松金ユンタ(共通語)

概要

あの松金(まつがに)という人ですね。これもまあ確実なものか何かは分からんけども、大体はもう昔はそうだったんじゃないかなというふうに思うんだけれども、非常に貧しいなかに生まれて、そして、貧しいからこの人には松金というだけの名前であって、その家(うち)のお母さん、お父さんとかそういう方がいらっしゃったかいらっしゃらなかったかということもあんまり、聞いてはいません。ただ松金という人が居って、貧しいから人のお家の畑に入って、あのムヤコンて言うでしょ。あれ沖縄では何というかな。耕した後にこう残ったくず芋をこう掘っていたら、昔はこう畑をこう見回る役人がおったわけよ。その人に見つけられてものすごく鞭で打たれてたということで、その人にそういうふうにぶたれて始めて、「自分は必ずこの人以上になってみせる。今度はどうしても、もう一生懸命働いて、偉くなって綺麗な貫家って自分のお家を作ってみせる。」というような、やっぱしそういう気持ちがあったんでしょうね。
 昔はもう貫家ていったら、もう大工さんが来て、こう指し物してから、こういろいろ大工をして、家(いえ)を作るわけでしょ。そういうふうな家は、偉くならなければできないという。そういうような、意思があったわけよね。そして、これが次第次第に大きくなって、それまでにはもうある程度はもう成長して、この人は、少しのゆとりもあったんじゃないかな。家を作るということになった時点でもう誰も頼る人居ないから、今度はこんな丸いこう自分の高さぐらいの棒にね、この茅をしなって、それから、山に材木取りに、一緒に持っていくわけ。そして、これを大きい木の根っこに立てておいてね、自分と同しように語られるような人がいないと寂しいでしょ。そうすると自分と同しように語らられる人というふうに思いながら、それをユシトゥンミールーとか言いますがね。それと語らいながら、自分の家を作るだけの材木を取り出したという。そして、始めてこう山から下ろしてきて、その家を作る大工さん、その棟梁に、「こういうふうに家を作るとしてから、材木を持ってきたから、どういう木がどういうふうに使えるか見てください。」と言って頼んで、で、そこで貫家といってから、こうお家をこういうふうに建てるでしょう。そうするとね、一番、こう下にあるものは一つのあの何ていうかな。あのあれでこう五つ七つとこういうふうに、あのこうありますね、勾配取るために。そういうもののある家を七貫家貫(しちぬきやーぬき)といってね、そういうお家を作って、そのお祝いの時に語らう歌が松金歌といってから、その人のに対するユシトゥンミールの歌があるわけですよ。ユシトゥンミールというのはね、歌もあのそういうような歌であれば、自分と語らうような茅と棒、あれをユシトゥンという。 そういうふうにして、その成長して、そして自分を叩いた役人は、それ以上の位に上がってない。その人以上にこう位に上がったその家にね、自分のお家を作ったお祝いに招待したわけ。そして、みんなお膳をみんな差し出した。そして始めて松金がそこで自分の過去のことをみんなに話したわけなんだ。そしたらこの役人はね、びっくりして聞いてるわけ。自分が叩いたその幼い子どもがこんなにまで偉くなったかというからびっくりして。この役人は、この松金に、叩いたとき、「その前が自分より偉くなって、上になった場合には、自分の十(とお)の指を切ってみせる。」というような話をその子どもに言うたわけ。これが子ども時代ながらにも、もう絶対忘れないで、それで、歯を噛んで我慢したが、その人があのとき言ったようにもう偉くなってしまって、その時の約束があるから、この役人がもうびっくりしよって、この役人が、その松金に、「申し訳なかった。まな板と包丁を出してくれ。約束どおり十の指を切ります。」というわけ。そして役人のところにこのまな板持っていった。ところが刀を取ると同時に、この松金が、「待ってください。おかげで、こういうように立派なお家も作れた。その時がなかったら自分はどういう人間になったかも分からない。」と始めてその人に自分のこういうふうに成長したことを感謝申し上げて、その当時のその役人のその方に、その人のお膳の吸い物以外にものすごく、このお礼としてのその当時のお金をどんだけのお金だったか分からんけれども添えて差し上げたと。
 だから、昔から伝えられてるように可愛い子には鞭当てよという言葉がありますね。憎むんじゃなくして、その子どもが可愛いから鞭を与えても教えているというような、そういうことなんです。これ本当であったか何か分からんけれども、そういったようなあの意味合いで、松金がその貧乏人(ひんすー)のときに、もうそういうふうに鞭与えられた。それを絶対忘れることなく一生懸命頑張って、二宮金次郎かなんかあのおしんなんかみたように、その当時は勉強もしたはずだけれども、窓から覗きながらでも勉強したというような、勉強したんじゃないですか。そして、もう人以上に立派な貫家も作って、そしてその役人以上の位に上がって、そしてその叩かれた役人に始めてそういうふうにそのお礼を述べて、そのなんかお土産をこうして上げたと。松金というのはね、石垣島のどこの人と言わないで、これは大浜でも松金ユンタは、昔は、家を作る時には、必ずその棒の先にこう茅を縛ったユシトゥンを高座に、お家の一番中柱にお連れしてきて、そして、二人でもってこうユシトゥンを捕まえながら、お酒をあげながら自分もお酒を飲みながら、そしてユシトゥン揺らして讃えて、こう舞うんですよ。「一 サア[以下略]まちんがにや〈サア 松金は〉イーハーイ〈囃子〉[以下略]まいふなばまれおーり〈怜悧者に生まれなさり〉ヤーラ ムチムチヤハイ〈囃子〉[以下略] 二 家ですや〈家というのは〉穴堀(ぶ)り家どぅたて〈穴堀り家を建て〉三 柱(ばら)ですや〈柱というのは〉あざにぱら 柱たて〈アダンの柱 柱を建て〉四 やどぅですや〈雨戸というのは〉とぅりくびやどぅばたて〈とぅりくび雨戸を建て〉。」今はね、ほとんどそういうようなのはやっていな
いね。

再生時間:14:57

民話詳細DATA

レコード番号 47O150351
CD番号 47O15C021
決定題名 松金ユンタ(共通語)
話者がつけた題名
話者名 盛山廉太郎
話者名かな もりやまれんたろう
生年月日 19170331
性別
出身地 石垣市大浜
記録日 19940823
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市大浜T99A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説、 歌
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 大浜の民話(平成7年度卒業論文)P56
キーワード ユンタ,歌
梗概(こうがい) あの松金(まつがに)という人ですね。これもまあ確実なものか何かは分からんけども、大体はもう昔はそうだったんじゃないかなというふうに思うんだけれども、非常に貧しいなかに生まれて、そして、貧しいからこの人には松金というだけの名前であって、その家(うち)のお母さん、お父さんとかそういう方がいらっしゃったかいらっしゃらなかったかということもあんまり、聞いてはいません。ただ松金という人が居って、貧しいから人のお家の畑に入って、あのムヤコンて言うでしょ。あれ沖縄では何というかな。耕した後にこう残ったくず芋をこう掘っていたら、昔はこう畑をこう見回る役人がおったわけよ。その人に見つけられてものすごく鞭で打たれてたということで、その人にそういうふうにぶたれて始めて、「自分は必ずこの人以上になってみせる。今度はどうしても、もう一生懸命働いて、偉くなって綺麗な貫家って自分のお家を作ってみせる。」というような、やっぱしそういう気持ちがあったんでしょうね。  昔はもう貫家ていったら、もう大工さんが来て、こう指し物してから、こういろいろ大工をして、家(いえ)を作るわけでしょ。そういうふうな家は、偉くならなければできないという。そういうような、意思があったわけよね。そして、これが次第次第に大きくなって、それまでにはもうある程度はもう成長して、この人は、少しのゆとりもあったんじゃないかな。家を作るということになった時点でもう誰も頼る人居ないから、今度はこんな丸いこう自分の高さぐらいの棒にね、この茅をしなって、それから、山に材木取りに、一緒に持っていくわけ。そして、これを大きい木の根っこに立てておいてね、自分と同しように語られるような人がいないと寂しいでしょ。そうすると自分と同しように語らられる人というふうに思いながら、それをユシトゥンミールーとか言いますがね。それと語らいながら、自分の家を作るだけの材木を取り出したという。そして、始めてこう山から下ろしてきて、その家を作る大工さん、その棟梁に、「こういうふうに家を作るとしてから、材木を持ってきたから、どういう木がどういうふうに使えるか見てください。」と言って頼んで、で、そこで貫家といってから、こうお家をこういうふうに建てるでしょう。そうするとね、一番、こう下にあるものは一つのあの何ていうかな。あのあれでこう五つ七つとこういうふうに、あのこうありますね、勾配取るために。そういうもののある家を七貫家貫(しちぬきやーぬき)といってね、そういうお家を作って、そのお祝いの時に語らう歌が松金歌といってから、その人のに対するユシトゥンミールの歌があるわけですよ。ユシトゥンミールというのはね、歌もあのそういうような歌であれば、自分と語らうような茅と棒、あれをユシトゥンという。 そういうふうにして、その成長して、そして自分を叩いた役人は、それ以上の位に上がってない。その人以上にこう位に上がったその家にね、自分のお家を作ったお祝いに招待したわけ。そして、みんなお膳をみんな差し出した。そして始めて松金がそこで自分の過去のことをみんなに話したわけなんだ。そしたらこの役人はね、びっくりして聞いてるわけ。自分が叩いたその幼い子どもがこんなにまで偉くなったかというからびっくりして。この役人は、この松金に、叩いたとき、「その前が自分より偉くなって、上になった場合には、自分の十(とお)の指を切ってみせる。」というような話をその子どもに言うたわけ。これが子ども時代ながらにも、もう絶対忘れないで、それで、歯を噛んで我慢したが、その人があのとき言ったようにもう偉くなってしまって、その時の約束があるから、この役人がもうびっくりしよって、この役人が、その松金に、「申し訳なかった。まな板と包丁を出してくれ。約束どおり十の指を切ります。」というわけ。そして役人のところにこのまな板持っていった。ところが刀を取ると同時に、この松金が、「待ってください。おかげで、こういうように立派なお家も作れた。その時がなかったら自分はどういう人間になったかも分からない。」と始めてその人に自分のこういうふうに成長したことを感謝申し上げて、その当時のその役人のその方に、その人のお膳の吸い物以外にものすごく、このお礼としてのその当時のお金をどんだけのお金だったか分からんけれども添えて差し上げたと。  だから、昔から伝えられてるように可愛い子には鞭当てよという言葉がありますね。憎むんじゃなくして、その子どもが可愛いから鞭を与えても教えているというような、そういうことなんです。これ本当であったか何か分からんけれども、そういったようなあの意味合いで、松金がその貧乏人(ひんすー)のときに、もうそういうふうに鞭与えられた。それを絶対忘れることなく一生懸命頑張って、二宮金次郎かなんかあのおしんなんかみたように、その当時は勉強もしたはずだけれども、窓から覗きながらでも勉強したというような、勉強したんじゃないですか。そして、もう人以上に立派な貫家も作って、そしてその役人以上の位に上がって、そしてその叩かれた役人に始めてそういうふうにそのお礼を述べて、そのなんかお土産をこうして上げたと。松金というのはね、石垣島のどこの人と言わないで、これは大浜でも松金ユンタは、昔は、家を作る時には、必ずその棒の先にこう茅を縛ったユシトゥンを高座に、お家の一番中柱にお連れしてきて、そして、二人でもってこうユシトゥンを捕まえながら、お酒をあげながら自分もお酒を飲みながら、そしてユシトゥン揺らして讃えて、こう舞うんですよ。「一 サア[以下略]まちんがにや〈サア 松金は〉イーハーイ〈囃子〉[以下略]まいふなばまれおーり〈怜悧者に生まれなさり〉ヤーラ ムチムチヤハイ〈囃子〉[以下略] 二 家ですや〈家というのは〉穴堀(ぶ)り家どぅたて〈穴堀り家を建て〉三 柱(ばら)ですや〈柱というのは〉あざにぱら 柱たて〈アダンの柱 柱を建て〉四 やどぅですや〈雨戸というのは〉とぅりくびやどぅばたて〈とぅりくび雨戸を建て〉。」今はね、ほとんどそういうようなのはやっていな いね。
全体の記録時間数 22:13
物語の時間数 14:57
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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