七月の一五日にお盆のウークイするからね、一六日にやるんだな。これは今八重山ではね、この大浜村だけがね、正式には残している。形の名残はね、波照間という島にもある。それから宮良ね、小浜ね、鳩間島ね。平得(ひらい)にもちょっと残っているかな。消えてね、残りには無いんだよ。あったかどうかも分からない。それでね、このイタシキバラと言うのはね、小浜島ではね、これをイタシキバラとは言わないでね、ドゥパダ願いと言ってやってるんだ。健康願いという意味だな。そういうふうに島々によってね、違うんだけれどもね、どの村にも必(かんな)ずこれをお盆のウークイの翌日、一六日にやるということが一致している。それからね、七月念仏者(にんぶじゃ)という七月念仏歌があるさ。今は十三というような歌を歌うんだよな。この歌に合わせて踊りをやるというのが、全部相通じている。それから、昔は共同作業というのが、盛んだったらしいよ。今は外に頼って自分で、自分の庭さえもやろうとせんような傾向にあるがね昔は自分でみんなやったもんだからな。農道であっても村中の道もこれは、お盆の前の日はもう全部、部落動いて、みんなで大掃除だよ。その作業があったということね。それからお願いするのに、これお盆になぜ飾るかという由来をいうと、この供養する人の居ないもんだからもう無縁仏になっている悪魔除けにこの物を飾るというね。あのミージヌクーというのはね、本当はよ、御馳走を自分の祖先だけでなくね、供養する人がいないから、無縁仏になって物貰いみたいに、自分の庭に来るそういう者にも御馳走あげるのが本当さ。ところがもう間に合わないからね、大根とか人参とかよ、冬瓜(とうが)とか、そういう物を水にたくさん切っておいて、これを、「あんた達これを食べなさい。」とこうくゎんける。これをミズヌクーと言うさあな。まあこれはイタツキバラと直接の関係はないがね、まあ、そういう無縁仏の疫病とかね、そういうものを御祓いする魔除けの行事であると事には間違いないよ。こういうのは、四つだけは一致してるんだな。そのためにイタシキバラというのがあるわけね。イタシキバラという名前とあれの意味とね、確かなるこの起源ね。これが文献に残っていない。それでね、小浜島ではね、ドゥバダ願いと言うた。隣の村だがね、宮良の村にはね、昨日さね、従兄弟友達の霊がね、子孫からたくさんの御馳走を賜りましたね、それを持ち寄って来てね、野原でね、板を敷いて、その上に布を敷いてね、これで遊ぶという意味でイタシキバラだと、板を敷いて遊ぶ野原という意味だと宮良は理解している。波照間と大浜とは、同じ解釈をしている。この昔はね、今でも相撲取る場合に拍子木打つね。また、火の用心の場合も板を打って火の用心って回るね。芝居の始まりも板を押すね。板を押すということは、この人間の心を集中させる一つの行事ね。その為に合図ね。で、昔は村を回ってね、特に村の隅々ね。出口、出入口等に、中心に回ってね。板を打って悪魔を払うと、無縁仏等を払ういわゆる、無病息災を願いね、健康願い、豊作を願う。まあ、沖縄で、どこでも願いの中心になっているのは、これも大体煎じ詰めると無病息災と豊作だよな。それで、これのいろいろな、学者の説もあるんだよ。宮良賢貞という歴史の先生がいらっしゃいましたよね。これは、イタは板だと、バラはね、昔のあるように、沖縄の歴史にあるように、ニライカナイな、あのずっと向こうの海の彼方に楽土があるっていう説でしょ。ニライカナイから板舟が来るんだというような解釈をしてるさ。板というのは舟の事だと。ツキは、それは着く所だと。バライは、ニライカナイのことだというふうに解釈しているさーな。ところがね、このまあ、このような昔から、この板を打つということはね、大変昔の楽器なんかの無い時代には唯一の音出すもんだったからね、例えばね、夜烏ね、夜烏よ、夜烏が鳴くと火事が起こるんだよ。夜烏が火をくわえてきて落とすんだとね、その時も臼を叩くんだよ。板を叩いて、自分の家に落ちるなよという意味でね、このユーガラサーの話は、また後でやるがよ、そういうふうな風習があったんだな。このイタツキバラもね、この無病息災を願ってね、村の隅々を板打って回った行事をね、イタツキバラと言うんだと大浜村の解釈。これが僕は正しいと思うんだよ。イタツキバラのバライは、板を打って御祓いをするという意味がね。これが一番正しいと、僕らは見ている。それでね、波照間でも、イタツキバライと言うがよ。ここはその村の流れではあるからよ。
| レコード番号 | 47O150319 |
|---|---|
| CD番号 | 47O15C018 |
| 決定題名 | イタシキバラ(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 慶田正介 |
| 話者名かな | けいだしょうすけ |
| 生年月日 | 19181129 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 石垣市大浜 |
| 記録日 | 19940823 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市大浜T96B01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 民俗 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 大浜の民話(平成7年度卒業論文)P40 |
| キーワード | イタシキバラ,お盆 |
| 梗概(こうがい) | 七月の一五日にお盆のウークイするからね、一六日にやるんだな。これは今八重山ではね、この大浜村だけがね、正式には残している。形の名残はね、波照間という島にもある。それから宮良ね、小浜ね、鳩間島ね。平得(ひらい)にもちょっと残っているかな。消えてね、残りには無いんだよ。あったかどうかも分からない。それでね、このイタシキバラと言うのはね、小浜島ではね、これをイタシキバラとは言わないでね、ドゥパダ願いと言ってやってるんだ。健康願いという意味だな。そういうふうに島々によってね、違うんだけれどもね、どの村にも必(かんな)ずこれをお盆のウークイの翌日、一六日にやるということが一致している。それからね、七月念仏者(にんぶじゃ)という七月念仏歌があるさ。今は十三というような歌を歌うんだよな。この歌に合わせて踊りをやるというのが、全部相通じている。それから、昔は共同作業というのが、盛んだったらしいよ。今は外に頼って自分で、自分の庭さえもやろうとせんような傾向にあるがね昔は自分でみんなやったもんだからな。農道であっても村中の道もこれは、お盆の前の日はもう全部、部落動いて、みんなで大掃除だよ。その作業があったということね。それからお願いするのに、これお盆になぜ飾るかという由来をいうと、この供養する人の居ないもんだからもう無縁仏になっている悪魔除けにこの物を飾るというね。あのミージヌクーというのはね、本当はよ、御馳走を自分の祖先だけでなくね、供養する人がいないから、無縁仏になって物貰いみたいに、自分の庭に来るそういう者にも御馳走あげるのが本当さ。ところがもう間に合わないからね、大根とか人参とかよ、冬瓜(とうが)とか、そういう物を水にたくさん切っておいて、これを、「あんた達これを食べなさい。」とこうくゎんける。これをミズヌクーと言うさあな。まあこれはイタツキバラと直接の関係はないがね、まあ、そういう無縁仏の疫病とかね、そういうものを御祓いする魔除けの行事であると事には間違いないよ。こういうのは、四つだけは一致してるんだな。そのためにイタシキバラというのがあるわけね。イタシキバラという名前とあれの意味とね、確かなるこの起源ね。これが文献に残っていない。それでね、小浜島ではね、ドゥバダ願いと言うた。隣の村だがね、宮良の村にはね、昨日さね、従兄弟友達の霊がね、子孫からたくさんの御馳走を賜りましたね、それを持ち寄って来てね、野原でね、板を敷いて、その上に布を敷いてね、これで遊ぶという意味でイタシキバラだと、板を敷いて遊ぶ野原という意味だと宮良は理解している。波照間と大浜とは、同じ解釈をしている。この昔はね、今でも相撲取る場合に拍子木打つね。また、火の用心の場合も板を打って火の用心って回るね。芝居の始まりも板を押すね。板を押すということは、この人間の心を集中させる一つの行事ね。その為に合図ね。で、昔は村を回ってね、特に村の隅々ね。出口、出入口等に、中心に回ってね。板を打って悪魔を払うと、無縁仏等を払ういわゆる、無病息災を願いね、健康願い、豊作を願う。まあ、沖縄で、どこでも願いの中心になっているのは、これも大体煎じ詰めると無病息災と豊作だよな。それで、これのいろいろな、学者の説もあるんだよ。宮良賢貞という歴史の先生がいらっしゃいましたよね。これは、イタは板だと、バラはね、昔のあるように、沖縄の歴史にあるように、ニライカナイな、あのずっと向こうの海の彼方に楽土があるっていう説でしょ。ニライカナイから板舟が来るんだというような解釈をしてるさ。板というのは舟の事だと。ツキは、それは着く所だと。バライは、ニライカナイのことだというふうに解釈しているさーな。ところがね、このまあ、このような昔から、この板を打つということはね、大変昔の楽器なんかの無い時代には唯一の音出すもんだったからね、例えばね、夜烏ね、夜烏よ、夜烏が鳴くと火事が起こるんだよ。夜烏が火をくわえてきて落とすんだとね、その時も臼を叩くんだよ。板を叩いて、自分の家に落ちるなよという意味でね、このユーガラサーの話は、また後でやるがよ、そういうふうな風習があったんだな。このイタツキバラもね、この無病息災を願ってね、村の隅々を板打って回った行事をね、イタツキバラと言うんだと大浜村の解釈。これが僕は正しいと思うんだよ。イタツキバラのバライは、板を打って御祓いをするという意味がね。これが一番正しいと、僕らは見ている。それでね、波照間でも、イタツキバライと言うがよ。ここはその村の流れではあるからよ。 |
| 全体の記録時間数 | 8:37 |
| 物語の時間数 | 8:33 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |