昔はね、大浜という字は、この濱を書いたんですよ。今は、ただこうして大浜と書くんですけどね。それで、この大浜村にですね、タナジャラーという男の人が住んでおったんですね。まっ、大浜のどっちの方かは分かりません。まっ、これは明治のね、中期、今からというと、もう一〇七年くらい前になりますね。その前の話です。この大真太郎という方は、今はもう亡くなっておられますけど、竹富の方なんです。よくこうした民話をね、研究していた方であります。それで、大浜と竹富とのこの関わりのある大浜村の民話ということで、これは昭和六一年の八重山日報の切り取りです。そして、その村に住んでおった人が、タナジャラーという男が、ちょっと変わった人でね、常日頃からね、この部落で自分の気持ちに合う良い女をね、求めようと、目をいつも輝かしておったらしいんですわ。そしたら、ある日、角々にね、女の子が、子どもたちが子守をして、いろいろこうしてね、はしゃいでおったと。そこをね、タナジャラーが来たわけ。そしたら、二、三人の子守たちはね、「大浜タナジャラーのお嫁さんになる人はね、竹富島に、向こうの竹富島におるぞ。」と言う。この子どもさん達がね、子守歌らしいのを歌ったらしいんだよ。そしたら、そのタナジャラーと言う人はですね、「まあーこんなに言うんだけど本当かなあ。これは珍しい。神の知らせか分からん。」ということで、「子どもが言っているからこれはただの事じゃないよ。こう自分の運命を告げているかもね。」と、尋ねてみようと思い立ったら、自分で板舟を作って、石垣今の桟橋ね、こっちから竹富に自分で櫓ををこいで行ったらしいんですよ。そしたら、タナジャラーはね、早速もう自分の造った舟で行ったんだからね、間もなく目的地の竹富に着いたわけ。そして、その歌の通りね、本当に花城村ってあったらしんですよ。その花城村に訪ねていったらね、その他金殿(た きどぅん)という人が、これがね、今はね、竹富になっているんですよ。それで、この他金殿と言う人が建てた村でね、花城村なんですよね。で、その他金殿は、もう大変勢威を奮って、素晴らしい城みたいな家らしいんですよね。大変島の人から大変尊敬された人であったしいですよ。もうそれから他金殿の島の竹富という風に、島の名前になっていくんだが、その村はずれには、もう一つの他金殿が創った御嶽があるらしいです。もう何とも美しい眺めの村であったと。タナジャラーはね、「これはもう素晴らしい。」と、これは他金殿が創った村、またそれから城ですよね。御嶽それを景色はいいもんでね、村に入っていくとね、早速道で、目が覚めるようにね、美しいその女に会ったわけ。女に会ったらね、「私は大浜村から来たタナジャラーだけど、お前の名前何か。」と、その女にね、名前を聞いたらしいんですよ。娘はね、恥ずかしがってね、最初はもじもじして何とも言わなかったらしいんですね。そしたらね、「あのねえ、私の名前はね、モーシーと言います。」と言ったらしいんだな。そしたらタナジャラーは、「あ、モーシーと言う、いい名前だな。」とまたね、肩すかしてね、大変褒めたらしいんですよね。あんまりもうきれくてね、もう自分どうしようかなって思ったらしいんだよな。「大好きです。私の嫁になってくれんか。」と言ったらしいんだ。そしたらタナジャラーはね、もうもう自分には美女でもあるから、もったいないということで、初対面の娘でもあるしね、いきなりあの事を言ってはちょっとまずいと思ってさ、嫁になってくれと女にタナジャラーはもうプロポーズしたわけ。女はまっ、にっこりとしながらね、「私は承諾ですが。」と女も言ってるんだから、その女は、「女の親の親が許しがあれば、この由縁もなく、大賛成です。」と言ったわけ。タナジャラーは大急ぎで両親の所に行ったらしんだよ。 このモーシーの家に行って、結婚のことについてね、父親にね、その事言ったらしいんですよ。モーシーの父親は、「お前今の話をどう思う。これはモーシーに関わる問題であるからね、承諾ならば別に言うことは無い。」と、承諾したらしいんだよ。「そしたらもー、それもそうだな。」ということで、両親はタナジャラーの申し入れをあっさりと承諾したっていうわけさーな。そこで、タナジャラーとモーシーはね、めでたく契りを固めたというわけ。結婚したと。結婚してね、立派な夫婦となって、竹富の親はね、モーシーの分け前としてね、昔はそういったことがあるんですね、大浜村でもこの石垣でね、海にこうして積んでるのがあるでしょう。あれ、垣(かき)っていうんだよ。これ石を積んで、満潮に魚が入って、潮引くとね、出きれんでここに居るわけさ。その時取ったんですね。後ろに行けば今でもある。それをね、立派な夫婦となったので、その親はね、竹富の東のね、海のこれナイヌピーというのをね、バギダマ<分け前>として、モーシーに与えたって。潮が引くとね、大変珊瑚礁が出て、魚が取れたんでしょうな。で、それをモーシーに
与えた。そして、モーシーは結婚してね、大浜に来たらしいんだよ。そして、一五日、一日とね、月二回くらいはね、潮時があるからさ、必ず竹富に渡ってね、このナイヌピーでね、潮干狩りをしたらしいんですよ。そしては、ここに持ってきては、みんなにあげたりして、ナイヌピーでは、潮干狩りしながら、親しく両親に面会したということですね。このモーシーと、その伝説がね、竹富では今、大浜タナジャラーというユンタがあるわけ。これ竹富町に行って、私コピーしてきましたので、大浜タナジャラーユンタ、これお上げしますから、それで、このユンタが歌われるようになったらしいんでよ。まっこのタナジャラーユンタというのは、たくさん、二十番か、三十何番かあるんですよ。また、この大浜タナジャラーという人は、有名な石工でもあったらしいんだよ。そして今でもね、タナジャラーは手も細かかったんでしょうね、あの人が造ったお墓がね、今でも、横目屋(ゆくめーやー)ってね、あるらしいんですよ。ヨコメヤーの墓は、大浜タナジャラーが積んだ墓だと伝えられていると。これは明治の中期頃の話。
| レコード番号 | 47O150390 |
|---|---|
| CD番号 | 47O15C024 |
| 決定題名 | 大濱タナジャラー(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 花城直秀 |
| 話者名かな | はなしろちょくしゅう |
| 生年月日 | 19310217 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市大浜 |
| 記録日 | 19940824 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市大浜 T102 A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 大浜の民話 P31 |
| キーワード | 大浜,タナジャラー,明治,大真太郎,竹富,八重山日報,子守歌,神の知らせ,運命,板舟,石垣,桟橋,花城村,他金殿,御嶽,モーシー,美女,プロポーズ,結婚,垣,ナイヌピー,バギダマ,潮干狩り,大浜タナジャラー,ユンタ,石工,横目屋 |
| 梗概(こうがい) | 昔はね、大浜という字は、この濱を書いたんですよ。今は、ただこうして大浜と書くんですけどね。それで、この大浜村にですね、タナジャラーという男の人が住んでおったんですね。まっ、大浜のどっちの方かは分かりません。まっ、これは明治のね、中期、今からというと、もう一〇七年くらい前になりますね。その前の話です。この大真太郎という方は、今はもう亡くなっておられますけど、竹富の方なんです。よくこうした民話をね、研究していた方であります。それで、大浜と竹富とのこの関わりのある大浜村の民話ということで、これは昭和六一年の八重山日報の切り取りです。そして、その村に住んでおった人が、タナジャラーという男が、ちょっと変わった人でね、常日頃からね、この部落で自分の気持ちに合う良い女をね、求めようと、目をいつも輝かしておったらしいんですわ。そしたら、ある日、角々にね、女の子が、子どもたちが子守をして、いろいろこうしてね、はしゃいでおったと。そこをね、タナジャラーが来たわけ。そしたら、二、三人の子守たちはね、「大浜タナジャラーのお嫁さんになる人はね、竹富島に、向こうの竹富島におるぞ。」と言う。この子どもさん達がね、子守歌らしいのを歌ったらしいんだよ。そしたら、そのタナジャラーと言う人はですね、「まあーこんなに言うんだけど本当かなあ。これは珍しい。神の知らせか分からん。」ということで、「子どもが言っているからこれはただの事じゃないよ。こう自分の運命を告げているかもね。」と、尋ねてみようと思い立ったら、自分で板舟を作って、石垣今の桟橋ね、こっちから竹富に自分で櫓ををこいで行ったらしいんですよ。そしたら、タナジャラーはね、早速もう自分の造った舟で行ったんだからね、間もなく目的地の竹富に着いたわけ。そして、その歌の通りね、本当に花城村ってあったらしんですよ。その花城村に訪ねていったらね、その他金殿(た きどぅん)という人が、これがね、今はね、竹富になっているんですよ。それで、この他金殿と言う人が建てた村でね、花城村なんですよね。で、その他金殿は、もう大変勢威を奮って、素晴らしい城みたいな家らしいんですよね。大変島の人から大変尊敬された人であったしいですよ。もうそれから他金殿の島の竹富という風に、島の名前になっていくんだが、その村はずれには、もう一つの他金殿が創った御嶽があるらしいです。もう何とも美しい眺めの村であったと。タナジャラーはね、「これはもう素晴らしい。」と、これは他金殿が創った村、またそれから城ですよね。御嶽それを景色はいいもんでね、村に入っていくとね、早速道で、目が覚めるようにね、美しいその女に会ったわけ。女に会ったらね、「私は大浜村から来たタナジャラーだけど、お前の名前何か。」と、その女にね、名前を聞いたらしいんですよ。娘はね、恥ずかしがってね、最初はもじもじして何とも言わなかったらしいんですね。そしたらね、「あのねえ、私の名前はね、モーシーと言います。」と言ったらしいんだな。そしたらタナジャラーは、「あ、モーシーと言う、いい名前だな。」とまたね、肩すかしてね、大変褒めたらしいんですよね。あんまりもうきれくてね、もう自分どうしようかなって思ったらしいんだよな。「大好きです。私の嫁になってくれんか。」と言ったらしいんだ。そしたらタナジャラーはね、もうもう自分には美女でもあるから、もったいないということで、初対面の娘でもあるしね、いきなりあの事を言ってはちょっとまずいと思ってさ、嫁になってくれと女にタナジャラーはもうプロポーズしたわけ。女はまっ、にっこりとしながらね、「私は承諾ですが。」と女も言ってるんだから、その女は、「女の親の親が許しがあれば、この由縁もなく、大賛成です。」と言ったわけ。タナジャラーは大急ぎで両親の所に行ったらしんだよ。 このモーシーの家に行って、結婚のことについてね、父親にね、その事言ったらしいんですよ。モーシーの父親は、「お前今の話をどう思う。これはモーシーに関わる問題であるからね、承諾ならば別に言うことは無い。」と、承諾したらしいんだよ。「そしたらもー、それもそうだな。」ということで、両親はタナジャラーの申し入れをあっさりと承諾したっていうわけさーな。そこで、タナジャラーとモーシーはね、めでたく契りを固めたというわけ。結婚したと。結婚してね、立派な夫婦となって、竹富の親はね、モーシーの分け前としてね、昔はそういったことがあるんですね、大浜村でもこの石垣でね、海にこうして積んでるのがあるでしょう。あれ、垣(かき)っていうんだよ。これ石を積んで、満潮に魚が入って、潮引くとね、出きれんでここに居るわけさ。その時取ったんですね。後ろに行けば今でもある。それをね、立派な夫婦となったので、その親はね、竹富の東のね、海のこれナイヌピーというのをね、バギダマ<分け前>として、モーシーに与えたって。潮が引くとね、大変珊瑚礁が出て、魚が取れたんでしょうな。で、それをモーシーに 与えた。そして、モーシーは結婚してね、大浜に来たらしいんだよ。そして、一五日、一日とね、月二回くらいはね、潮時があるからさ、必ず竹富に渡ってね、このナイヌピーでね、潮干狩りをしたらしいんですよ。そしては、ここに持ってきては、みんなにあげたりして、ナイヌピーでは、潮干狩りしながら、親しく両親に面会したということですね。このモーシーと、その伝説がね、竹富では今、大浜タナジャラーというユンタがあるわけ。これ竹富町に行って、私コピーしてきましたので、大浜タナジャラーユンタ、これお上げしますから、それで、このユンタが歌われるようになったらしいんでよ。まっこのタナジャラーユンタというのは、たくさん、二十番か、三十何番かあるんですよ。また、この大浜タナジャラーという人は、有名な石工でもあったらしいんだよ。そして今でもね、タナジャラーは手も細かかったんでしょうね、あの人が造ったお墓がね、今でも、横目屋(ゆくめーやー)ってね、あるらしいんですよ。ヨコメヤーの墓は、大浜タナジャラーが積んだ墓だと伝えられていると。これは明治の中期頃の話。 |
| 全体の記録時間数 | 12:50 |
| 物語の時間数 | 12:16 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |