観音堂由来(共通語)

概要

昔、参勤交代の時代、八重山の桃林寺の和尚は沖縄から来て、二、三年勤めては交代していた。寺には小僧もいた。勤めが終り、和尚と小僧は沖縄に帰ることになったが、帆船なので南風が吹かないと帰れない。なかなか順風が吹かないので小僧が友人と遊びに行っている間に、突然南風が吹いた。小僧がいなかったが、和尚を乗せて船は出発。置いていかれた小僧は川平の道づたいに船を追いかけてヤラブ崎を回り、現在の観音堂のところまで来た。そこで、私を助けてくださいとお祈りをして、泣き疲れて寝てしまった。眼がさめたとき、船が北風で戻ってきたところで、今度は小僧も船に乗って沖縄に戻った。数十年後、小僧は和尚として桃林寺に来て、観音堂を建てた。観音堂には二体の仏像があった。一体は金箔だったが、大正七、八年頃の営林省時代に、盗まれてしまって今は無い。もう一体残っているものは、観音堂ができる以前に話者、喜舎場さんの先祖が海で拾ったもの。先祖が海に漁りにいったら、仏像が浜に流れ着いていたので、驚いた先祖は海に帰した。すると、次の潮の時にまた流れ着いていたので、また返し、親に相談した。親は、もし三度目があったら持って帰りなさいと言い、三度目も流れてきていたので、今度は家にもって帰り、信仰した。その後、村人皆で拝めるように観音堂に納めた。以前は、拝む時は旧暦の一月八日と八月八日の年二回だけ、喜舎場さんの門中がまず拝んでから他の人が拝むというしきたりだったが、戦争中は武運長久を祈る人々でしきたりは無くなってしまった。だから今は、喜舎場さんは、年二回の拝む日の前日に準備を済ませ、翌日夜が明けないうちに祈願している。

再生時間:4:18

民話詳細DATA

レコード番号 47O340281
CD番号 47O34C020
決定題名 観音堂由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 喜舎場兼次郎
話者名かな きしゃばけんじろう
生年月日 19040113
性別
出身地 沖縄県石垣市字川平
記録日 19950913
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市字川平 T57 A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説、 民俗
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 桃林寺,和尚,小僧,南風,北風,観音堂
梗概(こうがい) 昔、参勤交代の時代、八重山の桃林寺の和尚は沖縄から来て、二、三年勤めては交代していた。寺には小僧もいた。勤めが終り、和尚と小僧は沖縄に帰ることになったが、帆船なので南風が吹かないと帰れない。なかなか順風が吹かないので小僧が友人と遊びに行っている間に、突然南風が吹いた。小僧がいなかったが、和尚を乗せて船は出発。置いていかれた小僧は川平の道づたいに船を追いかけてヤラブ崎を回り、現在の観音堂のところまで来た。そこで、私を助けてくださいとお祈りをして、泣き疲れて寝てしまった。眼がさめたとき、船が北風で戻ってきたところで、今度は小僧も船に乗って沖縄に戻った。数十年後、小僧は和尚として桃林寺に来て、観音堂を建てた。観音堂には二体の仏像があった。一体は金箔だったが、大正七、八年頃の営林省時代に、盗まれてしまって今は無い。もう一体残っているものは、観音堂ができる以前に話者、喜舎場さんの先祖が海で拾ったもの。先祖が海に漁りにいったら、仏像が浜に流れ着いていたので、驚いた先祖は海に帰した。すると、次の潮の時にまた流れ着いていたので、また返し、親に相談した。親は、もし三度目があったら持って帰りなさいと言い、三度目も流れてきていたので、今度は家にもって帰り、信仰した。その後、村人皆で拝めるように観音堂に納めた。以前は、拝む時は旧暦の一月八日と八月八日の年二回だけ、喜舎場さんの門中がまず拝んでから他の人が拝むというしきたりだったが、戦争中は武運長久を祈る人々でしきたりは無くなってしまった。だから今は、喜舎場さんは、年二回の拝む日の前日に準備を済ませ、翌日夜が明けないうちに祈願している。
全体の記録時間数 7:24
物語の時間数 4:18
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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