ホー木‥‥野村親方という人は、古典音楽の師匠であり、研究をなさった方でもあられる。また、この時代の王は坊主御主・尚・王という方で、この野村親方を相手に、碁をうったりして楽しんでおられた。野村親方が相手をしなければ、お喜びにならなかったそうだ。そして、ある日のこと、御主加那志前が、野村親方を呼んで、「野村よ、今日は、私の妃をあちこち散歩に連れて行ってくれ。」と言いつけた。野村親方が、散歩に出かけようとしたとき、御主加那志が、「君は、女性の陰部や屁の話はしてはならんぞ。よいか野村。」と、言われた。「はい、わかりました。慎みます。」と、こうして返事して散歩に出かけた。そうして歩いて行く途中で、ホーギナー木という、とてもにおいの臭い木があった。王妃がその木を見て「野村よ、あの木は何という木か。」と聞かれたので、「ええ、あれは、尻木というものです。」と。「陰部の話は、絶対してはいけない。」と、御主加那志前から訓示され慎んでいたので、ホー木と言うことができなくて、「この木は、尻木というものです。」と言った。陰部と尻とは隣近所である。近い所にあるからね。もう、ホー木といっては、無礼になる。それで尻木と、答えたようだね。王妃は家に帰ってから、「今日は珍らしい木を見ました。聞いたことのない木を見ることができました。」「何という木か。」「尻木というものを見ました。」と。野村親方は、御主加那志前に呼ばれ、「君は、尻木というものを私の妻に見せたというが、尻木というものは本当にあるのか。」と言われた。「本当にはありません。実は、貴殿から、散歩に出かけるときに、陰部や屁の話はしてはいけないと言われたので、ホー木であるのだが、陰部と尻とは隣近所にあって、友達同士であるのでそれで、尻木と言いました。」と言うと、「ああ、そうだったのか。」と咎めもせずそのように話は済んだ。
囲碁‥‥また、碁を打つときでも、「この野郎、ボージャー、それボージャー、ほれどうだ、ほらほら。」と、このように相手をすると、王はお喜びになられた。あるとき、摂政三司官が、野村親方に、「君は王に向かって、でかしたでかしたと子どもを褒めるように話しているが、このようなことをすると罰せられるぞ。」と言われた。それからこの野村親方は、碁を打つときには、碁石を一つ打っては、「サリ、恐れ多く申し上げます。」と言ったりした。御主加那志前に碁を勝たそうとしていた。すると、「野村よ、君の碁の打ち方はいつもの打ち方とは違っている。私は楽しくない。どうしたのだ。」「貴殿の相手をするときには、自分の思いのままに相手をしたら、言葉使いが悪いので、『君を罰する』と言われたので、御主加那志前であられるので、敬語を使って相手しようと思います。」と言うと、「いやいや、それでは私は楽しめない。野村よ、今までのように、私と碁を打ったようにやってくれ。」「ああ、そうですか。」と言って、すぐ、そのときには、「ほれ、ボージャーこうだよ。ほらごらん。」と言い、「そうだ、今だ、いいぞ。今のように碁は打つんだよ。今のようにするんだ。」と言って喜んだ。また、野村親方は、御主加那志前に呼ばれた。いつも、野村にせしめられているので、今度は、野村親方を頓智でいじめようと思っていた。そうしたら、「野村よ、今日は君は蝉になれよ。私は、蝉取りになって遊んでみよう。」と言われ、野村は木の上に登らされた。御主は、長い竿を持って来て芭蕉の葉を竿の先に縛って、蝉を取る真似をした。すぐ、この竿でつついたりした。野村親方は、「ジィー、ジィー。」と鳴きながら、御主の顔に小便をひっかけたりしたので、「ああ、こいつめ。」と言うと、「野村ではありませんぞ。これは蝉がやったのですぞ。」と言った。また、竿で突つくと、またも、顔に小便を落としたので、「ハーヤー、野村よ、変なことをするな、汚ないことをするな。」「これは、野村ではありませんぞ、蝉がやったのですぞ。」と。この勝負は、野村親方の勝ちであった。蝉取りの狂言をして、棒で突つくつもりだったが、小便をまき散らすので、「野村よ、そうするのか。」と言うと、「これは、野村ではありません、蝉がやっているのですぞ。」と言うし、非常に頓智のある人だった。また、野村親方の音楽は、野村流として今なお伝わっている。
| レコード番号 | 47O421832 |
|---|---|
| CD番号 | 47O42C056 |
| 決定題名 | 野村親方(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 福原兼良 |
| 話者名かな | ふくはらけんりょう |
| 生年月日 | 18990118 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 具志川市安慶名 |
| 記録日 | 19800805 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸調査団 |
| 元テープ番号 | 具志川市T51 B8 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 具志川市史第3巻上633頁 |
| キーワード | 野村親方,坊主御主,碁,散歩,妃,セミ,小便 |
| 梗概(こうがい) | ホー木‥‥野村親方という人は、古典音楽の師匠であり、研究をなさった方でもあられる。また、この時代の王は坊主御主・尚・王という方で、この野村親方を相手に、碁をうったりして楽しんでおられた。野村親方が相手をしなければ、お喜びにならなかったそうだ。そして、ある日のこと、御主加那志前が、野村親方を呼んで、「野村よ、今日は、私の妃をあちこち散歩に連れて行ってくれ。」と言いつけた。野村親方が、散歩に出かけようとしたとき、御主加那志が、「君は、女性の陰部や屁の話はしてはならんぞ。よいか野村。」と、言われた。「はい、わかりました。慎みます。」と、こうして返事して散歩に出かけた。そうして歩いて行く途中で、ホーギナー木という、とてもにおいの臭い木があった。王妃がその木を見て「野村よ、あの木は何という木か。」と聞かれたので、「ええ、あれは、尻木というものです。」と。「陰部の話は、絶対してはいけない。」と、御主加那志前から訓示され慎んでいたので、ホー木と言うことができなくて、「この木は、尻木というものです。」と言った。陰部と尻とは隣近所である。近い所にあるからね。もう、ホー木といっては、無礼になる。それで尻木と、答えたようだね。王妃は家に帰ってから、「今日は珍らしい木を見ました。聞いたことのない木を見ることができました。」「何という木か。」「尻木というものを見ました。」と。野村親方は、御主加那志前に呼ばれ、「君は、尻木というものを私の妻に見せたというが、尻木というものは本当にあるのか。」と言われた。「本当にはありません。実は、貴殿から、散歩に出かけるときに、陰部や屁の話はしてはいけないと言われたので、ホー木であるのだが、陰部と尻とは隣近所にあって、友達同士であるのでそれで、尻木と言いました。」と言うと、「ああ、そうだったのか。」と咎めもせずそのように話は済んだ。 囲碁‥‥また、碁を打つときでも、「この野郎、ボージャー、それボージャー、ほれどうだ、ほらほら。」と、このように相手をすると、王はお喜びになられた。あるとき、摂政三司官が、野村親方に、「君は王に向かって、でかしたでかしたと子どもを褒めるように話しているが、このようなことをすると罰せられるぞ。」と言われた。それからこの野村親方は、碁を打つときには、碁石を一つ打っては、「サリ、恐れ多く申し上げます。」と言ったりした。御主加那志前に碁を勝たそうとしていた。すると、「野村よ、君の碁の打ち方はいつもの打ち方とは違っている。私は楽しくない。どうしたのだ。」「貴殿の相手をするときには、自分の思いのままに相手をしたら、言葉使いが悪いので、『君を罰する』と言われたので、御主加那志前であられるので、敬語を使って相手しようと思います。」と言うと、「いやいや、それでは私は楽しめない。野村よ、今までのように、私と碁を打ったようにやってくれ。」「ああ、そうですか。」と言って、すぐ、そのときには、「ほれ、ボージャーこうだよ。ほらごらん。」と言い、「そうだ、今だ、いいぞ。今のように碁は打つんだよ。今のようにするんだ。」と言って喜んだ。また、野村親方は、御主加那志前に呼ばれた。いつも、野村にせしめられているので、今度は、野村親方を頓智でいじめようと思っていた。そうしたら、「野村よ、今日は君は蝉になれよ。私は、蝉取りになって遊んでみよう。」と言われ、野村は木の上に登らされた。御主は、長い竿を持って来て芭蕉の葉を竿の先に縛って、蝉を取る真似をした。すぐ、この竿でつついたりした。野村親方は、「ジィー、ジィー。」と鳴きながら、御主の顔に小便をひっかけたりしたので、「ああ、こいつめ。」と言うと、「野村ではありませんぞ。これは蝉がやったのですぞ。」と言った。また、竿で突つくと、またも、顔に小便を落としたので、「ハーヤー、野村よ、変なことをするな、汚ないことをするな。」「これは、野村ではありませんぞ、蝉がやったのですぞ。」と。この勝負は、野村親方の勝ちであった。蝉取りの狂言をして、棒で突つくつもりだったが、小便をまき散らすので、「野村よ、そうするのか。」と言うと、「これは、野村ではありません、蝉がやっているのですぞ。」と言うし、非常に頓智のある人だった。また、野村親方の音楽は、野村流として今なお伝わっている。 |
| 全体の記録時間数 | 6:04 |
| 物語の時間数 | 6:04 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |