赤馬節由来(方言)

あかんまぶしゆらい(ほうげん)

概要

1671年の石垣間切りの頃 大城師番という人がいた。今は廃村になっているが、昔ヨネハラ部落の手前の海岸端に仲筋部落があった。大城師番という人はその仲筋村の人頭税を整理する役人だった。師番は宮良、白保も担当していた。師番が宮良から名蔵に出て仲筋村までの道を往来していた。この途中の名蔵湾のあたりに放れ馬の子馬がいたらしい。その子馬が追い払っても師番の後を宮良までついて来たらしい。子馬の主を探しても見つからないので、師番が育ててみると、この馬が素晴らしい馬に育った。師番が乗ろうとすると、腹ばいになって乗せ、乗ってみるとすぐに立ち上がり、走らせても素晴らしかった。それでこの馬は一躍有名になった。このことが琉球王の耳に入り、そういう立派な馬なら持って来いということになった。しかし、この馬は王の馬役が乗ろうとすると暴れたり噛みついたりする悪馬になった。これは琉球王を殺そうとする企みかもしれないと、大城師番を呼びつけた。大城師番はこの話を聞いて、打ち首になることを覚悟して家族と別れを告げた。大城師番が馬の前に現れると、馬は喜んで、師番をなめたり、腹ばいになって師番を乗せ、乗ってみるとすぐに立ち上がって素晴らしい走りを見せた。これを見て、琉球王は、「この馬はあなたが乗る馬だ。きっと神から授かったのだろう。これは企みではない。あなたが持って帰りなさい」と言い、褒美も与えた。その時に歌ったのが現在祝い事のときに歌う赤馬節である。赤馬の末路がどうであったかという、、ある年寄りの話がある。師番にとっては良馬であっても、首里王府の馬役にとっては恨みがあったので、その馬を、馬場に落とし穴をつくって、そこにはめて殺そうとした。そのことを、大城師番と親しくしていた遊郭の女が知ることとなり、大城師番に、落とし穴のところに馬の糞を置いておくので、それを目印にして落とし穴を跳び越すようにと教えたので、馬は助かった。しかし馬役はなんとか馬を殺そうと追いかけてきたが、師番は飼い葉の中に隠れて船に乗り込み助かり、八重山に帰ることができた。また、この馬は島津藩から召しだすように言われた。鹿児島に送る船に乗せたが、平久保崎のところで船が難破した。馬は泳ぎ渡って師番の家にたどり着き、庭で倒れた。赤馬節が歌われたのは、師番が死ぬところを助かった上に、褒美まで貰ったというおめでたいことから、こちらではお祝いの時に歌われる。その時の褒美とは、公徳と書かれた額と扇子だった。

再生時間:9:55

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民話詳細DATA

レコード番号 47O340676
CD番号 47O34C049
決定題名 赤馬節由来(方言)
話者がつけた題名
話者名 東成底光秀
話者名かな ひがしなりそこみつひで
生年月日 19130127
性別
出身地 沖縄県石垣市字宮良
記録日 19970310
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市字宮良 T112 A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 1671年,石垣間切り,大城師番,仲筋部落,人頭税,役人,宮良,白保,名蔵湾,放れ馬,子馬,ついて来た,素晴らしい馬,育った,一躍有名,琉球王,馬役,悪馬,殺そうとする企み,打ち首,覚悟,神から授かった,褒美,祝い事,赤馬節,年寄りの話,恨み,馬場,落とし穴,殺そうとし,遊郭の女,馬の糞,目印,飼い葉,隠れて,島津藩,平久保崎,船,難破,泳ぎ渡って,公徳,額,扇子
梗概(こうがい) 1671年の石垣間切りの頃 大城師番という人がいた。今は廃村になっているが、昔ヨネハラ部落の手前の海岸端に仲筋部落があった。大城師番という人はその仲筋村の人頭税を整理する役人だった。師番は宮良、白保も担当していた。師番が宮良から名蔵に出て仲筋村までの道を往来していた。この途中の名蔵湾のあたりに放れ馬の子馬がいたらしい。その子馬が追い払っても師番の後を宮良までついて来たらしい。子馬の主を探しても見つからないので、師番が育ててみると、この馬が素晴らしい馬に育った。師番が乗ろうとすると、腹ばいになって乗せ、乗ってみるとすぐに立ち上がり、走らせても素晴らしかった。それでこの馬は一躍有名になった。このことが琉球王の耳に入り、そういう立派な馬なら持って来いということになった。しかし、この馬は王の馬役が乗ろうとすると暴れたり噛みついたりする悪馬になった。これは琉球王を殺そうとする企みかもしれないと、大城師番を呼びつけた。大城師番はこの話を聞いて、打ち首になることを覚悟して家族と別れを告げた。大城師番が馬の前に現れると、馬は喜んで、師番をなめたり、腹ばいになって師番を乗せ、乗ってみるとすぐに立ち上がって素晴らしい走りを見せた。これを見て、琉球王は、「この馬はあなたが乗る馬だ。きっと神から授かったのだろう。これは企みではない。あなたが持って帰りなさい」と言い、褒美も与えた。その時に歌ったのが現在祝い事のときに歌う赤馬節である。赤馬の末路がどうであったかという、、ある年寄りの話がある。師番にとっては良馬であっても、首里王府の馬役にとっては恨みがあったので、その馬を、馬場に落とし穴をつくって、そこにはめて殺そうとした。そのことを、大城師番と親しくしていた遊郭の女が知ることとなり、大城師番に、落とし穴のところに馬の糞を置いておくので、それを目印にして落とし穴を跳び越すようにと教えたので、馬は助かった。しかし馬役はなんとか馬を殺そうと追いかけてきたが、師番は飼い葉の中に隠れて船に乗り込み助かり、八重山に帰ることができた。また、この馬は島津藩から召しだすように言われた。鹿児島に送る船に乗せたが、平久保崎のところで船が難破した。馬は泳ぎ渡って師番の家にたどり着き、庭で倒れた。赤馬節が歌われたのは、師番が死ぬところを助かった上に、褒美まで貰ったというおめでたいことから、こちらではお祝いの時に歌われる。その時の褒美とは、公徳と書かれた額と扇子だった。
全体の記録時間数 12:34
物語の時間数 9:55
言語識別 方言
音源の質
テープ番号
予備項目1

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