四七〇年あまり前の津波のときに、基斗(もと)という御嶽を失ったみたいさあね。その御嶽をこの真乙姥(まいつば)の皆さんに教えられたから、私が四〇年前に起こして、今もそこを基斗御嶽(もと・きどうたき)として拝んでいるさあね。名前を書いて教えてもらった。三〇名余りでこの御嶽の香炉を起こしたとき、三年間拝んでおったけど、あんまりムターレル〔変な気分になる〕から、「そこじゃない。こっちはよ、長田大主(なーたしゅー)が船を着いたときの御嶽だよ。こっちから子ども生まれないよ。」とおっしゃった。休まれるさーと喜んでいたがまたあっちこっち歩いて探した。髪の毛も二回はげた。ユタに通ったら、皆が三本松とか言うところをさ、「金の宝が三尺下に埋まれているからこれを起こして拝め。」と言うから、皆であっちこっち掘っておったよ。だけど一〇六坪の広さの所だから、私は「どこにあるとも知らないのにあんなことできません。」と言ったさ。そしたら、私の家(うち)の後ろに桑が生えておって「桑の木のところを二回(ふたなかい)掘りなさい。」と神がおっしゃったからよ。ユタも書物を見る人も、神人(かみんちゅ)なんかもみな連れていってよ。そこを堀ったら、香炉が見えておったさ。その香炉を掘り出して置いて、みんなで拝んださ。それが二月二八日で、その日の晩よ、香炉を起こしたお祝いに皆(いろんな霊)いらっしゃったから、聞得大君(きこえおおぎみ)の霊(ホールザーマイ)なんかが拝むべきと思って伝えた。そしたらが「三月月(さんがつつき)にピサダの穂がでたらあんたがこっちから神事として生まれてやってあげなさい。」とおっしゃるから驚いてよ、私は金もないしとっても苦しい立場だったわけよね。昔は在来米さあね、それが二月の二八日だから平田(ぴさだ)のよ、米の穂が出る時分にしては早いから、もし、三ガツ月が出たときには、私がそこをやることになると思って待っとたらよ、本当に平田田(ぴさだだー)の稲の穂が出たさあね。そしたらよ、迎えがきたから、行ったら、私に、「キヨちゃん。私には神様の名前が分からないから、こうして生まれることはできないよ。」とおっしゃったから、すぐその神様によ、「どうか拝ませて下さい。」と言って拝んだよ。その晩の三時ごろだったさ。霊の言葉でさ、「起きれ。起きれ。」と神様に起こしてもらったさ。そのときのことは書ききれないけど皆覚えているさ。そのとき神様に教えてもらったことをすぐに鉛筆で書こうとしたら、紙が見つからないでいたら、「あの板切れに書けよ。」とおっしゃったから、その板切れを出したら、神様が基斗御嶽と書いて下さったさ。それから歴史家の喜舎場永じゅん(きしゃばえいじゅん)先生のところに持っていったさ。そしたら先生は、「あんたがもう少し早く生まれてくれれば良かったのに。自分は何年間も歴史あんだけ書いたけど、昔あったというこの御嶽が分からなかった。私は三年もこの歴史の本が完成が遅れておった。」と言って大変喜んでいましたよ。私が、「先生、お宮の名前がないとホールザーマイはこっちから生まれることはないとおっしゃるからよ、困っていたら昨夜こんなにして書いて神様に教えてもらったさ。」と言うと、それを見て、先生は、「ムトと読むよ。」と教えてもらった。私は字はね、そうも読むはずだけど、「神様からは、私には基斗御嶽(きどぅおたけ)とか教えてもらった。」と言うと、「うん、この字はあんなにも読むよ。」とおっしゃった。先生は、「自分はそこを探すために三年かかったよ。この辺りだったと言うけど誰も探しきれなかった。この御嶽のことは書けなかったが、自分が書いた歴史をお礼にあげるから読みなさい。」と、五〇何年前の歴史が書かれた出土史をくれて、今も持ってるさ。古い御嶽の香炉は、国場さんのときに石城(いしすく)の地から出てるよ。もうそこは、砕石で湖になってしまった。市長さんに毎日頼みに言ったけど国場(組)さんは割り砕いた。私が言うこと誰も聞いてもらえないからよ、神様に、私に教えて下さるな、と言うさ。そこの前の香炉も起き出してきて図書館にあるのを持って来てしたから、図書館長は、そこは下割るというのも、割らないですましたさ。宮鳥御嶽の、石城とおしの香炉も、終戦後盗まれて(司の)ばあさんが気づいた。私は夢で、盗んだ人の名前まで教えられた。「沖縄の博物館にある。」と言うから、うちの人に沖縄の博物館長の大城(おおしろ)さんを訪ねて行ってもらったけど、「ここに入った物は出すことはできない。」と戻されてきたわけ。それでも宮鳥の神様が、「必ずとってこい。」とおっしゃるから、今度はこの盗んだ家に行った。「あんた盗まれたってね。」って言ったら「盗んだ」って言った。その家のお祖父さんは内地人(ないちゃー)で亡くなったさ。この祖母さんは今もいるよ。もう一度、沖縄の博物館長の大城さんを訪ねて事情を話して、この香炉の下にね、名前が書いてあるから、その名前までうちなんかが言ったから、大城さんは驚いてよ。「仕方がない。」と渡してもらって、宮鳥御嶽に持ってきたら、司がカワノさんに代わって「取らん。」と言うわけよ。「どうしようかね。」と思って図書館に預けておいたが、チョウアンさんのときに割ってしまって、今は博物館にもっていって置いてある。神様から変な古い昔のことばっかり教えられてよ、とっても苦しくて泣くにも泣かれないよ。このモト御嶽開けたから、皆おしえてもらっている。そうして拝んでいるうちに、終戦前から拝んでおられたかみぐわーなんかが、西塘様の奥さん、あれも皆よ、何回も拝んでいるって。長田大主(なーたしゅー)のこともよ、仲間満慶(なかまみつけい)なんかのこともよ、拝んでいるけれど「供養が通らない。」とか言ってよ。そのときに私なんかが生まれたから「あんたなんかには頼られる。」と言ってよ。うちの人も、はじめ馬鹿にしておったけどよ、一四日間も物食べさせないで裏座籠もりして、線香付けたら見えるようになった。うちの人は七年前に亡くなったけど、与那国(よなぐに)に人助けしに行っていたから、この人は門中(むんちゅう)から賞状ももらってきているさ。とにかく、今まで拝んでいた人が供養が通らないといっていたとき、私が生まれたから、「あんたなんかがこれを基斗になってやるべきだはずよ。」と、皆が私の家にいらっしゃって、「今一緒に、自分なんかと一緒に喜ばしてくれ。」とおっしゃったもんだから、「やってあげよう。」とうちの人が線香付けたら皆見えるからさ、西塘様(にしとうさま)にもこっちからうさげたからよ、こっちの基斗に西塘様が字を書かれた硯井泉(すずりかー)もあるさ。 基斗御嶽(むぅとぅおん)は、西塘様なんか偉い人なんかが拝んだ御嶽さ。今は皆でよ、そこから皆やってよ。竹富島(たけとみじま)で今度はやる。また次の日取りにはね、真乙姥のやる。また長田大主にも頼まれたさ。頼まれて皆この御嶽からうさげてあげたからよ。長田大主や真乙姥なんかは宮古の仲宗根豊見親(なかそねとぅいみやー)の子供でしょ。だけど、長田大主や真乙姥が自分の親の仲宗根豊見親(なかそねとぅいみやー)と戦しないですましたのはよ、仲間満慶(なかまみつけ)の知恵でしょ。だから、長田大主から、「仲間満慶にもお礼やってくれ。」と頼まれたから、この御嶽からみんなやったさ。
| レコード番号 | 47O340622 |
|---|---|
| CD番号 | 47O34C043 |
| 決定題名 | 基斗御嶽(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 崎枝キヨ |
| 話者名かな | さきえだきよ |
| 生年月日 | 19160711 |
| 性別 | 女 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市字新川 |
| 記録日 | 19980908 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市字新川 T51 A05 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説、 世間話、 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 津波,基斗御嶽,モトウタキ,キドウタキ,ミルクの神,三本松,桑の木,香炉,ピサダ,稲,聞得大君,ホールザーマイ,真乙姥,長田大主, |
| 梗概(こうがい) | 四七〇年あまり前の津波のときに、基斗(もと)という御嶽を失ったみたいさあね。その御嶽をこの真乙姥(まいつば)の皆さんに教えられたから、私が四〇年前に起こして、今もそこを基斗御嶽(もと・きどうたき)として拝んでいるさあね。名前を書いて教えてもらった。三〇名余りでこの御嶽の香炉を起こしたとき、三年間拝んでおったけど、あんまりムターレル〔変な気分になる〕から、「そこじゃない。こっちはよ、長田大主(なーたしゅー)が船を着いたときの御嶽だよ。こっちから子ども生まれないよ。」とおっしゃった。休まれるさーと喜んでいたがまたあっちこっち歩いて探した。髪の毛も二回はげた。ユタに通ったら、皆が三本松とか言うところをさ、「金の宝が三尺下に埋まれているからこれを起こして拝め。」と言うから、皆であっちこっち掘っておったよ。だけど一〇六坪の広さの所だから、私は「どこにあるとも知らないのにあんなことできません。」と言ったさ。そしたら、私の家(うち)の後ろに桑が生えておって「桑の木のところを二回(ふたなかい)掘りなさい。」と神がおっしゃったからよ。ユタも書物を見る人も、神人(かみんちゅ)なんかもみな連れていってよ。そこを堀ったら、香炉が見えておったさ。その香炉を掘り出して置いて、みんなで拝んださ。それが二月二八日で、その日の晩よ、香炉を起こしたお祝いに皆(いろんな霊)いらっしゃったから、聞得大君(きこえおおぎみ)の霊(ホールザーマイ)なんかが拝むべきと思って伝えた。そしたらが「三月月(さんがつつき)にピサダの穂がでたらあんたがこっちから神事として生まれてやってあげなさい。」とおっしゃるから驚いてよ、私は金もないしとっても苦しい立場だったわけよね。昔は在来米さあね、それが二月の二八日だから平田(ぴさだ)のよ、米の穂が出る時分にしては早いから、もし、三ガツ月が出たときには、私がそこをやることになると思って待っとたらよ、本当に平田田(ぴさだだー)の稲の穂が出たさあね。そしたらよ、迎えがきたから、行ったら、私に、「キヨちゃん。私には神様の名前が分からないから、こうして生まれることはできないよ。」とおっしゃったから、すぐその神様によ、「どうか拝ませて下さい。」と言って拝んだよ。その晩の三時ごろだったさ。霊の言葉でさ、「起きれ。起きれ。」と神様に起こしてもらったさ。そのときのことは書ききれないけど皆覚えているさ。そのとき神様に教えてもらったことをすぐに鉛筆で書こうとしたら、紙が見つからないでいたら、「あの板切れに書けよ。」とおっしゃったから、その板切れを出したら、神様が基斗御嶽と書いて下さったさ。それから歴史家の喜舎場永じゅん(きしゃばえいじゅん)先生のところに持っていったさ。そしたら先生は、「あんたがもう少し早く生まれてくれれば良かったのに。自分は何年間も歴史あんだけ書いたけど、昔あったというこの御嶽が分からなかった。私は三年もこの歴史の本が完成が遅れておった。」と言って大変喜んでいましたよ。私が、「先生、お宮の名前がないとホールザーマイはこっちから生まれることはないとおっしゃるからよ、困っていたら昨夜こんなにして書いて神様に教えてもらったさ。」と言うと、それを見て、先生は、「ムトと読むよ。」と教えてもらった。私は字はね、そうも読むはずだけど、「神様からは、私には基斗御嶽(きどぅおたけ)とか教えてもらった。」と言うと、「うん、この字はあんなにも読むよ。」とおっしゃった。先生は、「自分はそこを探すために三年かかったよ。この辺りだったと言うけど誰も探しきれなかった。この御嶽のことは書けなかったが、自分が書いた歴史をお礼にあげるから読みなさい。」と、五〇何年前の歴史が書かれた出土史をくれて、今も持ってるさ。古い御嶽の香炉は、国場さんのときに石城(いしすく)の地から出てるよ。もうそこは、砕石で湖になってしまった。市長さんに毎日頼みに言ったけど国場(組)さんは割り砕いた。私が言うこと誰も聞いてもらえないからよ、神様に、私に教えて下さるな、と言うさ。そこの前の香炉も起き出してきて図書館にあるのを持って来てしたから、図書館長は、そこは下割るというのも、割らないですましたさ。宮鳥御嶽の、石城とおしの香炉も、終戦後盗まれて(司の)ばあさんが気づいた。私は夢で、盗んだ人の名前まで教えられた。「沖縄の博物館にある。」と言うから、うちの人に沖縄の博物館長の大城(おおしろ)さんを訪ねて行ってもらったけど、「ここに入った物は出すことはできない。」と戻されてきたわけ。それでも宮鳥の神様が、「必ずとってこい。」とおっしゃるから、今度はこの盗んだ家に行った。「あんた盗まれたってね。」って言ったら「盗んだ」って言った。その家のお祖父さんは内地人(ないちゃー)で亡くなったさ。この祖母さんは今もいるよ。もう一度、沖縄の博物館長の大城さんを訪ねて事情を話して、この香炉の下にね、名前が書いてあるから、その名前までうちなんかが言ったから、大城さんは驚いてよ。「仕方がない。」と渡してもらって、宮鳥御嶽に持ってきたら、司がカワノさんに代わって「取らん。」と言うわけよ。「どうしようかね。」と思って図書館に預けておいたが、チョウアンさんのときに割ってしまって、今は博物館にもっていって置いてある。神様から変な古い昔のことばっかり教えられてよ、とっても苦しくて泣くにも泣かれないよ。このモト御嶽開けたから、皆おしえてもらっている。そうして拝んでいるうちに、終戦前から拝んでおられたかみぐわーなんかが、西塘様の奥さん、あれも皆よ、何回も拝んでいるって。長田大主(なーたしゅー)のこともよ、仲間満慶(なかまみつけい)なんかのこともよ、拝んでいるけれど「供養が通らない。」とか言ってよ。そのときに私なんかが生まれたから「あんたなんかには頼られる。」と言ってよ。うちの人も、はじめ馬鹿にしておったけどよ、一四日間も物食べさせないで裏座籠もりして、線香付けたら見えるようになった。うちの人は七年前に亡くなったけど、与那国(よなぐに)に人助けしに行っていたから、この人は門中(むんちゅう)から賞状ももらってきているさ。とにかく、今まで拝んでいた人が供養が通らないといっていたとき、私が生まれたから、「あんたなんかがこれを基斗になってやるべきだはずよ。」と、皆が私の家にいらっしゃって、「今一緒に、自分なんかと一緒に喜ばしてくれ。」とおっしゃったもんだから、「やってあげよう。」とうちの人が線香付けたら皆見えるからさ、西塘様(にしとうさま)にもこっちからうさげたからよ、こっちの基斗に西塘様が字を書かれた硯井泉(すずりかー)もあるさ。 基斗御嶽(むぅとぅおん)は、西塘様なんか偉い人なんかが拝んだ御嶽さ。今は皆でよ、そこから皆やってよ。竹富島(たけとみじま)で今度はやる。また次の日取りにはね、真乙姥のやる。また長田大主にも頼まれたさ。頼まれて皆この御嶽からうさげてあげたからよ。長田大主や真乙姥なんかは宮古の仲宗根豊見親(なかそねとぅいみやー)の子供でしょ。だけど、長田大主や真乙姥が自分の親の仲宗根豊見親(なかそねとぅいみやー)と戦しないですましたのはよ、仲間満慶(なかまみつけ)の知恵でしょ。だから、長田大主から、「仲間満慶にもお礼やってくれ。」と頼まれたから、この御嶽からみんなやったさ。 |
| 全体の記録時間数 | 16:03 |
| 物語の時間数 | 16:00 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |