オヤケ赤蜂(共通語)

概要

ええ、昔はですね、戦国時代でですね、この八重山には、石垣島には、ええ、今の現在の大浜部落に、オヤケ赤蜂と言う、すごい武士がおったそうです。あれから、石垣、今の四箇には、ああ、長田大主(ながたうふすー)がいてですね、また、川平には、仲間満慶。それから、平久保には、平久保カナー。また、西表には、慶来慶田城。うう、与那国には、女のですね、自分が八重山を、自分も、おお、限られ、自分がやるという野心がありましてですね、この、言うと皆さんもご存じのように、首里がですね、首里が、横暴で、平民はですね、沖縄県全体が、〔聞き取り不能〕、宮古、八重山、本島がですね、ええと、そこには、人頭税は、昔、しておったらしい。それで、平民はですね、この男は米、粟、麦、稗、芋、これだけを作ってですね、首里に送る。女は、あれが、十五歳から、四十五歳まで、年齢が、ああ、男は。また、女は、ああ、十五歳から、四十五歳までのですね。ええ、女はですね、糸芭蕉を倒して、皮を剥いでですね、あれで、糸を煮て、糸を取ってですね、あれと、また、ショマ。あれをですね、糸にして首里の王様に納めたと言うのが、これもう恒例になっておったらしい。それで、各字にですね、まあ、オーセと言うところがあって、そこはもう出荷場ですね。部落全部の。男は米とか粟を持ってくるし、女はまた、芭蕉布を取ってね、白保では白保の東の浜にですね、ええ、この、浜にこれを作ってね、そこで、首里からの王様がいらしゃって、この、反物や、富豪をわきまえて、持っていかれたそうです。ここにも、歌が、女の歌がありますがね。ここで、浜に下ろしてよ、海で布をさらし、石と言って、一方を石でくくって、こんなに、七色八色の布をですよ、海でさらして、あれを持ってきて、また、浜の上、石の上でよ、さらして、そこで、この、首里からの王様の、あれの係にあげてね、〔聞き取り不能〕また作ってあげるというような〔聞き取り不能〕者であろうが、健康体であろうが十五歳から、四十五歳までは、昔おったそうです。それでね、八重山ではこういう記念に残っているようなものは、ありませんが、お分かりか分かりませんが、宮古ではね、この、人頭税石と言うのがね、あるらしいんだよ。今でも、現在、この石があってですね、あれの高さによって、十五歳になってですね、高さに合格したらよ、これを負わされたという、この、宮古の、書いた資料に残っています。八重山には残っておりませんがね、そういう時代でありましたので、非常に、大物はですね、お互い大物同士、殺してですね、自分の手柄になると言うので、実は、このオヤケ赤蜂と長田大主が、壮絶なね。ここにいらしゃって、長田氏が四箇に、オヤケ赤蜂は大浜に住んでですね、そこで、部落を統一して、首里で人頭税を納めておりましたんだが、これが、余りにもですね、同じ人間ながらですね、士族も、首里の王様はね、平民をいじめてよ、もう平民は、いろいろやっても、これは間に合わない時期があったので、間に合いませんのがね、こんなにも農民を縛り上げてですね、やったところが、まあ、一つのですね、今でも、豊年祭と言うのがありますが、農作物を作って、米でも粟でも作って、神様に、お食べに、ああ今年は自分の作った米、〔聞き取り不能〕してね、ええ、満足に家庭が持てるように、城が豊かになるようにと〔聞き取り不能〕にもお願いし、また、家にもお願いしてですね、こんなにやっておりますがね、昔はもう、全部が首里に納めして、家族が芋の葉っぱと芋、アーサー草を取ってきて食べるだけ、魚も海から取ってきてね、あれで生活してきた。もう非常に苦しんでいるときに、この大浜のオヤケ赤蜂はですね、この、同じ人間でありながらですね、士族はこんなに、農民から食料取ってよ、あれから、米とか食料も贅沢に、生活しておられますが、農民は夜昼働いてもですね、〔聞き取り不能〕間に合わない。こういう苦労の中に、農民は、この、この、〔聞き取り不能〕、言うところ私が考えると、豊年祭みたいな、農民がですね、〔聞き取り不能〕迎えた、ありがとうといってよ、神様にもお願いしてね、自分らでももう、綱引きとかこういう八重山行事がありますがね、そういう行事までもね、廃止して、あんなんな暮らしして、夜昼働けと言うことでですね、こんなになったと言うことで、この大浜のオヤケ赤蜂はですね、私も人間ながらね、こんなにも農民を苦しめて、余りにも不合理だから、お互いこのオヤケ赤蜂が先頭になって、長田大主、それから、川平の仲間満慶、あれから、この、西表の慶来慶田城が話し合ってね、農民を助けなくちゃいけないと言うことでね、話し合ってね、イリケアマリの行事だけをね、〔聞き取り不能〕なしてもいいんだがよ、この農民の楽しみをね、聞き取りさせちゃございませんといってよ、今度は、長田大主、仲間満慶あれから、慶来慶田城もですね、非常に、こんなに、首里の王様に向かってね、これを講義することと言うのはね、風に唾吐くのと同じでよ、自分に帰ってくる。首里の王様にも抵抗もないからよ、絶対に、もう、自分らは不賛成と言うことで、これでは、八重山の農民ではね、君らは反対派だからよ、ここに争いが起こったわけです。この、オヤケ赤蜂はですね、農民党ですね、言うと。農民のほうに付いてね、農民をあんなに苦しめてはいけないとお願いしてね、言うたところが、反対で、ですから、たとえたら、種類を挙げると、川平のですね、部落の仲間満慶も呼んで、この長田大主も呼んでね、話し合おうと言うことで、家来をよこしてね、呼んだところが、長田大主が言ったってね、これはもう、首里の王様に反抗できないからといってね、欠席したって、行かなかったらしい。それで、この、川平の仲間満慶は、大浜に来て、政府に退行したら、大変だから、俺
はもう反対するというたので、これじゃ、首里の王様の片棒担いでいると言うことだから、家来をよこしてよ、あれはもう、〔聞き取り不能〕なのだから、この、大浜ではまた、苦しいとかいう家来が多かったらしい、あれをまたよこして、この、今の名蔵、名蔵湾はあの時道もないから、細い馬だけ歩く道だから、穴を掘ってですね、偽装して、これに仲間満慶を落として、殺すということで、石の中にね、穴を歩って、偽装して、見えないようにしたところが、ここからもう、仲間満慶を見つけにいったら、名蔵湾でよ、この穴に埋めるため、石とかすくってね、川平の仲間満慶を切り殺したと、ことでね、おお、今までもね、あちらではね、ケーラ崎と言って、切って〔聞き取り不能〕刀で切ると言うのは、切る、切ると言うことだから、ケーラ崎といってね、今までもね、この仲間満慶を切り殺したと言うところでね、今までも、名蔵名倉湾にケーラ崎と言うね、名が今までも残っております。それから、もう、長田大主は驚いて、ここにこの、オヤケ赤蜂はですね、体が大きくてですね、大変、武士でも〔聞き取り不能〕持ってなかったらしい。体格も良くてね、腕力もあってよ、〔聞き取り不能〕、長田大主はね、驚いて、仲間満慶が殺されたから、川平の観音堂に隠れてよ、早くに、この島から逃げなくてはいけんということで、筏をくんでですね、西表にいってよ、西表の慶来慶田城によ、オヤケ赤蜂は仲間を殺した。だから、大変だと言うことで、逃げてきたと言うことで、他の、慶田城と一緒になってね、おったんだが、また〔聞き取り不能〕来て殺すと言うことで、今の由布島。お分かりですか。由布島によ、そこに、長田大主は隠れて、ここで船を造って、あれから、首里に行ってね、今頃だったら飛行機もあり、船もありますが、あの頃、沖縄では、自分でくり舟を作ってね、それで行って、〔聞き取り不能〕したと言う時代だから、もう、松の木を切ってですね、西表の松の木を切って、この、沖縄に行って、沖縄の首里の王様と相談してね、この、オヤケ赤蜂は、首里の王様に反抗して、今度この人頭税のみならず、〔聞き取り不能〕余りの行事をね、これ、廃止すると言うことで、反対してよ、これには、絶対、いけない、首里の王様殺すと言ってよ、もうこんなにやって、仲間満慶も、もう殺されてしまっているんだからと言うことでね、自分一人で、慶来慶田城自分だけね、殺すわけにも、ええ、対抗するわけにもいかないから、首里の王様を先頭にしてね、ええ、この宮古の仲宗根豊見親(なかそねちゅいまー)、宮古には仲宗根豊見親が宮古の王様だから、だから、宮古の仲宗根豊見親。あれから、島々の王様を集めてね、与那国の女の王様、あれから、長田大主、〔聞き取り不能〕の慶来慶田城ね、一緒になってね、これはもう、オヤケ赤蜂を殺さなければ、私には人頭税も取れない、大変だからと言うことで、全部、まあ、行かされてですね、全部来たそうです。それで、開口一番にですね、オヤケ赤蜂にはかなわなかったんだがよ、これはもう、どうすればね、オヤケ赤蜂に殺されるかと言うことでね、え、企んで、筏を組んでですね、この、観音堂の先からよ、筏を組んで、沖縄からですね、筏に、松の木を切ってですね、あの頃〔聞き取り不能〕もないから、松の木を切って燃やしてよ、筏に乗せてよ、流したそうです。流したら東に来るよね。オヤケ赤蜂は大浜、真栄里の前で見てね、これは、首里の王様にね、何千人来ておるか分からない、私一人ではできないと言うことで、これはもう首里の王様の〔聞き取り不能〕でよ、これはもう対抗できないからよ、余分に筏を流したらよ、驚いて逃げる、だから、逃げる場所に行ったら殺されると言うことで、まあ企んだところが、首里の王様のよ、筏を流したところが、オヤケ赤蜂はこれを見て、対抗できないと言うことで、於茂登山に逃げていったそうです。逃げてってよ、隠れておったら、今度は、この長田大主のですね、ええ、その前にですね、これは、どうすれば、長田大主の考えでよ、これ、もう、対抗できないから、行ったてね、オヤケ赤蜂が現れないから、これの妻をですね、妻はですね、自分の妹、妹をよこしてよ、
妹にですね、毒を入れさしてよ、死なすしかない。もう長田大主の策謀で、この長田大主はね、弟二人も、この、オヤケ赤蜂に殺されているんですよ。〔聞き取り不能〕それで、この、長田大主の姉さんにですね、真乙姥と言う司がいらしゃったらしい。真乙姥とですね、また、この、真乙姥の下に姑乙姥と言うね、この、司がいらしゃったわけです、それで、この姑乙姥はまだ、真乙姥を、妹にね、姑乙姥と言う女をよ、この、オヤケ赤蜂の妻によこして、これで、オヤケ赤蜂に会わせて、死なすほかないと言うことでよ、この、長田大主と真乙姥がね、たくらんで、もう、ああ、オヤケ赤蜂は妻もいないから、姑乙姥をよこして、毒をあれして死なすほかないと言うことで、姑乙姥を〔聞き取り不能〕の前によ、この、喧嘩しない前によ、私の姑乙姥はあんたの妻にしてくれと言うことで、承諾したと言うことで、姑乙姥をよこしたところが、そうして、もう、長田大主が姑乙姥にね、必ず毒を飲ませてね、死なせろよと言うことで、行かしたんだがよ、この、姑乙姥はね、オヤケ赤蜂の妻になってよ、こんなにいるうちに、オヤケ赤蜂は姑乙姥を非常にかわいがってね、私は何か天の恵みでね、神よ、こんなに幸せでね、立派な奥さんを持ってね、姑乙姥を妻にしたことはね、非常にありがたいと言ってよ、この姑乙姥を非常にかわいがってね、夫婦になっておったわけです。それでよ、この姑乙姥の兄さん、姉さん毒を盛っていって死なせろと言うんだけどよ、自分はね、かわいがられておるのによ、毒を飲ませて死なすわけにも行かないからね、絶対に兄さんにもよ、姉さんにもよ、反抗すると言うことで、姑乙姥はよ、オヤケ赤蜂と一心同体になっておったらしい。しかしそれでもよ、なかなか真乙姥はね、一カ月のうちに殺せと言うんだがね、なかなかこの、死なないのでよ、この真乙姥がね、なんで約束事しないかね、と言ってよ、大浜に来たらしい。来てね、姑乙姥によ、相談するらしい。ちょうどあの時によ、このオヤケ赤蜂はよ、於茂登山によ、猪狩りによ、馬に乗って、四五人の部下を連れていったですよ。ちょうど、〔聞き取り不能〕と思ってよ、いないときにが、こういう〔聞き取り不能〕を話しよってよ、こっから、自分の妹の、オヤケ赤蜂の妻、姑乙姥によ、何であなたはね、こんなに、毒で、シウシウと言う毒で、行かしておいたのによ、何で今まで殺さず、生かしておいたんかと言うことで、この姑乙姥に言うたところがよ、はい、もう兄さん姉さんの言うこともごもっともだがね、自分をこんなにかわいがっていてくれて好い人になってくれるのにね、もう、これに反対して、あの人を殺すわけにもいかんしね、ただ、我慢しておると行ったのでよ、それじゃあ、幸いに、今日獅子狩りに行ってるんだから、今晩よ、したら、必ず疲れてくるはずだから、酒飲むはずだから、酒に毒入れて、今晩必ず、殺せよ、と言うことで、この真乙姥はね、姑乙姥にいうて帰ったらしい。帰っておるうちによ、晩、オヤケ赤蜂はよ、獅子を三頭四頭殺して、焼いて下げて、持ってきてね、大浜でも、今日は大収穫だと行って、あの晩、自分の同士、集めてね、宴会したそうです。宴会の途中によ、姑乙姥は姉さんに殺すと言って、毒薬をもらったので、妻だから、猪の料理を作って、宴会しているから、みんなに〔聞き取り不能〕とかね、親しい人が集まって。それでも、奴らのいうことを聞かなくてはいけんと言うことで、あの毒を送り入れて、新しいのをあげたそうです。あげたところがよ、この、オヤケ赤蜂は、姑乙姥から毒の入った酒をもらって、飲もうとした。ところがよ、姑乙姥はね、良心が許さなかったんでしょうね、こんなに私のことをかわいがっておるのによ、姉さん兄さんは殺せと言うんだがよ、これはどうするかと言うことでよ、オヤケ赤蜂の飲もうとする、手で投げてね、庭に投げたそうです。庭に投げたらよ、姑乙姥、「あなたは私によ、こんなに酒飲め。」と言うと言って、「どういう意味で酒を投げるのか。」と怒ってよ、言って目ん玉出ると言うくらいによ、怒ってオヤケ赤蜂は怒っておったんだが、実はね、私の姉さんが今日来てね、今晩限り、殺せと言うことでね、この毒をね、殺せよと言うことで、この毒を持ってきてね、あなたにあげろと言ったけど、こんなに親切な私の夫をみすみすね、〔聞き取り不能〕だから、という事でね、こんなにやったという事でよ、あの時、このオヤケ赤蜂は、そうか。あなたにも、こんなに苦労があったんだね、私を殺すためにが、あなたを私の妻に、〔聞き取り不能〕にしたんだな、という事で、あなたの兄さん、姉さんはね、人間じゃない。八重山の王様と言うのは、八重山の住民のことを思ってよ、こんなに私は八重山住民の事を思ってよ、阿付流大の王様に反抗しておるのによ、こんなに、〔聞き取り不能〕あんたの兄さん、この、長田大主、真乙姥はね、人間じゃない、という事で、よし、この限り、あなたの兄さんであろうが、姉さんであろうが、〔聞き取り不能〕は許さんとう事でね、怒ってね、あれから、二人の男を殺してね、やったところが、こんなに許さんという事になってね、怒って、あの時がね、オヤケ赤蜂はね、長田大主、真乙姥をね、自分を殺すためにが、姑乙姥を自分の嫁にしたんだなという、あの時がはっきりわかってね、あれからも非常にかわいがって、あれなの
に、姑乙姥も、「私はね、ちゆならんと欲すればこうならず、こうならんと欲すればちゆならず。」とこう格言であるでしょ。それと同じにね、こんなこと〔聞き取り不能〕と言うことで、板挟みになっておったんだが、姑乙姥はね、こんなに社会のため、人民の為に、オヤケ赤蜂は、こんなに苦労してよ、首里の王様に反抗するくらいね、これはもう、ただの住民ではない。神様みたい。八重山の王様だからよ、これを殺すわけにはいかない。私はね、兄弟の長田大主、姑乙姥、姉さんだがね、人間ではない。人の上に立つ人はね、住民の事を思うのが当然だがよ、首里の王様に付いてよ、「こんなに残酷な行為ではすまない。」と言ってよ、姑乙姥もね、絶対にあれから、兄さん、真乙姥姉さんの事も聞かんでね、オヤケ赤蜂の後を、私が申し上げたように、筏で驚いてよ、於茂登山に隠れてですね、おったところが、オヤケ赤蜂の〔聞き取り不能〕というこの、足が、足跡も大きかったようです。大浜の東のよ、今もね、長田大主の足跡があると、私も見てないんだがよ、オヤケ赤蜂の足跡があるというのはみんなから知られています。それから、ああ、この於茂登山に、殺されたら大変だという事で、隠れてよ、おるうちによ、西表の慶来慶田城、長田大主の臣下、川平の仲間満慶の臣下に、宮古の仲宗根豊見親、与那国の方がね、首里の王様の方に付いてね、後追いしてよ、足跡をくんで、於茂登山に言って隠れておるんで、山を〔聞き取り不能〕だから、於茂登山の前のソクバルの田んぼがありますがね、田んぼの中によ、穴を歩って自分は中に隠れて、水の下に、泥をかいてよ、隠れて、蓮根。蓮根がね、中が穴があるらしい。あれの根をね、自分の鼻に入れて、また、上はよ、水上になっててよ、これで息してよ、水を飲んだら、すぐ死ぬんだから、蓮根の根っ子を入れてね、これでね、息
しておるところを、この首里の王様の家来が、あと追って、足跡追って、田んぼの側から足跡が取れて、田んぼに隠れておるという事でよ、この魚のつる、あれがあるでしょ。あれでよ、田んぼのあちらこちらみんな突いたらよ、血が流れるでしょ、突かれて痛いんだがよ、〔聞き取り不能〕殺せんかった。やったところがよ。ちょっと血が残っておったのを見てね、そこで、やってね、殺したと言うことでね、あれから、もう、この首里の王様の部下に殺されてね、また、この、姑乙姥もね、あれの妻だからという事で、死刑にやられてね、ええ、亡くなったそうです。それで、八重山の人は、首里の王様の人頭税も悪税といってよ、〔聞き取り不能〕悪税といってよ、あれしておりますがね。本当に、この、オヤケ赤蜂は、大浜の城の公園に、そこに墓がありますがね、そこに葬って。姑乙姥は、この、オヤケ赤蜂の妻であるんだが、殺されて、今お分かりかね、真乙姥御嶽。新川の中学校のあれに真乙姥御嶽とありますがね、あれは、長田大主の、兄さんだから、あれのよ、東の、西に、オヤケ赤蜂の妻姑乙姥はよ、オヤケ赤蜂の、二人に殺されたんだがよ、死んでもね、兄弟とは反対だから、歩く人、石で、人に踏ませると言うことでよ、石の中にね、穴を掘って、姑乙姥をね、土葬してね、石で、歩く人、足で踏ませてね、やったんだが、後の代になってね、〔聞き取り不能〕姑乙姥もオヤケ赤蜂同様に、八重山の文明の為によ、こんなに犠牲になって、首里の王様に殺されたと言うことで、こんな道に下ろされては、かえって罰が当たるという事でよ、掘り出してね、持ってってよ
、大浜のね、オヤケ赤蜂の骨と一緒によ、オヤケ赤蜂と一緒に葬って、今日まで、八重山の住民の為にこんなに犠牲になったという事で、非常に、今までも尊敬されておるそうです。昔は大変でしたらしいです。弱肉強食の時代でよ、力のある人がね、弱いものは大変な苦しみでよ、〔聞き取り不能〕今日こういう世の中に残って、こういう法律があり、警察があり、こんなに、また、学校で勉強もするし、昔の事もこんなに、勉強する事もできるしね、本当にありがたいです。

再生時間:0:36:17

民話詳細DATA

レコード番号 47O330332
CD番号 47O33C026
決定題名 オヤケ赤蜂(共通語)
話者がつけた題名
話者名 宮良松
話者名かな みやらまつ
生年月日 19031019
性別
出身地 白保
記録日 19970309
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 T132 白保 A-01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 本格昔話、 伝説
発句(ほっく) むかしはですね
伝承事情
文字化資料
キーワード オヤケ赤蜂,長田大主,仲間満慶,平久保カナ,慶来慶田城,人頭税
梗概(こうがい) ええ、昔はですね、戦国時代でですね、この八重山には、石垣島には、ええ、今の現在の大浜部落に、オヤケ赤蜂と言う、すごい武士がおったそうです。あれから、石垣、今の四箇には、ああ、長田大主(ながたうふすー)がいてですね、また、川平には、仲間満慶。それから、平久保には、平久保カナー。また、西表には、慶来慶田城。うう、与那国には、女のですね、自分が八重山を、自分も、おお、限られ、自分がやるという野心がありましてですね、この、言うと皆さんもご存じのように、首里がですね、首里が、横暴で、平民はですね、沖縄県全体が、〔聞き取り不能〕、宮古、八重山、本島がですね、ええと、そこには、人頭税は、昔、しておったらしい。それで、平民はですね、この男は米、粟、麦、稗、芋、これだけを作ってですね、首里に送る。女は、あれが、十五歳から、四十五歳まで、年齢が、ああ、男は。また、女は、ああ、十五歳から、四十五歳までのですね。ええ、女はですね、糸芭蕉を倒して、皮を剥いでですね、あれで、糸を煮て、糸を取ってですね、あれと、また、ショマ。あれをですね、糸にして首里の王様に納めたと言うのが、これもう恒例になっておったらしい。それで、各字にですね、まあ、オーセと言うところがあって、そこはもう出荷場ですね。部落全部の。男は米とか粟を持ってくるし、女はまた、芭蕉布を取ってね、白保では白保の東の浜にですね、ええ、この、浜にこれを作ってね、そこで、首里からの王様がいらしゃって、この、反物や、富豪をわきまえて、持っていかれたそうです。ここにも、歌が、女の歌がありますがね。ここで、浜に下ろしてよ、海で布をさらし、石と言って、一方を石でくくって、こんなに、七色八色の布をですよ、海でさらして、あれを持ってきて、また、浜の上、石の上でよ、さらして、そこで、この、首里からの王様の、あれの係にあげてね、〔聞き取り不能〕また作ってあげるというような〔聞き取り不能〕者であろうが、健康体であろうが十五歳から、四十五歳までは、昔おったそうです。それでね、八重山ではこういう記念に残っているようなものは、ありませんが、お分かりか分かりませんが、宮古ではね、この、人頭税石と言うのがね、あるらしいんだよ。今でも、現在、この石があってですね、あれの高さによって、十五歳になってですね、高さに合格したらよ、これを負わされたという、この、宮古の、書いた資料に残っています。八重山には残っておりませんがね、そういう時代でありましたので、非常に、大物はですね、お互い大物同士、殺してですね、自分の手柄になると言うので、実は、このオヤケ赤蜂と長田大主が、壮絶なね。ここにいらしゃって、長田氏が四箇に、オヤケ赤蜂は大浜に住んでですね、そこで、部落を統一して、首里で人頭税を納めておりましたんだが、これが、余りにもですね、同じ人間ながらですね、士族も、首里の王様はね、平民をいじめてよ、もう平民は、いろいろやっても、これは間に合わない時期があったので、間に合いませんのがね、こんなにも農民を縛り上げてですね、やったところが、まあ、一つのですね、今でも、豊年祭と言うのがありますが、農作物を作って、米でも粟でも作って、神様に、お食べに、ああ今年は自分の作った米、〔聞き取り不能〕してね、ええ、満足に家庭が持てるように、城が豊かになるようにと〔聞き取り不能〕にもお願いし、また、家にもお願いしてですね、こんなにやっておりますがね、昔はもう、全部が首里に納めして、家族が芋の葉っぱと芋、アーサー草を取ってきて食べるだけ、魚も海から取ってきてね、あれで生活してきた。もう非常に苦しんでいるときに、この大浜のオヤケ赤蜂はですね、この、同じ人間でありながらですね、士族はこんなに、農民から食料取ってよ、あれから、米とか食料も贅沢に、生活しておられますが、農民は夜昼働いてもですね、〔聞き取り不能〕間に合わない。こういう苦労の中に、農民は、この、この、〔聞き取り不能〕、言うところ私が考えると、豊年祭みたいな、農民がですね、〔聞き取り不能〕迎えた、ありがとうといってよ、神様にもお願いしてね、自分らでももう、綱引きとかこういう八重山行事がありますがね、そういう行事までもね、廃止して、あんなんな暮らしして、夜昼働けと言うことでですね、こんなになったと言うことで、この大浜のオヤケ赤蜂はですね、私も人間ながらね、こんなにも農民を苦しめて、余りにも不合理だから、お互いこのオヤケ赤蜂が先頭になって、長田大主、それから、川平の仲間満慶、あれから、この、西表の慶来慶田城が話し合ってね、農民を助けなくちゃいけないと言うことでね、話し合ってね、イリケアマリの行事だけをね、〔聞き取り不能〕なしてもいいんだがよ、この農民の楽しみをね、聞き取りさせちゃございませんといってよ、今度は、長田大主、仲間満慶あれから、慶来慶田城もですね、非常に、こんなに、首里の王様に向かってね、これを講義することと言うのはね、風に唾吐くのと同じでよ、自分に帰ってくる。首里の王様にも抵抗もないからよ、絶対に、もう、自分らは不賛成と言うことで、これでは、八重山の農民ではね、君らは反対派だからよ、ここに争いが起こったわけです。この、オヤケ赤蜂はですね、農民党ですね、言うと。農民のほうに付いてね、農民をあんなに苦しめてはいけないとお願いしてね、言うたところが、反対で、ですから、たとえたら、種類を挙げると、川平のですね、部落の仲間満慶も呼んで、この長田大主も呼んでね、話し合おうと言うことで、家来をよこしてね、呼んだところが、長田大主が言ったってね、これはもう、首里の王様に反抗できないからといってね、欠席したって、行かなかったらしい。それで、この、川平の仲間満慶は、大浜に来て、政府に退行したら、大変だから、俺 はもう反対するというたので、これじゃ、首里の王様の片棒担いでいると言うことだから、家来をよこしてよ、あれはもう、〔聞き取り不能〕なのだから、この、大浜ではまた、苦しいとかいう家来が多かったらしい、あれをまたよこして、この、今の名蔵、名蔵湾はあの時道もないから、細い馬だけ歩く道だから、穴を掘ってですね、偽装して、これに仲間満慶を落として、殺すということで、石の中にね、穴を歩って、偽装して、見えないようにしたところが、ここからもう、仲間満慶を見つけにいったら、名蔵湾でよ、この穴に埋めるため、石とかすくってね、川平の仲間満慶を切り殺したと、ことでね、おお、今までもね、あちらではね、ケーラ崎と言って、切って〔聞き取り不能〕刀で切ると言うのは、切る、切ると言うことだから、ケーラ崎といってね、今までもね、この仲間満慶を切り殺したと言うところでね、今までも、名蔵名倉湾にケーラ崎と言うね、名が今までも残っております。それから、もう、長田大主は驚いて、ここにこの、オヤケ赤蜂はですね、体が大きくてですね、大変、武士でも〔聞き取り不能〕持ってなかったらしい。体格も良くてね、腕力もあってよ、〔聞き取り不能〕、長田大主はね、驚いて、仲間満慶が殺されたから、川平の観音堂に隠れてよ、早くに、この島から逃げなくてはいけんということで、筏をくんでですね、西表にいってよ、西表の慶来慶田城によ、オヤケ赤蜂は仲間を殺した。だから、大変だと言うことで、逃げてきたと言うことで、他の、慶田城と一緒になってね、おったんだが、また〔聞き取り不能〕来て殺すと言うことで、今の由布島。お分かりですか。由布島によ、そこに、長田大主は隠れて、ここで船を造って、あれから、首里に行ってね、今頃だったら飛行機もあり、船もありますが、あの頃、沖縄では、自分でくり舟を作ってね、それで行って、〔聞き取り不能〕したと言う時代だから、もう、松の木を切ってですね、西表の松の木を切って、この、沖縄に行って、沖縄の首里の王様と相談してね、この、オヤケ赤蜂は、首里の王様に反抗して、今度この人頭税のみならず、〔聞き取り不能〕余りの行事をね、これ、廃止すると言うことで、反対してよ、これには、絶対、いけない、首里の王様殺すと言ってよ、もうこんなにやって、仲間満慶も、もう殺されてしまっているんだからと言うことでね、自分一人で、慶来慶田城自分だけね、殺すわけにも、ええ、対抗するわけにもいかないから、首里の王様を先頭にしてね、ええ、この宮古の仲宗根豊見親(なかそねちゅいまー)、宮古には仲宗根豊見親が宮古の王様だから、だから、宮古の仲宗根豊見親。あれから、島々の王様を集めてね、与那国の女の王様、あれから、長田大主、〔聞き取り不能〕の慶来慶田城ね、一緒になってね、これはもう、オヤケ赤蜂を殺さなければ、私には人頭税も取れない、大変だからと言うことで、全部、まあ、行かされてですね、全部来たそうです。それで、開口一番にですね、オヤケ赤蜂にはかなわなかったんだがよ、これはもう、どうすればね、オヤケ赤蜂に殺されるかと言うことでね、え、企んで、筏を組んでですね、この、観音堂の先からよ、筏を組んで、沖縄からですね、筏に、松の木を切ってですね、あの頃〔聞き取り不能〕もないから、松の木を切って燃やしてよ、筏に乗せてよ、流したそうです。流したら東に来るよね。オヤケ赤蜂は大浜、真栄里の前で見てね、これは、首里の王様にね、何千人来ておるか分からない、私一人ではできないと言うことで、これはもう首里の王様の〔聞き取り不能〕でよ、これはもう対抗できないからよ、余分に筏を流したらよ、驚いて逃げる、だから、逃げる場所に行ったら殺されると言うことで、まあ企んだところが、首里の王様のよ、筏を流したところが、オヤケ赤蜂はこれを見て、対抗できないと言うことで、於茂登山に逃げていったそうです。逃げてってよ、隠れておったら、今度は、この長田大主のですね、ええ、その前にですね、これは、どうすれば、長田大主の考えでよ、これ、もう、対抗できないから、行ったてね、オヤケ赤蜂が現れないから、これの妻をですね、妻はですね、自分の妹、妹をよこしてよ、 妹にですね、毒を入れさしてよ、死なすしかない。もう長田大主の策謀で、この長田大主はね、弟二人も、この、オヤケ赤蜂に殺されているんですよ。〔聞き取り不能〕それで、この、長田大主の姉さんにですね、真乙姥と言う司がいらしゃったらしい。真乙姥とですね、また、この、真乙姥の下に姑乙姥と言うね、この、司がいらしゃったわけです、それで、この姑乙姥はまだ、真乙姥を、妹にね、姑乙姥と言う女をよ、この、オヤケ赤蜂の妻によこして、これで、オヤケ赤蜂に会わせて、死なすほかないと言うことでよ、この、長田大主と真乙姥がね、たくらんで、もう、ああ、オヤケ赤蜂は妻もいないから、姑乙姥をよこして、毒をあれして死なすほかないと言うことで、姑乙姥を〔聞き取り不能〕の前によ、この、喧嘩しない前によ、私の姑乙姥はあんたの妻にしてくれと言うことで、承諾したと言うことで、姑乙姥をよこしたところが、そうして、もう、長田大主が姑乙姥にね、必ず毒を飲ませてね、死なせろよと言うことで、行かしたんだがよ、この、姑乙姥はね、オヤケ赤蜂の妻になってよ、こんなにいるうちに、オヤケ赤蜂は姑乙姥を非常にかわいがってね、私は何か天の恵みでね、神よ、こんなに幸せでね、立派な奥さんを持ってね、姑乙姥を妻にしたことはね、非常にありがたいと言ってよ、この姑乙姥を非常にかわいがってね、夫婦になっておったわけです。それでよ、この姑乙姥の兄さん、姉さん毒を盛っていって死なせろと言うんだけどよ、自分はね、かわいがられておるのによ、毒を飲ませて死なすわけにも行かないからね、絶対に兄さんにもよ、姉さんにもよ、反抗すると言うことで、姑乙姥はよ、オヤケ赤蜂と一心同体になっておったらしい。しかしそれでもよ、なかなか真乙姥はね、一カ月のうちに殺せと言うんだがね、なかなかこの、死なないのでよ、この真乙姥がね、なんで約束事しないかね、と言ってよ、大浜に来たらしい。来てね、姑乙姥によ、相談するらしい。ちょうどあの時によ、このオヤケ赤蜂はよ、於茂登山によ、猪狩りによ、馬に乗って、四五人の部下を連れていったですよ。ちょうど、〔聞き取り不能〕と思ってよ、いないときにが、こういう〔聞き取り不能〕を話しよってよ、こっから、自分の妹の、オヤケ赤蜂の妻、姑乙姥によ、何であなたはね、こんなに、毒で、シウシウと言う毒で、行かしておいたのによ、何で今まで殺さず、生かしておいたんかと言うことで、この姑乙姥に言うたところがよ、はい、もう兄さん姉さんの言うこともごもっともだがね、自分をこんなにかわいがっていてくれて好い人になってくれるのにね、もう、これに反対して、あの人を殺すわけにもいかんしね、ただ、我慢しておると行ったのでよ、それじゃあ、幸いに、今日獅子狩りに行ってるんだから、今晩よ、したら、必ず疲れてくるはずだから、酒飲むはずだから、酒に毒入れて、今晩必ず、殺せよ、と言うことで、この真乙姥はね、姑乙姥にいうて帰ったらしい。帰っておるうちによ、晩、オヤケ赤蜂はよ、獅子を三頭四頭殺して、焼いて下げて、持ってきてね、大浜でも、今日は大収穫だと行って、あの晩、自分の同士、集めてね、宴会したそうです。宴会の途中によ、姑乙姥は姉さんに殺すと言って、毒薬をもらったので、妻だから、猪の料理を作って、宴会しているから、みんなに〔聞き取り不能〕とかね、親しい人が集まって。それでも、奴らのいうことを聞かなくてはいけんと言うことで、あの毒を送り入れて、新しいのをあげたそうです。あげたところがよ、この、オヤケ赤蜂は、姑乙姥から毒の入った酒をもらって、飲もうとした。ところがよ、姑乙姥はね、良心が許さなかったんでしょうね、こんなに私のことをかわいがっておるのによ、姉さん兄さんは殺せと言うんだがよ、これはどうするかと言うことでよ、オヤケ赤蜂の飲もうとする、手で投げてね、庭に投げたそうです。庭に投げたらよ、姑乙姥、「あなたは私によ、こんなに酒飲め。」と言うと言って、「どういう意味で酒を投げるのか。」と怒ってよ、言って目ん玉出ると言うくらいによ、怒ってオヤケ赤蜂は怒っておったんだが、実はね、私の姉さんが今日来てね、今晩限り、殺せと言うことでね、この毒をね、殺せよと言うことで、この毒を持ってきてね、あなたにあげろと言ったけど、こんなに親切な私の夫をみすみすね、〔聞き取り不能〕だから、という事でね、こんなにやったという事でよ、あの時、このオヤケ赤蜂は、そうか。あなたにも、こんなに苦労があったんだね、私を殺すためにが、あなたを私の妻に、〔聞き取り不能〕にしたんだな、という事で、あなたの兄さん、姉さんはね、人間じゃない。八重山の王様と言うのは、八重山の住民のことを思ってよ、こんなに私は八重山住民の事を思ってよ、阿付流大の王様に反抗しておるのによ、こんなに、〔聞き取り不能〕あんたの兄さん、この、長田大主、真乙姥はね、人間じゃない、という事で、よし、この限り、あなたの兄さんであろうが、姉さんであろうが、〔聞き取り不能〕は許さんとう事でね、怒ってね、あれから、二人の男を殺してね、やったところが、こんなに許さんという事になってね、怒って、あの時がね、オヤケ赤蜂はね、長田大主、真乙姥をね、自分を殺すためにが、姑乙姥を自分の嫁にしたんだなという、あの時がはっきりわかってね、あれからも非常にかわいがって、あれなの に、姑乙姥も、「私はね、ちゆならんと欲すればこうならず、こうならんと欲すればちゆならず。」とこう格言であるでしょ。それと同じにね、こんなこと〔聞き取り不能〕と言うことで、板挟みになっておったんだが、姑乙姥はね、こんなに社会のため、人民の為に、オヤケ赤蜂は、こんなに苦労してよ、首里の王様に反抗するくらいね、これはもう、ただの住民ではない。神様みたい。八重山の王様だからよ、これを殺すわけにはいかない。私はね、兄弟の長田大主、姑乙姥、姉さんだがね、人間ではない。人の上に立つ人はね、住民の事を思うのが当然だがよ、首里の王様に付いてよ、「こんなに残酷な行為ではすまない。」と言ってよ、姑乙姥もね、絶対にあれから、兄さん、真乙姥姉さんの事も聞かんでね、オヤケ赤蜂の後を、私が申し上げたように、筏で驚いてよ、於茂登山に隠れてですね、おったところが、オヤケ赤蜂の〔聞き取り不能〕というこの、足が、足跡も大きかったようです。大浜の東のよ、今もね、長田大主の足跡があると、私も見てないんだがよ、オヤケ赤蜂の足跡があるというのはみんなから知られています。それから、ああ、この於茂登山に、殺されたら大変だという事で、隠れてよ、おるうちによ、西表の慶来慶田城、長田大主の臣下、川平の仲間満慶の臣下に、宮古の仲宗根豊見親、与那国の方がね、首里の王様の方に付いてね、後追いしてよ、足跡をくんで、於茂登山に言って隠れておるんで、山を〔聞き取り不能〕だから、於茂登山の前のソクバルの田んぼがありますがね、田んぼの中によ、穴を歩って自分は中に隠れて、水の下に、泥をかいてよ、隠れて、蓮根。蓮根がね、中が穴があるらしい。あれの根をね、自分の鼻に入れて、また、上はよ、水上になっててよ、これで息してよ、水を飲んだら、すぐ死ぬんだから、蓮根の根っ子を入れてね、これでね、息 しておるところを、この首里の王様の家来が、あと追って、足跡追って、田んぼの側から足跡が取れて、田んぼに隠れておるという事でよ、この魚のつる、あれがあるでしょ。あれでよ、田んぼのあちらこちらみんな突いたらよ、血が流れるでしょ、突かれて痛いんだがよ、〔聞き取り不能〕殺せんかった。やったところがよ。ちょっと血が残っておったのを見てね、そこで、やってね、殺したと言うことでね、あれから、もう、この首里の王様の部下に殺されてね、また、この、姑乙姥もね、あれの妻だからという事で、死刑にやられてね、ええ、亡くなったそうです。それで、八重山の人は、首里の王様の人頭税も悪税といってよ、〔聞き取り不能〕悪税といってよ、あれしておりますがね。本当に、この、オヤケ赤蜂は、大浜の城の公園に、そこに墓がありますがね、そこに葬って。姑乙姥は、この、オヤケ赤蜂の妻であるんだが、殺されて、今お分かりかね、真乙姥御嶽。新川の中学校のあれに真乙姥御嶽とありますがね、あれは、長田大主の、兄さんだから、あれのよ、東の、西に、オヤケ赤蜂の妻姑乙姥はよ、オヤケ赤蜂の、二人に殺されたんだがよ、死んでもね、兄弟とは反対だから、歩く人、石で、人に踏ませると言うことでよ、石の中にね、穴を掘って、姑乙姥をね、土葬してね、石で、歩く人、足で踏ませてね、やったんだが、後の代になってね、〔聞き取り不能〕姑乙姥もオヤケ赤蜂同様に、八重山の文明の為によ、こんなに犠牲になって、首里の王様に殺されたと言うことで、こんな道に下ろされては、かえって罰が当たるという事でよ、掘り出してね、持ってってよ 、大浜のね、オヤケ赤蜂の骨と一緒によ、オヤケ赤蜂と一緒に葬って、今日まで、八重山の住民の為にこんなに犠牲になったという事で、非常に、今までも尊敬されておるそうです。昔は大変でしたらしいです。弱肉強食の時代でよ、力のある人がね、弱いものは大変な苦しみでよ、〔聞き取り不能〕今日こういう世の中に残って、こういう法律があり、警察があり、こんなに、また、学校で勉強もするし、昔の事もこんなに、勉強する事もできるしね、本当にありがたいです。
全体の記録時間数 0:36:33
物語の時間数 0:36:17
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP