真謝井戸由来(共通語)

概要

この、真謝井戸の由来はですね。私なんかも、これ、見ておりませんし、話も、先輩から聞いただけですから、本当かどうか分りませんがよ。話ではですね、この真謝、馬真謝と言う人がね、この馬真謝と言う人が、先生もお分かりになると思いますが、この馬真謝がね、平民でよ、この、昔の首里の王様がですね、今の、おお、車の運転手でしょうかね。秘書とか、所長さんの車の運転手みたいな、あの頃はもう、車と言うものもないし、ええ、馬がですね、足だから。この馬真謝と言う人はですね、馬養う平民でよ。馬を養って、馬好きだからよ。平民でですね、この首里の王様の足になってですね、この王様の出張のときは、あの馬をですね、出張させて、また、行って来たら、また、馬の手入れをしてね、こんなにもすごく、馬真謝と言ってね、非常にお誉めに、名誉にありましたんだが、あれは、何だか、別の人の嫉妬であったかね、分かりませんが、この別の女中、いや、人が嫉妬して、あれを真謝から落とすと言うことで、嫉妬で出たものか分かりませんが、事実か分かりませんが、この首里の王様の娘とね、何か、縁のですね、あれがあるということで、今度は、王様の耳に入ってですね。こんな平民がですね、その頃の王様の娘をですね、こんな、娶ると言うことはですね、昔は士族と平民の佐はね、ものすごく天地の差がありますので、こんな平民がですね、士族の女を、こんなにやると言うことはね、もう、これは、大変だから、絶対にここにおいてはね、もう、私の不名誉でもあるし、これは島流ししなきゃいけないと言うことで、島に流したと言うことであります。それで、この馬真謝と言う人が、白保にいらっしゃると言うとですね、今度は、本当は、この白保ではですね、この真謝井戸は、真謝と言う人が掘ってもらったと言うので、白保と言うところは、泉もないし、川もないし、こんなところ、人間は水はなくてはならないあれだからと言うことで、馬真謝と言う人が掘らして、掘って、水を部落民に飲ましたという話もあるしね、また、もう一説はですね、この馬真謝のいらっしゃる前にですね、これを掘って、部落民が、掘っておりまして、そこの水を飲んでおりましたんだが、この明和八年の津波で、みんな、もう、来て、埋まってですね、砂浜になって、ええ、おるので、どこが、この真謝井戸であったかと言うのも分らん。それでね、この、亀山と言うですね、ええ、婆ちゃんが、あの人は、また、この水の司であった。あられたらしい。あの人は、また、あの真謝井戸の西側に、住んでいらっしゃったらしい。あの人が、真謝の、白保にいらっしゃって、この井戸は、なくちゃいかんから、井戸のあったところのどの辺にあったかと言うことを、亀川の婆ちゃんに話たらですね。亀川の婆ちゃんは、この辺にあったと言うことでよ、もう、クイを立てたらよ、それじゃ、まず、この辺を掘ってみようと言うことでよ、部落民、大騒動入りして、掘ったところ、丁度当たってですね、昔の掘った、この真謝井戸がですね、掘り起こされたという二つの話がありますがね、これは、もう、私も聞いた話ですが。たぶん私もですね、この、それで今でも、この亀川家の子孫、みんな、この真謝井戸の、この、いる、この、司はですね、この、亀川の子孫が、女がやっております。それで、また、向かいの爺さんが、部落、おお、今の公民館長。そういう職で、あれが、部落民を総動員して、掘って、こんな水を飲んでおったんだが、明和八年の津波で、埋まったという話もあるしね。だから、真謝の主は真謝さんのいらっしゃる前にね、掘ったですね、掘ってあるので、津波で埋まって、あれを掘り起こされた。あれが、本当でないかねと、私信じております。だからですね、この、真謝井戸のそばによ、この、香炉もあってですね、この、北はですね、白保の豊年祭の綱引き場なんですよ。綱引き場でね、非常に、この、部落民がね、昔から、これから水を汲んでね、おりましたんだが、この後にですね、文化が進み、人口が多くなったために、あれから、この、真謝井戸を骨にしてよ、下に掘ったら、この、地下水に当たるんだからと言って、真謝井戸の横にね、掘って、昔は何も、桶とかないから、すぐに、女が、頭にね、乗せて、そこから水を汲んで登ってね、上に登って、上に持ってきて、家に持っていって飲んだという。それでね、真謝井戸と言う歌がありますよ。それはね、あい、あい、それは、本にもありますがね。ああ、この真謝井戸節は、「白保チェル島ヤ、果報島ヤディグァ、真謝井戸グァクウサディヨヤケメェガチ、シンダスリサースリ。」と言ってね、一番は、またね、二番はね、「真謝井戸に下りてィ、水汲むゆ女(いなぐ)、ウカラニクルトゥ目眉美らさ(ちゅらさ)、シンダスリサースリ。」と言ってよ、真謝井戸に降りていって、水を汲んで瓶に乗せていってくるね、ここの、白保の女ですよね。髪もね、黒でね、目眉も綺麗くてね、非常に、その、真謝の部落、白保をですね、女も非常に綺麗、讃えた歌がですね、真謝井戸節なんです。それで。そこのそこにですね、真謝主が亡くなられてですね、ここは真謝主の墓と言ってよ、今でも敷居が残っております。今でもですね、敷居、真謝衆の墓のあるところですね、空き地でね、この、白保部落、豊年祭の時も、ありがとう。おかげさまでで昨年お祈りしましたところね、神様もね、非常に恵んでもらって、部落民もこんなに健康でね、また今年もね、稲穂が見事にできてね、豊年ができたことは、本当にありがとうと言ってよ。そこに、香を立ててね、そこに女の司がここを拝んでおります。出からですね、この白保の由緒ある、こう言う、言うともう、貴重なものはですね、こんなにもう話して、もうこんな、大学の先生なんか普及して貰えれば、生徒のあちらこちらで普及して貰えればね、白保は大学もないしね、本当に、私はね、いろいろと私の別な考えもありますしね、実は、私はね、年を取っているせいかも分かりませんが、いろいろあちらこちらの大学の先生から、生徒がですね、真謝井戸の由来とかですね、そういうの聞きにいらっしゃるんです。

再生時間:6:27

民話詳細DATA

レコード番号 47O330245
CD番号 47O33C018
決定題名 真謝井戸由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 宮良松
話者名かな みやらまつ
生年月日 19031019
性別
出身地 白保
記録日 19960913
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 T127 白保 A-03
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 馬乗真謝,島流し
梗概(こうがい) この、真謝井戸の由来はですね。私なんかも、これ、見ておりませんし、話も、先輩から聞いただけですから、本当かどうか分りませんがよ。話ではですね、この真謝、馬真謝と言う人がね、この馬真謝と言う人が、先生もお分かりになると思いますが、この馬真謝がね、平民でよ、この、昔の首里の王様がですね、今の、おお、車の運転手でしょうかね。秘書とか、所長さんの車の運転手みたいな、あの頃はもう、車と言うものもないし、ええ、馬がですね、足だから。この馬真謝と言う人はですね、馬養う平民でよ。馬を養って、馬好きだからよ。平民でですね、この首里の王様の足になってですね、この王様の出張のときは、あの馬をですね、出張させて、また、行って来たら、また、馬の手入れをしてね、こんなにもすごく、馬真謝と言ってね、非常にお誉めに、名誉にありましたんだが、あれは、何だか、別の人の嫉妬であったかね、分かりませんが、この別の女中、いや、人が嫉妬して、あれを真謝から落とすと言うことで、嫉妬で出たものか分かりませんが、事実か分かりませんが、この首里の王様の娘とね、何か、縁のですね、あれがあるということで、今度は、王様の耳に入ってですね。こんな平民がですね、その頃の王様の娘をですね、こんな、娶ると言うことはですね、昔は士族と平民の佐はね、ものすごく天地の差がありますので、こんな平民がですね、士族の女を、こんなにやると言うことはね、もう、これは、大変だから、絶対にここにおいてはね、もう、私の不名誉でもあるし、これは島流ししなきゃいけないと言うことで、島に流したと言うことであります。それで、この馬真謝と言う人が、白保にいらっしゃると言うとですね、今度は、本当は、この白保ではですね、この真謝井戸は、真謝と言う人が掘ってもらったと言うので、白保と言うところは、泉もないし、川もないし、こんなところ、人間は水はなくてはならないあれだからと言うことで、馬真謝と言う人が掘らして、掘って、水を部落民に飲ましたという話もあるしね、また、もう一説はですね、この馬真謝のいらっしゃる前にですね、これを掘って、部落民が、掘っておりまして、そこの水を飲んでおりましたんだが、この明和八年の津波で、みんな、もう、来て、埋まってですね、砂浜になって、ええ、おるので、どこが、この真謝井戸であったかと言うのも分らん。それでね、この、亀山と言うですね、ええ、婆ちゃんが、あの人は、また、この水の司であった。あられたらしい。あの人は、また、あの真謝井戸の西側に、住んでいらっしゃったらしい。あの人が、真謝の、白保にいらっしゃって、この井戸は、なくちゃいかんから、井戸のあったところのどの辺にあったかと言うことを、亀川の婆ちゃんに話たらですね。亀川の婆ちゃんは、この辺にあったと言うことでよ、もう、クイを立てたらよ、それじゃ、まず、この辺を掘ってみようと言うことでよ、部落民、大騒動入りして、掘ったところ、丁度当たってですね、昔の掘った、この真謝井戸がですね、掘り起こされたという二つの話がありますがね、これは、もう、私も聞いた話ですが。たぶん私もですね、この、それで今でも、この亀川家の子孫、みんな、この真謝井戸の、この、いる、この、司はですね、この、亀川の子孫が、女がやっております。それで、また、向かいの爺さんが、部落、おお、今の公民館長。そういう職で、あれが、部落民を総動員して、掘って、こんな水を飲んでおったんだが、明和八年の津波で、埋まったという話もあるしね。だから、真謝の主は真謝さんのいらっしゃる前にね、掘ったですね、掘ってあるので、津波で埋まって、あれを掘り起こされた。あれが、本当でないかねと、私信じております。だからですね、この、真謝井戸のそばによ、この、香炉もあってですね、この、北はですね、白保の豊年祭の綱引き場なんですよ。綱引き場でね、非常に、この、部落民がね、昔から、これから水を汲んでね、おりましたんだが、この後にですね、文化が進み、人口が多くなったために、あれから、この、真謝井戸を骨にしてよ、下に掘ったら、この、地下水に当たるんだからと言って、真謝井戸の横にね、掘って、昔は何も、桶とかないから、すぐに、女が、頭にね、乗せて、そこから水を汲んで登ってね、上に登って、上に持ってきて、家に持っていって飲んだという。それでね、真謝井戸と言う歌がありますよ。それはね、あい、あい、それは、本にもありますがね。ああ、この真謝井戸節は、「白保チェル島ヤ、果報島ヤディグァ、真謝井戸グァクウサディヨヤケメェガチ、シンダスリサースリ。」と言ってね、一番は、またね、二番はね、「真謝井戸に下りてィ、水汲むゆ女(いなぐ)、ウカラニクルトゥ目眉美らさ(ちゅらさ)、シンダスリサースリ。」と言ってよ、真謝井戸に降りていって、水を汲んで瓶に乗せていってくるね、ここの、白保の女ですよね。髪もね、黒でね、目眉も綺麗くてね、非常に、その、真謝の部落、白保をですね、女も非常に綺麗、讃えた歌がですね、真謝井戸節なんです。それで。そこのそこにですね、真謝主が亡くなられてですね、ここは真謝主の墓と言ってよ、今でも敷居が残っております。今でもですね、敷居、真謝衆の墓のあるところですね、空き地でね、この、白保部落、豊年祭の時も、ありがとう。おかげさまでで昨年お祈りしましたところね、神様もね、非常に恵んでもらって、部落民もこんなに健康でね、また今年もね、稲穂が見事にできてね、豊年ができたことは、本当にありがとうと言ってよ。そこに、香を立ててね、そこに女の司がここを拝んでおります。出からですね、この白保の由緒ある、こう言う、言うともう、貴重なものはですね、こんなにもう話して、もうこんな、大学の先生なんか普及して貰えれば、生徒のあちらこちらで普及して貰えればね、白保は大学もないしね、本当に、私はね、いろいろと私の別な考えもありますしね、実は、私はね、年を取っているせいかも分かりませんが、いろいろあちらこちらの大学の先生から、生徒がですね、真謝井戸の由来とかですね、そういうの聞きにいらっしゃるんです。
全体の記録時間数 6:36
物語の時間数 6:27
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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