波照間御嶽由来(共通語)

概要

波照間から、明和のですね、明和の大津波の後に、この白保部落は、低地でしょ。低地だから、残った人が、七、八名くらい残ったそうだよ。残り全部死んでるんですよ。この部落の人は、それで、波照間から、大浜に少し、白保にたくさん来てるんですよ。だから、白保のことは、波照間のことですよ。この部落は、波照間のことに似ているんだが、長い間、宮良とか、あるいは、平得とか、字石垣の話を聞きながらだから、少しは変わってるんでしょうかね。白保のことは、波照間の人には通じる。波照間のことは、白保には通じるが、宮良とか、大浜もほとんどないでしょ。残った住人、多かったから、大浜は。大浜のことになってしまっているね。白保もまったく、波照間のことでしょ。だから、こんな、波照間のここから、分村してきた、移民できたから、御嶽も、波照間御嶽ってありますよね。波照間から来た人が、造ったお寺、神社って、御嶽はですね、結局、波照間の住民だから、後ろには多原とか、真謝とか、嘉手苅とか、四御嶽があるんですがね。その一つは、波照間からの分村してきた、氏子は、ほとんど、波照なの血統ですがね。波照間御嶽。はい。これは、旧正に拝みに来ます。旧正月ですね。それから、稲の初あげの時、もう、たくさんありますよ。一番の、三回拝むと言うのは、豊年祭。旧正はですね、一日。残りは、みんな一日ですが、まだありますよ。御嶽に行くのは。我々は、行かないけれど、この、司とか、それに、司に付いてるタカナファーと言うのがおるんですよね。タカナファー。ファーと言うのは、子供だという意味ですがね。この人が亡くなったら、孫が、これを継ぐんですね。家の妹も、タカナファーですよ。多原御嶽の。婆ちゃんの変わり。〔聞き取り不能〕血統をどんどん、どんどん、あるから。その人が死んだら、旅におってもですね、あんたが後継ぎだと。だから家の、本家の婆ちゃんが、やったと言うことで、くじが当たったんじゃなくて、ユタがですね、ユタが当てたと言うことで、〔聞き取り不能〕妹が、七十五ですが、おるんですがね。これ、もう、しょっちゅう来れないから、私は兄貴だから、私のうちから、持っていってやる。御嶽に。だから、家の血統から言うと、波照間御嶽のタカナファーだったと言うから、血統から言うと、波照間御嶽を信じていた人がほとんどだったと思うんですよ。家の妹が、波照間と言うのは、タカナファーと言って、氏子代表って言うんですよ。氏子って言ったら、誰のうち誰のうちっていってから、波照間御嶽。誰のうち誰のうちは、嘉手苅御嶽って言うのがあるんですよ。だから、それのタカナファーになったって言うことは、タカナファーって言うのは、氏子代表ですよ。なったていうことは、結局、その血統にも、波照間御嶽に使えている人がおったと言うことですよね。我々は分からんけども、体が弱いんで、〔聞き取り不能〕そこに行ったら、御嶽を拝むと言うことになっていると、それじゃ、まあ、〔聞き取り不能〕良くなったから、〔聞き取り不能〕三十年以上、ずっと。〔聞き取り不能〕あの時分ですね、体が弱くてね、それで、ユタの家に行ったと思うんだが、それが、〔聞き取り不能〕精神的に安定した。ずっと元気だった。去年の辺りから、体調崩しているとは聞いたけれども。・・タカナファー‥‥司の付人役のようなもの。氏子の代表。

再生時間:6:22

民話詳細DATA

レコード番号 47O330226
CD番号 47O33C016
決定題名 波照間御嶽由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 石垣憲一
話者名かな いしがきけんいち
生年月日 19150208
性別
出身地 白保
記録日 19960912
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 T125 白保 A-06
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説、 民俗
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 明和の大津波,移住
梗概(こうがい) 波照間から、明和のですね、明和の大津波の後に、この白保部落は、低地でしょ。低地だから、残った人が、七、八名くらい残ったそうだよ。残り全部死んでるんですよ。この部落の人は、それで、波照間から、大浜に少し、白保にたくさん来てるんですよ。だから、白保のことは、波照間のことですよ。この部落は、波照間のことに似ているんだが、長い間、宮良とか、あるいは、平得とか、字石垣の話を聞きながらだから、少しは変わってるんでしょうかね。白保のことは、波照間の人には通じる。波照間のことは、白保には通じるが、宮良とか、大浜もほとんどないでしょ。残った住人、多かったから、大浜は。大浜のことになってしまっているね。白保もまったく、波照間のことでしょ。だから、こんな、波照間のここから、分村してきた、移民できたから、御嶽も、波照間御嶽ってありますよね。波照間から来た人が、造ったお寺、神社って、御嶽はですね、結局、波照間の住民だから、後ろには多原とか、真謝とか、嘉手苅とか、四御嶽があるんですがね。その一つは、波照間からの分村してきた、氏子は、ほとんど、波照なの血統ですがね。波照間御嶽。はい。これは、旧正に拝みに来ます。旧正月ですね。それから、稲の初あげの時、もう、たくさんありますよ。一番の、三回拝むと言うのは、豊年祭。旧正はですね、一日。残りは、みんな一日ですが、まだありますよ。御嶽に行くのは。我々は、行かないけれど、この、司とか、それに、司に付いてるタカナファーと言うのがおるんですよね。タカナファー。ファーと言うのは、子供だという意味ですがね。この人が亡くなったら、孫が、これを継ぐんですね。家の妹も、タカナファーですよ。多原御嶽の。婆ちゃんの変わり。〔聞き取り不能〕血統をどんどん、どんどん、あるから。その人が死んだら、旅におってもですね、あんたが後継ぎだと。だから家の、本家の婆ちゃんが、やったと言うことで、くじが当たったんじゃなくて、ユタがですね、ユタが当てたと言うことで、〔聞き取り不能〕妹が、七十五ですが、おるんですがね。これ、もう、しょっちゅう来れないから、私は兄貴だから、私のうちから、持っていってやる。御嶽に。だから、家の血統から言うと、波照間御嶽のタカナファーだったと言うから、血統から言うと、波照間御嶽を信じていた人がほとんどだったと思うんですよ。家の妹が、波照間と言うのは、タカナファーと言って、氏子代表って言うんですよ。氏子って言ったら、誰のうち誰のうちっていってから、波照間御嶽。誰のうち誰のうちは、嘉手苅御嶽って言うのがあるんですよ。だから、それのタカナファーになったって言うことは、タカナファーって言うのは、氏子代表ですよ。なったていうことは、結局、その血統にも、波照間御嶽に使えている人がおったと言うことですよね。我々は分からんけども、体が弱いんで、〔聞き取り不能〕そこに行ったら、御嶽を拝むと言うことになっていると、それじゃ、まあ、〔聞き取り不能〕良くなったから、〔聞き取り不能〕三十年以上、ずっと。〔聞き取り不能〕あの時分ですね、体が弱くてね、それで、ユタの家に行ったと思うんだが、それが、〔聞き取り不能〕精神的に安定した。ずっと元気だった。去年の辺りから、体調崩しているとは聞いたけれども。・・タカナファー‥‥司の付人役のようなもの。氏子の代表。
全体の記録時間数 6:35
物語の時間数 6:22
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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