱とも言う。だが、これは、本当に宝が入っていた箱だったので、それに入れて葬ったので、そのときから宝物という話になって、昔から今にかけて、棺箱を宝物という。親が亡くなった後、宝は親子で儲かったものだからと、正月になると仏壇に供えた。供えたものの、泥棒に取られてしまっていけないからと、宝は隠して、金銀銅の宝の色に例えて、紙を三枚供えた。それから、一般の人も、その人たちに習って供えるようになったということです。

再生時間:7:33

民話詳細DATA

レコード番号 47O421942
CD番号 47O42C060
決定題名 宝箱由来(シマグチ混じり)
話者がつけた題名
話者名 金城珍明
話者名かな きんじょうちんめい
生年月日 18990210
性別
出身地 具志川市喜屋武
記録日 19800804
記録者の所属組織 沖縄口承文芸調査団
元テープ番号 具志川市T55 A1
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 本格昔話
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 具志川市史第3巻下290頁
キーワード 正月,アカカビ,財産家,金満家,人夫,宝,墓,試験,追いはぎ,
梗概(こうがい) 昔話を一つやってみようと思います。沖縄正月(旧正月)になると、白紙一枚、黄色紙一枚、赤紙一枚の三枚を一組にして、みな、神様に供えます。そのアカカビーを供える意味を申し上げてみたいと思います。昔、男の親子がいたらしい。子どもは一里近くも離れている財産家、金満家の家で働いておりました。その金満家、財産家では何十人という人夫を雇っていたが、その子どものように働いたり、そのような精神のもちぬしの人はいなかったので、主人にとても信用されていた。そうして、その話を政府に申し上げると、 「そのような子どもであるなら、表彰し政府からも褒美を与えて、農家を発展させなければならない。」と考え、「宝を与えよう。」と、政府は協議してその子どもに宝を与えることになった。「どのようにして与えましょうか。」と言うと、「これは、試験をしてから与えることにしよう。」と。そうして、政府の人は、わずかの宝ではあるが、わざと大きな箱に入れて担ぎ、その子どもが主人の家から帰る途中で出会うような方法で試験をした。そこで、その子どもが主人の家から戻ってくる道中に出会い、「やあ、ニーセー(青年)。」と言われたので、「何でしょうか。」「私の頼みを聞いてくれないか。」と言うと、「何でもお聞きしましょう。」と言ったので、「それじゃあ、私が通る道中に乱暴なフェーレー(追いはぎ)がいたので、そのフェーレーを殺して、この箱に入れて担いでいるが、手伝って一緒に葬ってくれないか。」と言われたので、「それなら、お手伝いしましょう。」と言った。そうして、「私は疲れたので、ちょっと交代して担いでくれないか。」と頼まれたので、「はい。」と言って、交代してその子どもが担いだ。飽きるほど担がせて、その子どもの家の近くまで来ると、政府の人は回ってきて、「もう遅くなっていることだし、おまえも疲れたはずだから降ろして休みなさい。私は小便をしてこようね。」と言って、この政府の人はどこかに逃げて、いなくなってしまった。「もう、大変なことになってしまった。殺された人を預かってしまってどうしよう。」と言って、箱をそこに置いて、自分の家に走って行って、親に合図しようとすると、親もまた門の方で待ちかねていたらしく、そこで出くわした。「私は、こうこういう人に、『フェーレーを一緒に葬ってくれ』と頼まれて、それで、嫌とも言えず、こんなに遅くなってしまった。そこに放って置くわけにもいかないし、私一人では葬ることはできないから、親子で葬ってあげましょう。」と頼んだ。そうして、親子で、殺されたフェーレーを葬むろうと、穴を掘って箱を入れる準備ができたので、「これは男か女か、また、知っている人かどうか開けて確かめてから葬ろう。」と親が言ったので、「そうしましょう。」と言って、その箱を開けて見ると、人ではなかった。箱の中には宝が入っていて、「何ということだ。これは、宝であって人ではないじゃないか。」と言って、それから、「あの人は泥棒だったんだ。我々人民にはこのような宝はないので、きっと政府の物を盗んできたんだよ。」と。まじめな親子であるので、また政府にその宝を持って行って、「こうこういう人がおりました。」とわけを話すと、「そうであったか。実は、この宝は政府がおまえたちを篤農家にしようとの考えで、褒美として与えたのだよ。おまえたちを試すために政府の役人が試験をしたのだから、この宝はおまえたちが持って行きなさい。」と、政府から与えられた。そうして、担いで帰って、「さて、宝をこんな大きな箱に入れて置いていてはいけないので、南蛮瓶を買ってきて、この宝を入れて、宝の入っていた箱は天井に上げておこう。」と、置いてあった。その後、長くは待たずに親は亡くなられた。親が亡くなったので、宝の入っていた箱に入れて後生に送ってあげた。それから、その箱には宝と言い、宝物とも言うし、棺箱とも言う。だが、これは、本当に宝が入っていた箱だったので、それに入れて葬ったので、そのときから宝物という話になって、昔から今にかけて、棺箱を宝物という。親が亡くなった後、宝は親子で儲かったものだからと、正月になると仏壇に供えた。供えたものの、泥棒に取られてしまっていけないからと、宝は隠して、金銀銅の宝の色に例えて、紙を三枚供えた。それから、一般の人も、その人たちに習って供えるようになったということです。
全体の記録時間数 7:33
物語の時間数 7:33
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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