このトゥバラーマの由来はですね、平得、真栄里、その二つの部落にその部落にトゥバラーマの由来というのは、あるわけです。昔、首里から命令を受けて、平得、真栄里の役人として来られた方にはとうていこの統制が取りきらなくて、帰られたわけですね。で、その後に湧川という人が、「もうあんたでなければとうてい出来ない。」というわけで御主加那志前から直接命令を受けて来られたとき、「平得、真栄里を協力して、その立派な村になるようにするためには、いかなることがあってももう出来なきゃ、あの統制を取りきらないでおったら自分はそのままはもう沖縄には帰れない。もう死んでしか申し訳は立たない。」と、そういうふうにして湧川っていう人の腹を決められて、ある月のきれい晩に、両方の部落を、一堂に集めて、そしてちょうど、今、道一つ隔てた両方の部落があるようにこっちは平得、こっちは真栄里と両方に分けて、そこで、この湧川って人のお話、いわば民衆に対するその講義ということは、「一人では人間は生きられないと。男女があって、夫婦というのがあって、初めて家庭を持ち、社会を維持し、部落を維持して、生きていかれる。」というような講義を懇々として涙を流しながら訴えてお話をなさったと。そういう訳で話しておられるうちに、その両方の部落からこう、すくすくと、こうあの泣く前にこうあの鼻をこう噛みますよね。そういうようなことがこっちにもあっちにも聞かれてきたと。それで始めてこの湧川という人が、こういうことがあって、平得、真栄里部落は、安泰にこう統制とれるようになってもうこう綺麗なあのに治めたと。それで、御主加那志前から非常に褒められたそうだ。
そして、そこで言われたのがどういうことが言われたか、この内容もはっきりはっきりしないけれども、その時に初めて、その人のお話の中から出たのが、今、現在八重山で歌っているトゥバラマという歌になったわけです。そのトゥバラマの中にね、いわゆるこれは自分でかける歌なんだから、男から女にかける歌もあれば女から男にかける歌もあればいろいろ歌あるわけですよ。「とぅばらーまぬ歌ぬ 出(い)で始まりや〈トゥバラーマ歌の出始めは〉昔湧川の親ぬど 出だしようる〈昔湧川の親がお出しになった〉ンゾシーヌ 湧川ヌ主ヌマイ〈囃子〉。」と歌のその内容は、トゥバラーマ歌の出始まりは、昔、湧川小(わくんぐぁー)の親(うや)、やっぱし役人だから、もう自分の親と同しような意味で親といってもいいと、また、昔は主(ぬし)と書いて主(しゅー)という。主ぬ前(めー)とか言うでしょうね。昔、湧川小のシュームンドゥ、イダショーレルと。これはこの言葉だ。その主が、出されたということ。歌われたといってもいい。まっ、これが一番の文句。でっ、二番の文句は、「湧川ぬ水ぬ 引きさーるとぅん〈湧川の水が引き去っても〉とぅばらーまぬ歌や 島ぬあるとぅむ〈トゥバラーマの歌は島のある限り〉ンゾシーヌ 湧川ヌ主ヌマイ〈囃子〉。」と湧井戸(わくがー)というね。新川のずっと西の方に行ってね、湧き水の出るところがあるんですよ。これを湧井戸というんです。そこの湧き水は、どんなに日照りでもこの水が湧き水が止まることはない。で、その湧井戸の水が無くなっても、トゥバラマ歌はこの島のある限り絶対に無くならない。これはもう古典でもこれはもうその人その人のなりの人間の心の中にぎいっとこう訴えて、もう涙をぐませるぐらいのそういうような感じをもったところがある歌であるから、声は良くてもそこには人の心の中まで押し入るというぐらいのこの歌い手がなければ、あの歌のトゥバラマ歌とトゥバラマとはいえないというふうに言われてるわけです。そういうようなトゥバラマの由来の説があって、そしてその歌がそういうような歌がこれこれも誰が作ったのかも分からんけれども、そういう平真(へいしん)の人の言い伝えから、聞いたということで、私は分かるわけです。 だから八重山でのこのトゥバラマの由来ということを知ってる人は、そうたくさんいない。我々あの古典の師匠であるが、教師であるが、いろいろ師範なんかもいらっしゃるけれども湧川のこのトゥバラマ歌の由来ということを確実に知っているという方はいらっしゃらない。
| レコード番号 | 47O150350 |
|---|---|
| CD番号 | 47O15C021 |
| 決定題名 | トゥバラーマ由来(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 盛山廉太郎 |
| 話者名かな | もりやまれんたろう |
| 生年月日 | 19170331 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 石垣市大浜 |
| 記録日 | 19940823 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市大浜T99A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説、 歌 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 大浜の民話(平成7年度卒業論文)P55 |
| キーワード | 歌,トゥバラーマ |
| 梗概(こうがい) | このトゥバラーマの由来はですね、平得、真栄里、その二つの部落にその部落にトゥバラーマの由来というのは、あるわけです。昔、首里から命令を受けて、平得、真栄里の役人として来られた方にはとうていこの統制が取りきらなくて、帰られたわけですね。で、その後に湧川という人が、「もうあんたでなければとうてい出来ない。」というわけで御主加那志前から直接命令を受けて来られたとき、「平得、真栄里を協力して、その立派な村になるようにするためには、いかなることがあってももう出来なきゃ、あの統制を取りきらないでおったら自分はそのままはもう沖縄には帰れない。もう死んでしか申し訳は立たない。」と、そういうふうにして湧川っていう人の腹を決められて、ある月のきれい晩に、両方の部落を、一堂に集めて、そしてちょうど、今、道一つ隔てた両方の部落があるようにこっちは平得、こっちは真栄里と両方に分けて、そこで、この湧川って人のお話、いわば民衆に対するその講義ということは、「一人では人間は生きられないと。男女があって、夫婦というのがあって、初めて家庭を持ち、社会を維持し、部落を維持して、生きていかれる。」というような講義を懇々として涙を流しながら訴えてお話をなさったと。そういう訳で話しておられるうちに、その両方の部落からこう、すくすくと、こうあの泣く前にこうあの鼻をこう噛みますよね。そういうようなことがこっちにもあっちにも聞かれてきたと。それで始めてこの湧川という人が、こういうことがあって、平得、真栄里部落は、安泰にこう統制とれるようになってもうこう綺麗なあのに治めたと。それで、御主加那志前から非常に褒められたそうだ。 そして、そこで言われたのがどういうことが言われたか、この内容もはっきりはっきりしないけれども、その時に初めて、その人のお話の中から出たのが、今、現在八重山で歌っているトゥバラマという歌になったわけです。そのトゥバラマの中にね、いわゆるこれは自分でかける歌なんだから、男から女にかける歌もあれば女から男にかける歌もあればいろいろ歌あるわけですよ。「とぅばらーまぬ歌ぬ 出(い)で始まりや〈トゥバラーマ歌の出始めは〉昔湧川の親ぬど 出だしようる〈昔湧川の親がお出しになった〉ンゾシーヌ 湧川ヌ主ヌマイ〈囃子〉。」と歌のその内容は、トゥバラーマ歌の出始まりは、昔、湧川小(わくんぐぁー)の親(うや)、やっぱし役人だから、もう自分の親と同しような意味で親といってもいいと、また、昔は主(ぬし)と書いて主(しゅー)という。主ぬ前(めー)とか言うでしょうね。昔、湧川小のシュームンドゥ、イダショーレルと。これはこの言葉だ。その主が、出されたということ。歌われたといってもいい。まっ、これが一番の文句。でっ、二番の文句は、「湧川ぬ水ぬ 引きさーるとぅん〈湧川の水が引き去っても〉とぅばらーまぬ歌や 島ぬあるとぅむ〈トゥバラーマの歌は島のある限り〉ンゾシーヌ 湧川ヌ主ヌマイ〈囃子〉。」と湧井戸(わくがー)というね。新川のずっと西の方に行ってね、湧き水の出るところがあるんですよ。これを湧井戸というんです。そこの湧き水は、どんなに日照りでもこの水が湧き水が止まることはない。で、その湧井戸の水が無くなっても、トゥバラマ歌はこの島のある限り絶対に無くならない。これはもう古典でもこれはもうその人その人のなりの人間の心の中にぎいっとこう訴えて、もう涙をぐませるぐらいのそういうような感じをもったところがある歌であるから、声は良くてもそこには人の心の中まで押し入るというぐらいのこの歌い手がなければ、あの歌のトゥバラマ歌とトゥバラマとはいえないというふうに言われてるわけです。そういうようなトゥバラマの由来の説があって、そしてその歌がそういうような歌がこれこれも誰が作ったのかも分からんけれども、そういう平真(へいしん)の人の言い伝えから、聞いたということで、私は分かるわけです。 だから八重山でのこのトゥバラマの由来ということを知ってる人は、そうたくさんいない。我々あの古典の師匠であるが、教師であるが、いろいろ師範なんかもいらっしゃるけれども湧川のこのトゥバラマ歌の由来ということを確実に知っているという方はいらっしゃらない。 |
| 全体の記録時間数 | 12:17 |
| 物語の時間数 | 9:00 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |